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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  もう一つの敗戦国 その2

 
前書き
 マサキ、西ドイツに行くの巻。 

 
 木原マサキは、中東から、再びニューヨークに戻っていた。
軍務から解放された土曜の午後から定宿としているホテルの一室にこもり、秘密資料集(シュタージファイル)をながめた。
 異世界の人間とは言え、冷戦の結末を知る時代の人間である。
ゼオライマーのデータベースから印刷した前の世界の資料を見ながら、今後の事を考えていた。
 東ドイツを牛耳るにも、奴隷にするにしても、シュタージをどうかせねばならないことはわかっていた。

 そんな折である。
美久が、部屋に入ってくるなり、来客があることを告げた。
「お客様がお見えになられておりますが……」
「何、客だと!誰だ」
「榊国防政務次官です」

 国防政務次官の彼が来るのは何事だろう。
マサキは、いそいそと身なりを整えると、客人の待たせた隣室に急いだ。

 久しぶりに会った榊は、傍目に見て、疲れている様子だった。
頬も以前よりやつれ、目のクマを隠すように薄く化粧をしていた。

(「ひどく、瘦せこけたな。
肌色のドーランを顔中に塗りたくって、まさかガンなどではなければよいが……
俺の道具として使おうとしている男に、ここで死なれては困るものだ」)
彼らしくなく、思わず心配するほどであった。
 
「早速だが、君は私の西ドイツ外遊に同行してほしい」
榊の命令を受け、マサキは開口一番、不平をぶちまけた。
「俺に、欧州へ旅行しろというのか。何を考えているのだ貴様らは……」
「あ、そうだ。萩閣(しゅうかく)、いや彩峰と、白銀君も一緒だから心配はなかろう」

鎧衣の名がないことを不思議に思ったマサキは、タバコの火を付けながら、尋ねる。
「鎧衣は?」
「彼は情報省の人間だ。私の部下ではない。
それに、君を守ることもせずに、東ドイツの女性を近づけた人物だぞ。信用できるかね」
 
 国家の一大事を前にして、つまらぬ派閥争いとは……
役人の世界もいろいろあるものだと、マサキは飽きれていた。

「で、なんで政務次官のお前が西ドイツまで行くのだ」
「11月にボンで首脳会合(サミット)が行われることになってね」

「G5サミット?」

 たしかに前の世界でも1978年の西ドイツでサミットがあった。
ただ、その時は経済的な議題。
一応、日本の福田首相の提案で、ハイジャックの共同声明があったくらいだ。
安保問題は1980年に入ってからのはずだが……
 
 

「西側主要国7か国の会合を前にして、各大臣、次官級の作業部会が開かれることになった。
その関係で私も行くことになったから、君もぜひ来てほしい」

 つい意識を前の世界の西ドイツサミットに持って言ったマサキは、その発言に衝撃を受けた。
彼は、会議とか相談事が好きではない性格である。
もっともらしい理由を付けて、断ろうとした。
「下士官の俺が、何故……」
榊は見透かしていたかのように、間髪入れず、理由を述べた。
「君はハイヴ攻略の立役者だからだよ」
そういって大臣の公印と署名の入った命令書を、マサキに見せつける。
「この件は国防大臣の命令だ。嫌とは言わせない」
タバコをもみ消したマサキは、怒っている風でもなかった。
「ま、しょうがねえなぁ。一度乗った船だ。
向こうに就いたら、俺の好きにさせてもらうぜ」
そういってマサキは、椅子より立ち上がる。
困惑する美久の手を引くと、部屋を後にし、自室で準備をすることにした。

 慌しく、飛行機に乗り込んだマサキたちは、JFK空港より空路ハンブルグに向かった。
日航機のチャーター便に乗って、機窓より渺茫(びょうぼう)たる大西洋をながめながら、
「しかし、この俺を西ドイツに行かせる理由が分からん。
サミットなぞただの経済会合だろう。なぜ一パイロットの俺がそんなものに……」
思わず、一人ごとをつぶやいていた。
 
 引率役を引き受けている彩峰は、マサキにくぎを刺す。
「簡単だ。貴様がハイヴを全滅させたからだよ。
今後の経済運営にはBETA戦争の後のことも決めねばならん。そういう事で軍事会合になったのだ」
その答えを聞いて、マサキはおもしからぬ顔をしながら、紫煙を燻らせていた。
 
 マサキは、心やすらかでいられなかった。
徹底的にBETAと戦って、そして勝って、いま、深緑の野戦服を茶褐色の制服に脱ぎかえ、紫煙の糸に(しず)かな身を巻かれてみると、ちょうど酔いから醒めたような、むなしいものだけが心に(よど)んでくるのだった。
 こうしている間に、ソ連にしてやられそうな、焦慮に駆られずにいられなかった。

 ふと、そのうちに、彼は椅子から背を離した。
渋い顔をして、タバコを取り出すマサキの様子を見た、白銀が、心配そうに声をかける。
「いろいろお疲れでしょうし、僕と一緒に南ドイツでも会合の間に見てきましょうよ」
マサキは、火をつけたばかりのタバコを一服吸い込むと、
「ドイツの上手いビールでも案内してくれるのか。
俺みたいな少しばかり名の通った人間が、観光地に一人で行くにも危ないからな」
燻らせていた紙巻煙草を灰皿に押し付けると、過去への追憶の旅に出た。
 
 1970年代の西ドイツ情勢は、1950年代の対共産圏への対決姿勢からだいぶ変化していた。
1969年より首相を務めたヴィリー・ブラントは、『東方外交』という前例のない政策を実施する。
自身が進める対共産圏融和政策によって、ソ連以外の東欧の社会主義国家と国交回復を図った。
 時の首相、ブラントの掲げた東方外交は、言ってみれば東ドイツを利する結果でしかなかった。
東ドイツはブラントの差し出した数億マルクの金によってその独裁体制を維持させ、結果的にその寿命を永らえた。


 なぜ、そのようなことが起きたのか。
それは西ドイツ首相のそばにシュタージ将校が紛れ込むという前代未聞の事件があったからである。

 ブラント首相の最も信頼する秘書の一人に、ギュンター・ギヨームという男がいた。
後に判明するのだが、彼は国家人民軍将校で、シュタージ工作員だったのである。
つまりが東ドイツのスパイが、西ドイツ首相の筆頭秘書として近侍していたのだ。

 彼は若いころ、写真屋などの職を転々とした後、空軍に入隊し、戦時中NSDAPの青年組織にいた。
終戦後ベルリンに住んでいた時、シュタージにスカウトされ、SEDの秘密党員になった。
 シュタージの対外組織、中央偵察総局は彼を西ドイツ潜入の工作員として、フランクフルト市に送り込む。
 妻であり、女工作員でもあるクリステル・ボームがSPDヘッセン州南部地区事務所の秘書となったのを皮切りに、SPD内部に入り込み、フランクフルト市議にまでなった。
当時、権勢を誇ったレーバー運輸大臣の知己を得て、同大臣の秘蔵っ子として可愛がられた彼は、首相府の中に入り込むことに成功した。
 KGBの手助けを得て、連邦議会(西ドイツ議会)の議員を買収し、1972年4月27日の信任投票でブランドの勝利を確実にしたことである。
これにより、西ドイツは東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、東ドイツは正式に国家として承認された。



 彼の影響かははっきりわからないが、1969年以降ブラント政権が進めた「東方外交」はソ連を大いに利するものだった。
 西ドイツには、日本と同じようにソ連に占領された領土があった。
周囲を広い海で囲まれ、天然の国境がある日本と違って、ドイツの場合はすべて地続きだった故に、その返還交渉は、極めて困難だった。
 ブラント政権は、融和政策を合言葉にプロイセン王国始祖の地である東プロイセンの放棄を事実上認めた。
 これは日本政府がソ連占領下の南樺太の帰属をあいまいにし、その領土返還交渉を諦めるより早かった。
 また人道主義という美名に基づいて、「在外ドイツ人」の受け入れの取引として、ソ連に押し付けられたオーデル・ナイセ線を国境として認めた影響は計り知れなかった。



 シュタージの中央偵察総局とは何か。
疑問に思われる読者も多いであろう、簡単に説明したい。 
 別名、A総局とも呼ばれるこの部署は、東ドイツ建国時に秘密裏にKGBによって立ち上げられた。
KGBの第一総局をモデルにして、スカウトした青年たちを訓練し、200名のKGB工作員がスパイとして育て上げた。
その責任者は「ミーシャ」こと、マックス・ヴォルフで、KGBにより育てられた人物である。
 彼はロメオ工作員というリクルートした美丈夫を用いて、西ドイツのオールドミスや戦争未亡人に近づいた。
西ドイツ官庁内に秘密の連絡網を作り、政界工作を実施した。

 しかし、彼の仕事はKGBに比べれば、子供の遊びだった。
KGBは単独で、西ドイツの閣僚や情報機関__憲法擁護局やBND__幹部の個人情報を調べ上げ、高額の報酬を餌に誘い出し、一本釣りにした。
米国のCIAやドイツのBNDも対策はしたが、秘密のスパイ網を知ったのは壁が崩壊し、KGB工作員がモスクワに引き上げた後だった。
 つまり、この情報戦争はソ連の独壇場であった。



 どうしたら、西ドイツに工作を仕掛けられるか。
マサキが、紫煙を燻らせ、思案をしていた時である。

 彩峰が怒って、呟く。
「なんだ、今の話は」
「ちょっとばかし、ノイシュバンシュタイン城でも見に行こうかと……」
「そんなことをこの期に及んで、もくろんでいるとは、まったく反省していぬのだな。
貴様というやつは!」と呟き、
「お前たちだけで南ドイツに行くなどは、もってのほかだ。
これ以上の好き勝手は、軍法会議を開いて、厳罰に処す」
「彩峰よ。安心しろ。
この木原マサキ、うら若い小娘にもてあそばれるほど、初心(うぶ)ではない。
令嬢などを紹介してもらっても、自分の虚栄心を満たす道具になどはせぬ。
それに、ベルンハルトの妹や妻の美しさを見れば、並の女などかすむものさ」
 アイリスディーナのいきさつを訊きとっていた彩峰は、なおさら彼の神経質らしい半面をみせて、きびしくこういった。
「また、どこぞの令嬢でも紹介されたら……。誰が話をまとめるんだ」
「ハハハ。それもまた、楽しかろう」
 そういってマサキは、彩峰を軽くあしらう。
とにかくそんな冗談も、彼を、いきどおらせていたのであった。

 美久が細面(ほそおもて)に影を浮かべて、
「失礼とは思いますが……」、と告げた。
マサキは笑って、彼女に問いただした。
「申してみよ」
不安げな顔をしながら、慎重に言葉を選び、
「胸の大きさや腰のくびれなどではなく、知性で相手を選んではいかかでしょうか」

 マサキは、美久の発言を一笑に付す。
「フハハハハ。率直で前向きな意見、気に入ったわ」
椅子から身を乗り出すと、彼女の細い腕をつかんで目の前に引き寄せる。
「だが、一理ある」
しかし、怒っているようではなかった。
「美久。お前が言う通り、俺の好みじゃないことが分かれば、女どもは騒ごう。
その上、お前にもつまらぬ小言を言われる」
 彼を見る美久の表情が、みるみる変わって行く。
何か言いたくても言葉にならない、声にならないと言った表情だ。
「言いすぎました……冗談と思って、忘れてください」
 赤面しつつも抗議する美久を遮って、面と向かい合う。
「さぞかし反抗的だ。今日はいつもにも増して。ほかの女に嫉妬しているのか」
美久は改めて込み上げる羞恥を、隠すかのように呟く。
「しようのないお方……」
「可愛いことを言うやつだ。フハハハハ」
マサキはそう言って、満足げに哄笑をして見せた。
 
 

 
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