探偵オペラ ミルキィホームズ ~プリズム・メイズ~
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怪盗
華やかなパーティの席にーーしかし悪魔は潜んでいる。
着飾った女性のひとりに近づいた紳士が、当たり障りのない会話に続けて、言った。
「おお・・・、吸い込まれるようだ。すばらしいイヤリングですね」
「母が、求婚されたときに父から贈られたものなんだそうです。好きな方ができたと打ち明けたら、ぜひ付けていきなさいといって貸してくれましたの」
はにかむように、女性は微笑む。
「ほう・・・。それは、それは」
金髪の男の目に、剣呑な光がともる。
「是非、大切にされることですな。思い出というのは二度と買えない。他に換えの利かない、唯一無二のものですからね」
「そうですわね」
ーー「イッツ・ショウ・タイム。ーービジネスのハジマリです」
*
「・・・嫌な事件だね」
朝のひととき。
ベーコン・エッグを食べながら新聞を読んでいたウィルバーが隣の金の目の黒猫につぶやき、コーヒーをすする。
「なになに? 何か面白い事件でも起きた?」
「ウィルバー様?」
入り口の辺りをモップで拭いていたメイドが顔を上げ、探偵助手が紙束の向こうからーー棒付き飴を口にくわえてーー好奇心でいっぱいの目をそちらに向ける。
譲崎ネロ。日本の、ホームズ探偵学院の生徒で、今はここ、迷都ストックホルムに一年間の交換留学をしており、ーーアルバイト先を探していたということで、ウィルバーの仕事ーー主に事務仕事ーーを手伝ってくれている。自給は大体、卵の物価換算で20個と半分。
「譲崎君。勤務時間外のはずだ」
「カタイこと言わないー。この事件の報告書読んでると面白くてさ」
「片付けをお願いしただけだ。--読む必要はないよ?」
じぃっとウィルバーを見上げるネロ。
「僕はホームズ探偵学院の生徒だよ? 仮にも探偵を目指してる。内容に興味はあったって、不思議じゃないと思うな」
「休養も必要だ」
「あはは! 心配してくれてるの? 問題ないって。学科の授業中はたいてい寝てるからさー」
「ダメだろう、それはっ」
がた、と椅子を蹴立てて立ち上がったウィルバー。つかつかと、ネロのほうへ歩いてくる。
ーーで、通り過ぎた。
「--な、何?」
「客人だ。特に散らかしているつもりはないが、心構えというものがある」
「なぜ・・・、お客様が見えると分かるんです?」
モップを片付けた花梨が、丸いフレームの眼鏡を押し上げて尋ねる。
「窓から見えているだろう?」
「そうではなくて。なぜウチに見えるお客様だと分かるんです・・・?」
花梨が問う。
「勘だ」
探偵にあるまじき発言をして、コーヒー・メイカーからカップに中身を注いでいるウィルバーを、ネロと花梨、ふたり分の半眼が見つめる。
「経験とか論理的な推理とかじゃなくて?」
ポッキーを口にしたネロがーーいつもウィルバーは思うのだが、これらの日本製らしい菓子というのはどこから出てくるのだろうーー言う。
書類の積もっていた机の上を片付け、最後の一枚の書類で机の上を扇ぎつつ。
そうすると、上に積もっているホコリが落ちるものと踏んでいるらしい。
その同じ机にコーヒーのカップを四つと、水がひとつをウィルバーが置く。
「ある意味ではそうとも言えるね。探偵術は科学だと言う人間もいるが、犯罪というのは人間が起こすものだ。
同じ人間である以上、動作の動機や理由、体の構造が、全く異なることはありそうにない。
ゆえに、自己を投影した理屈でもある程度ーーいや、ほとんど全ての説明はつく。
元々、人間個体の差など、多種との差に比べれば1パーセントにも満たない瑣末なものさ」
ドアのほうへ向かうウィルバー。
ノックの音がした。
「だからある意味では経験とも言えるし、論理的な帰結ともいえる」
ドアを開ける。
あまり間をおかずにドアが開いて、驚いている顔の依頼人が、ネロの位置から見えた。
「--やあ、いらっしゃい。ウィルバー探偵事務所へ、ようこそ」
席へついて、ウィルバーがメイドを振り返った。
「悪い、花梨。砂糖とミルクを持ってきてもらえないか・・・?」
「かしこまりました」
一礼して下がるメイド。
立ち去ろうとするネロに、ウィルバーが言った。
「いや、ネロ。いてくれーーもし嫌じゃなければ」
「で、でも」
「”どうせ学科の授業中は寝ている”んだろう? だったら、ここで実地学習をしていってもバチは当たらないと思うな」
「やーだね。僕はマジメな学生なの。じゃね」
べ、と舌を出して言い、ネロは通学用の鞄を掴み、出て行ってしまう。
驚いた顔をした依頼人の脇を通り過ぎーー彼が連れていた小さい娘にぶつかりそうになり慌ててそれを避けてーー。
窓の下に走り去るネロの姿を確認し、ようやくウィルバーは息をつく。
「さて。お話をうかがいましょう」
*
「死んだ奥さんの形見を取り返してほしい・・・?」
午前と午後の授業を終え、再び探偵事務所を訪れたネロが、焼き菓子をつまみつつ、言う。
同じ建物の一階で営業しているパンの老舗のものだが、どうやら彼女の口に合うらしい。
「そう。例の”嫌な事件”の一端だね」
「なんでそんなこと分かるのさ? 新聞にそんなことまで出てないだろ?」
「独自の情報網というものがあってね。なぁ? ワトスン」
「にゃあ」
澄ました顔で黒猫が啼く。
「彼に一日、新聞社とか警察署とかの窓辺にいてもらうと、あら不思議、大抵のメディアは、忌憚遠慮なく、加工前の情報を見せてくれるんだ。にゃー?」
「にゃー?」
黒猫を抱き上げて一緒に首をーーそれぞれ右と、左に傾けて、ーー鏡写しのようにしている、探偵と猫。
はあ、とネロは溜息。
動物は好きだが、人間語を喋る猫は初めて見た。
ふと思いついて、ワトスンを膝に乗せ、さらにはぎゅうっと抱きしめてみた。
「・・・おいおい、照れるな、ベイベー。俺に惚れると怪我するぜ?」
「・・・、可愛くない」
がっかりとうめく、ネロ。
向こうで、ウィルバーとメイドがくすくすと笑っていた。
後書き
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