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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
影の政府
  米国に游ぶ その2

 
前書き
 読者様、意見反映回。
馬鹿兄貴達の所為で、アイリスディーナが苦労するお話です。 

 
 ユルゲンがニューヨークに出発した、翌日の月曜日。
アイリスディーナは、パンコウの自宅から、ベアトリクスと共にシュトラウスベルクに出掛けた。
そこには、東ドイツの軍政を取り仕切る国防省があり、そこで戦術機隊の研修が行われた。
 元々は任官後、間もなく基地配属で訓練を受けていたのだが、変更せざるを得なかった。
理由は、陸士卒と、ユルゲンたちのような空軍転属組との間に、軋轢(あつれき)が生じた事による。
戦争が4年も続いたので、下士官からの昇進した古参兵、渡世人(とせいにん)の様な者が幅を利かせ始めたのだ。
戦術機マフィアと呼ばれたユルゲンの(ひそみ)に倣い、古参兵たちは、荒々しい言葉を使い、一家などと称した。
軍の規則に反して、長靴をズボンのすそで覆わず、見せつける様に履き、米軍風の認識票(ペンダント)を付けた。
 そんな職場である。
士官学校卒の新品少尉などは、たちまちもてあそばれ、部隊運営に支障をきたし始めた。
 そこで、国防省は、階級を問わず、戦術機の基礎訓練を終えた物を、纏めて研修をさせることにした。


 アイリスディーナは、兄を案じながら、営門をくぐり、4階建ての庁舎に入る。
広間(ロビー)で、兄嫁と別れた後、しばらくして、上階からソ連赤軍少佐の軍服を着た男が、降りて来た。
敬礼をしてきた赤軍少佐に対して、彼女は、立ち止まって敬礼を返すと、男は彼女の顔を伺った。
 あれが、兄が言っていた連絡員だろうか、静かに立ち去っていく姿を見ながら、思う。
かつては、ソ連は、連絡員という監視役を各省庁に派遣した。
国防省だけで、公然、非公然の連絡員が100人ほどいたが、今はほぼ帰ったようであった。
さっき、すれ違った少佐は、駐留軍の引き上げ事務の為に、残されているのだろう。
そう考えて、研修をする3階の会議室に向かった。

会議室で、彼女を待っていたのは、同輩達からの驚愕の声であった。
室に入るなり、一緒に研修を受けている先輩の陸軍婦人兵から、
「ちょっ……、もしかしてアイリスディーナなの?」と、黄色い声を張り上げ、訊ねられた。
金糸の様な髪をルーズサイドテールに、その先を三つ編みにしたアイリスディーナは、
「そうよ。どうしたの」と、訝しんだ顔をする。
彼女の目の前に、集まった婦人兵達は口々に、
「ど……、どうかしちゃったじゃないの、その恰好」
「印象変えたの」と、(かしま)しく、それぞれの思いを口にした。
その様に、アイリスディーナは、目じりを下げ、笑い、
「好きな人が、この姿の方が似合うって……、言ってくれたから……」と、毅然と応じた。

 人の(うらや)むような金髪を、風に棚引かせ、颯爽(さっそう)と歩く姿を知る者たちの衝撃は大きかった。
 あの迷彩柄の戦袍(せんぽう)をドレスの様に着こなし、黒一色の軍靴をハイヒールの様に履く。
長身を(ひるがえ)す、その様は、軍神アテネを思わせると、持て(はや)したアイリスディーナが。
男装の麗人(れいじん)と、後輩たちが(あこが)れていた、あのベルンハルト候補生が……。
 乙女のような髪型をして、優しい言葉を述べる様は、周囲の人間を仰天させた。
本当は、気持ちの優しく引っ込み思案な娘なのだが、士官学校に入り、あえて兵隊言葉を使う。
男物の野戦服を着て、膝まで長靴の底を鳴らし、凛々(りんりん)と兵営の前を歩いて見せた。
 いちいち指導するベアトリクスが(そば)にいないのも大きい。
やはり、一番の影響は、木原マサキの存在であった。
「もう少し、女らしく自由に生きてみよ」との、言葉と共に交わした口付けは、それほど強烈であった。

 午前の研修を終え、食堂で、一人資料を読みながら、軽食を取って居る折、
「なあ、御嬢さん。となり座っても良いか」と、数名の若い将校が、声を掛けて来る。
 見ると、黄色い歩兵の兵科色をした肩章を、それぞれ付けていた。
彼等の着ている勤務服の生地は、上質なウールサージで、階級や年齢にそぐわない。
恐らく、テーラーで仕立てた物。党幹部や軍上層部の公達(きんだち)であろうか。
 色々目立つ自分に、ちょっかいを出しに来たのだろう。
彼等の様を一瞥した後、顔を(そむ)けて、資料に目を落としていると、間もなく、
「ユルゲンの妹さんって、君か」と、脇から来た男が、彼女の肩を叩いて、
「アンタみたいなお姫様は、こんな奴等と遊んじゃだめだよ」
と、困惑するアイリスディーナをよそに、彼女の隣に座り、持ってきた食事を摂り始めた。

すると、一人の青年将校が、声を荒げ、
「なっ、何を、もう一度いってみろ」と、憤懣(ふんまん)()る方無い表情で、男を睨んだ。
彼女の脇に座った中尉は、 サングラスの下から、立ち竦む男達に、侮蔑するような目線を向ける。
「なんだ貴様、声を掛けたのは我々が先だぞ。割り込みとは、()しからん」
 青年将校がつぶやいた一言に、一方のアイリスディーナも、ぴくりと顔をあげていた。

 すると、音も無く背後より、トレーを持った偉丈夫が現れ、彼女の周囲にいる将校達に、
「彼女の兄貴からの先約なんでな。帰ってくれ」
と、両方の眼と、眉を吊り上げ、仁王の様な形相をして、凄んでみせる。
声は、部屋の天井に木霊し、殺気は轟く雷鳴のようであった。
そのすさまじさに、彼女の周囲にいた者どもは、思わず、あッとふるえおののいた。
そして、にわかに、
「後で覚えていろよ。戦術機乗り共が」と、負け惜しみを言って、引っ返した。


 アイリスディーナの脇に来たのは、兄ユルゲンの同級、カシミール・ヘンペル少尉。
ヘンペル少尉に関して、お忘れの読者もいると思うので、説明を許していただきたい。
 彼は、元は陸軍航空隊のヘリコプター操縦士で、ユルゲンのモスクワ留学組の同級である。
ユルゲンとゲルツィンの一騎打ちの際に、米海軍の「海賊旗(ジョリーロジャー)」隊を引き連れてきた人物。
 彼女の背後に立つ、見上げるような偉丈夫は、ヴァルター・クリューガー曹長であった。
ユルゲンのから信任の厚い彼は、ユルゲンに依頼され、アイリスディーナを見守っていたのであった。
 兄は、密かに信頼できる人物を、彼女の傍に置くよう、配慮した。
無論、妹アイリスディーナに、よからぬ虫が近寄らぬように、準備していたのである。
アイリス本人は、兄の、蝶よ花よと、扱うのを(わずら)わしく感じていたが、この時ばかりは感謝した。
ヘンペルは、薄い紅茶で唇を濡らすと、
「おどかして、ごめんね、アイリスちゃん。俺はユルゲンの同級、ヘンペルだよ。
アンタみたいなお姫様は、こうしないと、ちょっかい出しに来る馬鹿が居るからさあ」
「ありがとうございます。ヘンペルさん。それにクリューガー曹長も」
クリューガーは、
「礼には及びません。同志少尉。兄君からは色々私自身が世話になっているので。
こういう機会でなければ、御恩返しは出来ません」
と、慇懃に頭を下げた。


 朝、営門で別れたベアトリクスは、どうしたのであろうか。
妊娠が判明した彼女は、流石に通常勤務は過酷であるとして、戦術機部隊から外された。
そして、戦術機部隊からの転属と言う事で、国防省本部にある大臣官房に面接に来ていた。
 では、大臣官房というのは、どんな仕事する部署であろうか。
その業務は、一般省庁を例にとれば、法務や秘書、人事等の管理業務や、宣伝、会計、恩給など多岐にわたる。
無論、各省すべてに設置され、省全体の運営に関して調整を行う部局。
10万人近い人員を誇る軍隊では、流石に法務や会計は独立した部門を儲けてはいるが、雑務に関しては他省庁と同じである。

 ユルゲンと共に渡米したマライの抜けた穴を埋めると言う事で、妊娠中の彼女を呼び込んだ。
 しかし、それは表向きの理由である。
実際の所は、彼女が、通産次官アベール・ブレーメの娘だからである。
成績最優秀だが、シュタージに近い人物の令嬢で、夫は空軍始まって以来の問題児、ユルゲン。
どの部署も、そんな人物を引き取るのを嫌がり、たらい回しの上、大臣官房にお鉢が回ってきた。
 また、ユルゲンの妻と言う事で、上層部が直に目を配って彼女を監視するために呼びよせたのだ。
つまり、この仕事は、ベアトリクスの首にかかった鈴のような物であった。
 無論、そんな事が判らぬ彼女ではない。
 この上ない幸運ではないのか。ぜひ機会を利用し、散々に、暴れ回ろう。
上手く大臣官房を操縦して、ユルゲンの理想の為に。愛の為に。
その様な思いを、密かに胸に抱いて、執務室の扉をくぐった。
 
 執務室で、5年に及ぶBETA戦争に関わった人員への、叙勲手続きの書類を決裁している時である。
「失礼いたします」
大臣は、ふと耳を打たれて、振り向いた。そして肉づきのよい真白な佳人(かじん)の影を、扉の向こうに見た。

 年ごろはまだ十八、九か。とにかく、仙姿玉質(せんしぎょくしつ)たる美貌の持ち主である。
灰色の婦人兵用勤務服という格好であるが、匂い立つような色香までは、隠せなかった。
ウェーブの掛かった長い髪に、綺麗な山形の眉、すっと通った鼻筋の下に、浮かぶ薄い桃色の唇。
さらに、大臣が眼をみはったのは、その真白な面に浮かぶ、紅玉(ルビー)のような赤い目。
潤んでいるように見える眼は、何処か愁いを湛えているようで、その愁いまでが美しい。

「御招きにより出頭いたしました、ベアトリクス・ブレーメです」
と、頬を染めながら、彼女は旧姓で答えた。
こういう場所では、夫ユルゲンの名を出すより、父アベールの名のほうが良いと打算した結果である。
あんまり可憐な受け答えなので、大臣は、(しお)らしさよと、思わず向かい側で微笑していた。

 国防大臣は、ベアトリクスの事を詳しく知らなかった。
国家人民軍は、平時人員10万人、戦時動員40万人の巨大組織だったためである。
 将校や職業軍人の下士官の他に、1年半の徴募兵、4年の予備士官、3年の予備下士官等の任期制軍人。
戦時下に軍に編入される民兵組織の労働者階級戦闘団、建設部隊と呼ばれる徴兵忌避者の為の部隊まで管理せねばならなかった。
 BETA戦の推移や今後の国防計画で忙しい彼等に、他省庁の幹部子弟にまで目を配る余裕すらなかった。



 士官学校長と本来の配属先だった第一戦車軍団長のシュトラハヴィッツ少将が(したた)めた推薦状を見て、
「中々、見どころのある士官学校生じゃないか。何、任官したての少尉か。まあ、かけなさい」
と、着席を促され、間もなく口頭試問が始まった。

 国防大臣から直々の試問をうけても、彼女は、自己の才を、調子よく見せびらかす様な真似はしなかった。
あくまで初心(うぶ)でお(しと)やかな令夫人のごとく、初対面の貴人へ印象づけた。
「なるほど、アルフレートの吹挙(すいきょ)だけあって、この内室(ないしつ)なら、大臣官房の職員に加えても恥ずかしくはないな」
 大臣は、ベアトリクスを一見するや、すっかり気に入ってしまったらしい。
秘書官の列をかえりみては、
「どうだな。同志諸君はどう思う。彼女は、なかなかよい人相をしているではないか」
 などと品評したりして、即座に採用と、事は決まった。
こうして、ベアトリクスは、図らずも、東独軍の中枢たる大臣官房に仕える身とはなった。 
 

 
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