ドリトル先生の競馬
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第八幕その十一
「そもそも」
「そう言われたら」
「してない?」
「それまでは」
「自分がとんでもないことをするまでは」
「ああした人もいるから」
だからだというのです。
「日本でのこうした問題は注意が必要だよ」
「言っている人達も胡散臭くて」
「その主張に自分がまずってことはなくて」
「そして科学的な根拠もおかしい」
「だからだね」
それ故にというのです。
「注意しないとね、若しそこまで科学とか文明を否定するなら」
「それならだよね」
「もうそういうのを全部捨てて」
「原始的な生活に戻る」
「そうあるべきだね」
「テレビも新聞も科学や文明の最たるものだよ」
その中にあるものだというのです。
「勿論漫画もね」
「それならだよね」
「もうそういうものを否定するのなら」
「そうしたことを自覚して」
「そのうえで考えるべきだね」
「そもそも紙は木から出来るね」
このことも言う先生でした。
「だったら森林資源のことも考えないと」
「駄目だよね」
「無駄な森林資源を消費しない」
「新聞や漫画で」
「そのことも考えないとね」
「若し他の人に規制を強制して自分達が自由に使うなら」
それならといいますと。
「それは権力者の傲慢にもなりかねないし悪ともね」
「考えられるんだね」
「その場合は」
「そうした場合こそだね」
「悪なんだね」
「自分達が涼しい部屋で電力を使い放題で一般市民は冷房を使うななんて」
それこそというのです。
「あれこれ理由をつけてもね」
「報道する義務とか」
「そう言ってもだね」
「説得力がないね」
「僕はそう思うよ、本当にね」
まさにというのです。
「何かを絶対に駄目だとかいうことは」
「先生はしないね」
「どういったものにも危険がある」
「そのことを頭に入れて」
「そうして科学を考える」
「文明もね」
「それが先生だよね」
皆もこう言います。
「だからよね」
「今だってだね」
「原子力発電についてもね」
「公のこと全体も考えて」
「そしてだよね」
「どうあるべきかを考えて言ってるよね」
「社会全体を考えると」
先生のお話は神妙なものになっています、そのうえでの言葉でした。
「原子力発電もだよ」
「重要だよね」
「あながち否定出来ない」
「電力のことを考えると」
「全廃はどうかってなるね」
「日本の事故は当時の政府が問題で」
その対応がというのです。
「ちゃんとした対応だったらね」
「事故は起きなかったんだね」
「あの時の総理大臣あの時から原発反対って言い出したけれど」
「責任逃れだよね」
「絶対に」
「僕もそう思うよ、だからね」
それでというのです。
「原子力発電のことは」
「否定しないで」
「安全に安全を考えて」
「そしてだね」
「文明に役立てていくべきだね」
「僕はそう考えているよ」
まさにと言ってです、そうしてでした。
先生は皆と一緒に原子力発電のことも話していきました、それは否定するものではなくどうあるべきかというものでした。
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