熊の我が子とずっと一緒
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第一章
熊の我が子とずっと一緒
ユーリ=バンテレンコとスヴェトラーナ=バンテレンシカの夫婦はロシアで生まれ育っている。二人には夢があった。
「熊と一緒に暮らしたいな」
「ええ、よく怖いというけれど」
妻は夫に応えた、夫は黒髪のしっかりとした体格の童顔で妻は灰色の目と長い波がかった金髪を後ろで束ね高い鼻を持っている。
「ちゃんと教育すれば」
「問題ないんだ」
「それに私達は熊が好きだし」
「出来たら」
「家族に迎えましょう」
こう話していた、そして。
二人は生後三ヶ月で母熊がいなくなり途方に暮れていて保護された雄の子熊を引き取って名前をステパンと名付けて家族に迎えた、だが。
二人の知り合いの日本人興津和幸眼鏡をかけて黒髪を七分三分けにしていて二人の住んでいる街にある日本のある企業の支社で勤めている彼が言った。
「熊を育てるなんて無理ですよ」
「そう思うかな」
「はい、危険ですよ」
こう言うのだった。
「ですから止めるべきです」
「大丈夫だよ」
夫が興津に笑って答えた。
「ちゃんと育てるとね」
「いいんですか」
「興津さんの心配はもっともだけれど」
熊が猛獣であることはわかっていてこう答えた。
「しかしね」
「それでもですか」
「そう、しっかりとね」
まさにというのだ。
「育てると」
「大丈夫ですか」
「そうだよ」
「だといいんですがね」
「安心してね」
妻も彼に言ってきた。
「ステパンは絶対にいい子としてね」
「お二人の家族としてですか」
「暮らしていけるわ」
「今はいいですが」
興津は子熊のステパンを見て心から心配する顔で述べた。
「果たして」
「だから大丈夫だよ」
「何も心配はいらないわ」
夫婦であくまで心配する興津に言った、そして。
二人はステパンを育てていった、興津は本当に大丈夫かと思ったが転勤で日本に戻った。この時も彼は心配だった。
そうして二十年後彼はまたロシアに来た、勤務先は夫婦がいた街だった。その街に戻って来た時彼は。
二十年前より腹が出て顔に皺があり髪の毛も白くなっていた。だが二十年前のことは覚えていて街に戻ると。
夫婦の家に行った、夫婦はずっとその家で暮らしていたが。
ステパンもいた、子熊だった彼はすっかり大きくなっていたが。
「えっ、襲われたことはですか」
「一度もないよ」
「毎日お野菜やお魚、卵を二十五キロ食べているのよ」
夫婦で再会した興津に笑顔で話した。
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