静寂。
シャーペンの芯が紙に擦れる音と、外の喧騒。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴ると同時にそこかしこで小さな安堵、開放感の混じった歓声が上がる。
――――――7月の上旬。期末試験が終わった。
テスト休み明けの火曜日の放課後。
今日が彼女達の練習日だということに気付かずにギターを持って登校してきてしまい、それを回収しに部室に行く。
「お疲れ様でーす。ギター取りに来ました~」
一応、控えめに挨拶をする。
「お疲れ!奏!」
「お疲れ様ー!奏ー!」
「お疲れ様~奏君~今お茶淹れますね~」
唯が僕の事を名前で呼ぶからか、田井中さん以外にも秋山さんと琴吹さんも僕を名前で呼んだ。
返事がなかったから一瞬いないのかと思ったけど、辺りを見回すと唯は部室の隅で真っ白になっていた。
「ん~~~やっとテストから解放されたあ~~」
「高校になって急に難しくなって大変だったわ~」
「そうだなー、そしてもっと大変そうなやつがここに」
秋山さんが唯の方を見る。
「そんなにテスト悪かったの...?」
僕が聞くと唯は自分のテストの答案を僕達に見せた。12点。
「ふ、ふ、ふ...クラスでただ1人、追試だそうです...」
「「「「うわぁ...」」」」
「だ、大丈夫よ!今回は勉強の仕方が悪かっただけじゃない?」
「そうそう!ちょっと頑張れば追試なんて余裕!余裕!」
琴吹さんと田井中さんが励ます。
「勉強は全くしてなかったけど...」
「励ましの言葉返せこのやろー!」
相変わらず息ぴったりだな~。
「何で勉強しなかったの唯?」
琴吹さんに、淹れてもらったお茶のお礼をしつつ僕が聞く。
「いや~しようと思ったんだけれど、なんか試験勉強中ってさ、勉強以外のことに集中できたりしない?」
「あ~それはあるな~部屋の掃除捗ったりな~」
田井中さんが同意する。
「勉強の息抜きにギターの練習したら抜け出せなくなっちゃって~。結局、全然勉強できなかったの。でもね、お陰でコードいっぱい弾けるようになったよ!」
「その集中力を少しでも勉強に回せば...」
そう豪語する彼女に田井中さんが呆れたように呟いた。
「そういう律ちゃんはどうだったのさ~?」
「私?余裕ですよ!この通りぃ!」
田井中さんが89点の答案を僕達に見せた。
「こんなの...律ちゃんのキャラじゃないよ...」
「おーほっほ!私くらいの人間になると、何でも卒なくこなしちゃうのよ?」
「律ちゃんは私の仲間だって信じてたのに...」
「おーほっほっほ!」
「テストの前日に泣きついてきたのはどこの誰だっけ?」
秋山さんがつっ込む。
「わー!バラすなよー!」
「それでこそ、律ちゃんだよ!」
「赤点取ったやつに言われたくねえ!」
「奏くんと澪ちゃんと紬ちゃんは何点だったの?」
僕達が唯に答案を渡す。そのどれもが田井中さんより点数が高かったのか、
「ま、まあそんなもんだよな!私、他ミスしちゃったからさあ!」
唯はそう言う田井中さんの顔と答案を見比べて、うんうんと納得したように頷いた。
「頼むからなんか言ってくれ...!」
彼女達のいつものやり取りを眺めていると、唯が突然思い出したように言った。
「あ、追試の人は合格点取るまで部活動禁止だって」
「「「「えぇ!」」」」
「結構厳しいな...」
「そしたらここにいるのもマズいんじゃ...」
驚く僕達に、心配する田井中さん。
「大丈夫だよ~お菓子食べに来てるだけだし~」
「そっか!それなら安心だ~...ってなんでやねん!!」
唯にチョークスリーパーを決める田井中さん。
「もしも唯が部活出来なくなったら田井中さん達のバンド、ギターいなくなっちゃうんだよ?」
「追試はいつあるの...?」
諭すように言う僕と、日程を聞く琴吹さん。
「1週間後!そんだけあれば毎日ここに来ても大丈夫だよね~!」
「「「「そんだけしかないの!!」」」」
皆がつっ込んだ。
「おーい奏!まだかーって、何呑気にお茶飲んでんだよー」
「わっごめん!」
正と浩二君が部室まで迎えに来てくれた。
「一瀬、今日私達の練習日だったけど、唯が追試で部活出来なくなっちゃったから、一瀬達が部室使っていいよ」
「いや、奏が間違えて楽器持ってきちゃっただけで、浩二もベース持ってきてねーし帰るよ」
秋山さんに正が答える。
「そういえば、正と浩二はテスト大丈夫だったのかよー?」
田井中さんが聞くと、正は待ってましたと言わんばかりの顔で89点の答案を僕達に見せた。
「ふーふっふ!俺くらいの人間になると、何でも卒なくこなせちゃうのさ!」
「「テストの前日に泣きついてきたのはどこの誰だっけ?」」
僕と浩二君でつっ込んだ。
――――――1週間後の月曜日、追試前日の放課後の教室。
「というわけで奏くん助けて!」
僕達が部室行こうとしたところに唯が泣きそうな顔でやってきた。
「ええ!?勉強してきたんじゃないの?」
「できなかった...」
「「「えぇ!?」」」
流石に3人とも驚く。
「ご、合格点取れなかったら平沢さん達...」
「それだけは絶対したくない!」
浩二君に唯が答える。
「唯、律達はどうした?」
「律ちゃん達は今日練習の日じゃないし、もう帰ってるかも...」
「んー...よし!今晩特訓だ!奏と澪に教えてもらえ!」
「ええ!?」
「ほんと!?」
「律に電話して澪に伝えとくよ。浩二とムギは電車だから、夜遅いとあれだしな。奏と澪がいれば十分だろ」
「やった~!」
「奏は一夜漬け教えるの上手いんだぜ~!」
「ふ、普通に教えるよっ!」
突然の正の案に驚いたけど、もう追試まで時間がない。何とかしないと...!
――――――その日の夕方。
正が電話で、高校を出てすぐのところにいた田井中さん達を呼び止め合流した。
最初に白川通北山交差点で正と田井中さんと別れる。
正は最短ルートではないけど、曰く、律が可哀そうだから一緒に帰ってやるよ、だそうだ。
田井中さんは不満そうな顔をしていたけど。
次に修学院駅で浩二君と琴吹さんと別れる。もしかして2人はいつも、駅のホームで会話していたりするのだろうか。
そして僕達は今日、松ヶ崎橋を3人で歩いていた。
「ふふふ~なんか、奏くんと澪ちゃんと私って珍しい組合わせだよね~」
「ったく...唯のせいだろー?奏もごめんな?」
「いいえー」
「...澪ちゃんって奏くんと打ち解けたよね!初めは緊張して目も合わせられなかったのに~!」
「そ、それは唯がいつも奏君の話をするからだろ!」
「い、いつもなんて話してないよ!」
「そ、そういえば唯の家には秋山さんは行ったことあるの?」
気恥ずかしくなったので強引に話題を振る。
「期末テスト前に律とムギと1度行ったよ」
「楽しかったよね~」
「奏は初めてだよな?唯の妹見たらびっくりすると思うよ!」
えっ...と思って唯を見ると見事に"どうしよう!"という顔をしていた。
唯も憂さんも皆に言ってなかったんだ...。正や浩二君に話さなくてよかった...。
っと、ここは話を合わせないと...!
「そうなんだ!楽しみ...だなー」
「...?」
少しだけ秋山さんに怪しまれたかもしれない...。
唯は何やら慌ててメールを打っているようだった。
「「お邪魔します」」
「ただいま~」
「いらっしゃーい。ゆっくりしていってくださいね。あ、"初めまして"妹の平沢 憂です。姉がお世話になってます~」
憂さんは僕に笑顔でそう言った。
さっき唯が慌てて打っていたメールはこれか...。
相変わらず出来た子だ...!
「唯と同じクラスで同じ軽音部の細見 奏です。こちらこそ」
失礼なことを言うと、正や田井中さんがいなかったからか、勉強自体は恙無く進んだ。
多分2人がいたら、勉強している横で雑談したり、漫画を読んだり、ちょっかい出したりしただろう。
コンコンとドアがノックされる。
「あの~よかったらお茶どうぞ。買い置きのお菓子で申し訳ないんですけど...」
本当に出来た子だ...!
秋山さんもそう思ったに違いない。
「憂ちゃんは今何年生?」
秋山さんが聞く。
「中3です!」
「僕達と1つ違いなんだ。受験生だね」
「はい!」
「どこ受けるかもう決めてるの?」
「出来れば桜が丘に行きたいんですけど...私の学力で受かるかどうか...」
唯でも受かったんだから憂さんなら絶対大丈夫だろうと失礼にも思ってしまったけど、どうやらそう思ったのは僕だけじゃなかったようだった。
「お姉ちゃんでも受かったんだから大丈夫だよ」
「おいでおいで~」
「お姉ちゃんに勉強教えてもらえばいいんじゃない?」
そう僕が提案すると、
「えっ...それは...自分で、できるから...」
思わずお茶を吹き出しそうになった。
「断れてるよー唯」
「え~なんでなんで~...」
「で、でも!お姉ちゃんはやる時にはやる人です!」
やっぱり出来た子だ...!
秋山さんもそう思ったに違いない。
1時間程勉強した辺りで、コンコンとドアがノックされる。
「どう捗ってる?」
「あ、和ちゃん!うん!お蔭様でー」
同じ3組の唯の幼稚園からの幼馴染の真鍋 和さんがサンドイッチの差し入れに来てくれた。
秋山さん、田井中さん、琴吹さんは期末テストの勉強会を唯の家でした時にも会ったそうだ。
僕は同じクラスだけどあまり話したことがなかったから、憂さんを交えて5人で会話するのは楽しかった。
その日の夜、少し脱線しつつも、後日追試で無事に合格点が取れるくらいには勉強したのだった。
「(x-2y+4)(x-y-1)...っと、出来た!」
「これだけ解けたら大丈夫だろ!」
「これで追試もバッチリだね」
「ありがと~澪ちゃん、奏くん!」
「それじゃあ僕達はそろそろ...秋山さん。こんな時間だし送ってくよ」
「え!?」
「なんで唯がびっくりしてるの?」
「悪いよ奏。家の方向逆じゃないか」
「こんな時間に女性を1人で帰らせる方が悪いよ」
「...そっか。じゃあ甘えさせてもらおうかな」
唯の目線が少し気になったけど僕が秋山さんを家に送ることになった。
Side:上野 浩二&琴吹 紬
修学院駅で奏君と平沢さんと秋山さんと別れ、駅のホームで琴吹さんと電車を待っていた。
僕も琴吹さんも叡山電鉄出町柳駅が最寄り駅だからだ。
「熱くなってきたわね~」
「そ、そうだね」
...
流れる静寂。
琴吹さんは、一緒に帰る時はいつも僕に話しかけてくれる。
だから、たまには自分から話しかけよう。
なぜだか今日は、そう思った。
「翼をくださいを合わせた時に思ったけど、琴吹さんって...キーボード上手だよね。歴長いの?」
琴吹さんの顔を見ると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「私、4歳の頃からピアノを習ってたの。コンクールで賞をもらったこともあるのよ~」
言葉遣いも仕草も綺麗だからか、正君と違って全然嫌味に聞こえない...!
こんなこと正君に言ったら絶対怒られるけど...。
「へえ...!すごいね!...どうして軽音部に入ったの?」
しまった。
つい疑問をそのまま口にしてしまった。
それに気付いて琴吹さんの顔を恐る恐る見るときょとんとした顔でこう答えた。
「なんだか...楽しそうだった、から...?」
彼女はそう答えた。
「っ...あははは!」
「え~どうして笑うの~?」
「ううん、ごめん!僕も同じだから。面白いよね皆」
「うんうん!そうなの~!」
僕と同じ理由だったから不覚にも笑ってしまった。
だから、
答えはわかってたけど、
もう1つ質問をした。
「...僕達の最寄りの出町柳駅ってさ、修学院駅より、高校を出て一番近い茶山駅からの方が近いよね。"紬さん"はどうしていつも学校に行く時も、帰る時も、修学院駅から乗るの?」
そう聞くと、また顔を綻ばせた。
「"浩二君"と一緒の理由よ~」
僕も微笑み返した。
ゴーっと音を立てて、電車が来る。
朝、修学院駅を出て、たまに奏君や正君と会って一緒に登校することが。
放課後、皆で一緒に下校することが。
――――――"楽しいから"僕達は少し、遠回りをするのだ。
Side:一瀬 正&田井中 律
「なーんで正と一緒に帰んなきゃなんないんだよー」
「お前本当に俺に対しては容赦ないな...」
律は女子のバンドの中では男勝りなイメージだけど、唯のギターを買うために皆でバイトすることを提案したりと、話しを聞く限りすごく気を使えるタイプだと思っている。
口には出さないけど。
「...奏や浩二達とは上手くやってる?」
「2人共真面目だから、思った以上に上達してるよ。そっちは?」
「今日も見ただろ~?唯がな~。飲み込みは早いんだけど、それ以前の所で躓いてるしな~」
「そっか」
...
俺が無言で歩いていると律が立ち止まった。
「...なーんかあった?」
「んー。何か、空回りしてんのかなー俺。何かやりたいって焦ってたのかもしれなくて、強引だったかなって」
「うっ...それ私にも刺さるわ...でもさ、いいんじゃない?強引でも」
「何で?」
「結果的に真面目に練習してるんだろー?楽しいんだよ。だから私は心配してない!」
いつも見る彼女の無邪気な笑顔。
「...律って意外と皆のこと見てるよな」
「意外とってなんだよ!」
いつも見る彼女の怒った顔。続けて彼女は言う。
「ってーかさー。奏と唯って付き合ってるの?」
「そうなの!?」
「私が聞いてんだよ!」
「いや、そういう話は聞かないけど...何で?」
「仲良いじゃん。ギター初心者同士、くっついたりして!」
「部内恋愛か...だったら俺は澪がいいな...」
「え!?」
「だってあの綺麗な黒髪...凛とした立ち振る舞い...頭もいいし、超美人だ!」
いつもは見ない、悲しさと驚きが混じったような顔で律が俺を見ている。
「...何だよ。私の澪はやらないぞー!って言うとこじゃないのか?」
「そ、そうだよな!あーびっくりした」
「それはそうと、今度奏と唯が2人で練習してたら、部室に入らずにちょっと覗いてみようか!」
「それおもしろそう!」
そんな他愛ない悪巧みをする2人だったが、これが後に大変な事に発展するとは、この時には思いもしなかった。
Side:細見 奏&秋山 澪
唯の家を出て、2人で修学院駅のある北山通りを歩いていると、
「なんとかなるといいね唯」
「あれだけやったんだから、合格してもらわないと!というかしてくれなかったら私のバンドからギターがいなくなる...。ほんっとにいっつも心配させるんだから!」
「確かに心配するよね...こないだも唯の家d...唯がペグ緩めないまま弦を張り替えようとしててさ!」
唯の家に行ったことを咄嗟に隠したのだが、大丈夫だろうか...。
「奏...唯の家、行ったことあるの...?」
「違う違う!言い間違えただけ!そ、それより秋山さんはさ...」
「澪でいい」
「え?」
「唯のことは名前で呼んでるし、私も奏って呼んでるのに寂しいだろ?」
「...そ、それもそうだね」
それからは少し気まずくなって、無言のまま歩いた。
結局、澪の怪しむ視線に耐え切れず、白川通北山交差点で分かれた。
その日の夜。
「ってことがあってさー。ぜっったい怪しいと思うんだよ律ー!」
「澪の考え過ぎだろー?奏はともかく、あの唯が隠し事なんてできる訳ないって!...待てよ?でも、正も今日そんなこと言ってたな...」
「ほ、ほら!このままじゃバンド存続の危機かもしれないぞ!」
「大袈裟だなー。でも、じゃあ今度部室で唯と奏が2人の時に覗いてみるか?そういう話、正としたんだよ」
「何気にその2人も私は心配してるんだけど...」
「え?何?聞き取れなかったんだけど」
「な、なんでもなーーーーーーい!!!!!」
ブツッ