自然地理ドラゴン
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最終章 『大魔王の夢 - 不毛の大地グレブド・ヘル -』
第52話 学問の禁忌(2)
「シドウ、後悔するのは終わってからだ」
その母親の声で、初めて我に返った。
人間の目では気づけないドラゴンの表情を判読できるシドウには、母親の目に激しい怒りの炎が燃え盛っていることがわかった。
シドウは両親の仲の良さを知っている。
言葉だけなら冷静だが、頭の中はすでに爆発しているのだろうことがよくわかった。
自分も母親も、回復魔法が使えない。
ならば今やるべきことは、まず敵を片付けること。
本物のダヴィドレイと一緒に現れたアンデッドたちは弓を捨て、斧に持ち替え迫っていた。
まずはそれらを二人ですべて粉砕。
シドウはすぐに玉座前のダヴィドレイへと迫ろうとした。
ドラゴン二体とアルテアの民一人、おそらく勝負は一瞬で決する。
そう思っていたが、二人は驚くべき光景を目にした。
「――!?」
シドウもデュラも瞠目した。
ダヴィドレイの鎧がはじけ飛び、体が急速に膨張し始めたからである。
シドウは母親を見る。
デュラは首を振った。彼女もわからないようだ。
外見はどんどん変わっていく。
体高は人間の二倍ほどまで伸びた。土気色の肌には筋肉が盛り上がり、胸や四肢を茶色の体毛が覆っていく。
整った彫刻のような顔はそのままに、耳が伸び、後ろに流されていた茶色の長髪は量も長さも増した。
「グレンデル……」
シドウが、かつて存在した大型生物の名を口にした。
「知っているのだな。ハーフドラゴンの少年よ」
変身を終えたダヴィドレイは、余裕の笑みを浮かべる。
「見たことはありません。知識のなかにあっただけです」
そうであるという結論に達するのは容易だった。
シドウは師匠より教わっていた。
グレンデルは大陸北部の湿地に生息していた大型の知的生物であること。
大魔王討伐よりも前に、当時の勇者一行によって絶滅したこと。
そして、その怪力と魔法を駆使して勇者一行を苦しめたとも。
「アルテアの民とグレンデルのハーフということですか」
「そうだ。私は父親がグレンデル、母親がアルテアの民。言ってみればお前と同じだ」
お前と同じ――。
この言葉には、シドウよりも先にデュラが反応した。
「断じてお前などと同じではない」
ダヴィドレイに近づき、炎を吐く。
その炎が簡単に冷気でかき消されると、デュラはさらに踏み込み、爪を――
出す前に、ダヴィドレイが魔法を放つほうが速かった。
「母さん!」
すさまじい轟音。
吹き飛んだデュラは炎に包まれた塊となり、床で弾み、ティアら三人が倒れている近くで止まった。
倒れた状態で、包まれていた炎が消える。
煙をあげる黒い塊となったデュラ。すぐ立ち上がれそうには見えない。
命中した瞬間に大爆発した魔法。
至近距離で放った本人すらも巻き込みそうなほどの威力だったが、ダヴィドレイは涼しげな顔を崩さなかった。
「ドラゴンは丈夫な生き物だが……そう何発も耐えられまい」
母親への追撃は許すまいと、シドウも攻め込んだ。
だがやはり読まれている。ダヴィドレイは学者だったとは思えないほどの反応の良さで、シドウにも魔法を放つ。
シドウも炎に包まれ、押し戻された。
少し前に赤髪の青年アランと対峙したときと同じような衝撃。そして熱さ。
爆音がシドウの耳から聴覚を一時的に奪う。
魔法に溜めが少なかった分、母親デュラが受けたダメージよりは少なかったと思われた。
だが転がりながら聴覚が戻ってきたと思った瞬間、さらなる魔法が飛んできた。
腹部への衝撃に、体の内部が焼かれるような感覚。
アランのように床から炎を出したものではないが、腹部を正確に狙われた。学者であったダヴィドレイは、ドラゴンの脆弱な部位も予想はつくのだろう。
やっとのことで起き上がったシドウの眼前には、すでにとどめの火魔法の発射準備を終えたダヴィドレイの姿。
まずい。
そう思ったとき――。
「!?」
きらめく何か。
大きな質量を持つ何かが、後ろから飛んできた。
それはすさまじい速度で空気を斬り、ダヴィドレイの大腿部に深々と刺さった。
見覚えがあるものだった。
大魔王が作ったという大剣・エメスである。
「エリファス、まだ生きていたのか」
ダヴィドレイの声。
シドウたちの後ろにいたのは、オーガ。エリファスだった。
「さあやれ! ドラゴンの子よ! 不要な存在でないことを証明してみせろ!」
全力で投げ終えた姿勢を支える力はなかったのだろう。突っ伏した姿勢から上半身だけ起こした状態で、彼はそう叫んだ。
その緑暗色の巨体は焼けただれ、ところどころ骨も露出しているように見えた。
アンデッドと言われても信じたかもしれない。それくらいの損傷ぶりだった。
しかし目だけは先ほどの錯乱はなく、理知的な光を放っていた。
激しい肉体の損傷で正気を取り戻していたか。
「この死にぞこないが」
膝をついたダヴィドレイが大剣を引き抜いて捨て、片膝のまま火球を放つ。
デュラに放ったもの以上の威力に見えたそれは、エリファスに命中。
生きているだけでも不思議だったくらいのその肉体は四散し、肉片と化した。
だが、感情的で明らかに威力過剰な一撃。
その隙をシドウは逃していなかった。
エリファスの最後の言葉を受け、一直線に玉座前へと飛んでいた。
その右の爪は、ダヴィドレイの胸部をとらえた。
引き抜くと、灰色の血が勢いよく噴き出す。目を見開いたままのダヴィドレイは、そのまま後ろにゆっくりと倒れた。
致命傷を与えたと確信したシドウは、すぐに振り向いた。
そこには、なんとか自力で起き上がったばかりの母親デュラ。
そして――倒れて動かなくなっていた三人。
駆け寄った。
いつのまにかドラゴンの変身も解けていた。
足がもつれた。倒れ込み、倒れている三人の名前を呼びながら、地面を這うように脈を確認して回る。
「みんなまだ生きてる……!」
しかし。
「ど、どうしよう……回復魔法を使える人が……いない……」
三人とも想像以上の深手に見えた。
絶望の表情で母デュラを見上げる。
もちろんデュラも回復魔法は使えない。首を振った。
町に運ぶにも、この三人の状態では運べない。
「お、俺のせいだ……」
自分が油断しなければ。
いや、そもそもこの地に連れてこなければ。
怒涛の後悔が押し寄せてくる。
だから――。
赤髪の青年の手が動いていたことに、気付かなかった。
「シドウくん、諦めてはいけませんよ」
「――!?」
立てないはずの彼が、起き上がっていた。
右肩と腹部に刺さっていた矢はなぜか抜かれており、彼の右手に握られている。血も噴き出ていない。
「名前を呼んでくださってありがとうございます。意識が戻らなかったら回復魔法も使えませんでしたので」
「え? アランさん、たしか回復魔法は――」
苦手で、ほとんど実用にはならない。マーシアの町で行動を共にしていたときに、そう聞いていた。
そもそも、火・水・風などの通常の魔法と回復魔法は相性が悪く、どちらも覚えるというのは困難。それが定説だ。
驚き混乱するシドウをよそに、アランはソラトとティアの二人の傷を確認した。
「シドウくん、ちょっと手伝ってください」
より重傷と思われたソラトの治療から開始となった。
臓器まで達しているであろう深々と刺さった矢を、シドウが指示に従いゆっくりと引き抜きながら、アランが回復魔法をかけていく。失血をできるだけ抑えるやり方だ。
「アランさん、もしかして本当は、回復魔法……得意だったり?」
「種族の壁は越えられないかもしれませんが、人間が勝手に作った壁なら越えられるようですよ」
子供のころに故郷を滅ぼされたことで燃やした、強い怒りの炎。それは彼を無理やり成長させ続け、ついには定説を打ち破り、通常の魔法と回復魔法のどちらも熟練させるに至ったのだ。
瘢痕すらほとんど残さない回復魔法は、見事という他なかった。
「あれ、僕、もしかして気絶してた?」
「ソラトっ」
「いたたた! デュラ、それ前から言ってるけど痛いって」
「ああ、すまない」
回復を喜ぶデュラに顔の鱗をこすりつけられ、痛がりながらも嬉しがる。ソラトは器用だか不器用だかわからないような反応を示した。
今度はティアの番である。
アランは必死に礼を言うデュラに小さなうなずきと微笑で応えると、治療を開始した。
腹部に刺さった矢をシドウが抜く速度に合わせ、回復魔法をかけていく。
そして少し揺さぶると、ティアは意識を取り戻し、起き上がった。
「ティアっ」
「きゃっ! ちょっと! 何すんの!」
「だって治ったから」
「わかってるけど! あんた裸じゃないの!」
「あ」
アランがクスっと笑って自らのマントを外し、引き離されたシドウの体にかけた。
「でも誰が回復魔法を? あー……アランね? あんたほんと嘘だらけだね! 回復魔法は苦手なんじゃなかったの?」
「これは隠す目的でついていた嘘ではありませんよ。マーシアの町のときにティアさんがシドウくんの治療をしたがっていたように見えましたので、私は回復魔法が苦手という設定に――」
「あー! おかげで助かった! アランありがとう!」
そのやりとりにシドウが苦笑したときだった。
玉座のほうで大きな音がした。
全員が玉座を見る。
そこには、巨大な棺に寄りかかるようにダヴィドレイが起き上がっていた。
その変身は解け、人型モンスター・アルテアの民の姿に戻っていた。
「あっ――」
まさか、と思ったシドウの口から声が出る。
「ハハハ……術をかけた」
やはりそのまさかだった。
体から赤い血を噴き出しながら、ダヴィドレイが狂気の笑いを浮かべる。
巨大な棺の蓋が震えながらずれ、その隙間から光が漏れた。
そのまばゆさは、シドウたちが思わず手を目の上にかざしてしまうほどだった。
光がおさまる。
兜を着けた頭蓋骨、胸当ての金属がきらめく白骨の上半身が、ゆっくりと姿を見せる。
ダヴィドレイは全身の露出を待たず、足元に落ちていたエリファスの大剣・エメスを拾った。
「フハハハ……蘇ったぞ……」
棺から立ち上がった白骨は、とてもアルテアの民のものとは思えないほどの大きさだった。
人間の男性の二倍ほどはあるだろうか?
その異様さに、シドウらは固まった。
巨大な白骨は棺の前に立つと一度動きをとめ、シドウたちを見つめた。
そのまま動かない。高貴な黒いマントだけが揺れる。
しかしダヴィドレイから大剣が差し出されると、その白骨の手が動いた。
巨大な白骨が大剣を握ると、ダヴィドレイは一段と狂気じみて笑った。
そしてヨロヨロと大魔王の前に出ると、シドウたちを指で示す。
「大魔王よ……。この愚か者どもに……裁きを……与――」
言葉は切れた。
ダヴィドレイの首が、斜めにずり落ちていく。
床を転がるときには、すでにその双眸は光を失っていた。
背後には、大剣を振り終えた巨大な白骨。
「愚か者はお前だ。分際を知るがいい」
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