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レーヴァティン

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第百六十三話 治の仕組みその二

「諸藩にある兵つまり武士達はな」
「我等の指揮の下に動く」
「当然藩主達もな」
「一つになってな」
「そして藩主はいてもだ」
「武士達は皆幕府の家臣だ」
「そうなっている、江戸幕府とはそこが違う」
 武士達がそれぞれの藩に属していたこの政権とはというのだ、江戸幕府はそこから見てもわかる様にかなり分権色が強かったのだ。
「だから俺もそうした」
「そうだな、ではだ」
「戦時の政をだな」
「さらに進める」
 江戸幕府を手本にしつつというのだ。
「それはな」
「ならいい」
 幸正も頷いて応えた。
「その考えならな」
「ではな、ではだ」
「これからもだな」
「そうしていく、そして諸藩の境にもな」
「関は置かないな」
「それはしない、あくまで通行は自由だ」
 その様にするというのだ。
「そして楽市楽座もな」
「諸藩でもだな」
「させていく」
「そして商業を栄えさせるな」
「かつ年貢に租税もな」
 英雄はこちらの話もした。
「諸藩のものとだ」
「幕府のものにのう」 
 当季が言ってきた。
「するのう」
「そうだ、どちらもそれぞれの地域に合わせてだ」
「軽くするのう」
「そちらの民への負担は軽くさせてだ」
「農業や商業、工業で頑張ってもらってじゃな」
「そちらの収益に重きを置く」
 年貢や租税の割合ではなくだ。
「年貢等が重いとな」
「どうしても民に負担がかかるぜよ」
「俺は起きた世界の薩摩藩の話を聞いたが」
「あそこは年貢重かったっちゅうのう」
「七十七万石とされたが実高は三十八万石程だったという」
 これは豊臣秀吉が太閤検地で定めた結果だったという、島津家に負担を大きくさせて弱体化させる為に実高よりもその石高を大きくさせそれに見合う格式をさせてそこにかかる金を多くさせ賦役もその石高に相応しいものにさせたのだ。
「その結果だ」
「年貢はのう」
「かなりの割合になった」
「それで薩摩藩のお百姓さんは苦労したぜよ」
「しかも薩摩藩は武士も多かった」
 このこともあったというのだ。
「百万石の金沢藩が二万かそこらだったが」
「薩摩藩はもっとじゃな」
「五万いた」
 その武士達がだ。
「まさに石を投げれば武士に当たった」
「それでじゃな」
「年貢を貰う立場の者が多くな」 
 このこともあってというのだ。
「あの藩は年貢が非常に高く」
「お百姓さんは今言った通り苦労ばして」
「そしてだ」
「貧しかったんじゃな」
「そうしたことも見てだ」
「年貢や租税はじゃな」
「軽くする」
 そうするというのだ。
「そしてだ」
「その分じゃな」
「田畑を耕し商いに励んでな」
「工場で働いて」
「どんどん米や銭、ものを生み出してもらってだ」
 そしてというのだ。 
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