ドリトル先生とタキタロウ
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第十一幕その十一
「どの作品を読んでも。優しさはあるけれどね」
「物凄く優しい人で」
「いい人なのが出ていて」
「そうした意味でも読みやすい」
「宮沢賢治の作品はそうしたよさもあるんだ」
「そうだよ、だからこそね」
また残念そうにお話する先生でした。
「若くして亡くなったことが残念だよ」
「そうなるんだね」
「宮沢賢治さんは」
「本当に若くして亡くなって」
「結核で」
「結核によってどれだけの人が亡くなったか」
このことも残念そうに言うのでした。
「思えばね」
「本当にペニシリンが出るまでは助からなくて」
「沢山の人が命を落としたわね」
「この日本でも」
「そうだったね」
「そうだったからね、今だったらね」
結核が治る時代ならというのです。
「あの人も織田作さんもだよ」
「若くて亡くならずに」
「ずっと作品を書いて」
「もっと多くの作品を残したかも知れない」
「そうなんだね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「あの人はね」
「ううん、そう思うとね」
「惜しいね」
「宮沢賢治さんについても」
「結核が治っていたら」
「全くだよ。今は昔よりずっと栄養状態がよくてね」
それで身体が結核菌にも強くてというのです。感染症はどうしても身体の強さが影響してしまうのです。
「しかもね」
「それでだよね」
「ペニシリンもあって」
「結核にならなかったかも知れないし」
「なっても助かっていたね」
「そうなっていたよ、そうしたら」
宮沢賢治さんが長生きしてくれていたらというのです。
「きっとだよ」
「もっと沢山の名作を残していたね」
「必ず」
「多くの童話や詩を」
「そうしていたわね」
「全くだよ、そして先生や農業指導者としてもね」
そちらでもというのです。
「沢山の人の力になっていたよ」
「何ていうかね」
「そんな素晴らしい人こそ長生きして欲しいけれど」
「人の一生ってそうはいかないね」
「残念なことに」
「人の一生程わからないことはないからね」
先生は焼酎を飲みつつ遠い目でお話します、皆宮沢賢治さんのお話をしていてもお鍋を食べています。そして先生はお酒も楽しんでいます。
「どれだけ生きられるかは」
「全くだね」
「これは神様の配剤だよ」
「長生き出来るか若くして亡くなるか」
「そのことは」
「そうだよ、本当にね」
このことも遠い目でお話しました。
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