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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第72話 ある小作戦の終了

 
前書き
遅くなりました。

一回テンポがズレると、書き直すタイミングが掴めなくてズルズルと完成が延びるのは
仕様だと思います。やはり執筆はノリが重要だと思いました。

しかしこれでエル=ファシル攻略戦は終わりました。なんとか。

 

 
 宇宙歴七八九年 六月二八日一三〇〇時 アスターテ星域アスベルン星系 戦艦エル・トレメンド

 予定通りの凶報という言葉がチラチラと頭がよぎるが、現状況はそれ以外の言葉が思い浮かばない。

 詳細な報告はまだだったが、第二・第五・第六の三つの艦隊と、ほぼ半個艦隊分の小集団戦力を糾合した、第四次イゼルローン攻略戦は、殆ど一方的に打ちのめされ失敗したことは確かだ。残存戦力は約半数。後に俺達がいるこのアスターテで、金髪の孺子にしてやられる程度の被害とみていい。

 出征した兵士達には悪いが、知人の殆どが否定的な結果を予測していた為、ある程度心構えができていた故に個人的にはショックは少ない。だが八月の人事異動において更新されるであろう士官学校同期名簿の名前の色が、数多く赤く染まっているであろうことは想像に難くない。同期の年齢は二五歳から三〇歳。階級はだいたい中尉か大尉か少佐。専攻で一番人数の多い戦術研究科ならば駆逐艦の艦長か、はたまた戦艦の運用長か。冥界の門をくぐった顔見知りが何人もいるだろう。転生しているかどうかは分からないが。

 とにかくエル=ファシル奪還作戦と、追加されたアスターテ方面襲撃戦を勝利した第四四高速機動集団と、同行した四つの独立機動部隊の差配を、爺様は戦略と戦術の両面からしなくてはならなくなった。何しろエル=ファシル攻略戦の上級司令部は宇宙艦隊司令部になるが、その総帥たる宇宙艦隊司令長官がイゼルローン攻略戦の指揮を執って、そして負けている。

「選択肢は二つしかない。撤退か、防衛か、だ」

 戦艦エル・トレメンド艦内の司令部小会議室に集まった各独立部隊の指揮官と参謀長、および第四四高速機動集団第二・第三部隊の指揮官と参謀長、そして高速機動集団司令部要員とニコルスキーの合わせて一六名を前に、モンシャルマン参謀長は短く言い切った。

「司令長官からの命令はまだだが、まずここにいる全員の認識を一致させておきたい。現有戦力でのアスターテ星域、あるいはアスベルン星系の永続占領維持はほぼ不可能と考えるが、どうか?」
「モンシャルマン参謀長に同意する。此処には拠点となりうる基地も、それを建設できる小惑星も、建設する資材もない」

 即座にそう返したアップルトンに、他部隊の司令達も賛同した。常識的に考えれば当然のことだ。だが時として上級司令部は常識を超える指令を出すし、広く見れば政治的な問題点もある。

 特に大兵力を動員して大敗した宇宙艦隊司令部が、何らかの成功をもってその敗北を糊塗しようとするのは容易に想像できる。エル=ファシル星系の奪還、無血占領、ひいては星域支配圏奪還の成功では到底不足だ。何しろ作戦指導・実施したのは爺様であり、イゼルローン攻略戦部隊の関与は帝国軍の視線誘導ぐらいで、実働戦力においては何ら寄与していない。

 その上イゼルローンに辿り着くために攻略部隊をアスターテ星域まで前進させ、さらに一戦交えさせている。貸し借りという点においては、エル=ファシル攻略部隊の貸し出し超過と言っていい。そうなるとイゼルローン攻略戦部隊には、新たな軍事的な功績を作る場所が必要となる……

「長官はアスターテに来ますかな」

 第四〇九広域巡察部隊司令のルーシャン=ダウンズ准将が真っ白な無精ひげを摩りながら言えば、爺様は腕を組んだまま黙って頷き……俺に向かって小さく顎をしゃくった。

「アルテナ星系からこのアスベルン星系までは、ティアマト・ダゴンの両星域を通過しなければなりません。勿論ヴァンフリート星域を突っ切ってくることも考えられますが、ティアマトに地上軍を置き去りにすることは考えにくい上、ヴァンフリート星域の帝国軍戦力が不明な以上、安全なルートをとると思われます」

 仮に三.五個艦隊の半数が喪失したとして、残存する艦艇は二万隻弱。うち戦闘可能艦艇は一万六〇〇〇隻前後とするならば、ダゴン星域の支配圏優勢確立の為に五〇〇〇隻を割いたとして約一万隻を動員することが可能だ。ただしアスベルン星系に到着するにはどんなに早くても七日はかかる。

 またアスベルン星系に隣接するカフライヤ星系に駐留中のドーリア星域防衛艦隊の任務交代も含まれる。元々星域防衛任務を主眼とする艦隊を前線投入すること自体が異常なのだから、これは早急に解消される。それぞれに対する補給も必要だから、まず一〇日は見込まれるだろう。
 
 そしてここにイゼルローン駐留艦隊と、ヴァンフリート星域に駐留している帝国艦隊と、昨日打ち破った敵の残存部隊がこのアスターテに来襲する可能性がある。だがイゼルローン駐留艦隊は一万五〇〇〇隻の全てが出動してくるとは考えにくいし、アスターテに駐留していた帝国軍部隊は、付け馬から一〇〇〇隻未満と報告が来ている。

「ゆえにアスターテ星域の全星系の支配権を獲得するのは不可能でしょうが、優勢確保は出来ると思われます」
「……問題はヴァンフリート星域にどれだけの敵戦力が駐留しているか、ということか」
「おっしゃる通りです」

 アップルトン准将の呟きと俺の返答に、小会議室の空気は深く澱む。駐留戦力が一万隻以上であれば、これ幸いとアスターテにいる叛徒共を撃滅せんと出動してくるだろう。三〇〇〇隻程度ならアスターテの残存戦力を吸収して航路妨害を仕掛けてくる。いずれにしても最初に迷惑をこうむるのは、アスターテに現在駐留している我々だ。

「長官より次の命令があるまで、儂らはこの星系で待機する。往復七日を目途として、各隊は索敵戦力を拡散させ敵戦力把握に努めよ。交戦は退路を切り開く以外、これを禁じる。もし確認した敵戦力が著しく過大であれば、司令部に問うことなく儂独自の判断でエル=ファシルに撤退する」
「ハッ!」
「各隊はいつでも撤退できるよう準備だけは整えておくように。何しろ巨大輸送艦が一二隻もおるから、飯はたらふく食っていいが、足が止まらないよう鍛えておけ」

 その結論に、各隊の指揮官・参謀長は席を立って爺様に敬礼する。爺様も席を立ちそれに答礼すると、会議は解散となった。だが面倒なことになったなという気持ちもありながら、彼らの表情にはまだまだ余裕がある。仮に一万隻の『増援』があったにしても、アスターテ星域全部の占領は難しいが、少なくとも自分達はこの戦いで『負けなかった』のだ。

 会議が終わり、俺も司令艦橋にある自分の席に戻ろうと会議室を出ようとした時、爺様に呼び止められて小会議室に残った。席を立った指揮官達の微妙な余裕と諦観が、まだ室内に残っているようにも思える。三〇人も入れば混雑するような会議室も、たった二人では奇妙に広く感じる。

「ジュニア。今回もご苦労じゃった」

 立って話を聞こうとした俺に、着席するよう促すと爺様は席に深く腰を落ち着け、大きく溜息をついた後そう言った。それは何か、言いにくいことを言いたそうな仕草だった。

「モンシャルマンの指示をここまで翻訳できた士官を、儂は今まで見たことはない。アントンでもここまで上手くは出来んかったじゃろう」
「……父のことでしょうか」
 転生したこの世界における父親。シトレの右腕と呼ばれた勇将で、グリーンヒルも荒々しいと評価していた父。同じシトレ派ともいうべき爺様と知己があるのは当然だろうが……
「この先のパランティアじゃったな。儂もシトレ少将指揮下で、その戦場におった」

 パランティア星域。星系はケルコボルタ。一五年前、シドニー=シトレ少将に率いられた第二八高速機動集団は、辺境航路を回ってファイアザード星域からパランティア星域へ侵入を果たした。目的はアスターテ星域の支配権獲得を目論む同盟軍主力部隊の助攻として、である。

 シトレ自身も、そしてその指揮下にいた中級指揮官も手練れ揃い。父アントンは次席指揮官として第二部隊を率いていた。爺様は先任の大佐として基幹部隊麾下の巡航艦戦隊一二〇隻を率いていた。ケルコボルタでは事前の情報以上の戦力が待ち構えており、戦線は一進一退。とにかく時間を稼ぐことが目的であった以上、そう簡単に撤退するわけにもいかない。

 数的に不利な以上、第二八高速機動集団はジリジリと押し込められていく。爺様は前衛の一部隊として右に左にと動き回りつつ、その統制された火力を存分に見せつけた。これは爺様からこの機動集団の編制を指示された際に、参考として見たシミュレーションにもあった。

 だが爺様はその時は今よりもう少し機動的に戦力を動かしていた。シトレの指示で左翼第三部隊の救援に移動した際だった。爺様が移動した際に空いた穴は、後衛の部隊から戦力抽出された臨時編成の部隊がカバーするはずだったが、この出足が遅れた。そこを帝国軍は見逃さずに圧迫する。

 シトレは即座に事態を悟り基幹部隊の逆側を前進させて、圧迫を撥ね返そうとする。しかし戦力的に差がある以上、戦線における被害の拡大と損耗に対する回復力は段違いだ。しかもこれが発端として混戦から近接戦に移った場合、撤退における被害の増大は免れない。

 敵との離隔をとる必要がある。その為には強力な一撃が必要……シトレの指示を待つまでもなく、アントン率いる右翼第二部隊は陣形をさらに伸ばし、長距離砲による前線へ横からの砲撃圧迫を加えた。それによってできた隙に第二八高速機動集団基幹部隊は一時後退し、陣形を再編する時間を得た。だが伸びきった右翼第二部隊は後退させるタイミングを逸してしまった。

 結果として右翼第二部隊に帝国軍は火力を集中させ、分断し、各個撃破に移る。その渦中で戦艦ブールカが撃沈した。戦闘詳報にアクセスできる身分になってからは何度も見た情報だった。

「ジュニアが儂の用兵に、少し不満があるのはわかる」

 爺様の用兵の基本が機動力ではなく火力を優先するようになるのは、練度を補う点もさることながら、自分に求められている任務と、戦局全体にもたらす影響と、部隊の練度と、損害の効率を比較した結果に過ぎない。査閲部時にフィッシャー中佐に出会って機動戦術教の狂信者となっている俺としては、もっとやりようがあると思いつつも、麾下戦力がそれについていくだけの反応力がないことも分かっているつもりだった。それを顔にも言葉にも出したつもりはないが、爺様は理解していた。

「儂ももう少し兵を動かせればとは思う。だがな、ジュニア。焦るな。指揮官たる者は焦ってはいかん」
「……小官は焦っていますでしょうか?」
「貴官が何に焦っているかは、儂には正直わからん」
 太い首を左右に振りつつ、爺様は目をつぶったまま続けた。
「ただジュニアもアントン同様に少し先が見えて、そして先が見えるゆえに、時として状況に煽られているように見える」

 たぶん父アントンと俺とでは、見えている先というのがおそらく違うとは思う。再来年に金髪と赤毛が幼年学校を卒業し前線に出てきて、七年後には無謀な遠征を試みて、一〇年後には国家そのものが消滅しているなんて、例え爺様相手でも話すわけにはいかない。だが正直帝国領侵攻前には、同盟の戦略に関与できるだけの地位が欲しいという願いに変わりはない。

 それが巡り巡って俺の行動に焦りを生じさせているのか。表情筋を動かすことなく爺様の顔を見つつも、頭の中を考えが堂々巡りしている。

「儂の長いだけで大して実績のあるわけでもない経験から言わせてもらえればだ。少なくとも今ジュニアは焦る必要はない。第四四高速機動集団は出来たばかりの部隊じゃ。部下もそして自分も、じっくりと時間を掛けて育てていく時期がある」
「はい」
「アントンも生きておれば今頃は艦隊司令官になっておったろうし、シトレ中将は来期宇宙艦隊司令長官改選で推薦されておっただろう。あのパランティアで、自分の手足の長さを間違えていなければな」
「……」
 それは爺様の、無数にある後悔のうちの一つなのだろう。俺に目から見ても大器というべきシトレが、士官学校校長職を通常任期よりも長く勤めていたのも、ポストが空くというより艦隊指揮官としての才覚を疑われていた可能性もあったのかもしれない。
「この戦いが終われば、第四四高速機動集団は少し時間を貰えるじゃろう。じゃが儂は容赦せん。徹底的に鍛え上げるぞ。艦隊も、兵も、貴官もな」

 ドンと音を立てて固く握られた爺様の拳が机に振り下ろされた。淹れなおされたコーヒーカップが音を立てて小さく踊ったのを、俺は黙って見つめるほかなかった。





 そしてこれも予想通りというか。三日後、宇宙艦隊司令長官リーブロンド元帥の名前で、爺様宛に七月一〇日までアスベルン星系を、現有戦力を持って防衛せよとの指令が下る。帝国軍先行部隊と思われる部隊が隣接するローデヴァルト星系に出現したのは、それから五日後の七月四日。数はおよそ一〇〇〇隻。帝国軍部隊に積極的な意思があれば、明後日にはアスベルン星系に突入してくるだろう。

 同盟軍というよりリーブロンド元帥は、残存艦艇のうち七五〇〇隻をアスターテに投入すると決めた。幾つかの星系に一〇〇隻程度の哨戒部隊を配置しつつ、アスベルン星系に七〇〇〇隻を一時的に駐留させる方針だ。エル=ファシル攻略部隊と合わせれば一万隻弱になる。到着は七月一〇日の予定。つまり最低三日間は帝国軍と対峙する可能性があった。

 果たして帝国軍は七月六日。最短でアスベルン星系に侵入してきた。予期していたエル=ファシル攻略部隊も戦闘態勢を整えたが、帝国軍側もこちらが三〇〇〇隻以上と理解するや、星系間跳躍宙域周辺をうろつくだけにとどめた。恒星を挟んでの長距離のにらみ合いは、七月『一一日』にリーブロンド元帥直接指揮の七〇五五隻が星系に到着したことで、帝国軍の撤退によって解消された。

「クソですね。ぶっ飛ばしてやろうかと思いました」

 リーブロンド元帥の乗艦である戦艦アイアースを、爺様と参謀長と帰還するニコルスキーの合わせて四人で訪れたファイフェルはエル・トレメンドに帰還早々、司令部個室でブライトウェル嬢に数学を指導している俺へ、言葉を荒げてぶちまけた。めったにないファイフェルの悪態に、俺以上にブライトウェル嬢が驚いている。

「なんか言われたのか?」
 俺が『生徒』の淹れた珈琲を傾けつつ聞くと、嬢を挟んで反対側に座ったファイフェルは椅子をわざときしませるように音を立てて座った。ちなみに今は不在だが、その席はカステル中佐の席だ。
「ひたすら嫌味とマウンティングの連続でしたよ。なんだったらマーロヴィアの時のロックウェル少将の方がはるかにマシです」
「そいつはご苦労だったな」
 双方の指揮官の経歴、一連の作戦行動の結果。あまりにも対照的な現実に、嫌味を言わなければメンタルが保てないような状況なのだろう。中学生ならともかく、それが宇宙の半分を統治する国家の宇宙艦隊司令長官とその幕僚とか笑うに笑えない。
「ニコルスキー先輩の申し訳なさそうな顔が、未だに頭から離れませんよ」
 はぁ~と大きく溜息をつくファイフェルに、俺は何も答えなかった。

 もう来季の宇宙艦隊司令長官改選でリーブロンド元帥の目はない。イゼルローン攻略戦の大敗は勿論影響しているが、地上軍側との拗れや後方運用の失敗など、回避できるはずの失敗を積み重ね過ぎた。

 エル=ファシルの奪還も爺様あってのことだ。本来任務でもないアスターテの支配圏優勢まで助攻部隊に背負わせたわけだから、元帥の作戦指導に問題があると、軍上層部もはっきりと認識するだろう。下っ端とはいえニコルスキーも幕僚の一員として、その経歴にケチが付くことになる。

「ハイネセンに帰ったら、ひと騒動ありそうだな。誰が宇宙艦隊司令長官になるか、さっぱり分からん」
「そうですよね。ウチの艦隊も巻き込まれなければいいんですけどね」
「そうだな」

 ここには男二人と女の子一人しかいない。第三の男の声に振り向くと、そこには薄型端末を脇に挟んだカステル中佐が、いつの間にか立っていた。

「ちゅ、中佐」
「楽にしてていいぞ、ファイフェル中尉」
 まったく表情と違うセリフを吐いて、カステル中佐はファイフェルが慌てて立った後の自分の席にゆっくりと腰を掛ける。
「イゼルローン攻略部隊の補給担当者と話をしたが、奴ら艦隊付属の後方部隊しか連れてきていない。後はみんなダゴンから『直帰』させやがった」
「じゃあ考えていたより早く帰れそうですね」

 巨大輸送艦をハイネセンへ直帰させるということは、アスターテでの長期戦は考えてはいないということだろう。エル=ファシル星域は奪還したばかりで補給基地はないし、ドーリア星域にあるのは防衛艦隊分の備蓄しかない。もう一度ダゴン星域に戻ることはないだろうし、ましてや帝国軍の勢力圏であるパランティア星域を突破して前線補給基地のあるファイアザード星域に向かうなんてことはありえない。艦隊の補給物資が尽きる前に、撤退するだろう。そう考えて俺が言うと、カステル中佐は軽く鼻息をして嘲笑した。

「アイツら、こちらに余裕があるか聞いてきたぞ」
「本当ですか?」
「本当さ。作戦日数も艦艇数も数えられないバカなんだろうよ。だから負けるんだな」

 確かにこちらには余裕はある。一二隻もの巨大輸送艦は、四〇〇〇隻に満たないエル=ファシル攻略部隊の腹を満たすのには十分だ。だがそれに二倍する戦力を支えられるかと言えば、それはNOだ。もし長期戦を計画するなら必要なものは燃料・食糧・兵器だけではない。

「エル=ファシルに前進基地造設分の資材を廻せれば、話は違っていたんでしょうけどね」
「宇宙港がまるまる使えるからな。事前に連絡をくれれば説明してやったのに、『なんで教えてくれなかった』と逆ギレだ。もしかしたら今頃、巨大輸送艦がエルゴン星域を迂回して戻ってくるかもな」
 そんなことは出来やしない、とカステル中佐は吐き捨てた。統合作戦本部も泥縄な作戦をダラダラ継続させるのは意味がないと考えるだろうし、中央政府も国防委員会もこれ以上『イゼルローンで』戦力を失わせて支持率を下げるようなことは望んでいない。
「本部長と司令長官が喧嘩して、一週間というところですか」
「そんなところだな、ボロディン少佐……そういえば貴官、数学は得意か?」
「得意という程、得意ではありませんが」

 作戦立案は殆ど手仕舞いだからもしかして後始末の手伝いをさせるのか。そう思ったのが顔に出てしまったのだろう、カステル中佐はニヤリと笑うと、ブライトウェル嬢が解いている問題集の一か所を軽く二度指で叩いて言った。

「ここ、解き方を間違えてるぞ。ボロディン『先生』」





 宇宙歴七八九年七月一九日。戦艦アイアースより全軍撤退の司令が下った。アスターテ星域には軍事偵察衛星とドーリア星系からの哨戒のみが残ることになった。

 エル=ファシル星域には第五四四独立機動部隊が、新規に編成されたエル=ファシル星域防衛艦隊の到着まで残留することになる。防衛艦隊の司令官と戦力は、エル=ファシル星系攻略作戦開始以前より決定しており、既に戦力化されているので、帰還までの時間はそれほどかからないだろう。

 エル=ファシルに降り立った地上軍は、しばらくそのまま残留して戦場整理することになる。まさかの無血占領だったが、その代償として建造した『ボーデヴィヒ要塞』の後始末がある。大気圏内なので解体して埋め戻すまで一月はかかる。ついでだからとその間に宇宙港やインフラ設備だけでなく個人住宅に至るまで整備するとのことだ。これでは戦争しに来たのか掃除しに来たのかわからないと、ブライトウェル嬢の体力強化指導に来ていたジャワフ少佐は大きな肩を竦めていた。

 エル=ファシル星系攻略部隊の戦いはこれで終わることになる。ハイネセンに戻れば『勝利』式典が開催されるだろうが、連合部隊は解散されその名の通り個々の独立部隊へと戻ることになる。独立部隊がそのまま正規艦隊の補充として吸収されてしまうこともある。

 最終的にエル=ファシル攻略部隊がハイネセンに帰投したのは七月三〇日。三月一〇日にハイネセンを出撃した時、艦艇数四九八九隻、戦闘宇宙艦艇四四一〇隻、陸戦要員も含めた総兵員五七万四〇〇〇名だった部隊は、残留している第五四四独立機動部隊や地上軍を含めて艦艇数四〇七八隻、宇宙戦闘艦艇三五〇二隻。総兵員五〇万七七〇〇名での帰還となった。艦艇喪失率一八.二パーセント。兵員喪失率一一.五パーセント。星系の強襲的な奪還作戦に加え、アスターテ星域への侵攻もこなしてこの損害の低さは奇跡に近い、という統合作戦本部の評価を俺はぼんやりと聞き流していた。

 シャトルからハイネセン第一宇宙港のエプロンに降り立った時、生暖かい風が吹きつけてきた。ここを出撃した時は初春の三月。都合四ケ月半も宇宙にいたことになる。降り立つ兵士達も勝利したとはいえ、長期にわたる作戦による疲労は大きい。それでもダレスバッグや雑嚢を持つ彼らは胸を張って、滑走路脇に設置された出迎えスペースにいる家族や友人や恋人に生還の報告をしている。

 だが司令部は簡単に解散とはいかない。統合作戦本部次長が出迎えに来ていて、簡単なレセプションも行われる。それから統合作戦本部まで車で連れていかれ、今度は本部長に作戦終了を報告する。その他細々とした手続きやら何やらで、宇宙艦隊司令部内にある第四四高速機動集団のオフィスに戻り、今後のスケジュールの打ち合わせが終わった時には日付が変わっていた。

 ファイフェルを除けば一番下っ端の俺が、疲労困憊のまま最後にオフィスの施錠をしたあと、司令部地下にある二四時間営業運転しているリニアのホームで、二〇人ばかりの士官に囲まれた時には正直MPを呼ぼうと思った。だがその二〇人が全員第四四高速機動集団の、それも第八七〇九哨戒隊の艦長達であると分かれば、それも不要だった。

「ボロディン少佐……ブライトウェル嬢のこと、申し訳ございませんでした」

 その二〇人の中で、ひと際青白い顔をしているイェレ=フィンク中佐が、敬礼するまでもなく腰を折って、俺に頭を下げた。それに合わせるようにユタン少佐やサンテソン少佐も俺に向かって最敬礼する。深夜とはいえ人通りのないわけでもない宇宙艦隊司令部のリニアホームだ。異様な光景に幾つもの視線が、こちらに突き刺さる。

「……彼女から聞いたんですか、フィンク中佐?」
「はい」
「小官に謝罪など不要ですが、その前に皆さんは彼女に謝罪しましたか?」
「はい……」
「まさかとは思いますが、嬢が一六歳の少女とわかってて、この二〇人で囲ったりはしなかったでしょうね?」
「小官一人が話しました」
「何考えているんですか。仮に話したのが中佐一人でも、彼女は十分怖かったと思いますよ」

 俺が語気を荒げると、フィンク中佐達は項垂れた。以前の父親の部下とはいえ、大人の軍人一個小隊で囲むなど、配慮が欠けているとしか言いようがない。

それでも彼女は臆することなく、フィンク中佐に言い返した。恐らく俺の受け売りだったにしても、反撃された中佐達は自分達が彼女相手に何をしているのか理解したのだろう。自分達を追い詰めている空気に、自分達自身がいつの間にか酔っていたということに。

「中佐。今更言うまでもありませんが、彼女は彼女自身で人生を決めました。エル=ファシルの優しい叔父さん達がやるべきなのは、どうこうしろと指導するのではなく、彼女が困った時にそっと支えてあげることじゃないですか?」
「おっしゃる通りです」
「それと第四四高速機動集団司令部は、第八七〇九哨戒隊が作戦戦局に寄与したこと極めて大と考えており、部隊感状を司令部では出すつもりです」

 偵察・哨戒・工作・戦闘と、エル=ファシルの地理感のある彼らを司令部は散々扱き使い、彼らは過不足なくそして損害なくこれに応えた。部隊感状を出したいと言った俺に、司令部全員が賛成してくれた。

 それで彼らの『罪なき罪』が世間から許されることはないだろう。ヤン=ウェンリーが脚光を浴びるたびに、エル=ファシルは蒸し返され、彼らを傷つける。この作戦終了後に哨戒隊を解散させ、各艦別々の場所に配置すれば、耳目を集めることもなく風化していく……そう考えないでもなかったが、そうなれば各艦があるいは各員がそれぞれの場所で孤立し、潰されるだろう。

 故に『脛に瑕を持つが、腕は確かな一部隊』として戦ってもらった方が、彼らの軍隊における今後の精神衛生上いいと判断した。ビュコックの爺さんもそれが良かろうと、自分が彼らの上級指揮官である内はそう扱うと約束までしてくれた。

「ですから胸を張ってください。世間がなんと言おうとも第四四高速機動集団司令部とビュコック司令は、第八七〇九哨戒隊を『命の楯』としてではなく『偵察哨戒の精鋭』として頼りにしています」

 俺に対する個人的な忠誠心は不要と、言外に言ったつもりだが理解してくれただろうか。膝をついて泣き崩れるユタン少佐も、顔を上げて涙を堪えているフィンク中佐も。

 そんなむさくるしい二〇人の男達に、俺は一度敬礼するとブライトウェル嬢のようにキッチリとした回れ右をして、リニアの搭乗口へと向かった。ちょうど都合よく出発するリニアに体を滑り込ませると、空席が目立つ車内で、俺はコンパートメントの一つを占領して目を瞑った。

 とにかく今回、彼らを無駄に死なせず良かったと、思いつつ。
 
 

 
後書き
2022.07.20 更新
2022.07.21 セリフ修正
2022.07.24 セリフ再修正 
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