ハッピークローバー
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第十八話 やり取りをはじめてその七
「罪を自覚していない人で」
「悪人は罪を自覚している人ね」
「それで善人が救われるならね」
「悪人も救われる筈って考えね」
「その人が思うことから見てね」
即ち主観でよるものだというのだ、親鸞が言う善人と悪人の違いは。
「自分がいい人と思ったらね」
「善人でね」
「悪いと思ったらね」
「悪人ね」
「けれどここで言うのは他の人が見てで」
「それで善人だと」
「それに越したことないわよね、感謝の気持ちがあったら」
それならというのだ。
「何かしてもらったりしたら」
「嬉しいって思えてね」
「幸せになれるし」
それでというのだ。
「いいわね」
「そうよね」
一華もその通りだと頷いた。
「そうなるわね」
「だからね」
それでというのだ。
「人は感謝の気持ちは大事ともね」
「おばさんかな恵に言ってるのね」
「ひいお祖母ちゃんも感謝する人だしね」
話の元であるその人もというのだ。
「だからね」
「それで」
「そう、感謝したら」
「幸せになれるのね」
「その分ね、それで幸せってね」
かな恵はさらに話した。
「遠くになくて」
「近くにあるの」
「それもすぐ傍にね」
「おばさんはそうも言ってたのね」
「青い鳥みたいに」
童話のそれの様にというのだ。
「あってそれも沢山ね」
「あるのね」
「クローバーみたいにね」
「いや、幸せのクローバーって四つ葉でしょ」
富美子はそれはと返した。
「だからね」
「滅多にないの」
「そうでしょ」
「それが三つ葉でも花言葉は幸福だから」
かな恵はここでこのことを話した。
「四つ葉は幸運でね」
「何かどっちも大して意味変わらないわね」
「結局幸せよね」
「そうよね」
「そうなるわね」
富美子だけでなく一華も留奈も理虹もそれはと頷いた。
「幸福と幸運ってね」
「あまり違わないわね」
「どう違うかっていうと」
「ちょっと難しいわね」
「それで三つ葉のクローバーならでしょ」
かな恵は陽気なそれでいて邪気がなく包容力を感じさせる笑顔で話した。
「あちこちにあるでしょ」
「もうその辺りにね」
留奈が答えた。
「あるわね」
「幸福がね」
「つまり幸せはなのね」
「そう、ちょっと見ればね」
それでというのだ。
「何処にでもよ」
「あるのね」
「一杯ね」
「そんなものなのね」
「大切なことはね」
それは何かというと。
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