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黄泉ブックタワー

作者:どっぐす
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第一章 それは秋葉原にそびえ立つ魔本の塔
  第2話 きっと、いい人間だ

 青年を連れてファーストフード店に入ったアカリは、窓際一番外れの、二人掛けテーブル席に陣取ることにした。

「もー。私にしか見えないようにしてるんなら先に言ってよ。ここ、会社の近くなのに。他の社員に見られてたらどうするの」
「アカリ。このフライドポテトってやつ、おいしいな!」
「ちょっと。聞いてるの?」

 小さな丸テーブルには、お昼のセットメニューが二人分。
 快調にポテトを口に放り込んでいく青年を、アカリは睨みつけた。

 今は青年の姿も他の人間から見えるようにしてもらっているが、褐色肌のうえに服がタンクトップとショートパンツである。オフィスカジュアル姿のアカリと二人組というのは、だいぶ浮いているのかもしれない。

「聞いてるって。そこまで考えてなかった。悪かったよ。でもお前、さっき思いっきり叩いただろ。まだほっぺがジンジンしてるぞ」

 青年はあっという間にフライドポテトを平らげた。だいぶその味を気に入ったようだ。

「あっそう。で、人間様にぶっ叩かれた感想はどうでしたか」
「んー……そうだな。結構よかった」
「叩かれてよかったとか、変態なの? 気持ち悪いね」
「変態じゃないぞ。学校でも家でも叩かれたことなんて一度もなかったから、新鮮だったんだよ」
「そんな優等生には見えません」
「うるせー。見えなくて悪かったな」

 突っ込みを入れながらも、あの塔の中には学校も家もあるのかと、アカリは密かに驚いていた。
 あらためて、目の前の若い青年を見る。
 先ほどからいちいち言い返してきてはいるが、表裏のなさそうな、素直な顔。今は羽も出ていないし、普通に人間の好青年という感じだ。

「ん? 俺の顔に何かついてんのか?」
「なんでもない」
「ふーん。じゃあ、もう信じてるだろうから。もう一度言うぞ?」

 やはりあっという間に平らげてしまったハンバーガーの包み紙を畳み、アイスティーを一口飲むと、青年は言った。

「お前の願いを一つだけ叶えてやるよ。人間なら一つくらいあるんだろ? 悪魔にお願いしたいこと」

 今度は、茶化す気にはならなかった。
 ならなかったのだが、純粋に困った。

 悪魔にお願いするようなこと――たとえば、嫌いな人を消したり?

 嫌いな人はいた。
 特に、会社で自分のOJTの教育担当になっていた先輩社員とはうまくいっておらず、顔を合わせるのも嫌なくらいだった。

 だが死んでほしいかと言われると、そこまでは思っていない。そうなったところで、自分が幸せになるわけではないからだ。
 それに、うまくいっていない原因が自分のコミュニケーション能力の低さにあることは自覚している。自分が今のままである以上、仮にその先輩社員がいなくなったとしても、代わりにくる先輩社員とまた同じような関係になるだけだろうと思っていた。

 まあ、自覚しているのに変わろうとしない自分もどうなのかなと、アカリは心の中で自嘲する。

「せっかくなのに悪いけど、悪魔にお願いしたいこと、別にないんだよね」
「ない?」
「うん。苦手な人はいるけど。殺したいとまでは思わないし、病気にしたいとかそんなことも思わないし」

 そう言ってアカリがアイスコーヒーのストローに口をつけると、青年は少し慌てたように、両手を前に出した。左手に持っていた本は膝の上に置いてあるようだ。

「おいおい、なんか勘違いしてないか? そんな願いじゃなくて普通の願いで頼むぞ」
「あ、そうなんだ」
「そうだぞ。でも、殺したいとか病気にしたいとか思わないってことは、アカリは優しい人間なんだな」
「え。なんか大真面目にそういうの言われるの、恥ずかしいんだけど?」

 唐突に誉め言葉を言われたので、調子が狂った。思わず横の窓のほうに顔を逸らしてしまう。
 気を取り直して願いごとを考えることにしたが、やはりうまいものは浮かんでこない。

「うーん、思い浮かばないな。適当だけど、やる気が出ますように、は?」
「抽象的すぎて無理だな。他ので頼む」
「じゃあ、いい気分になれますように」
「お前変なクスリやってないか? 大丈夫か? それも無理だよ。もっと具体的なもので頼むぞ」

「なんかめんどくさいね。具体的にって、たとえばどういうの?」
「札束をくれとかだったらできるぞ。ポンと出せる。人間はそういうのが好きなんだろ?」
「いや、別にいらないし。未婚だし親と同居してるから、貯蓄は勝手に増えてくよ。それに、お札って番号振られてるはずだけど? どっかからワープさせるのかゼロから作るのか知らないけど、どちらにしろ犯罪になると思うよ?」
「む、そうなのか。じゃあ金塊が山ほどほしいとかでもいいぞ。たっぷり出せる」
「どこに置くのよそれ。うち置き場ないよ」

 二連続で問題点を指摘すると、ミナトは降参した。

「やっぱり人間じゃない俺が考えてもだめかー。なんとかお前がひねり出してくれよ。俺がちゃんと叶えるから」

 投げ返ってきたボールを受けると、アカリは両腕を組み、ふたたび考え込んだ。
 だがやはり、願いが思い浮かばない。ほしいものがない。
 自分は欲がない人間。無欲無私、高潔無比。素晴らしい人格者なのだ……というわけでない。

『人生に希望が持てていないので、なんかもう、どうでもいい』
 少し大げさではあるが、そう思っていたからである。



 どうも自分は、この世の中に合わない体質になってしまっているのではないか――強くそう感じていた。

 エリート主義の両親により、小中学生の頃は塾と習い事漬け。高校生になっても一年生から予備校通い。部活動などにも一切参加せず。親友と呼べるほどの仲のよい友達はできなかった。
 成績だけはまともだったおかげか、いじめの対象にまではならなかったが、楽しかった記憶などもない。学校行事なども苦痛で、ただ早く過ぎればいいと願うだけの時間だった。

 大学は一人で勉強だけしていればよいので、楽になるだろう――そう期待したこともあった。
 結果は残念ながらそんなことはなく、語学や専門科目では横のつながりが必要なことが多く、さほど楽にはならなかった。しかも三年生からはゼミへの所属が必須で、連日ゼミ生や院生、教授らとの付き合いが必要になり、うまく溶け込めないアカリには苦痛度が増した。

 そんな中、不満のはけ口になってくれていた唯一の人間が、祖父だった。
 祖父は定年退職するまで大学教授をしており、エリートといってよい経歴の持ち主だった。
 だが両親とは違い、アカリに勉強を強要してくることはなかった。却下されていたが、「もっと遊ばせてやったらどうだ」と両親に言ってくれていたこともあった。

 年相応の説教臭いところはあれども、基本的にはどんな愚痴でもきちんと聞いてくれて、優しく励ましてくれた。大好きで、尊敬していた。
 ただ――。

「どうせやるなら楽しまなければ損」

 常日頃から説教とセットで言われていた祖父のその言葉については、笑いながらハイハイと聞き流していた。
 どう考えても、楽しめそうなことがないような気がしていたからだ。

 大学三年生の終わりから始まった就職活動は、うまくいった。
 成績証明書はほとんどB評価以上で埋まっていたし、適性検査も対策していたので、書類や筆記試験で落ちることはほぼなかった。面接だけは心配だったが、わりと肝は座っている方だったこともあり、協調性がなくて友達がいないということがバレることもなく。
 結果、両親の要求どおり、上場企業へ総合職として採用された。

 だが、やはり入社してからは困ることになった。
 他の社員――特に先輩社員とうまく付き合うことができなかったのである。

 同じ女性総合職の先輩がOJTの教育担当についていたが、おそらく不愛想で可愛げのない後輩と思われているのだろう。新人いびりに近いようなこともされたことがあり、内心ではお互いに嫌いという状況だったと思われた。その関係は今も続いている。

 他の同期入社の人たちを見ていると、すぐに先輩社員との距離を詰めており、うまくやっていた。
 懐に入る――それが他の人間は上手なのである。
 否、自分が下手すぎるのだろう。そんな自覚もあったのだが、打開することはできなかった。

 これで仕事自体が楽しければ、まだよかったのかもしれない。
 だが最初に配属された部署は、希望していた経理課が人員過剰とのことで、あまり希望していなかった総務課だった。
 人間関係もダメ、やっている仕事も希望と違う。そんな状況で楽しいわけがなく、会社員生活一年目は、すぐに苦痛なものとなった。

 そして、とどめを刺されるような出来事が起きた。
 祖父が、六月に急死したのである。

 心の支えになっていた人がいなくなったからだろうか。暑くなってきたころには、アカリは徐々に体調を崩すようになっていった。寝つきの悪い日が増えてきて、体が重く、気分も悪いことが多くなっていった。
 両親は普段相談できる相手ではなかったが、体調があまりよくないことは一度言った。

「そんなのはただの甘えだろう。たるんでいる証拠だ」

 しかし、そのように一蹴されてしまった。
 両親の頭の中には、優秀な成績を修め、名の知れている大学に進学し、上場企業に就職することが一番と考えている節があった。
 その意味では、現在のアカリはおそらく両親の求めていたスペックを満たしている。敷いたレールから外れることは許さん――そんな圧力を感じた。

「生きていれば、きっとそのうちよいことはある」

 生前の祖父は常日頃そうも言っていたが、少なくとも今のところは〝ない〟。
 この先にあるという希望も持てない。

 せめて、祖父のような、愚痴を言える相手が身近にいてくれれば……また気分も違うのかもしれないが。

 ……。

 ん? ちょっと待った。
 そうか――。

「おいアカリ、どうした? ボーっとして。ちゃんと考えてくれてるのか?」

 回想、そして思考が終わるのと、そう話しかけられたタイミングが同時だった。

「うん。考えてたよ。願い事、決まった」
「お! そうか。何にする?」

 身を乗り出すように聞いてきた青年に、アカリは言った。

「私のおじいちゃんを、生き返らせてよ」 
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