ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第62話 エル=ファシル星域会戦 その6
前書き
陸戦モードは本当に苦手です。
艦隊戦は好きなんですが。
宇宙歴七八九年 五月二日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系外縁部
外縁部に到着した『帝国軍救出部隊(仮)』は隣接する星系との跳躍宙域、同盟支配時代からゲート八八と呼ばれる宙域に集結した。
作戦『エル・ファシルの霧』は同盟に制宙権を奪回された帝国軍が、エル・ファシル星域に残存する帝国軍地上戦力を回収しにくると考え、それに同盟軍防衛部隊がどのように対処すべきかという演習を、そのまま作戦に転用したものだ。帝国艦隊側の部隊が上手い具合に地上軍を回収出来たら、それを丸ごと拿捕する。宇宙空間上に浮かぶ捕虜収容所を作ろうというモノ。
問題点は幾つもあるが、一番の問題はやはりエル=ファシルの都市に籠っている帝国軍をどうやって引きずり出すかだ。軍事的な手段を回避するための作戦だから、通信による謀略以外に方法はない。より緻密で成功率の高い『脱出作戦』を立案する必要がある。
艦隊行動においてはフルマー中佐をはじめとした第五四四独立機動部隊の参謀面々が、地上戦と捕虜収容のテクニカルな部分はジャワフ少佐と数人の陸戦将校が、俺(とディディエ少将)の考え方に沿って行動基準を組み立ててくれた。マーロヴィア同様、自分よりも戦歴のある上級者が、仮とはいえ自分の下についている居心地の悪さは何とも言えない。
そしてさらに俺の居心地を悪くしているのは、作戦会議の場では常に俺の左後背に立ち、エル=ファシル星系の地理情報についてのアドバイスをくれるイェレ=フィンク中佐の存在だ。第四四高速機動集団結成式の時に比べて数段顔色が良くなっている。例によってフルマー中佐達から陰口を叩かれているようにも見えるが、まったく気にしていないどころか、鼻で笑っている状況だ。ちなみに右後背にはモンティージャ中佐から預かった自走端末がいる。
その心理的な変貌に、失礼を承知で第八七〇九哨戒隊の艦長総勢二〇名全員を戦艦カンバーランドの小さな会議室に集めたのだが、大なり小なり彼らの表情は明るい。こちらが心配して問えば……
「ようやくボロディン少佐の為に力を振るえる時が来たのです。それも自分達の庭であるエル=ファシルで。それがみんなうれしくてたまらないのです」
そう言ったのは哨戒隊司令代行も兼務するイェレ=フィンク中佐で、
「エレシュキガル星系で我々は今まで経験したことないほどに訓練を重ねました。訓練でも実戦でも部隊として出来る最高の成果が出て、部下たちは士気を取り戻しつつあります。それに司令部からウィスキーが当艦に一ダースほど届きましたし」
そう言うのはモディボ=ユタン少佐。コーヒーを飲む姿がいかにも地球時代の黒人刑事そっくりだが、他の艦長達から『お前だけズルい』の非難を受けて気恥ずかしそうにしている。
彼らの態度に、俺は身の毛がよだった。ヤンに対するシェーンコップの忠誠心とも違う。俺が死ねと言えば喜んで死んでくれそうな雰囲気。士気が高いのは喜ばしいとかすっ飛ばして、悪酔いしそうなほどに気味が悪い。一種の興奮状態にあるというんだろうが、他の部隊からの孤立が一層増し、より狂信的な感じがする。
これは各個で弾除け扱いされることを危惧し、哨戒隊としてあえて一纏めにして運用することを提言した俺の責任だろうか。エル=ファシルでの戦いはこの詐欺のような地上攻略戦の結果を問わず、帝国軍の反撃がない限り成功裏に終わる可能性は高い。では終わった後は? 彼らの『罪なき罪』は許されるのか。
しかし取りあえずのところ今はそれを考える時ではない。彼らの元エル=ファシル防衛艦隊の知識と技量を使わねばならない時だ。謀略の一歩として同盟軍が巨大な茶番を演じていると感づかれることのないよう、極力低出力に絞った超光速通信が惑星エル=ファシルに届く範囲まで、帝国軍の通信器具を持っていく必要がある。帝国軍の哨戒網はザルだったが、見事に惑星に接近して哨戒任務を果たした嚮導巡航艦エル・セラトがその任に相応しいのは明らかだ。
まず帝国軍との通信が成立するのが前提だが、そこからは二段階に分けて救出作戦を実施する。これには本格的に拿捕した帝国軍巡航艦を使う必要がある。
救出第一陣は帝国語が堪能な白色ないし淡白色人種で乗員を選抜した巡航艦四隻。艦長はフィンク中佐をはじめとした第八七〇九哨戒隊のうちの白色人種四名が務める。まったくもってろくでもない話だが、帝国軍には有色人種の士官はほとんどいない。これでまず地上軍から貴族上層部および貴族階級の士官たちを分離する。
第二陣は同じく帝国語に堪能な艦長クラスの選抜要員とユタン少佐を除く第八七〇九哨戒隊の面々(フィンク中佐ら四名も艦を乗り換えて同行)が、ホワイトスキンを被って戦艦四隻を含む三〇隻の帝国軍艦艇に乗り込む。これが四万名の帝国軍将兵を救出する部隊となる。それに加えて無人遠隔自動制御された帝国軍艦艇二七五隻が同行する。
この無人艦隊の指揮も含めた、救出作戦の全体を指揮するのが、フェザーンで生まれ五歳まで育ち、法衣貴族の息子で帝国騎士でもある『ジークフリート=フォン=ボーデヴィヒ准将』こと俺である。よくある名前を組み合わせて作っただけで、何となく俗な名前ですねと言っても、司令部の人間は誰一人として反応しなかった。
そして本来の所属元から離れて、俺に同行している数人の情報将校(勿論偽名だろうし、顔も変えているんだろうけど)の一人が少し年上の女性で、俺のヘアメイクから何から担当してくれたのだが、一通り出来上がった自分は全くの別人だった。
「街中で出会ったら何となく撃ち殺したくなるような顔に仕上げてみました」
その女性士官の言う通り、スマートスキンで僅かに頬骨を大きくして、眉をかなり抜いて、髪はヴィッグで顎下までのセミロング。目付きの悪い、いかにも門閥貴族の手下でございますという形に、俺は大きく溜息をついた。帝国語と貴族仕草についても、アニメに登場している青年貴族たちの真似しつつトレーニングを積んだのだが……
「若干のフェザーン訛り以外は間違いありません。くれぐれもその姿でハイネセンを出歩かないでくださいね。間違いなく撃ち殺します」
と評価されるありさまだった。一応、アップルトン准将や参謀達にもこの姿を披露したが、やはり反応は同じ。特にアップルトン准将は俺の頬を三度ばかり軽く叩いてくれたりもした。
そんななんちゃって帝国貴族になった俺は制服こそ同盟軍少佐だが、そのままの顔で作戦会議や打ち合わせに出るものだから、戦艦カンバーランドで事情を知らない将兵に遭遇するたびにフィンク中佐が俺をかばい喧嘩寸前まで発展し、ついには艦長の名前で艦内にお触れが出る始末。それからは出会う度に『坊ちゃん少佐』と呼ばれることになった。
いずれにせよその間にも準備は進む。嚮導巡航艦エル・セラトの予備通信室には、貴族士官が使っていたと思われる損傷した帝国軍巡航艦から移設された通信室が組み込まれ、鹵獲した帝国軍戦艦トレンデルベルクの通信室下には同盟軍の演習用シミュレーターが組み込まれた。有人となる三四隻には白兵戦部隊が分乗し、作戦開始と同時に一目には付かないスペースやミサイル格納庫に隠れる。
そして五月七日。最終的な打ち合わせを終えた俺は、戦艦カンバーランドから嚮導巡航艦エル・セラトに移乗した。
◆
八二時間後、嚮導巡航艦エル・セラトは惑星エル=ファシルよりも外の軌道にある、便宜上エル=ファシルⅤと呼ばれる大規模ガス惑星の表層内部に船体を浮遊固定し、パッシブ態勢に入った。残留する本隊所属の哨戒部隊警戒網に引っ掛かった感じすらない。
「密輸業者が使うルートの一つです。超長距離索敵に使われる重力波変異計測は、この惑星の自転速度の影響で台風や陰になる部分の値が複雑に変動する為、役に立ちません。重点的に艦を動かしてこまめに巡視しなければならない場所ですが……ビュコック提督もそこまでは気がまわってないのでしょう」
ユタン少佐は大きく溜息をついて言った。
「このルートは星系外部から侵入する時には有効な手段ですが、惑星エル=ファシルから出る時は、逆にⅤからの重力波差異を反射で検知できるので、まったく使えません。私とこの船は帝国軍に追い回された挙句、かろうじてここに逃げ込めたのは幸いでした」
他の艦は追撃中に撃破されるか捕らえられるかしたらしく、所属する巡航隊では、エル・セラトだけが唯一生き残った。それもエル=ファシルⅤの重力に引きずり込まれるような『死んだふり』で、辛うじてということだから、追撃は苛烈を極めたのだろう。同じ場所に隠れている乗員たちの気持ちは察するに余りあるが、斟酌する暇はない。
艦位が安定したとユタン少佐は判断すると、曳航式の超光速通信ブイを打ち上げる。鹵獲した艦で消去されていなかった帝国軍の周波数変異に固定されたそれは、惑星エル=ファシルから盛んに発信されている救援要請を明瞭に傍受できた。
「敵地上軍の司令官は大出力による発信で、アスターテまで届くと考えているのだろうか?」
場合によっては届くかもしれないが、一〇ケ月前に占領したばかりの箇所では、中継増幅衛星の配備は進んでいないだろう。現に幾つかのゲートにあった幾つかの中継衛星は第八七〇九哨戒隊によって粉砕されている。内容もあまり変わらない。『一万隻以上の大艦隊に惑星が包囲されている。軌道兵器もない。至急救援求む』の繰り返しだ。
「実のところ一万隻どころか三〇〇〇隻をようやく越せる程度しかいないわけだが」
「それだけビュコック提督の戦いぶりが圧倒的だったという事でしょう」
「しかしおかげででアスターテやパランティアなどからの増援はなくなった」
そんな大兵力のいるところに、基本防衛戦力である前進部隊を送り込むなど自殺行為。しかも第四次イゼルローン要塞攻略戦の情報はおそらく帝国側に届いているだろうから、前進部隊の目はダゴンやティアマトと言った同盟軍の進撃ルートに向いている。統合作戦本部の戦略眼通りで、謀略するにはまことに都合がいい状況。あまりにも都合が良すぎて、メアリー・スーかと思ってしまうくらい。
「ケース➀で行きましょう。ユタン少佐。私は通信室に籠ります。想定外があれば無声表示で」
「承知しました。本隊・別動隊への暗号発信後、当艦も巡航艦ゲーアデン三三号に電子偽装します」
舞台は整った。マーロヴィアからずっと舌下の徒に成り下がっているように思えるが、今の俺は実戦指揮ができる立場でもなければ、その能力もない。今は為すべきことを為すべきだ。ユタン少佐の配慮でもらった個室で、俺は着慣れた同盟軍のジャケットを脱ぎ捨て、ピッチリとした帝国軍准将の軍服に袖を通す。机脇の姿見で、異常がないこと、ウイッグのズレがないことを確認し、改めて襟を締める。同盟軍で閣下呼ばわりされる前に、帝国軍の閣下になるというのも、実に俺らしいのかもしれない。
その姿で個室を出ると、何人かの乗組員とすれ違う。ユタン少佐もお触れを出してくれている上に、過剰に美化して宣伝しているらしく、乗組員の殆どが俺に好意的ではあった。が、やはり帝国軍准将の制服に対するインパクトは大きいようだった。彼ら乗組員の奇異の視線とおっかなびっくりの敬礼に応えつつ、俺は予備通信室に一人で立ち入る。
シナリオは幾つも考えた。艦隊・地上軍双方の情報将校達も考えてくれた。山積みになっている資料と、接触端末、キーボード。そして真っ暗な帝国軍巡航艦搭載型の超光速通信画面。キコキコと音を立てながらついてきた自走端末に、帝国軍から押収した赤い毛足の長い絨毯をかけると、俺は超光速通信装置電源を入れる。
エル=ファシルで敵国の軍人を救うという任務をすると、ヤンが聞いたらなんて言うだろうか。俺の口が自然にゆがむのを覚えるのだった。
後書き
2022.05.08 更新
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