トスカニーニの義侠
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第一章
トスカニーニの義侠
ブルーノ=ワルターはこの時深刻な顔で親友であるアルトゥーロ=トスカニーニに対して話していた。
「私としてはね」
「娘さんのことはだね」
「何度も言っているんだ」
普段は温和な、指揮ぶりが微笑と言われるのも頷けるその顔を暗くさせてそのうえでトスカニーニに語っていた。長方形の顔に温和が顔立ちであり口髭が似合う鋭いが知性も感じさせる目のトスカニーニとは対照的だ。
「彼とは付き合うなと」
「エツィオ=ピンツァとはだね」
「そうだよ、彼は最高のバス歌手だが」
このことは事実だが、というのだ。
「同時に最悪のプレイボーイでもある」
「だからだね」
「彼とはね」
「付き合うな」
「しかも娘には夫がいるんだ」
ワルターはこのことについても言及した。
「ならだよ」
「尚更付き合ってはいけない」
「そうだ、それを君に言うのも何だと思うけれど」
トスカニーニも相当な女好きだからこう言った。
「しかし」
「いや、それはわかる」
トスカニーニはワルターに対して冷静な顔で答えた。
「私にしても」
「君もだね」
「私は確かに女好きだ」
トスカニーニ自身このことを認めた。
「言うまえもなく、だが」
「だが?」
「しかし節度はあるつもりだ」
このことを断るのだった。
「そこは彼とは違う」
「ピンツァとはだね」
「そうだ、彼は確かに君の言う通り最高のバス歌手だが」
トスカニーニから見てもこのことは事実だが、というのだ。
「しかし同時にだ」
「最悪のプレイボーイだね」
「君の娘さんだけではないからね」
浮名を流したその相手はというのだ。
「だからだよ」
「お陰で娘は離婚調停中だ」
不倫の結果であることは言うまでもなかった。
「しかもご主人、私にとっては義理の息子だが」
「かなり怒っているね」
「相当にね、もうどうしたものか」
「事態は深刻か」
「馬鹿なことをしたものだ」
ワルターは今度は瞑目する様にして嘆きの言葉を出した。
「全く以て」
「そうだね、私から見てもね」
「娘は馬鹿なことをしたと思うね」
「よくある話だがあってはならない話だ」
トスカニーニはこうも言った。
「そして身近ではあってはらない話だ」
「全くだよ、私も娘がその話の主役になるまでは」
「聞いてはいてもだね」
「それでもだよ」
「いざそうなると」
「父親としてこれだけ嫌なことはないよ」
トスカニーニに嘆きの顔のまま話した。
「グレーテルも馬鹿なことをしたものだ」
「そのことは私も否定しないよ、だが」
「娘だからだね」
「君は常に彼女を護るべきだ」
「叱ろうとも」
「叱ることと見捨てることは別だよ」
トスカニーニはこのことは強調した。
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