冥王来訪
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第二部 1978年
ミンスクへ
乱賊
前書き
主席卒業者が、公聴会で議事妨害するってすごい悪童だぜ
ベルンハルト中尉は、ベルリン市内の共和国宮殿に呼び出された
勤務服ではなく外出服と呼ばれる一種の礼装を身に着け、ヤウク少尉と共に議長に面会に行く
公式の場で、かの《屋敷の主人》に会うのは、今日が初めてであった
思えば、1975年6月半ば頃に公聴会への出席依頼に応じた時に来てから、約3年ぶりであった
あの公聴会で、社会主義統一党(SED/東ドイツの独裁政党)幹部、各省庁の官僚、軍関係者を前にして、意見陳述書を読み上げ、不規則発言をし、議場を荒らしたことが昨日の様に思い出される
その時も、罰と言う事で、『精神療養』と称し、1週間の休息を命じられた
今思えば謹慎処分で済んだのが、幸いだったのだろう
先任の戦術機部隊長ユップ・ヴァイグル少佐には、色々な悪戯をして面倒を掛けた
後で謝ろうと、内心思う
陸軍ヘリ操縦士と言う事で、空軍パイロットの悪童共と、反りが合わなかった
だが今思えば、自由気儘に振舞っていた事が、彼の精神的な負担になったのであろう
「なあ、今度は変な事は止してくれよ」
脇を歩くヤウクが、彼に釘をさす
官帽を被り、各種装飾品を付けた外出服を着る彼は、何時ものお道化た雰囲気とは違う
次席卒業者であり、士官学校生徒時代から大真面目で通っている印象に戻った気がする
磨き上げた長靴で、力強く歩くヤウクの後ろ姿を見ながら、彼は、指定された部屋に急いだ
豪奢な室内に、壮麗な机と椅子
机の上には、陶器製の灰皿と黒電話、報告書が数冊、雑然と置かれている
その背もたれに身を預ける壮年の男
漆黒に見える濃紺のウールフランネルのスーツ姿
生成りの綿フラノのシャツに、濃紺のネクタイの組み合わせを自然に着こなす
組んだ足から見える濃紺の靴下に、茶色の革靴
金メッキのバックルが付いたモンクストラップで、恐らくカスタムメイドであろう
右手で、紫煙が立ち昇る茶色いフィルターのタバコを持って、此方を見る
脇には外出服姿の国防大臣が腰かけて居り、近くには彼の従卒であろう下士官が立っている
「今日は、意見陳述書は要らんぞ」
男は、彼に不敵な笑みを浮かべる
奥に控えていた職員が、熱い茶と菓子を人数分持ってくる
右手で着席を許可され、応接用の机に備え付けられた椅子に座る
ブロートヒェンと呼ばれるパンやソーセージなどの軽食が、クロスが掛かったテーブルに置かれる
「俺は、まだ飯を食っておらん。
君達もこの際だから、何か摘まんでいきなさい。
遠慮はいらん」
気兼ねする彼等に、国防大臣が声を掛ける
「同志議長からの馳走だ。
有難く頂こうではないか」
二人は、黙礼をする
昼食は、ハンガリー風のトマトスープに、ザワーブラーテンと呼ばれる牛肉の煮付料理……
この数年来、手に入れにくい柑橘類のデザートを食す
人払いをするように従卒に申し付け、茶飲み話になった
雑談を楽しんでいる最中、不意に男は問うてきた
「ソ連が進めていたオルタネイティヴ3とかいう無用の長物が有ったろう。
あの研究施設が、何者かに吹き飛ばされて、今モスクワの連中が責任の所在を巡って揉めてる。
愚にも付かぬ事であろう。諸君」
ベルンハルト中尉は、男に、この度の会談の真意を訪ねた
「まず、ご発言お許しください。
僭越ながら、今回の件と何の関係が有るのでしょうか……」
男は、花柄の模様の付いたコーヒーカップを机に置くと、応じる
「KGBの特別部隊が我が国に入ったとの情報を得た。
其の事は、今回の件とは無縁ではない」
机より、フランスたばこの『ジダン』を引き寄せる
箱より一本抜き出し、火を点け、周囲に居る彼等に告げる
「俺を気にせず、タバコ位吸え。
暫し、長い話になるのだからな」
彼の言葉を聞いた後、灰皿を置く
大臣とヤウクは、それぞれタバコを出して吸い始める
紫煙を燻らせながら、暫しの沈黙が生じた
脇で、その男の様子を見ていた大臣が、言葉を選びながら、答える
「同志ヤウク少尉、同志ベルンハルト中尉が、風変わりな日本人と話していたのを覚えているであろう」
彼は、問うて来た大臣に対して頷く
「その日本人の名前は、木原マサキ。
彼は、大型機の設計師であり、操縦士なのだよ」
その場に、衝撃が走る
「私がアルフレート、いや、同志シュトラハヴィッツ将軍から聞いた話によると、だな。
KGBが、その日本兵をソ連大使館に誘拐。
密かに国外に連れ出し、ソ連に抑留する計画があると……、言うのだ」
大臣は、丸めた紙を広げる
「最初は、俄かに信じられなかったのだが……」
男は、重い口を開いた
「一寸ばかり、同志大臣に走って貰って、面白いものを持って来てもらった。
君達には少しばかり過激な内容かもしれんが、ぜひ目を通してほしい」
キリル文字特有の、波の様な筆記体
ソ連留学経験のある彼等には、理解するのは造作もない事であった
手紙の内容は、ソ連科学アカデミーが、オルタネイティヴ3の失策を取り戻す為、新型戦術機の設計者である木原マサキを誘拐する旨が記されていた
ベルンハルト中尉は、その様な私信を怪訝に思う
「これは……」
ヤウク少尉も、彼に同調する
「本当ですか」
男は、彼等の疑問に応じる
「シュトラハヴィッツ君宛に出された、赤軍参謀総長の直筆の手紙だ」
新しいタバコに火を点けながら、続ける
「彼は、先のチェコ事件(プラハの春)の折、手紙を書いて寄越した参謀総長と面識を持った。
その男が、この様に密書を送ると言う事は余程の事だ……」
燻る煙草を持つ右手で、灰皿へ、灰を落とす
「我等の意向を無視して、その日本人を堂々と誘拐しようと言う話は、事実であるか、確認中だ。
俺が穿り返す迄、保安省の馬鹿共も把握していなかった。
西に間者を送り込んでいても、この様なんだよ」
ベルンハルト中尉は、勢い良く立ち上がる
「これが事実なら、我が国の主権侵害ではありませんか、議長」
一服吸うと、彼の方を向き、答える
「まあ、落ち着け」
彼は、再び腰かけた
「無論その通りだ……。だが奴等は、主権尊重と内政不干渉よりも社会主義防衛を持ち出してくるだろう。
ハンガリー動乱も、チェコ事件も、その理論で動いた……。
策は無い訳では無いが……」
事務机の左脇にある電話が鳴り始める
男は、立ち上がって受話器を取ると、一言、二言伝える
受話器を一度置き、再びダイヤルを回し、何処かへ電話を掛ける
大臣とヤウクは、電話をする議長の姿を見ながら、再びタバコを出して吸い始めた
電話を掛け終えた男は、居住まいを正して、待つ
すると、青い顔をしたアスクマン少佐が入ってきた
彼等は思わず、顔を見合わせる
少佐は、男に挙手の礼を取ると、左脇に抱えた書類を恭しく差し出す
男は黙って頷き、間もなく少佐は部屋を後にした
その際、彼等に振り返って睨め付けて、行った
脇に居るヤウクは、思わず顔を顰めるのが判る
ドアが閉まり、足音が遠くなると、男は徐に口を開いた
手には、火の点いていない新しいタバコが握られている
「あの下種野郎とは、関わらぬほうが良い。
奴は、所詮使い捨ての駒にしか過ぎない……」
火を起こし、一頻りタバコを吸う
椅子に腰かけると、再び話し掛ける
「局長や次官でもないのに、何を勘違いしたのか、自分が保安省を動かしていると考えている戯け者だ」
暫しの沈黙の後、男は、ベルンハルト中尉に不思議な質問をしてきた
「付かぬ事を聞くが……、良いかね」
彼は、その男の方を向く
「何でありましょうか、同志議長」
男は、居住まいを正す
「君が妹御、アイリスディーナ嬢に関してだが……。
『西側に行きたい』と申し出てたと、詰まらぬ噂話を聞いた。
事実かね」
彼の目が鋭くなった
「妹に限って言えば、その様な事は御座いません。
彼女は、この祖国を誰よりも愛しております」
愛する人へ、襲い掛からんとする敵に、立ち向かう戦士の顔になる
「ゲルマン民族の興隆を、祈願して已まぬ、純真な娘で御座います」
男は、彼の真剣な態度に圧倒される
そして、一頻り笑うと、彼へ言葉を返した
「良かろう。そこまで言うのならば、俺が君達の後ろ盾に為ろう。
アーベルが目の中に入れても痛くない佳人の娘を娶るに、相応しい男へ、させる心算だ」
唖然とする彼に対して、こう付け加える
「蛇足かもしれんが、何時頃、式を挙げるのだね……」
彼は、その言葉を聞いて、満面朱を注いだ様になり、目を背ける
「来年の夏ごろと、考えて居ります……」
男は哄笑する
「遅いな。出征前の4月、日取りが良い時を選んでしなさい」
彼は、男の立場を考えながら、恐る恐る尋ねる
「ご命令ですか……」
常套句を返してきた
「要望だよ」
彼は、男の発言に帰伏した
「君には、何れ、重責を担う立場になって欲しいのだよ」
その様を見て、大臣とヤウクは、それぞれ笑みを浮かべる
ベルンハルト中尉は、同輩と共に立ち上がり、議長に最敬礼をする
右手に持った、軍帽を被ると、ドアを開け、廊下へ抜ける
ボルツ老人が待つ車へと向かうと、静かに宮殿を後にした
後書き
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