SHUFFLE! ~The bonds of eternity~
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第三章 ~心の在処~
その十二
少女は、孤独だった。唯一の存在。自分と同様の存在などいない。奇跡の具現、それ故に孤独。
かつて姉と慕った人。自分とよく似た存在。唯一の“家族”と呼べる人。
だが、彼女はもういない。自分の元に一つのぬいぐるみを残していなくなってしまった。
「……お姉、ちゃん……」
自分の耳にすら届かないか細い声で呟く。途端に寂しさに襲われ、抱きかかえたぬいぐるみをさらに強く抱きしめる。雨水が染み込んで重くなったそれはどこまでも冷たく、嫌が応にも『お姉ちゃんはもういない』という現実を突き付けてくる。その頬を濡らしているのは果たして雨だけなのだろうか? それは恐らく、少女自身にも解らない。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。俯いていた少女の視界に誰かの足が入ってきたことに気付く。と同時に、
「……プリムラ」
ここ数ヶ月の間、すっかり聞き慣れた声で自分の名前が呼ばれ、顔を上げる。そこにいたのは……
「……り……ん……」
かつて“お姉ちゃん”が子供心に憧れ続けた少年、土見稟だった。
* * * * * *
「……またびしょ濡れだな。雨に降られるのが好きなのか?」
いつかの記憶を思い返しながら話しかける。
「傘は嫌いか? これじゃ風邪を引くぞ」
「……別に……嫌いなわけじゃ……ない……」
「そっか……じゃあ、今度からは持って出ような。というか、俺も一緒についていくから。何たって……」
――家族だからな――
プリムラは少しずつ光が戻って来たその大きな瞳を稟に向けたまま、動こうとしない。どうやら傘に入る気はないようだ。それならば、と傘を閉じる。一人で差していても意味はないから。
すぐに雨は稟の全身を濡らしていく。髪から滴り落ちる水滴を見ながら微笑する稟。
「……濡れてしまえば関係ない、か。なかなかいい発想だ」
思い出す。雨が降り出してもギリギリまで四人で遊び続けた子供の頃を。濡れた髪や服が肌に纏わりつく。普段なら不快感を覚えるそれが、今は無性に楽しく感じられた。
……もう一度、あの頃に戻れるとしたら? 恐らく、誰もが一度は考えるのではないだろうか。そんな事、出来はしない。分かってはいても、それでも、稟は同じ目線に立ち、雨に濡れるプリムラを理解したかった。ほんの少しでも。
「……リコリスお姉ちゃん……いない……」
寂しげな声。決して大きくはないその声が、稟の胸を刺す。それを堪えつつ、口を開く。
「……ああ。ここには来ない」
「……どこにも……いない……」
一人ぼっちの寂しさを、やっぱりという諦めを言葉にして伝えてくれているプリムラ。
「……どこにもいないわけじゃない。ちゃんといる。リコリスは今もプリムラを見守ってる。傍には居られなくても、ずっとだ」
でもな?
「“土見稟”も、プリムラに笑っていて欲しいと思ってるんだ」
「……つちみ……りん……?」
初めて、プリムラの瞳の輝きが変わった。……ずっと気付かないままだった。プリムラの瞳にはリコリスの残したものしか映っていなかったことに。しかし、今のプリムラは、ただリコリスが口にしていた“りん”ではなく、目の前の“土見稟”を見ている。
『忘れるなよ。お前はお前だ。人は誰しも、自分以外の存在になんかなれはしないんだ』
つい先程の柳哉の台詞を思い出す。自分はリコリスの代わりになんかなれない。だから……、
「だから、これからは俺が迎えに来る」
「……迎え……に……?」
「ああ。リコリスの代わりに、じゃなくてプリムラの家族である土見稟として、な」
背後に幼馴染の気配を感じながら続ける。
「俺が……いや俺達がプリムラの家族になる。俺達だけじゃない。皆がプリムラのことを大事に思ってる」
辛ければ弱音を吐けばいい。寂しい時はいつも傍にいる。だから……
「……だから、もうどこにも行くな」
「……りん……」
プリムラの目が見開かれる。
「……りん、が……迎え……に……?」
「ああ。約束だ」
プリムラの雨に濡れた前髪を払いつつ、稟は出来うる限り優しく笑った。
「……さあ、帰ろう。皆が待ってる」
そう言って、手を差し伸べる。
「……あ……あ、う……あぁ……」
感情が、溢れ出そうとしている。目の前の少女が、永く表出させることの出来なかった感情が。
「わあああぁぁ……っ!!!!」
しがみ付き、言葉にならない声を上げて泣くプリムラを、稟はそっと抱きしめた。そして、背後に目を遣ると、そこにいた幼馴染が小さく頷き、稟の前へ回り込む。稟に傘を差し出し、そのままプリムラを後ろから抱きしめた。
「かえ……で……?」
いきなり後ろから抱きしめられ、驚くプリムラに楓は優しく微笑んだ。
「……帰りましょう。皆が待っていますよ」
「……うん……うん!」
頷きながらもさらに涙をこぼすプリムラ。ありのままの感情がそこにあった。邪魔をするものは何もない。本当の心のままに、プリムラは泣き続けた。
感情を出せない、出し方を知らない少女。それが過去形になった瞬間だった。
しばらく経ち、プリムラが泣き止む頃にはすっかり雨は上がり、日が差してきていた。
「あ、見てください」
楓に言われて見てみると、空に七色の橋が掛かっていた。
「……綺麗……」
虹だけではなく、濡れた地面や木の葉が日に照らされ、きらきらと輝いていた。それはまるで、今、本当の家族になった三人を祝福しているかのようだった。
* * * * * *
「おう、お帰り」
芙蓉家の玄関。帰宅した三人を柳哉が出迎えた。
「悪いな、留守番させちまって」
「今さらだろう? あ、風呂沸いてるから入りな」
「あ、ありがとうございます」
そんな会話を交わしていると、
「あ、帰って来たっス!」
「稟様、楓さん、リムちゃん、お帰りなさい」
「っていうか稟ちゃんもリムちゃんもびしょ濡れじゃない!」
「早くお風呂に入らないと風邪引いちゃうよ」
「では稟さんとプリムラさんが一緒にお風呂に……まままぁ♪」
「濡れ髪のプリムラちゃん……これもまた良しって何をすうわばっ」
「はいはい、セクハラ魔人はさっさとしまっちゃうのですよー」
なんかぞろぞろ出てきた。ちなみに上からシア、ネリネ、亜沙、桜、カレハ、樹、麻弓の順である。
「……えーと、何でいるんだ?」
「いや、亜沙先輩から電話が掛かってきてな? で、ちょっとばかり事情を話したら……こんなことになった」
柳哉にとっても流石に予想外だったのだろう。若干汗をかいている。
「……おじさん達は?」
「帰ったぞ。それで伝言を預かってる。『プリムラの事、くれぐれもよろしく頼む』だそうだ」
「そっか……」
「……その様子だと、問題ないようだな」
「ああ。心配かけたな」
それには答えず、柳哉は小さく笑った。
「じゃ、とっとと着替えてきな。これでお前が風邪でも引いて寝込んだりしたらプリムラは自分を責めかねないぞ?」
それに、と続ける。
「寄ってたかって着替えさせられる、ってのは流石にまずいだろう?」
「……そうだな」
実際、この面々ならやりかねない。主に亜沙とか麻弓とか。シアやネリネ、楓に桜などは顔を赤くしながら見そうだし、カレハに至っては妄想をどこまでも暴走させるだろう。そしてそれを止めるのは柳哉でも無理だ。男にとって、暴走する女性の集団ほど厄介なものはそう無いだろう。
「それじゃ、後はよろしく頼む」
「はいよ」
そう言って稟は自室へ着替えに行った。ちなみにその間、女性陣は誰がプリムラを風呂に入れるかで争っていた。見かねた柳哉が隙を見てプリムラに一人で入るように言い、女性陣に気付かれないように風呂に送り出した。それによって柳哉は女性陣から盛大なブーイングを受けることになるのは余談。
* * * * * *
夕食後、リビングで楓の淹れてくれたアイスティーを飲みながらテレビを見る稟。と廊下の方から小さな足音が近付いてきた。プリムラだ。
「あ、あの……りん……いる……?」
「ああ。どうかしたのか?」
「その……ね……」
何気なく返事をしてから、思わず目を見開く。なぜなら、いつも無表情のプリムラが、確かに恥ずかしそうに頬を赤らめているのだから。
「プリムラ……だよな……?」
「う、うん……」
いつもとは明らかに様子が違う。思わず楓と顔を見合わせるが、楓も困惑顔だ。ふと思い至り、慌てる。
「もしかして雨に濡れて風邪を引いたとか!? 何か顔が熱っぽそうだし」
「え、う、ううん、大丈……」
否定しようとするプリムラだが、若干暴走状態の稟の耳には届かない。
「楓、救急車……いや、この場合は魔王のおじさんに連絡した方がいいのか!?」
「は、はいっ!」
「え? ええ? えええ!?」
「隣までひとっ走り行って呼んでくるから、楓は風邪薬と氷嚢の準備を頼む!」
プリムラの困惑にも気付かずさらに暴走する稟。というかお前は親馬鹿なお父さんか。
「わ、分かりました! すぐに……!」
今にも飛び出して行きそうな稟に、慌てながらも答える楓。しかし、
「ち、違うのおっ!」
「え……?」
「……?」
まず聞いたことのないようなプリムラの大声に我に返る二人。
「べ、別にどこもおかしくない……ただ、その……お願いがあって……」
「お願い……?」
頷くプリムラ。
「こ、これから……ね? ……あの……えっと……だから……」
何度か逡巡した後、口を開く。
「お、お兄ちゃんって呼んで……いい……?」
一瞬、その意味が理解できなかった。しばらくしてようやく、“お兄ちゃん”という単語が頭の中で実像を結ぶ。
「……お兄……ちゃん……?」
プリムラの言葉の意味を確かめるように小さく呟く稟。プリムラは顔を真っ赤にして俯きながら、稟の返事を待っている。
「ははっ。そっか……」
それが、稟がプリムラに言った『家族になる』ということの答え。稟の胸に温かさが広がる。自然と顔に笑みが浮かぶ。
プリムラは変わることを受け入れた。その事実が嬉しくて仕方が無い。
「ダメ……?」
不安そうな顔と声で稟の様子を伺うプリムラ。稟の答えは一つだ。
「いいに決まってるだろ」
そう言いながら、ぽんとプリムラの頭に優しく手を置き、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「あ……」
プリムラの表情が明るくなる。それは稟が思い描いていたよりもはるかに可愛く、魅力的な表情だった。
「あと、それから……」
そう言って今度は楓に視線を向ける。
「はい、いいですよ」
察したのだろう、聞かれる前に答える楓。
「ありがとう。よろしくね、楓お姉ちゃん」
「はい。こちらこそよろしくお願いしますね、リムちゃん」
微笑む楓とプリムラ。
この日、稟と楓に妹が出来た。
後書き
これにて第三章は終了です。
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