木ノ葉の里の大食い少女
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第一部
第四章 いつだって、道はある。
イタチ
――兄さん。今日、学校が終わったら手裏剣術の修行、付き合ってよ――
――俺は忙しいんだ。父上にでも教わればいいだろ?――
実年齢よりも成熟してみえる容貌の兄は、玄関口に腰を下しながら自分を振り返った。だって、とサスケは口を尖らせる。手裏剣術なら兄は父を越すということくらい、まだ幼い自分でも見ていてわかった。父のそれが十発のうちに八か九ほどを的の真ん中に当てられるくらいだとしたら、イタチのは正に十発放って十発とも的の真ん中に命中するくらいの技術を持っていた。父のそれが劣っているというわけでは決して無いし、一族の族長たるフガクの手裏剣術は他のうちはの上忍より優れていたりするのに、それでもまだ若いイタチはフガクをやすやすと越していた。多くを語らなくても、父が兄を誇りに思っていることははっきりと感じられたし、そして自分も兄を誇りに思っていた。少なくともその時までは。
――兄さんはそうやっていっつも俺を厄介者扱いする――
ふてくされたサスケの声に、イタチはついついと手招きをした。男性にしては長い睫に縁取られた黒い目からは何の表情も読み取れなかったけれど、サスケはとっとと小走り気味にイタチに近づいた。すっとイタチが人差し指と中指を差し出す。あ、とサスケはイタチの癖を思い出して、咄嗟に頭を後ろに引いた。
――いてっ――
とん、と兄の中指と人差し指の感覚を額に感じる。
――許せサスケ。また今度だ――
いつものイタチの癖。サスケに何かを頼まれ、そしてそれを断らなければならない時、イタチは決まってサスケの額をつつき、この言葉を口にする。サスケは額を摩りながら文句をいった。
――いっつもいっつも許せサスケって額を小突くばっかりで、それに今日はって、いつも構ってくれないくせに――
イタチはドアを開けて出て行った。一度たりとも振り向かないその後姿に、いつしか先ほどまでの不満は消え去り、サスケはちょっとだけ笑みにも似た表情を浮かべていた。サスケを無視したのではなく、図星をさされて返答に窮したから何も答えずに出て行っただけだというのがわかっていたからだ。
例えばクラスメートのキバを見ていると、五歳上の姉らしい女性が偶にキバを迎えにきたりして、二人とも和気藹々と楽しそうに笑い合っていたりするから、余り構ってもらえない理由は恐らく年の差とは関係ない。他のクラスメートで兄弟や姉妹がいる者たちも、喧嘩したり笑いあったりと様々ではあるが喧嘩だって構うの一種ではあるのだし、何故自分は中々イタチに構ってもらえないのかとちょっと不満に思うことが度々ある。ある日父フガクに思い切ってそう尋ねてみれば、フガクから帰ってきたのは「イタチは変わっているからな」という返答だ。親である俺もよくわからない、とフガクは天井を仰ぎ見ていった。弟の俺もよくわかんないよ、とサスケは一人心で呟いたのを覚えている。
うちは一族の人間との仲はわりと良好だった。アカデミーに向かう道を歩いていると、「おはようサスケちゃん」なんて声をかけられる。にこにこ笑いながら話しかけてくるおじさんやおばさんたちは皆イタチをうちはの誇りだといい、そしてうちはを自分たちの誇りだと嬉しそうに語った。元気がない時に励ましてくれたり、気遣ってくれるうちはの人々がサスケは大好きだった。両親だけではなく、彼らにも鼓舞されて、サスケは一層勉学に励んだ。兄には負けないと、弟らしい対抗心を燃やしていた。
――大分遅くなっちゃったなー――
その日も手裏剣の修行に打ち込んで、日が暮れてしまうまで手裏剣を投げ続けた。兄がやっている時には気持ちいいくらい全部あっさりと的の真ん中に命中するのに、やってみると中々うまくいかない。けれど兄には負けたくないと、そう思って必死に投げ続けた。
うちはの敷地は不気味なくらいに静まり返っていた。電気すらついていない。皆寝静まっているのかと首を傾げる。今の正確な時間がつかめなかったが、もしかしたらかなり遅いのではないのだろうか。普段は温和な母が怒るかもしれないし、あまり多くを語らない父は無言で怒りを示してくるかもしれない。イタチはどうだろう。正直彼がどんなリアクションをするのかが余りつかめない。
ふと視線を感じた。何かの禍々しい、決して好意を抱いているわけではない視線。ふと空を見上げてみても、見えるのは白い円盤の如き満月のみ。
――違う。まだ寝るような時間じゃないはずだ!――
アカデミー生に手裏剣の修行を提供しているあの演習場を出た時はまだそんなに遅くなかったはずだ。いくらうちはの敷地が里の中心部にあるアカデミー付近より遠いとは言え、そんなに時間がかかるはずはない。スピードをあげてサスケは走り出す。何かあったのだろうか。偶に集会などがあるものの、集会がある時は父が教えてくれるはずだし、第一あの集会にサスケだとか戦力外の人間は参加しないから、敷地中の家の電気がついていないなんてありえないのである。
そう、ありえない――
――これは!?――
角を曲がると同時に視界に飛び込んできたのは死体だった。うちはの家紋を背に背負った人々の死体がごろごろと地面に転がって悪臭を放っている。クナイで刺されたもの、火で焼かれたもの、目を見開き絶叫しているような、恐らく幻術を使われたもの。うちはの家紋が描かれた提灯は切り裂かれてぱっくりと口を開け、壁に彫られたうちはの家紋にも血が飛び散っていた。
――なんだよこれ!?――
悪臭と血腥さの漂う死体の間を走り抜けて必死に家に向かう。見れば今朝話しかけてきてくれたおばさんも、サスケはきっとイタチのような凄い忍びになると鼓舞してくれたおじさんも、死体となって地面に転がっていた。
――おじさん、おばさん……!――
うちはの中でも特に中がよかった人達だ、なのに。
視線が自分の家に向く。
――父さん、母さん……――
がら、と引きとを押し開け、ごくりと息を呑む。
――父さん? 母さん?――
焦った少年の声が真っ暗な屋内に虚しく響いた。いないの? と幾段泣きそうなくらいの焦燥に満ちた声が問いかけた。靴を脱ぎ、鞄を下してゆっくりと歩いていく。
怖い。
胸がはちきれそうになるほど嫌な予感を無理矢理胸の奥に押し込み、部屋を一つ一つ回る。
この部屋にはいない。
ではどうか次の部屋にはいますように。
この部屋にもいない。
次の部屋こそ、次の部屋こそ。
そう願いながらも、見つけないほうがいいのではないかという思いが過ぎる。
何かの物音。慌ててそちらに向かって走っていく。ばくばくと心臓が鳴り続ける。一番奥の部屋。木製の両開きのドアに、真鍮の取っ手。そうっと手を伸ばして取っ手を掴もうとするその一瞬前、部屋の奥からなんなのか判別のつかない音がした。サスケの脳はそれを嫌な音だとカデコライズする。冷や汗が頬を伝った。心臓が叫び声をあげて、警告の音を発した。
――誰かいる……
さっきのあの視線。足が震えだし、息があがる。金縛りにあったかのように動かなくなった体に必死に命令を下す。
――動け……
歯を食いしばり、がくがく震える足を前に向かって運びながら、動け、と念じる。
――動け……!
震える両手を真鍮の取っ手にかける。
――動け……!!
扉が、開く。
――父さん、母さんッ!?――
真っ暗な部屋を、窓から差し込む月光が白く照らし出している。もともと色白なミコトは血の気を失い、血を流しながら部屋の真ん中に倒れていた。フガクは妻ミコトを庇うかのようにその上に倒れている。駆け寄ったサスケは、ふと足を止めた。真っ暗で見えなかった部屋の奥から近づいてくる足音。月光に照らされだしたその姿に、サスケは慌てて後退した。本能的な恐怖が心を蝕む。どん、と扉がサスケの退路を阻んだ。
月光に映し出された姿に目を見開く。赤い瞳。写輪眼を使った兄の姿に、サスケは泣き出しそうになりながら喚いた。
――兄さん!? 兄さん、父さんと母さんが……なんで、どうしてぇえっ!? 一体、誰がぁああっ……!?――
しゅる、と風を巻き上げながら飛んできた手裏剣がドアに突き刺さる。一拍おくれて痛みが襲った。左肩から赤い血がふきだす。そしてサスケは悟った。
イタチは、敵だ。
――何するんだよっ、兄さん!?――
――……愚かなる弟よ……――
イタチが目を閉じた。長い睫が震え、再び目が開く。まんげきょうしゃりんがん、何の意味も持たない言葉の羅列が微かに鼓膜を震わす。
そしてその瞬間、世界は鮮血の色をもって逆流した。
鮮血の空、色を失ってモノクロになった建物の群れ。逆流する雲、見知らぬ世界に一人放り出されたサスケ。金縛りにあっているかのように動かない体、そして、自分の目の前に現れては倒れ、殺されていくうちはの者たち。
――ああ……あああ……――
音を立てて飛んでくる手裏剣、鉄臭い血の音。鮮血の空がどろっと解けて、流れる鮮血のようにサスケの視界を埋め尽くす。見る耐えない数々の光景が一瞬にして脳に溢れかえる。
――うわぁああああああああああああああぁあぁあああッッッ!!!――
叫び、頭を抱え、苦痛に体を捩って哀願する。
――やめてぇえええ、兄さぁああああん、こんなの見せないでぇえええええ!!――
どすんどすんと目の前のうちはの者たちが倒れる。その向こう、兄は何の感情も読み取れない瞳でこちらを見つめている。真っ暗な闇の横たわる瞳。
――兄さん、どうしてぇ……? どうして兄さんがぁ……――
雄叫びを上げながらうちは一族の者たちがイタチに向かっていく。
――やだぁ……いやだぁあああ……――
彼らがイタチへと飛び掛り、そして殺されていく。
――うわぁぁああぁあああああ!!――
頭を抱えて叫ぶ。振り返ると隣におばさんを庇って立つおじさんの姿があった。クナイが一閃、血が吹き出て、二人は死んだ。うわぁあああああああああ。頭を抱えて、サスケは苦しみに絶叫をあげた。
場面が変わる。家の中、父と母の姿。その後ろでイタチが刀を振り上げている――
――父さんッ……母さんッ、やめて兄さん!! 父さんと母さんをっ……――
うわぁああああああああああああああああああああああああ!!
絹を切り裂くような悲鳴があがる。目の前がまた流れる鮮血に覆われる……
世界が元に戻った。力を失ったサスケが地面に倒れる。唾液が溢れ出て床に広がる。どうして、掠れた声がする。
――どうして、兄さんが……――
――己の器を測るため――
――そんな……ことで? ……それだけで?――
心の片隅ではずっと、母と父がむくりと起き上がって、ちょっと悪戯っぽく笑って、どうだ驚いたか、演技なのに気づかないとはお前もまだまだだなだとか、実はこれトマトケチャップでね、今度うちはで演劇することになったからその練習なのよ、と言ってくれるんじゃないかと願っていた。おじさんとおばさんが、サスケちゃんどうだったとにこにこ問いかけてくるのを望んでいた。
いいじゃないかうちは一族全体での演劇。ある日うちは一族の天才イタチが狂気に取り付かれて家族を殺してしまい、一人生かされたイタチの弟であるサスケが彼に復讐するために努力するという復讐劇。おじさんやおばさんは案外ノリノリかもしれないし、母さんもわりとノっているかもしれない。実はイタチにはそうしなきゃいけない複雑な理由があったとか、何かに取り付かれてたとかなんとかで、最後はにっこり笑いながら許せサスケって、そういいながら倒れてしまう、そんなちょっとお涙頂戴な路線でも悪くないだろう。案外父だってシナリオに手を加えたりしているのかもしれないし、ね、そうだよね? 面白そうな演劇だね、演技もすっごくリアリティがあるし、きっと色んなところからうちはに演技してほしいってオファーくるよ、ね、そうでしょ?
不安にかられて部屋を一つ一つ探しながら抱いていた淡い淡い、余りに淡すぎる最後の望みすらももう完全に潰えてしまった。最初からわかってたんだ、うちは一族全体で演劇するなんて、そんなこと考え付く父じゃないし、たとえやったってこんな風にサスケを巻き込んだりするわけないのに。トマトケチャップなんかのわけがないのに。
でもそうやって現実逃避をしようとしたサスケを誰が責められよう。いつもと変わらない日常、帰っていたらいきなり一族が皆殺されて、しかも殺した犯人が兄だっただなんて、誰だって逃げたくなるはずだ。挙句あんな幻術を見せられて。
――そんだけの理由のために……皆を殺したっていうの……?――
ああこれが幻術ならいいのに。悪夢ならいいのに。目を覚ましたらどうしたのサスケ、悪い夢でもみたのかなんてミコトかフガクかが問いかけてくれればいいのに。
――それが重要なのだ――
立ち上がる。あくまで罪悪感は感じていないといわんばかりの声。悲しみが怒りと憎悪へと形をかえる。うおおお、と叫んで、走り出す。
――ふざけんなぁああああああ!!――
イタチは一歩動いただけだった。
その拳がサスケの腹にのめりこむ。けは、と唾液を吐き出し、サスケは力なく倒れる。顔を上げた先に視界に入ったのは両親の死体。じわりと涙が溢れ出る。かたん、とイタチの足が視界に入る。
――こわい……
それは人間として最も原始的な感情。本能が金切り声をあげる。逃げろ、逃げろ、逃げろ!
――こわい!
――うわぁあああああああああああ!!――
叫んで逃げ出す。部屋の戸を押し開け、足に靴をつっかける。本当はその暇すら惜しかったけれど、これは遠くに逃げるためだ。里の中心部、火影邸。あそこに行けば助けてもらえる。あそこでなくとも、うちはの敷地の外で、どこか強い忍びのいるところに逃げ込んで事情を話せばきっと匿ってもらえるはずだ。走って走って走って、逃げて逃げて逃げて、速く速く速く。自分に命令を言い聞かせながら逃げ続ける。兄が怖くて、怖くて、涙を流しながら、サスケは哀願した。
――殺さないでぇええええ……っ! あぁああああぁああああ!!――
喉が張り裂けるまで泣き声をあげ、そしてサスケはふと立ち止まった。イタチが前方に立っていた。
――殺さないで……――
――貴様は、殺す価値もない――
がくがく震えるサスケに、イタチはただ冷淡にそうつげた。
――愚かなる弟よ。この俺を殺したくば、恨め、憎め、そして、醜く生き延びるがいい。逃げて逃げて、生にしがみつくがいい――
それからのことはよく覚えていないけれど、ただその言葉だけが印象的で。そしてサスケは復讐に縋って行き続けた。それだけを生きがいとしていた。一族を慕っていた実の兄に虐殺されて、それでも自殺の道を辿らなかったのは全てイタチのあの言葉のおかげとも言えるかもしれない。あいつを恨め、と心が弱くなって死にたいと思った時にはいつも自分に言い聞かせた。あいつを憎め。あいつを殺すんだ。復讐するんだ。
復讐になんて意味はないと言い聞かせる大人もいるけれど、サスケはそれらに耳を貸そうとはしなかった。奴らにわかるわけなんてない。あの夜の慟哭も絶望も、そしてこの胸に抱いた憎悪も怨恨も。
わかるわけ、ないのだ。
+
「久しぶりだな……サスケ」
うちはの敷地。息を切らしながらもサスケはイタチを睨んだ。その傍には大刀を背負った男が立っている。大刀の背負ったあの男だった。あの男がサスケに話しかけてきたのだ。サスケさんであってますねと青い肌の男は笑った。お兄さんが待っていますよと。そういい残して彼は消えた。サスケがそれを聞いてまず思い浮かべたのがうちはの敷地だった、だからサスケはここまで走ってきただけのことだったが。
ビンゴ、だったようだ。
「うちはイタチ……アンタを、殺す」
写輪眼の赤い視線が絡み合う。
「アンタの言うとおり、あんたを憎み、恨み、あんたを殺すためだけに俺は……!」
千鳥が、雷がサスケの掌で踊る。余りに圧力をかけたために、皮膚がはがれる。それだけのチャクラをこめた、ということが何よりも強く現れていた。
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
兄と弟――
決して愉快ではない、その再会。
後書き
うちはの敷地にての再会となっています。ナルトはあとから追いつく予定。
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