自然地理ドラゴン
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最終章 『大魔王の夢 - 不毛の大地グレブド・ヘル -』
第51話 学問の禁忌(1)
魔王城最奥にある大魔王の間については、デュラも中に入ったことは一度もないという。扉の前まで来たことが一度あっただけらしい。
これは、グレブド・ヘルに来る前の打ち合わせのときに本人が言っていたことである。魔王城の中に入ること自体、数えるほどしかなかったそうだ。
ところが、大魔王にはよく会っていたという。
どういうことだろうか? というシドウの疑問に対し、デュラは詳しく話をしてくれた。
「大魔王様は、私の父――族長に会う必要があるとき、基本的にはペザルの山まで来てくださっていた」
意外な事実だったが、もちろん大魔王が本拠地を出てはいけないという決まりなどはない。
大魔王がドラゴン族の族長に接触を始めた理由は、両者で『相互不可侵』の関係を構築するためであり、大魔王は小型翼獣に乗って山に来ていたとのこと。
そしてある日。ペザルから離れたところで、体調がすぐれないまま単独飛行していた族長が平地に墜落してしまうという事故が発生する。
弱って墜落してしまったドラゴンが人間に発見されてしまうと、通常は冒険者や兵士が大挙して押し寄せ、狩られてしまう。
族長も人間の冒険者に発見され、討伐隊に狩られかけた。
そこに救いの手を差し伸べたのが、たまたま外交のために近くの空を移動中だった大魔王だった。彼は窮地の族長を発見すると、人間の討伐隊を退け、帯同していた部下をペザルの山に急行させ事故を連絡。自らはドラゴン族の救助が来るまで族長を傍で守り続けた。
ドラゴン族は大魔王に対し、相互不可侵の関係ではなく従属の関係を結ぶことを誓ったという。
ただし両者の関係が変化したのちも、大魔王が族長に会うときはペザルまで来ることが基本だったらしい。これは墜落事故以降、族長の体調がなかなか上向かなかったことを大魔王が気遣った結果であるという。
ならば自力で来させるわけにはいかないということで、族長の娘であるデュラが志願して送迎をおこなうようになっていったそうだ。
ペザルの山に大魔王が来ていたという事実だけでもシドウは驚いたのだが、自分の母親が大魔王を乗せて空を飛んでいたというのは、驚きを通り越して衝撃であった。
ソラトもそれは初めて聞いた事実であったらしい。「大魔王本人もデュラの背中に乗ったことあったんだ。背中友達だったんだね、僕と大魔王」と喜んでいた。
魔王城の構造は比較的単純で、エリファスが待ち構えていた部屋から『大魔王の間』までは特に何もない。
どんなモンスターでも通れそうな広い廊下は、ほぼ一本道だった。
「魔王軍の象徴という位置づけの建物だ。戦いの拠点にするというお考えは大魔王様にはなかったと思う」
横で、ソラトがデュラを見上げてニンマリとしている。
グレブド・ヘルに到着して以来、たびたびこのような光景が見られていたが、どうやらデュラが今でも「大魔王様」と呼んでいることが彼は嬉しいらしい。
シドウは見抜けなかったのだが、同じくソラトのニンマリに気づいたティアはすぐに察したようで、シドウの耳元で説を披露していた。その後の「大魔王様」という言葉へのソラトの反応を見るに、どうやら正解だったようだ。
人間であり、大魔王は敵であったはずの父。彼にとってそれがなぜ嬉しいのか。
「自分のパートナーがさ。いなくなった偉い人のこともちゃんと尊敬し続けてる。それが嬉しいんだと思うよ」
ティアはそれも考察済みだったようである。
大魔王の間の大きな扉は、最初から開いていた。
「念のためだ」と言って、デュラが先頭になって通る。罠を警戒してのものだ。
広い。
扉から玉座に向かって、幅広の絨毯が伸びている。
そして玉座ではなく、部屋の中央に騎士風の男が立っているのが見えた。
全員の緊張は高まる。
扉をくぐった際に、特に目に見える異変はなかった。
だが、目に見えない異変はあった。
「鼻が利かなくなった」
「そうですね。何か変な匂いが床から出て……いや、出しているのでしょうか」
デュラとドラゴン態のままのシドウが、前方を見たまま小声で確認し合う。
ティア、アラン、ソラトの三人も視線をチラッと交換した。こちらのほうは何も感じないという確認である。人間には感じない匂いを充満させているのだと思われた。
デュラとシドウが先頭に立つ。
飾り気などはないが、とにかく広い。
しかも明るい。それまでの部屋や通路も暗くはなかったが、ここはさらに明るい。
部屋の左右に壁がないのだ。
壁があるはずのところは、柱が広い間隔で並んでいる。
城がグレブド・ヘルの中で最も高い場所にあるため、その先にあるものは空。
日が傾いてきているのか、やや橙の成分が混じってきていた。
「なんだ? 全員無傷だな。するとエリファスや他の者たちは死んだか」
騎士風の男がしゃべった。旧魔王軍の公用語ではなく、人間の言葉だ。
「ほう……懐かしいのがいるな。ドラゴン族の族長の娘よ」
男の視線の先がシドウの母・デュラであったことで、この男が旧魔王軍の学者、そして大魔王復活計画の首謀者――ダヴィドレイであることがどうやら確定した。
まだ壮年まではいかないように見えた。彫刻のように整った顔。後ろに流されている茶色の長髪。上下赤黒い色の服。濃い茶色の高級そうなマント。銀の胸当てを着用しており、腰には剣を下げていた。
耳の尖り具合で人間でないことはわかる。だが、その皮膚がくすんだ泥色をしていることがシドウには気になった。人型モンスター・アルテアの民の肌の色は、通常であれば人間と大差はないはずなのに。
そして彼の背後、ずっと後ろ、この大魔王の間の最奥。
入り口近くのシドウたちからでも、はっきり見えた。
玉座の前に、巨大な棺が置かれているのを。
「ダヴィドレイよ。私はお前に会ったことなどない」
シドウは母親を見た。二人の言い分が食い違っているのは不思議に思ったが、ダヴィドレイが一方的にデュラを見たことがあるのだろうと考えた。
彼を見る母親の冷め切った表情。ドラゴン族が旧魔王軍で彼をどう評価していたのかが、なんとなくわかった。
「大魔王様のご遺体を弔うどころか、アンデッドとして蘇らせ、その御威光を私せんとしていると聞いた。本当なのか」
「……。術はほぼ完成している。お前たちなどに邪魔はさせん」
相手は一人。部下の姿などもない。
この圧倒的戦力差でも戦いが始まるのか――。
ここまでの経緯から、素直に引き下がってくれるとは思っていなかったが、やはりシドウとしては落胆を隠せなかった。
首が垂れる。それをまたティアの肘突きで咎められた。
アルテアの民も魔法を使うことができる。得意な者も多いらしい。
騎士風の姿をしているが、彼は学者。
まさか剣でなんとかしようと思っているわけではないだろう。魔法を使ってくる可能性が高い。その警戒感はシドウたち全員が持っていた。
ダヴィドレイは剣を抜かず、やはり魔法の構えを見せる。
シドウらは全員反応していた。
まずアランが、発動される魔法が火の範囲魔法であることを素早く察知。
冷風を発し、その炎を消した。
ただし威力よりも速さと範囲を優先したため、本体にダメージを与えるまでは至らない。
ダヴィドレイに魔法を撃つ暇を与えぬよう、残りのメンバーも前進して一斉に距離を詰めていた。
もっとも速く到達したのは、瞬発力に優れるティアだった。
飛び込んでからの強烈な正拳突きに、間髪を容れず二段蹴り。それはすべて正確にダヴィドレイを捉えた。
シドウとしては、〝その〟可能性は少し考えていた。
正拳突きと二段蹴り一発目の右足で体がぐらつくと、左足で放った仕上げの上段蹴りにより、ダヴィドレイの頭部はいとも簡単に吹き飛んだ。
そして、血が出ないのである。
「え!?」
ティアのほうはまったく予想していなかったのだろう。驚きの声。
すぐに全員が集まる。
「アンデッドだったんだ。びっくりしちゃうね」
「一見アンデッドには見えませんでしたね」
ソラトとアランがそれぞれ驚きを口にする。
ダヴィドレイの体はミイラのような干からびたものではなく、眼球にも光があった。肉体をほぼ完全に保ったままアンデッド化していたようだ。
首が簡単に飛んだのは、二発目の攻撃までにすでに生命力を失っていたのと、支持組織が生身ほどしっかりしていなかったためだろう。
骨ではないが、一滴の血も流れないその体。人形のようだった。
「志の低い学者の末路だ」
少し離れたところから首を近づけることなく、デュラはそう言った。
「これで終わりね。残念ながら私の回復魔法の出番はなし、っと」
ティアが冗談交じりにそう言ったときだった。
「いけない! 皆さん気を付け――」
この場にいる者たちの中で、一番早く異変を察知したアラン。
その注意喚起も間に合わなかった。
ティアが仰向けにバタリと倒れ、それに続いてアランも倒れた。
「え!? まだ敵が――」
ソラトのその言葉も途切れ、二人に続き床に沈む。
ドラゴン態のため少し離れていたシドウは、倒れた三人の体の前面に矢が刺さっているのは確認できた。
自らの体の鱗に、矢が金属音を立てて当たっていることも。
だが目でそれを確認してもなお、その現実が頭には入ってこなかった。
矢がどこから飛んできたのかも確認しなかった。
言葉にもなっていないような声がわずかに漏れ、ただただ、認めがたい三人の姿を呆然と見つめていた。
音とともに、玉座の後ろの壁が崩れた。
本来の壁はその後ろにあったのだ。弓矢は壁に空いていた小さな穴から撃たれたようだった。放心しているシドウにはそれも目には入らない。
崩れた壁から、アンデッドを連れた騎士風の男が現れた。
その男は、倒したはずのダヴィドレイとほぼ同じ容姿。やはり皮膚がくすんだ泥色をしていたが、ややその肌の質感は異なっているようだった。
「お前たちが戦ったのは、私に似ている者をアンデッド化したものだ。私がなんの準備もなくお前たちに会うとでも思ったのか?
遠隔操作もうまくいっていた……いよいよ大魔王様復活の時は近い」
顔に笑みを浮かべながらそう言われても、シドウは茫然自失のままだった。
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