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或る皇国将校の回想録

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幕間 安東夫妻のほのぼの☆東洲再建記
第一章安東家中改革
  安東家中大改革(上)

 
前書き
【安東家中大改革】
かつて、将家とは皇主と中央政府の権威を代行する統治者であった。
諸将時代に中央政府の実力が失われると、将家が軍閥の主に変遷すると、
よりその地域の利権に食い込むために当主と土着の実力者である家臣団は利害の面で密着し、利益代弁者としての側面を持つようになった。

 国内の安定を目的として五将家が中央政府を再建し、行政を取り仕切る様になると、徐々に皇都を中心とした政財界の再編が進むと、将家は中央・地方政府の高級官僚であり軍事指揮官であるが故の特権階級と変質してゆく。
しかしながら土着の家臣団の自己認識は、自分達は土地を支配し利権を牛耳る者であり
将家の当主はその利益代弁者である、という旧弊的なものであった。

 とりわけその色が濃かったのは龍州と皇都を結ぶ不破原と皇龍道を支配してきた安東家であった。 
 大街道の主、安東家にとって皇都を中心としたる経済と政治の安定は莫大な利益をもたらす筈であった。

 だが実際には重臣団の既得権益の増大による内部争い、増長、そして必然的な非効率化による衰退が始まった。
 その安東家が内乱により壊滅的な被害を受けた東洲を恩賞として受け取り、旧領を返上した時には安東家は過去の清算を果たせず破滅への舵を切った――周囲にはそう見做されていた。
 

 
皇紀五百四十四年 十二月 某日 皇都 某料亭 
”東洲公爵”安東家 公子 安東光貞

 東洲乱の戦後処理が終わり。いよいよ安東家は肩書を関州公爵から東洲公爵に改め新たな本貫を掌握しようという頃であった。
 東洲公と肩書を変えた安東家の後継者、安東光貞は二十の半ばを迎えいよいよ嫁を迎えよう、となったのである。
 この縁談を提案したのは叔父である安東吉光、父の弟で政治的な参謀役を務めている切れ者だ。執政府内で巧みに動き回っている大物である。

「海良の御家”は”大変だと存じます、だからこそ、我々は手を取り合うべきです」
 海良家は東洲灘のいくつかの島を支配している小将家だ。儀礼を省いて言えば――海賊衆と呼ばれていた者達の中でも特に強力な家であった。
 目加田公の東洲乱の際に東洲公を裏切り皇家の直参となった(名目上は)

「そうでございますわね。安東の御家も御国の為に御苦労なさっていらっしゃいます」
 そう答えたのは海良瑠衣子、海良家当主の長女である。二十を越して数年。
 本来であれば五、六年前に嫁いでいるべき年である。
 切れ長の目と引き結ばれた唇、そしてそこから発せられる野戦で鍛えられた指揮官の如き良く通る声は、男で船に乗れる立場なら文句なしに当主となったとの評判が嘘ではないと感じさせる一種の覇気を感じさせる。
 眼鏡を通して鋭い視線を飛ばし、知恵者でとりわけ数字に強いと評判が嘘ではないことを示している。

「ハハハハ、耳が痛いことをおっしゃる」
 光貞は思わず苦笑を浮かべながら、あることが気にかかった。
「瑠衣子さん、よろしいですか?」

「はい」
「私の名誉にかけて今ここで話を聞けるのは我々だけです。番の者達は互いに一間あけて護衛についています
――直接的にきかせてくれ。貴方達は東洲と我々の問題をどの程度把握している?」

「‥‥何故私のような女にそのようなことを?」
「君、我々は龍塞を眺めて暮らしてきたのだよ、女性の知恵を借りるに恥ずるつもりはない。それに私は――その、なんだ。父のような綱渡りはできないのでね」
 光貞は自身の顔が紅潮するのを感じながら声を上ずらせないように呼吸を整えた。
「父は批判されることも多いが無能ではない。私も努力はしてきたつもりだが――英康殿ののように果断でも、保胤殿のように理性と徳を持ったわけでも、信置殿のように機知と柔軟さを持っているわけでもない。だっだからこそ私は信頼できる相手が欲しいんだよ」

 瑠衣子はポカンと顔を赤く染めた癖に縁談で話すべき内容とも政治的駆け引きの場で話す事ともかけ離れた内容を話す光貞を眺めた。

「君は計数に強く海良の勘定を切り盛りしている程だと聞いた。どうだい、話せるかね」

「‥‥していいのならします。私は帳簿を眺めて世の在り方について学んできましたので」
  婚姻ではなく領土の切り分けを相談する将家当主同士の会談かのような口調のまま彼女は続けた。
 眼鏡越しの眼が愉しそうに光った。計数に強いと聞いてはいたが好んで切り盛りしていた人間だな、と光貞は確信した。

「明貞公は東洲を手に入れたかったのではなく、重臣を黙らせるためにこのような愚行をしたのではありませんか?」

「直接的な御方だ」
 あまりに露骨な言い草に光貞はクスリと笑ってしまった。
 五将家は――否、諸将家の大半は皇家の血を引く陸兵総官を世襲していた耶麻城家の血を引くと主張しているが実際の出自はさまざまである。
 守原家は皇都の西につながる要衝を本貫とした正統な領主であり、宮城が実力を失ってからも時に利用しつつ支援を続けていた名門である。宮野木家は宮内の修繕を司った立場から御料山を領地として与えられたところから始まった宮廷文官の出身である。
 駒城は皇家に馬を献上する宮牧の長となった地域の実力者から身を建てた。西原は皇家によって西領を管理する府の高官(少なくともそう自称している)から西領の覇者となった。
 そして――我々の領地は不破国と虎州北部であり、代々皇家の為に東方を鎮守する武漢である。出自の点からは紛れもなく名門だ。
 支配する土地は豊かでその立地は莫大な富をもたらしたが――その豊かさに安東家は悩まされてきた。 皇都と龍州を結ぶ皇龍道と虎城からその大街道に流れる河川。そして港湾。
 そこには多種多様な利権があり、要所を抑えるいわゆる【知行持ち】の重臣団は極めて強い力を持っていた。それらの調停と均衡を保つ役目を担ったのが安東家である。

「【関所の関州】、ハッキリ申し上げますがその悪名は安東家の家風の象徴でしたから
 皇龍道の知行持ち重臣はあちらこちらに関所を建てて税を取り立てた。
特産品よりも流通による収益が齎される事が原因であったが――駒州の関所撤廃政策により関州の経済は皇都の経済発展から一時的に取り残される事となった。
「‥‥‥一つ違うよ。であったではない。【である】なんだ」

「ですが東洲へ移る際に関州の返上は――」
「執政府が三年間、結構な支援金を出すんだよ。それこそ関州の収益を上回る程のね」
 香気を楽しむ事もせず光貞は黒茶を飲み干した。
「――それほど羽振りよく振舞うくらい。執政府にとっては邪魔だったんだよ。【関所の関州】があそこの居座るのはね」
 叔父である安東吉光が引き出したのであれば素直に喜べるのであるが、官位を金で買った衆民が多数を占める天領経営の役所である改革派内務省が提案したのだ。
 五将家の干渉を嫌う皇都の資本家の走狗である内務省が金を差し出し本貫から追い出そうとするのは光貞にとっては愉快ではない。

 瑠衣子は当然だ、と露骨に態度に示しながらそれは道理ですね、と返事をした。

「そうだよ、まったく道理だ」
 だがその冷たさが光貞には心地よかった。いや、そう意味ではなく。

「東洲の問題は言うまでもないかと思いますが、安東家としての観点で申し上げるのであれば――数年のうちに黒字を出す事ですね」
 ふむん、と支援金の金額を聞くと扇子で肩を叩きながら少しだけ考えこみ、瑠衣子はにこりと笑っていった。
「‥‥安東の御家が東洲を支配する、海良の家はその勘定を管理し、特に商工の運営について責任を持つ。それでいかがです?」

「責任を持つのは私だよ。君の夫になるのだから」
 では貴方に対して責任を持ちましょう、と瑠衣子は楽しそうに言った。

「ふむ。東洲灘の海良水軍といえば目加田公の重臣の中でもよく知られたものであったが尚武のみではないということか」
 過剰評価ですよ、と水軍統領の娘は苦笑し、頭を振った。
「海賊衆・水軍衆といえば勇壮に聞こえますが、我々の食い扶持稼ぎは商人の雇われ警備という名の通行税の徴収、そして交易です。将家の戦史に刻まれるような戦は言ってしまえば商人の雇われ警備の延長に過ぎないのです」

「……であるからには荒廃した東洲は君から見ればもう価値はないのではないかな?」
 私の挑むような問いかけに彼女はじゃれつく子犬を見るような笑みを浮かべて答えた。


「それで君の学んだ視点から我々はどう見ているのか教えてくれないか」

「10年前、あなた方は見事にこの国を統べる体制を作り上げました。
それから10年、経済的な相互依存は増し、流通は膨大なものとなりました。
一般的な水軍衆はその恩恵を受けたものです‥…‥先ほど申し上げた一般的な水軍衆から我々は外れます。どのみち我々は衰退する可能性が高かったのですから」

「……ふむ、その理由は?」
 弱みを晒すのか体制への恨みを誤魔化すのか、と疑年をもってあたる。
押しが弱い、御人が優しいなどと云われているが、それは褒められているわけではないのだと、後輩にあたる保胤君の評判と自分の評判を比べればわかる。
 相手を良く評価するのが悪い事ではない、悪い面を想定できないことが――自分の能力の欠如なのだ。

「この数年間、連続して発生した内乱は豊公、南嶼、龍州、そして東洲です。
つまりは――」

「あぁなるほど、南廻航路ということか。君達は伝統的に皇都との結びつきが薄い。
西領と南嶼、そして東洲、龍州と北領を結び、栄えてきたが逆に言うと駒州や護州を相手にしても御用商人ほどではなく、中枢である皇都ついては新参に等しい扱いであったということですね」

 瑠衣子嬢はほう、と感心したようにうなずいた
「お見事です、言うべきことがなくなってしまいましたわ」
「ひどいな、これでも私は経世済民の端くれに携わっているのだよ」

「フフフ、失礼いたしました、えぇおっしゃる通りです。
商業における権力は皇都に通ずる大商人にすべて帰するところになりました。
彼らは護州、宮野木、そして西原家といった大貴族と連携して台頭してきたのです。
我々は目加田公を強力に手助けしました。彼は東洲の統一に尽力し、駒州公や護州公との結びつきを強めていました」

「‥‥‥だが皇家と執政府への影響は制限されていた」
 本来であれば東海艦隊も海良家が司令部主流を務めてもおかしくなかった。だがあまりにも土着勢力として強すぎたことで彼らは東海艦隊の戦隊司令官として編成された。艦隊司令官には五将家の分家筋など家格の高い者が就任することになっている。

「‥‥‥えぇ、そして公は蜂起し、独立国を作ろうとしました」

「そして海良は賛成しなかった」
 瑠衣子は寂しそうに笑った。
「反対しました。勝つことは決してできませんから――いえ、世辞ではありません。
例え東洲が生産能力は独立にふさわしかろうと、輸送を行う我々の東洲灘は係争地になる。
皇都の廻船問屋どもにとっては一時の損で大いに利益を得ることになります。
目加田公が勝とうと我々は彼に完全に支配されるまで痛めつけられることは決まっていました」

「そして目加田公を捨て、今度は我々と結びつこうとしている」
 独立宣言の使者が宮城を出てから小半刻もせずに宮城に駆け込んで執政相手に目加田公の臣下からの独立と目加田公への宣戦布告を報告、救援を要請東洲灘より手持ちの船を総動員して回して駒州の港から皇国軍を移送したのだ。


「えぇその通りです。我々は水軍の居るべき場所で公的な地位を得る事は最早かないませんでしょう」
 叛徒の家臣であった過去は内応しても消えるとは限らない、ましてや〈皇国〉を支える体制が水軍という天領の金で重臣団に階級と栄誉を保証できる限りある役職を奪い合うのであれば。
 ――成程、海良はこれが欲しいのか。と光貞は頷いた。
 屈辱であり衰退を押し付けられたこの情勢。だからこそ安東の内部に入り込みたいのだ。
 
 光貞に向かって瑠衣子は頷いた。
「えぇその通り、お互いの繁栄のために必要だと存じます」
 目を逸らさない。家の利益を互いに提供し合い、それについて論じ合う。そこに個人は存在しない。

「なるほど、わかった。海良を信用しよう。それに私に欠けたものをきっと君が補ってくれるだろう。
私個人としても君と良き人生を送れると信じる。貴方にとってもそうであるように努力しよう」
 瑠衣子嬢もニコリ、と微笑を浮かべた。
「いえ、我々が東洲公爵家に連なるものとして扱われるのであれば、海良の家としても大いに助かるでしょう。
私個人としても良き人生とならんことを、貴方にとっても、私個人としてそうなれるよう努力します」

 この日、安東家と海良家の縁談は無事にまとまった。東洲復興に向けて安東家はまず一歩を踏み出したのである。
 



皇紀五百四十五年 四月某日 東洲州政庁 貴賓室
”東洲公爵”安東家公子正室 安東瑠衣子


「農業復興を優先‥‥農業用水路再開発‥‥え?ここも?」
 瑠衣子が可愛がっている弟――本人からすると異論があるだろうが――である海良末美はとがった顎を撫でて首を傾げた。
 陸軍将校ではあるが海良水軍として必要な知識は商人としての知識を含めて一通り叩き込まれている――陸軍の道を選んだのは父親が東海艦隊で受けた扱いから将家と結びつく道を採ったからである。

「民草を飢えさせるのは恥だそうよ、それに家臣の土地に必ずしも大戸山地に面しているわけでも鉱床があるわけでもないから仕方がない、ですって」
 〈帝国〉風の装飾が施された眼鏡を外し、瑠衣子はこめかみをもんだ。
「‥‥なるほど、しかし来年どれほど穀物を取れるのか、収入の見通しはどうなのです?
鉱工業の再建より先にこちらを優先する理由は?
数字でどうにか説得できませんか?」

「”瑠衣子さんの意見はまったく道理だけど家臣の理解を得られない。優先順位の変更は以前、私が説得して回ったのだけどダメだった”ですって」
帰ってきた返答は危機感がないのかやる気がないのか!

 末美はおやまぁと苦笑を浮かべた。
「それはそれは、流石は長評定が名物の御家だけある」

 扇子を弄びながら瑠衣子は苛立たし気に早口でまくし立てる
「まったく黙って聞いてやれば、誰もまともな案の一つも出せないの?
この期に及んで関州の関所守気取りで金の出ない権益に胡坐をかいてるんじゃないわよ!
そんな舐めた真似ができる状況じゃないことぐらいわかりなさいよ!!」
 嵐の如き姉の怒りから逃避して末美はそっと窓の外を見る。東洲の自然は戦火を経てなお雄大であった。
眼前の恐怖の対象を意識から消すのもこれも将校の求められる危機管理能力の一環なのだ。多分、きっと。

「ここの連中はどいつもこいつも役立たず!
状況の変化に飛び込んだ癖に伝統にしがみつく不合理!
軍事も政治も集権と中央の確固たる存在こそが力であると証明されているのに
”軍人”と”武人”の区別もつかぬ間抜けが跋扈し
それに要らぬ遠慮をして外に頼る役方と振り回される次期当主!
そして当主は確たる方針も出せずに無責任に皇都の政争にかまける始末!
分かった。光貞さんの言う通りこの公爵家とやらは私達が面倒をみないと駄目よ」

 意識に飛び込んできた内政干渉を示す言葉に末美は慌てふめく、父も便宜を通して利権を握ることを計画してもそこまでは言っていない。
「め、面倒を見るって‥‥姉上、どうするつもりですか。あまり無茶をして放り出されても困りますよ、せっかく人格より能力を見る珍妙なもらい手がゴボォッ!!――」
 いつの間にか扇子が鳩尾に突き刺さり悶絶する弟のこめかみに矢立を押し付けながら瑠衣子はため息をついた。
「私だって本当は気楽に旨い汁を吸いたかったのよ。
東洲の海峡から出る蜜は私たちのもの……東海艦隊に食い込めなくても本命の商売を牛耳れば何も問題ない。でも蜜を出すには木を枯れさせてはならない。
この東洲を皇都のすぐ隣にある不破原と同じ気分で切り回されてはたまったものではない。
我々はこの家の仕組みを変えるところから始めないといけない。聞いてるの末美」

「はい、姉上!聴いております姉上!」

「皇都の父上に連絡、財務と商工ができる文官を早く持ってくるように」
「えっでもそれ夏頃に向こうから引き出させる予定では……」
 矢立がこめかみにめり込んだ。

「末美」「はい姉上!喜んで行って参ります姉上!」

「それと文官連中にここに来るまでに基礎的な素案をまとめるように、必要なら導術を連れて皇都から見積をとるのも許可します。
末美、貴方が父上を動かして安東公閣下に手回ししなさい」
 自由を取り戻した末美は飛び起きると常に尊崇している海良家の偉大なる太陽にして弟の指導者である海良瑠衣子への忠誠を新たにした。
「遵命!大姐!!」「よろしい」
 はーっまったく、と舌打ちをしながら瑠衣子は安東家重臣団の知行地と海良家が所有している東州の商業統計を書き込んだ台帳をとりだし、黙考を始めた。



 およそ2月後の安東家評定に瑠衣子は微笑を浮かべ座していた。
 彼女が引き連れているのは文官……というよりも皇都の大店勤めのような風貌の男達だ。年長の者でも四十半程度と年若い。
 元々皇都にいることが多かった【初代東洲公爵安東家】当主安東明貞が海良の送り込んだ文官達に内治の実権を譲り渡すのにそう時間はかからなかった。
 将家の党首とし目加田公と渡り合った猛将であり、五将家体制を構築に貢献した縦横家であったが『太平の富を生む』土地を作り上げるには安東家が代々築き上げてきた当主と家臣団の力関係が悪しき作用を働いていていた。
 安東家は不破原と虎城皇龍道域を支配していたことで竜塞に近く、女性が強い家風だったことも実権を夫と共有する事を許したという事もあった。

「工業と鉱山を優先します、農地は放置して駒州公に穀物支援の打診を。護州からは建設事業の誘致を、難民の雇い入れと給与の支払いを確保させてください」

「郊外の農地をつぶして他は工業と商店、造船用の区画に、大戸山地と鉱床沿いの川を水運を優先させて」
 
「農業は指定した区画にのみ、従うものには当座の仕事と給金、そして就業支援を」
 事実上の行政総括となった安東瑠衣子の相次ぐ改革に対し、従来の重農政策の維持と封建領主の権限を護ろうとする一部の重臣は当然抵抗したが若殿である安東光貞はそれを推し進めようと家臣団の屋敷を回った。
「‥‥我々が 独自に財源を構築するのであればそれを支援し、干渉は最低限に留める、と言うことは間違いないのですね」
 瑠衣子は柔和な微笑を浮かべ頷いた。
「我々も出資するのは吝かではありません。あぁもちろん自助が困難というのであれば商人や州政庁の吏員が協力しましょう。
主家の意向として家臣達の権限を犯すのはあくまで緊急時ゆえのやむを得ぬ措置であることを理解していただきたい」
 何名かは自身の領地について思案し納得したのか”若奥方”と”若殿”に一礼をし、大殿に深く頭を下げ恭順の意を示した。
 瑠衣子は彼らの努力についてはなんら奸計を巡らせてはいない。
 彼らが自分なりの工夫をするのであればそちらに投資するのは悪くない、金を稼ぐ手段は多ければ多いほど良いと考えていた。
 こうして少なからぬ者かは妥協し、一部の利権を主家と共有することになった――大規模な出資により黒字化が見込めるところはかえって富を得られた者もいた。

 だがそれすらができぬ者も居た。
「お待ちくだされ!そうした都市部は御主家と分家が大半を抑えております」
 戸守寅英、家臣団の中でも武門の重鎮の老臣である。彼は不破原の知行取りで大派閥を築いている。
「えぇそうなりますね」
 彼らは旧領では農地とそこから徴兵した兵卒を率いていた男達である。分権的な体制を支えてきたのは彼らのような男達であった。
「それでは我々は領地から領民を引き抜くことになる!それに我々の収入はどうなるのです」
「そうだ!それにこの計画にある水門は我々の領地にある!大殿といえどここの再建も利用も我々の裁量であることは変わらない筈です!」
 彼らは瑠衣子に視線を向けず、公爵親子にのみ目を向けている。

 瑠衣子は微笑を崩さないまま目つきがわずかに鋭くなった。
「そちらへの食糧は無利子で貸与します。徴募に応じた頭数だけそちらにも幾分か資金を融通します。復興総局に出仕するのであれば俸禄を支払いますし、業務を丹念にこなせば昇進も考慮しましょう」

「‥‥殿!!」
 彼らはそれを無視して”大殿”である明貞公につめよる。
「うむ‥‥商工の復興後に農村部の再開発を行う計画だと聞いている――光貞?」

「はい、えー‥‥今は物流と商工業の再建を優先するべきです。収入が安定すれば駒州などから支援を受けながら農業の再建に取り組めます」
 光貞が慌てて頷いた。

「お待ちくだされ!それでは商工の為に我々の領民を金で奪い取るという事ではありませぬか!」

 クスクスと笑い声が響いた。
「領民?その何割が難民です?何人が田畑を耕せておりますか?
飯も食わせられず、田畑も整えられるのモノを誰が”殿”と認めています?
今必要なのは金子と領民を安心させる賃金です、金子があれば食糧が入ってくる、他に必要な物も何もかも多少の不自由はあれど店に並ぶ、それが大切な事です。
貴方達がそれをできず、我々に何も生みだせぬよう民草を抑えつけ我の我のと騒ぐなんて」
 瑠衣子が扇子で口元を隠しているが、その裏に浮かんでいるものは誰の目にも明らかであった。
「‥‥失礼する!」
 憤然と出てゆく武人でござい、と”だけ”背中に書いてある連中を見て瑠衣子は莫迦にしたような笑みを浮かべて見送った。 



皇紀五百四十五年 五月某日 東洲州都 東ノ府
”東洲公爵”安東家 公子 安東光貞

 銃を背負いで行進するのは二百余名ほどの兵達――ではない。そう、彼らは陸軍兵ではない。
 ”東洲復興総局特志保安隊ハ東洲復興業務ニ於イテ東洲ノ復興ニ際シ必要ナル公安維持ノ職務ヲ掌ル、州公営普請及ビ其他復興ニ際シ必要ナル政策実施ニ対スル犯罪並ビニ治安判事ノ認ムル事項ニツイテ捜査スル事ヲ得。
 特志保安官ハ東洲復興ニ際シ公安維持ノ職務ヲ掌ル州政庁ノ吏員ナリ、州政庁並ビニ鎮台ノ協議シ定ムル規定ニ从ヒ、復興総局事務総長之ヲ任ズ。”

  この条文を州諸令典に書き加えることで特志保安隊は生まれたのだ。瑠衣子の手腕は確かに辣腕であった。内務省の横車を受けず、家臣団の干渉を受けず復興事業の一環と押し通して安東家独自の治安機関として作り上げた。
 吏員は本家直属の兵下士官と関州の治安維持要員を引き抜いている。

「東洲州政庁復興総局特志保安隊の新設を記念しまして、東洲軍参謀長並びに州政副長官の安東光貞閣下よりお言葉を頂戴いたします」
東洲公である父は先の一件から完全に私――と瑠衣子に内治を任せ、皇都から動かない。 私は内地と東洲こまめに往復をしているが未だに父が何を考えているのかわからない。
「あー、諸君らはこの土地を襲った恐るべき災いからの復興に際し安全に全ての民草側が往来する為に志願をした。
我々はその志を実現する為に一丸となり――」
 苦手ではあるがやらねばならない 汗を拭きながら壇上から降りるときには疲れ切っていた。こうしたものも如才なくこなす保胤君は立派だな、と年下の公子への劣等感がうずく。

「ご立派でした若殿様」
 出迎えた瑠衣子は丁寧に汗を拭う。彼女は彼女で親愛をもって接している。叔父の安東吉光などは気質が逆であればなおよかったのだおるが、と肩をすくめていた。
 それはともかく瑠衣子を受け止め献策を実現させる為に押しが弱くとも尽力する誠実さは彼女にとっても得難いものであった。
「彼は?」「皇都から若殿様にお目通りを願っておりまして」
 末美が連れてきたのですが――と普段は光貞に単刀直入を旨とする瑠衣子は珍しく言葉を濁した。
 光貞が

 眼鏡をかけ人の好い質屋の手代のような顔をしている。
「やっやっ始めまして閣下。工部省鉱工寮の嘱託調査員をやっております宮浜と申します」
 宮浜の自己紹介を聞いて光貞は顔を引き締めた。
「工部省の嘱託か」
工部省は守原家と宮野木家の牙城だが実務を担う者に衆民が増えているという――天領を統治する官僚の中には公然と衆民に外注を行う者すらいる。
 内務省の故州伯子、弓月由房卿も加わっている|急進改革派官僚団(ラディカルギャング)は公式に官吏として登用しようとしていると聞いている。
「こちらへの投資誘導を兵部省と合同で行おうと思いまして、それに適した土地かどうかの調査に参りました」
 穏やかそうな笑みを浮かべるが目は笑っていない。
「調査、調査か」
 官吏達は今どこもそこも情報網を作ろうと躍起になっている。天領は商人達から農民まで好き勝手にやった――規制を行うだけの統治能力が中央になかった事が原因である――ため、ようやく中央が皇都を掌握し、自由化に対する徴税能力、把握能力を高目用としたときには天領はあまりに各地で異なり、複雑怪奇な状態になっていた。
 土地に関する所有権に関する法整備に失敗し、”合法的脱税”を数年間認める羽目になり――更には龍州乱に際しそれが火器の移動に利用されたことで五将家も本腰を入れて調査を始める事となった。
 ”地域ごとに色合いの全く異なるばらばらの諸将家の前例に則った自治に任せ、ようやく慌てて整理しようとするからこんな無様をさらすことになる”と事前の調査を求めていた――そして中央が大量の人員を使う前例を恐れた五将家に却下された――改革派達の間では囁かれていた。
「はい、閣下。鉱工寮は天領を始めとした各地域への鉱工業開発支援制度の運用が主ですが――」
 ちらり、と見た先にあるのは破壊された工場を利用した仮設住宅だ。
「東洲の再建は我々にとっても重要な課題です、えぇとりわけ龍州の治安維持の為にも」

「‥‥ところで鉱工寮の嘱託に移る前は君はどこにいた」
「ハハハハハハッ、いやぁ色々とたらい回しでして、現体制になるまでは改革続きでどこがどこなのやら、未だに自分が最初に就いた仕事場がどこなのかわからないですよ」

 光貞は不愉快そうに顔を歪めて口を開こうとするが、瑠衣子はそっと彼の手に触れた。
「‥‥‥若殿様、どうかお許しを」「瑠衣子さん、信頼してよいのだね?」
「”安東と海良の為”に。そこに偽りはありません」
 そこの裏にある意味を光貞は漠然と理解していた。
「――わかった。君を信じよう。好きにやってくれ、だがやる前に何をするのかだけは教えてくれよ」

「はい」
「私が責任を取るのだから。君が必要だと感じたら好きにやってくれ。私にできない事を君がやってくれると信じている」

「‥‥はい」
 瑠衣子の耳が赤く染まっている事に気づいた宮浜は黙って肩をすくめた。 




 それから十日ほどして大量の現金を積んだ【復興総局復興事業部】の徴募員とそれを警護する総局保安隊が東洲を巡り歩いた。

宿を起つと、軍楽隊を引き連れた徴募員が安東家の旗持ちを先頭に、"はい、せぇの"と音頭を取ると東洲地元の戯れ歌をちんどんと鳴らし始めるのである。

「公爵様のお触れなるぞ!普請の徴募であるぞー、飯も出るぞー、我ぞという者はおらぬかー」
――すると、やいのやいのと何処からか、流民や焼け出された自作農連中が"なんぞなんぞ"と姿を見せる。
 徴募員は巨大な郵便馬車から袋を取り出した。
「我らについてくるのであれば日給を出すぞー、飯も出すぞ~、囃子をやる奴はおらぬか~」
 面白がって調子はずれに太鼓をたたいたり、こりゃぁ本物の殿様の家臣なのか、とこっそり後ろをついて歩く者などで行列が膨らむ。
 一通り膨らめばこいつはどこそこのものだ、とかこいつはどこそこの村の奴じゃ、とやいのやいのと雑炊を食いながらあいさつを交わす。
「殿さまの慰撫じゃ、食え食え」
 これを五日程続けると徴募員の練り歩きに募集を受けた流民達に日分の日給を配った。それは皇都と比べれば安い物ではあったが今の彼らにとってはそれで十分であった。
 そしてある者は州都東ノ府へ或る者は最大の要港である要江へ、あるものは東海艦隊の根拠地の一つ、かつて海良家の本拠地であった大水ノ城へ、そしてあるものは鉱工業の拠点であった新宮へ――多くの者が移動を開始した。
 安東家直轄領の経済は軋みをあげて強引に回され始めた。



そのようなちょっとした”まつりごと”から数日を経た東洲政庁。
安東の若夫婦が最も長く同じ時を過ごすのは屋敷ではなくこの官衙であることは周知の事実となっていた。

「ふむ――素晴らしい!流石は”宮浜”殿、お見事な手際ですね。何はともあれ人が動けば動きやすくなります」
 州政庁副長官の隣の部屋に参与と書いた札を下げて彼女は居座っている。
 瑠衣子はにこやかに皇都から来た男に笑いかけた。
「いえいえいえいえ、これも仕事ですので」
「フフフフフッどうせ後で情報を抜く準備をしているのでしょうが――まぁ許します当面は」 
「いやだなぁ、そんなことはあまり考えてませんよ」
 ニコニコと笑みを交わしている二人を文官達は目を合わせないようにしている。
海良家の処世術であった。

 そしてその白々しい歓談を破ったのは彼女の夫であった。
「瑠衣子!いくらなんでもやりすぎだ!戸守達が評定を所用で出られないと言ってきたぞ!これでは――」
 わずかに顔を青褪めて光貞が誰を気にする事もなく妻の元へと足早に近寄るが、当の瑠衣子は艶然と微笑んでそれを迎えた。
「それは結構なことではありませんか?」
「――瑠衣子!」
「最初に伝えたとおり、最初に領民にもわかりやすいように布告を出しています。平文で分かりやすく、利を説いたものをですよ。
率直に領民が飯を食えずに匪賊になるのは殿様も困る、と書いておりますので進んで働きに出るでしょう」
 瑠衣子は眼鏡を外し、光貞の目をのぞき込んだ。
「光貞さん、彼らの土地に向けても我々の出費で食糧の輸送を行っています、仮設の手当ても。権益を育てるといった者達には補助を行っています。
もそうです。それなのに主家と交渉もせず立てつくというのなら――」
 ね、わかりますでしょう?と瑠衣子は冷たい笑みを浮かべた。
 光貞はこの時ようやく彼女が何を狙っているのかを理解した。彼女は焦土を再建するという題目を利用し、”安東家中”の構造を組み替えようとしているのだ、。
 光貞は逡巡し、そして首肯した。彼は安東の若頭領でありこの焦土を建て直すのと同じように家中を作り直す必要を感じていた。
 だからこそ――彼女を伴侶にすると決めたのだ。
 安東光貞の美徳にして欠点であったのは向けられた好意に篤実であり過ぎる事であった。

 
 

 
後書き
突然始まりました東洲再建史です。
新城ではなかった頃の「なおえ」の産まれた地、そして本編ではほぼ触れられなかった土地。
そんな東洲ですがかの反乱から四半世紀の間に何があったのか?
そうした話を書きたいと思い書かせていただきます。
監察課はほぼ趣味で書いていたミステリー小説ですがこちらは本編にがっつり絡むので本編の中の外伝という形にさせていただきました。
恐らく全5~6話となる予定です。
 
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