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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
孤独な戦い
  月面降下作戦 その3

 
前書き
 インド編はもう2回ほどでまとめます。
 

 
 かつて、七つを海を支配した大英帝国。
昔日の栄光さえも信じられぬほど衰微し、僅かな支配地を残すばかりとなった。
 だが全世界に張り巡らされた情報網は、旧植民地を始めとして、いまだ健在であった。
モルディブは英国より独立はしたが、依然、英連邦の構成国であった。
故に、マサキ達が会場にしたホテルからの情報は、政府中枢にそのすべてが伝わっていた。

「日ソの急接近は、ゼオライマーという超マシンを共産圏に売り渡すことになる。
ソ連が超マシンの量産化に成功した暁には、月面はおろか、火星に赤旗が翻る。
悪夢のような事態は、何としても、阻止せねばならない!」
「……しかし、総理。
それはゼオライマーを過大評価していると思うのですが……
現在の日本政府に、それほどの科学技術はないと思います。」
 
「そりゃぁ、ハイヴの一つ、二つは攻略できるでしょう。
……ですが、惑星の一つを攻略することは無理かと……」
「イスラエルの諜報機関(モサド)は、そうはいっておらん!」
そう言って、テルアビブからの報らせを机の上に放り投げた。
「ゼオライマーを世界最強のマシンと評価している。
とにかくその操縦士の男、木原マサキは、無敵の人物とだとも言ってきている」
 モサドの報告によるメイオウ攻撃の強大さを、大いに怖れて動揺した。
首相の怒りは、極度にたかぶった。
「昨日の友は今日の敵とも成りうる。
やはり木原マサキという男はこの世に存在しない方が良い。
日ソ会談をつぶすと同時に、始末しなさい」
痛嘆を飲んでいるものの如く、情報部長はただ首相の血相に黙然としていた。

 情報部長は、マサキ討伐の任をうけ、密かにバッキンガム宮に上って、国王を拝した。 
そして国王は、人払いをした所で、初めて口を開いた。 
「情報部長、木原については、どうなっているのかね」 
「パレオロゴス作戦の後、西ベルリンの情報員が、しきりと変を伝えてきました。
それによると、東ドイツの議長は、旧怨を捨て、自分の娘を木原の妻として嫁がせたそうです。
その婚姻の引出物に、秘密資料(シュタージファイル)の大半も、木原に渡したということです」
 国王は行政に関して決定権は持っていなかったが、意見を述べることは権利として認められていた。
国王の意見は政治的な裏付けはなかったが、場合によっては議会を通り越して閣僚たちの判断に影響することがあった。
 それゆえ、情報部長は、国王の意見をもって、英国政府を動かすことに決めたのだ。
マサキの力を警戒したほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。
「要するに、日独、二者の結合は、当然、わが英国へ向って、何事か大きな影響を及ぼさずにはいないものと……
ダウニング街においても、みな心痛のまま、お達しに参りました」
「なに。議長の娘が、木原へ嫁いだ……?」
 国王は思わず、手に持っていた筆を取り落した。
そのおどろきが、いかに大きく、彼の心をうったか。
国王は、とたんに手脚を張って、茫然と、空の雲へ向けていた放心的な眼にも明らかであった。
「とにかく、これ以上の東側の増長は危険だ。
早急にインド方面にいる諜報員へ、工作を仕掛けよ」
 国王の目には、涙があふれかけていた。
情報部長は、恐懼して、最敬礼をしたまま、宸襟を痛察した。
 ああ、大英帝国のこの式微(しきび)
 他方、米国は栄え、新型爆弾の威は振い、かのニューヨークの摩天楼など、世の耳目を集めるほどのものは聞く。
 だが、ここサクス・コバーグ・ゴータ朝の宮廷は、さながら百年の氷河のようだ。
宮殿は排煙に煤け、幕体は破れ、壁は所々朽ち、執務室さえ寒げではないか。
「情報部長、忘れはおるまいな。
かつて英領インドの地を日本が支援した独立運動で奪われた事を。
……あの折は、戦争に勝って、政治に敗れた。
だが、この度の日ソ会談の由を聞いて、いかに余が心待ちしていたかを察せよ……」
 情報部長は、悲嘆のあまり、しばしは胸がつまって、うつ向いていた。
国王は、彼の涙をながめて、怪しみながら、ふたたび下問した。
「月面攻略作戦は、目前に迫っている。
仮にゼオライマーのおかげで作戦が成功すれば、その評判は広く四海に及ぶ。
日本の奴らが、米国にとって代わる危険性もあるのだ」
「かならず、宸襟を安め奉りますれば……
陛下も、何とぞ、御心つよくお待ち遊ばすように……」
情報部長は、泣いた目を人に怪しまれまいと気づかいながら、宮殿から退出した。


 
 場面は変わって、日本の京都。
 二条にある帝都城の大広間では、臨時の会議が招集されていた。 
閣僚、政務次官の他に、事務次官や局長、譜代の武家や公卿衆までがずらりと居並んでいた。
 やがて一の間の扉が開かれ、紫の衣を着た将軍が入ってきた。
一斉にその場にいる者たちが、最敬礼の姿勢を取る
「誰ぞ!雷電と木原はどうした!」
 将軍の下問に対し、閣僚の列から外相は歩み出る。
一の間の上座を前にして、平伏しながら答えた。
「殿下!ソ連赤軍参謀総長と会談中との情報が入りました」
「そうか……全て予定通り、物事が運んでいるとの事だな」
 
 将軍のいる一の間から離れた二の間にある政務次官の席にいた、(さかき)是親は訝しんだ。
日ソ会談をしたぐらいで閣僚や時間を集めて、評定をするのだろうか。
おそらく将軍の真意は別にあるのではないか。
 今回の会談の脚本を書いたのは、誰であろうか。
おそらく計画を書いたのは御剣であろう。
まさか一科学者である木原マサキが、こんなことを計画できるはずがない。
マサキのような風来の徒を重用なさるなんて、御剣公も人を見る目がないな……
 榊は、マサキをふと軽んじるような念を抱いた。
だが、いつか国防省内で、大臣からねんごろに諭された言葉を思い出して、
『いやそう見ては、自分こそ、人を観みる目がない者かも知れぬぞ』
すぐ、自己を(いまし)めて、奥に下がっていく将軍の姿を見送っていた。


 その頃、モルディブの日本側宿舎では。
御剣雷電が、随行員たちと密議を凝らしていた。
「雷電さま、なぜ木原などという怪しげな学者にこれほどまでに肩入れをなさるのですか」
 紅蓮(ぐれん)の声は詰問調になっていた。
しかし、御剣の答えは、意に返さない風だった。
「よい機会だ。貴様らにも言っておこう。
政府は本物の戦力を欲している。実戦経験を持ち、堂々と海外派遣できる存在だ」
 即座には、御剣の意図するところが分からなかった。
分からないまま見返せば、御剣は満足な笑みを浮かべていた。
「しかし、冷戦という国際情勢と、現行の安保条約の(もと)では不可能だ。
帝国陸海軍というおもちゃの兵隊は、何時まで経ってもオモチャの兵隊なのだ」
 驚いたらしい。
側仕えの紅蓮と神野(かみの)は、さらに御剣の顔を凝視していた。
「天のゼオライマーというマシンと、無限の可能性を持つ次元連結システム。
今回の支那からの連絡は、渡りに船だった。
ただし本当に一個大隊並みの戦力なのかは、実戦に投入して見ないとわからないがね」
 老獪(ろうかい)な政治家である御剣は、ゼオライマーの利用価値は買っていた。
だが、木原マサキという人物を買ってはいなかった。
 既に、マサキは利にうごく人間と、御剣すら見ているのである。
いかにこれへ厚遇を約束しておこうと、戦いが終れば、後の処置は意のままにつく。
「それに、今の木原は、政府の正規職員だ。
日本政府にとって、こんな都合の良いことはない。
もし奴の身に何かがあれば、ゼオライマーを合法的に接収できるのだからな」
「……!」
 そこまで言われれば、紅蓮たちにも飲み込めた。
飲み込めはしたものの、余りにも衝撃的な意図に困惑するばかりであった。


 御剣が、内にある野望を語っていたころ、マサキもまた美久と歓談をしていた。
彼は、コテージに備え付けてある、長椅子に座りながら、コーラを飲んでいた。
意味ありげにほくそ笑んだ後、ジャグジーバスに入る美久の顔を見る。 
「美久よ、今度の作戦に失敗は許されんぞ」
 満足そうにつぶやき、再び、コーラの入ったグラスで唇を濡らす。
それから、ふいに長椅子を立った。
美久を手招きして、言ったのである。
「だが、混乱を避けるためには、絶対に秘密は守れ」
 そう言いながらマサキは、ゆっくりと、ジャグジーの中に入ってきた。
二人ともモルディブの海で泳いできたばかりで、水着姿だった。
マサキはトランクス型の海水パンツで、美久は朱色のUバック・ワンピース型水着。
「心得ております……
日本政府とともに、作戦準備に万全を期しておけば……」
 ジャグジーから出て、グラスをテーブルに置こうとした時だった。
いきなり背後から、マサキが強い力で抱きしめる。
「あ……」
 不意打ちだったから、思わずふらついて、グラスをジャグジーの中に落とした。
コテージの中は暗い。
空の月のほのかな光が、カーテン越しに入ってくるぐらいで、やっと物の識別ができる程度だった。
 体の向きをかえられた美久の唇に、マサキの生暖かい唇が押し付けられる。
ほとんど唇の感覚が失われかけた時、マサキはようやく唇を離した。

 マサキの話は、こうだった。
彼はソ連との交渉が始まる前に先んじて、火星を極秘調査することにした。
 月面攻略作戦の前までに、火星にあるハイヴから着陸ユニットが飛来しないとも限らない。
危険性を除去するために、火星にある500のハイヴを調査し、破壊することにしたのだ
 一応、日本政府の協力の元、火星調査衛星ということで、探査ロボットを送り込むことにした。
だが、日本政府内にはマサキの独断行動を面白く思っていない人物も多い。
彼の動向は、反対派を通じ、潜入したGRUやKGBのスパイによって漏洩し続けているのは確か。
 そこで、ある一計を思いつく。
既に篁とミラが完成させていった、月のローズ・セラヴィ。
その機体を、グレートゼオライマーの代わりに火星に派遣するという案である。
 だが、パイロットがいない。
生体認証で動く八卦衆のクローン人間もいないし、マサキ自身もソ連を欺くために日ソ交渉の場に出なくてはいけない。
代理のパイロットに、篁や巖谷を乗せるほど、彼らを信頼したわけでもない。
 ではどうするのか。
ローズセラヴィーのパイロットだった(りつ)をそっくりそのままコピーすればいい。
そういう事で、マサキは大急ぎで、葎の記憶を入れたアンドロイドを作ることにしたのだ。
「ソ連の目を、なるべくこの俺に向けておくのだ。
火星での作戦を悟られないためにな……フハハハハ」
 昂る激情が、抱擁となる。
マサキは優越感に浸り、勝利を確信した。


 マサキの真意は、依然なぞのままだった。
百戦錬磨のスパイである鎧衣や幾度となく死地を潜り抜けてきた白銀にもわからなかった。
そんな彼らは、護衛を務める近衛第19警備小隊に代わって、平服で歩哨を続けていた。
「分かりません、全然わかりません」
「え、何が……」
「木原先生の考えですよ」
 鎧衣は、半信半疑の体であった。
固持する自己の公算からも、割りきれない面持(おもも)ちなのである。
「ハイヴには膨大なG元素が眠っています。
各惑星のハイヴを排除したら、G元素の確保はダメになるでしょう」
 誰かが彼のうしろで、大いに笑った。
「そこで、何をしていた」
 振向いた白銀は、そこにいたマサキを見て、一瞬、驚きの色を示す。
彼は、なお笑って、マサキの方に歩み寄る。
「これは、木原先生」
 マサキは、そこにいた白銀を見て、むッと、眼にかどを立てる。
ふざけたことをいうと許さんぞと、いわぬばかりな威を示した。
「俺に、何か用か」
「実は、その……インド軍の動きが、妙に気になりまして……」
「何か、企んでいるのか」
「反政府派のタミル・イーラム解放の虎(LTTE)がテロを予告しているのに、インド軍の警備大隊以下、全く動きがないのです」 
 モルディブは独立以来、自前の戦力を持たなかった。
それ故に、友邦であるインドとの間に安保条約を結んで、駐留軍を置いていた。
国土防衛の他に、海難救助などをインド軍にほぼ依存する形となっていた。
「じれったいな」
 鎧衣は、眉をひそめて、なお凝視(ぎょうし)しつづけていた。 
一方、マサキは、なおも(ただ)した。
「早く結論を言え!」
「ええ、つまり防備手薄な、このモルディブの会見場を一気呵成に攻める肚かと……」
マサキは、口を極めて怒りをもらした。
「お前の推測か!」
「は、はい。そうですが……」
「裏付けもなく、下らん推測……いちいち報告するな!」
マサキは不敵に笑った後、呟く。
「俺は、忙しいんだ!」
「すると、何か計画を……」
白銀が問いただすと、マサキは得々とその内容を打ち明けた。
「夢と温めてきた、史上最大の作戦だ」
マサキはすべてが、万全であるかのように誇って話した。
「史上最大の作戦ですか……」
 ふたりは、もう何もいうことを欲しなかった。
そんな彼らの姿を見たマサキは、大喜悦である。
「今にわかる。フハハハハ」
 鎧衣は、待つ間ももどかしそうであった。
彼には何か思いあたりがあるらしく、胸騒ぐ心の影は、眉にもすぐあらわれていた。


 空港に呼び出された参謀総長の前に、黒い高級セダンが勢いよく乗り付ける。
BMW2002ターボのドアが開くと、後部座席から、将官用勤務服(キーチェリ)を着た初老の男が二人。
助手席からは、腰まである銀髪をゴールデン・ポニーテールに結った熱帯服姿の婦人兵が下りてきた。
「手こずっておる様だな」
「同志大臣、何の用ですか」
 ソ連側も無策ではなかった。
日本側に譲歩の姿勢を見せる赤軍参謀総長を叱責するために、国防相と次官が乗り込んできたのだ。
「交渉に入るために、サハリンから全軍を引き揚げさせるそうじゃないか……」
「仕掛けもなしに、兵を下げる馬鹿がいるとお思いですか。
冗談も休み休みにしていただきたい」
「それなら結構」
「情報が早いな。どうしてそのことを」
参謀総長はいぶかると、国防相は、きッと改まった。
斎御司(さいおんじ)家の(もと)にいる、二重スパイからの報告だ。
城内省から、帝大の宇宙科学研究所に協力依頼があった。
明日、いや、もう今日だが、火星探査衛星の打ち上げてほしいという依頼だ。
総理府の航空宇宙技術研究所も協力するという話だ」

 ここで、日本の宇宙開発の組織の歴史を、簡単におさらいしてみたい。 
日本には3つの宇宙開発組織があり、すべて独自の予算と計画で動いていた。
 一つが、糸川英夫博士が1954年に立ち上げた、生産技術研究所の糸川研究班である。
その後、糸川博士の研究は規模が拡大し、宇宙科学研究所となった。
1981年、国の管轄下におかれることとなった。
文部省の宇宙科学研究所(ISAS)を経て、宇宙科学研究本部に改組された。
 二つ目が、航空宇宙技術研究所である。
同研究所は、総理府の管轄にあったが、後に科学技術庁に移った。
その後、1997年からの行政改革により、文部科学省航空宇宙技術研究所に改組された。
 三つめが科学技術庁内に設置された宇宙開発推進本部である。
そこから発展して、1969年に科学技術庁の下部機関として、宇宙開発事業団が設置された。
 40年以上にわたって、日本の宇宙開発はばらばらの機関で行われたが、余りにも非効率だった。
効率化を図るために、2003年に宇宙航空研究開発機構として統合され、再出発を果たしたのだ。

「同志参謀総長、君が日本野郎の意見を素直に聞いていたら」
 そう言ってマカロフ拳銃を参謀総長の方に向ける。
これは、参謀総長を撃つものではない。
彼を威圧するため、取り出したものであった。
「で、来た訳だ。よろしく頼むぞ」
 参謀総長は、焔のような息を肩でついた。
覆い得ない悲痛は、唇をも、(まなじり)をも、常のものではなくしている。
しかも、将官たる矜持(きょうじ)を失うまいとする努力は、彼にとってこの混乱の中では並ならぬものにちがいない。
 マサキが仕掛けた陰謀のことも、彼は今、ここへ来て初めて知った程だった。
何か、信じられないような顔色ですらあった。 
「同志参謀総長、その女を使ってもよいぞ。
なんなら、木原を暗殺させてもいい」
 国防次官が連れてきた女は、赤軍中尉の階級章を付け、ワンピース型の婦人熱帯服を着ていた。
参謀総長は、迷惑そうにしていたが、男は、盛んにたきつけた。
「もっとも、ESPの数少ない生き残りの兵士だがな……」
 そう言い捨てて、国防次官は車に乗り込むと、彼方へと走り去っていった。
参謀総長が得たものは、彼の迷いとは、正反対なものだった。 
 

 
後書き
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