ドリトル先生とめでたい幽霊
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二幕その十一
「そしてね」
「堀もあって」
「難攻不落だったんだ」
「それだけ川が多いんですね」
「船場という地名もね」
「船着き場だったからですね」
「傍に海があって」
そしてというのです。
「淀川があってそしてその中に沢山の川があって」
「水運がとてもよくて」
「商業が栄えたんだ」
「それが大阪の発展の理由ですね」
「だから水の都と呼ばれていて」
そしてというのです。
「橋や堀にちなんだ地名も多いんだ」
「日本橋や道頓堀ですね」
「特に橋の地名が多いですね」
「本当に多いですね」
トミーもその通りだと頷きました。
「大阪は」
「市全体で」
「それもだよ」
「それだけ川が多いということですね」
「そして川が多いと」
「橋が多くなりますね」
「必然的にそうなりますね」
先生の言葉に頷きました。
「そうですね」
「それで江戸は八百八町と呼ばれていたけれど」
それがというのです。
「大阪ではね」
「八百八橋ですか」
「それだけ橋が多かったんだよ」
「そういうことですね」
「大阪ね、ちなみ人口は江戸よりもね」
「大阪の方がですか」
「多かったみたいだよ、あと町人の町で」
大阪はというのです。
「武士は少なかったんだ」
「江戸は百万の人口のうち半分が武士でしたね」
「各藩からも来てね」
「武家の町でもありましたね」
「武家の町の場所も多くてね」
江戸にはというのです。
「武家屋敷もね」
「並んでいたんですね」
「そうだったよ、けれどね」
それがというのです。
「大阪はね」
「武士の人が少なかったんですか」
「江戸時代はね、大坂城代の人がいて」
幕府のこの役職の人はです。
「奉行所もあったけれどね」
「江戸は南北で大坂は東西ですね」
トミーもこのことは知っていました。
「確か」
「そうだよ、それで武士の人もいたよ」
「いるにはですね」
「けれど何十万の中で数百人位しかね」
「いなかったんですか」
「だから死ぬまで武士を見なかった人もいるんだ」
そうした人もいたというのです。
「大阪はね」
「町人の町といいますが」
「そこまでだったんだよ」
「それで織田作之助さんもですね」
「その中で生まれてね」
そしてというのです。
「ずっとね」
「暮らしていたんですね」
「そのこともね」
「織田作之助さんについては」
「重要なんだ」
そうだというのです。
「東京とは全く違う世界に暮らしていた」
「そうだったんですね」
「根っからの町人で商売人の家にね」
「産まれていて」
「育って暮らしてその中にいたんだ」
そうだったというのです。
ページ上へ戻る