カーク・ターナーの憂鬱
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第4話 オーナーの悩み
前書き
【原作年表】
宇宙暦640 ダゴン星域会戦
宇宙暦669 コルネリアス1世の大親征
宇宙暦682 フェザーン成立
宇宙暦696 シャンダルーア星域の会戦
宇宙暦720 ★第一話スタート
宇宙暦726 730年マフィア 士官学校へ入校
宇宙暦728 ジークマイスター亡命事件
宇宙暦728 フォルセティ会戦
宇宙暦730 730年マフィア 士官学校卒業
宇宙暦738 ファイアザード会戦
宇宙暦742 ドラゴニア会戦
宇宙暦745 第二次ティアマト会戦
宇宙暦751 パランディア会戦 ミヒャールゼン提督暗殺事件
宇宙暦765 イゼルローン要塞完成
宇宙暦767 ヤンウェンリー誕生
宇宙暦770 シェーンコップ 祖父母と亡命
宇宙暦776 ラインハルト誕生
※星間図は『銀英伝 星間図』で画像検索すると出てくる帝国軍が青、同盟軍が赤で表現されている物を参照しています
宇宙暦722年 帝国暦413年 12月末
惑星エコニア 井上商会 オーナー室
井上オーナー
「どうしたもんかねえ......」
年末の棚卸を終え、倉庫の戸締りを終えてから、店舗3階にあるオーナー室に戻ってきた彼は、自分のデスクに座ると、ため息を漏らしながらつぶやいた。もっとも、彼の本業である商売の方は、進出の前提だった緑化事業が中止された時には、どうしたものかとも悩んだが、現在は順調だ。
彼が旨とする誠実な商売は、首都星系のような競争過多な地域ならともかく、入植開始時から文字通り市場と一緒に成長していく形になったエコニアでは、むしろ好評だった。雇用に際してもなるべくそれぞれの家庭状況に合わせて、臨機応変に変えてきた。
そのおかげで、首都星系の最低賃金と比較すると申し訳ない賃金ではあったが、従業員たちも頑張ってくれたし、それがまた評判となった。
そうして少しずつ資本蓄積を行い、新設された捕虜収容所もまもなく完工する段階になった。エコニアの市場は、あとは捕虜収容所の収容人員が満員になれば、余程のことがない限り、経済成長は頭打ちになるだろう。そういう時の為に資本蓄積してきたし、小規模資本なりに人材育成も進めてきたつもりだ。
彼の計画では、資本蓄積と人材育成がある程度進んだところで、同じタナトス星系内の惑星マスジットに進出する腹積もりでいた。エコニア同様、大きな市場ではない。だからこそ、誠実に商売すれば、一定の評判を得られ、地域に必要とされるであろうと見込んでいた。
その際に任せようと見込んで育てていたのが、トーマス・ミラーだった。
自分に似て誠実であり、後輩たちの面倒見も良かった。半ば失敗しても構わないと思って任せた収容所内の売店も、戦争相手国の捕虜にも、見下すことなく誠実に接したトーマスの人柄もあり、年々売り上げは伸びていた。
マスジット進出の際は陣頭指揮を任せ、自分も軌道に乗るまではマスジットで後見役の真似事を行う。その後はエコニアに戻り、本店の方も任せられる人材を育てた頃合いで隠居し、あとはのんびり過ごせたら......。そんな将来を思い描いていたが、家庭の事情もあり、トーマスは軍に志願してしまった。
もし井上商会が大規模資本であり、首都星系に強いパイプでもあれば、多少は徴兵免除の働きかけも出来ただろうが、残念ながら田舎の小規模資本だ。帝国との戦線は遥か彼方ではあるが、自由惑星同盟は絶賛防衛戦を展開している。50年前のコルネリアス1世の大親征では、35人の元帥を戦死させ、何とか凌いだ。
ただ、同盟が被った損害もかなりの物で、それ以降、軍備増強に政策路線は振り切られたままだ。入植直後ということもありエコニアが属するタナトス星系では、今のところ入隊するには志願するしかない。ただ、もう少し時間がたてば、徴兵の対象になる可能性は十分あった。
「当初は本店の後継者。トーマスの事があってからはマスジットの陣頭指揮を任せたかったんだがなあ」
自由惑星同盟でも田舎も田舎な惑星エコニアではあったが、彼は惑星エコニアで商売を始めて心から喜んだ出来事が2回あった。一回目はトーマスが入社を決めてくれた事。そしてもうひとつが、彼がオレンジと呼んで可愛がっているカークが入社を決めてくれた事だ。
トーマスも彼から見て優秀な人材だったが、カークも同様だった。更に、オレンジの髪にエメラルドの瞳をもち何かといるだけで目立つ存在だ。そして不思議なことに、自分も含めて周囲の大人を後見役にしてしまうような、変な魅力があった。収容所の捕虜たちもなんやかんやとカークの面倒を見たがる。そして何より人の数倍勤勉だった。
もうすぐ13歳になるだろうが、普通免許だけでなく様々な資格を取っていた。少しでも家計を助けたいという想いもあるのだろうが、首都星系の同年代が遊びに夢中になる年頃から、ずっと努力している。トーマスの影響もあるのだろうが、後輩への指導もしっかりしたものだった。去年の年末には、いずれはトーマスとカークに両輪として井上商会の未来を背負ってもらえれば......。そんな事を考えていた。
「しかしなあ。この話も正直不義理はしたくない。それに捕虜収容所も完工してしまうしなあ」
手元のタブレットに視線を送ると、一通のメールが目に入る。当初は苦渋の決断ながらもトーマスに話を持って行ったが、彼は家庭の事情もあって軍への入隊を決断してしまった。メールの主にも、話はしてみるが、あまり期待をしないで欲しい旨は伝えていたが、なかなか候補者が見つからない旨の追伸が、メールの内容だった。
「そもそもフェザーンなんて認めちまうからこうなるんだよ」
メールの送信主は、若い頃から商売を志し、いずれは独立商人になろうと切磋琢磨してきた親友だった。独立という意味では一歩先んじたが、独立を心から祝福してくれ、井上商会立ち上げ初期の連帯保証人にもなってくれたし、少なくない餞別をくれた人物でもある。
そんな親友が自分の商船を持ち独立商人として独り立ちするともなれば、自分にできることなら最大限応援するつもりだった。それなりに人脈もあり優秀なはずの親友が困っているのが帝国語が話せる航海士見習いの確保だった。
コルネリアス1世の大親征を跳ね除け、軍備増強に政策を振り切った同盟は、30年前に行われたシャンダルーア星域の会戦では快勝した。それもあって、帝国からの亡命者は増加傾向にある。
当然、独立商人として商船を持つうえで、亡命者への対応が出来なければ2流扱いされる。そして亡命者の中にも未成年が含まれるので従士役を任せられる帝国語に堪能な若年者を備えて1流とされていた。
ところが、ここで同盟内のバーラト系と亡命系の確執が問題となる。シロンを中心とした亡命系はフェザーンの成立で紅茶をはじめとした嗜好品の分野で打撃を受けていた。その上、彼らが保護していたヘルムート1世の庶子であったマンフレート2世を帝国に戻すという判断を下したのもバーラト系だ。
亡命系も当初は諸手を挙げて賛成した物の、マンフレート2世が在位1年で暗殺されてしまうと、自分たちが保護していた帝室の血を使い潰されたと激怒した。それ以降、バーラト系と亡命系は冷戦状態なわけだ。
そして彼の親友はもともとバーラト系の資本に属する以上、本来なら帝国語が堪能な若年層を同盟内で一番抱えている亡命系からは、当然協力を得られない。フェザーン人は基本的に帝国語と同盟語のバイリンガルではあるが、自分の子弟をわざわざ独立したての零細外国資本に任せる理由もなかった。
「優秀なあいつが、同じ案件でメールしてくるんだ。よっぽどの事なんだろうが」
帝国語が堪能で、気難しい貴族にもそれなりの応対が出来る。貴族の坊ちゃん・お嬢ちゃんの面倒もそつなくこなす。そんな人材は手元に一人しかいなかった。
「カークを出すのは正直痛い。ただ、井上商会が立ち上げられたのは奴のお陰もある。カークを抱え込んで井上商会が大きくなっても、あいつがしくじったら正直、心から喜べねえしなあ」
渋々ではあったが、カークに航海士見習いの話をすることを井上は決めた。
「それになあ。収容所が完工しちまったら、重機のバイトも無くなっちまう。あいつがせめて15歳だったらなぁ」
渋々の決断を自分に納得させるかのようにぼやいた。両親を除いて、ターナー家の状況を一番理解している彼は、カークの母親が妊娠したことも知っていた。新しい命が生まれる以上、1ディナールでもカークは稼ぎたいだろう。そして残念な事にエコニアにいる限り、しばらくは井上商会以外の稼ぎ口を見つけるのは難しいだろう。
もし15歳に達していてマスジットの陣頭指揮を任せる形にできれば、かなり待遇を上げることもできた。ただ、さすが13歳だ。いくら何でも若すぎるし、嫉妬もかなりされるだろう。2年待つという手も無くはなかったが、業務がさほど変わらないのに待遇に差がありすぎれば、それこそ嫉妬の対象になる。
「まあ、納まる所に納まったのかね」
ため息をつきながら親友からのメールに、もう一人の候補に話をしてみる旨を返信し、オーナー室を後にする。兄貴分だったトーマスが、軍に志願してエコニアを後にして以来、どこか生き急いでいる雰囲気をだしているカーク。当然この話を断るはずもない事を理解していた彼は、家に着くまで10歩おきにため息をつく事になる。
後書き
暁さんでは13話までの公開とさせていただきます。毎日投稿はハーメルンさんで予定しています。感想欄もハーメルンでログインなしで書き込めますので、お気軽にお願いできれば嬉しいです。
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