| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

fate/vacant zero

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

竜が翼迫る雲の上





“序文Prologium.”


 着地の衝撃で懐から飛び出してしまった白紙のはずの祈祷書は、その開かれた裏表紙に手を触れた途端、墨色に薄く輝くその一単語を黄ばんだ白身に吐き出した。

 これは……なんだろう?

 何かの魔法具アーティファクトでも使って書かれているのか、浮かんだ文字はふるふると揺らぎ、その身の積もる埃を水に浮く油分のごとく不均等に変化せしめている。

 この類の魔法具アーティファクトは、大抵が連鎖的にその仕掛けを起動させるものだが……この本はその一単語を身に浮かべたきり、沈黙したままだった。


 不良品なのだろうか?


 一瞬だけ感じた期待・・が、失望に変わる。

 結局は紛い物なのかと、だが紛い物のメイジには似合いかもしれないと。

 自らを薄く貶笑して、そっと浮かんだ文字に手を添えた。


 変化は、劇的に訪れる。

 手が金属的な冷たさを感じる文字に触れると、そこを中心とした波紋が広がるように、ぅわぁっと墨色の文字は頁全体に姿を現した。

 目が、知らずとそれを追いよみ始めた。

 タバサほどではないが、才人を喚ぶまでは本の虫になることが多かったルイズである。

 多少詰まりながらではあるが、その知識はこの古代語で書かれた文章を理解することができた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



“序文Prologium.


 いつかこの書に気付くだろう吾が子孫のためNon dubitate quin notice animadvertio meus progenies hoc biblia olim.、吾が扱いしこの身の理の全てをここに記すOminus ars-magica hoc egomet novi commentarius in hic biblia。


 吾が力は心の力Potentia ex spons ipse meus potentia.。

 肉体に頼らずしてNon credere validus in meus corporeus,、心を指向し世を導す術なりars hic ostensum pro ducere mundas.。

 心は四つの相を見せるSpons ostensum quartus superficies.。


 強き力Potentia ex firmare,、熱く打ち勝つ心Anima transcendere aestuose,、即ち是『火』denique《Ignis》。

 包む力Potentia ex involutum,、静かに認むる心Anima tranquille tribuere,、即ち是『水』denique《Aque》。

 奔る力Potentia ex festinare,、果てず容れる心Anima egere non-limitatio,、即ち是『風』denique《Aura》。

 靭い力Potentia ex mollis,、砕けぬ確かな心durus Anima non facile ab dirui,、即ち是『土』denique《Glaeba》。


 これら四相を基としてHoc quartus fundus,、心は世界を虹と染め替えんAnima inficere mundas pro arcus.。”



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「これって……系統魔法の……?」


 基礎中の基礎の文おしえ。

 メイジであるなら誰もが倣う、色付けを端的に示す物だ。


 ここまでならば。


「……続き……あるわね」


 この続きに書かれるようなこと、とは何だろう?

 興味は尽きず、時も場も忘れてルイズは先に目を進ませる。

 ……使い魔が主人に似るのであれば、その逆もまた有り得るのかもしれない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



“是ぞ吾が編み作りし四大の系統なりMeus adumbrare Quartus multus originis.。

 されど吾が見えし神はVerum, dea ex meus,、それがただ一つの心より出でしものと知るやcum certiores facti ars-magica adducere ex Anima,、そこにもう一つの相を加えたsepar superficies in addere hic ars.。

 願う力Potentia ex precari.。四大の源となる、‘意志’という心Anima ex 'spons', fieri principium ex Quartus multus.。

 神はその力を『空』と呼んだDea appellare potentia《Vaco》.。


 『空』の力は魂の力Potentia ex spiritus ipse《Vaco》potentia.。

 使う者次第で質を変えるその力をAgeretor decernere ingenium ex potentia.、吾は大きく二つに分けたMeus concipere hoc in secundus.。


 前を見る魂Spiritus ex positivus,、自ら瞬き空を仰ぐ力potentia divus cultor et sponte lumen.。

 其は輝く者Hoc Sol、其は光Hoc Lumen.。即ち顧みぬ者Denique non meditator、是『上天』Denique《Aetera》.。


 振り返る魂Spiritus ex negativus,、仄かに灯して地を照らす力potentia tellus despicere et lucerna.。

 其は光に従う者Hoc Luna,、其は影Hoc Umbra.。即ち己なき者Denique non confidentrix,、是『虚無』Denique《Zero》.。


 先の四大に是の『空』を加えHoc addere praequartus,、其を五大の系統とし此に綴らんMeus adumbrare Quintus multus originis.。”



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 声もなく、ただ書かれたことを、誰にも聞かれず口にして。

 ノドの痛みが、知らず固唾を呑んでいることを伝えてくる。

 でも、今はそんなことはどうでもよかった。


 いま確かに、虚無zero、とこれには記されていた。

 見知らぬ単語、空vaco、上天aetera、なども併記されているが、虚無だけはよく知っている。

 伝説の系統、失われし秘術だ。

 今、それがこの手の中で、封を解かんとしている。


 ただそれだけで、これまで感じたことのなかった熱い何かが、心の内を暁と照らしてゆく。

 逸る気持ちに掣肘など、思いつきすらしなかった。

 世界の内から己と祈祷書以外の全てを弾き飛ばし、頁をめくった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



“吾が子孫等よ、是を読みしは『空』を継ぐ者なり。

 汝等に、吾が使命と願いを預けんとす。


 吾が使命は、聖地の奪還。

 志半ばで倒れし同胞の御魂を彼等が故郷に還すべく、

異教の者どもが封印せし門を開放すべし。


 吾が願いは、空の邂逅。

 空の使い手、空の従者、空の宝珠、空の秘宝。

普く石の都に集いて、祈りを捧げよ。


 願わくばその祈りが、喜びに満ちた物であらんことを。

 願いと使命を継がんとする者は杖を取り、宝珠を指にし、頁右下の印に触れよ。

 汝の望みのままに、書は必要とする力を示す。



                     Brimir Le R'Ymir Yr Vilji Ve' Baldur”



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 何故かこの頁だけは、名前を除く大半の部分が現代の文章で綴られていた。

 記された通りにその頁の右下を見やれば、確かにそこには印があった。

 文字と同じく墨一色の、一筆綴りに描かれた五芳星ペンタグラムだ。

 そこより後ろにはまだ何も書かれていないのを確認して、ルイズは大きめに一息吐いた。


 少し頭がくらくらしている。

 最後の文面を信じるならば、この書はまず紛うことなく本物なのだろう。

 杖を持ち、宝珠ルビーを指にして、杖か指かで五芳星ペンタグラムに触れることで書の力――恐らく『始祖の祈祷そらのじゅもん』が、この一連の序文と同じようにして浮き記されるのだろう。


 と。

 そこまで考えたルイズは、何かとてもマヌケたことに気がついた。

 文面とこの後付の署名から察するに、この書は始祖ブリミルの身内専用なのだろう。

 いわばプライベートな文書だ。

 他の人間が読めないような仕掛けを施すのも、当然といえば当然なのだろうが。


 ――ぱらりと、もう一度表紙の裏を見やる。


「……これ、“序文Prologium”の一単語が出てくるかどうかなんて完全に運じゃないの。
 注意書きくらい普通に書きなさいよ……」

 そこには、“選ばれし者、定められし者、杖もち、宝珠指にして印に触れよ”の一文と、先の右下と同じ様に五大の星ペンタグラムが大きく、ど真ん中に、デンと描かれていた。


 ……その他の文字と同じ様に、黒く揺れる文字で。

 序文に触れるまで影も形もなかったことを考えると、どうも単純に魔法具アーティファクトの効果範囲と起点を間違えただけのように思える。

 そう思うと、なんだか始祖がやたら身近な存在の様な気がした。



 恐れ多くも親近感など抱きながら、杖を持ち、序文末尾の印に触れてみる。

 すると、視覚ではない脳裏の奥で、何かが見えた。

 目を閉じれば、その何かはよりはっきりと物を語ってくる。


 それは、“意味”だった。

 文にて綴られ、言葉にて伝えられるべきそれが、その何いずれにも依らずに意識へ直接叩きつけられている。

 曰く、“望め”と、“願え”と。

 “お前の《それ》を、この身しょに託せ”と、その印は刻んでくる。


 望むもの。願うもの。

 そんなもの、決まりきっている。

 “魔法の才”。

 どれほど形こそ変わろうとも、ずっとそれだけが欲しかった。



 でも、

――え……消え、た? わたしの――

     今、

――お前は、魔法を使えてるよルイズ――

        “必要”なのは……

――うそ、直撃したのに――

それじゃない。

 “力”が、欲しい。

 失敗したって、それでもっと強い攻撃が出来るならいい。


 ――二人に並べるような。

 それこそ、凧ふねだって落とせるくらいに強い力が、


「私は、欲しい」


 思わず口に出すほど強く念じて、目を開いた。

 正面、書の目次と思しき頁は、二つの文字列を増やしていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 初歩の初歩の初歩。糾弾の力。『魂破バースト』。Objectum inundare ex spiritalis.

 初歩の初歩の初歩。拒絶の力。『爆砕エクスプロージョン』。Spatium recusativus ex magicus.



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 願いの通り、力の名前がそこにあった。

 歓喜が、吐息に引っ付いてノドから毀こぼれ出す。

 哄笑が、全てを押し流すように心の底を満たしてゆく――







Fate/vacant Zero

第二十九章 終編 竜が翼迫る雲の上ファンネル・アロフト







「畜生、あのヤロウ、性懲りもなく出てきやがって! ――どうだ、デルフ!?」

「ダメだぁ、付かず離れずでピッタリ張り付いてきてやがる!
 どうするよ相棒、さっきみたいなケツ火の奇襲はもう当たりそうにねえぞ?」

「分かってる、今考えてんだちょっと待てって!」

「奴さんがんなのんびり待ってくれるようなタマかよっ取りか、じゃねえや右に傾けろ、急げ!」

「くぉのッ!」


 こちらは丁度遥か眼下の森でルイズが杖を握って☆に触った頃、海抜凡そ2.4кмキロメイルの上空。

 才人とジャンは、艦に倍するその高度で一進一退に攻防を交えていた。


 F-15イーグルの砲槍はジャンが巧みな操竜技術で少しでも長く後背を維持することで。

 ジャンの風の魔法は周辺の練られた精神力を読むデルフリンガーにガンダールヴの超反応で応える才人操るF-15イーグルの、先読み染みた回避運動で。


 それぞれが互いの切り札を封じ合い、互いに決め手を欠く二人の戦。

 さながら尾を食みあう二匹の蛇のごとく、後背を奪い合う集中力の持久戦へとその様相を移しつつあった。



「やべぇなぁ」

「いかんな」

「マズイな」



 それに気付いた二人と一振りが、ほぼ同時に声を漏らす。



「相棒、こいつぁ後どんくらい飛んでられるんだね?」

ジャンは、自らの乗騎を見やり思案する。

 才人は燃料系に一瞬視線をやると、歯噛みする。

少し、無茶をさせすぎたか。

「このまま引き返したら、学院にギリギリ着くか着かねえか。
 奇襲に回避に、都合20回くらいが限界か?
 アフターバーナーに燃料喰われ過ぎた」


 とはいえ。

風竜の限界が近い。

 見間違うはずもなく、あの竜に乗ってるのはワルドのヤロウだ。

小僧の射程から逃れるにせよ、逃れる小僧を追うにせよ。

 どんなに不意を衝こうが掠める様にかわして死角に潜り込む野郎だ。

常に全速力でなければ敵わないのだから当然といえば当然か。

 温存する余裕なんぞ、あるはずもなかった。

その上――

 おまけに――

「あれだけ翼を穴だらけにしながら、速度が小揺るぎもせんとは。
 一体、どれだけの秘薬を注ぎ込んでおるやら」

「あんだけ攻撃されておいて、なんであの竜は速さが変わらねえんだよ。
 まさか、アレも風韻竜とか言わねえだろうな?
 それとも、ドラゴンってあれぐらいタフなのが普通なのか?」

ジャンは、F-15イーグルの動力を知らない。

 才人は、ドラゴンという種族の限界を知らない。

お互いに対する無知。

それが『相手が全力を隠している』という幻影を生じさせ。

結果的にお互いに油断を許すことのない、緊張と集中力を供給し続けている。

この白熱し続ける鬼ごっこは、まだ少し、いま少し続きそうであった。

「どうしたもんかね」

「どうしたものかな」

どちらかが、その思考のループを終えるまでは。

止まれば負ける。

そう彼らが、信じ込んでいる限りは。





「あははははははははh」


 どうしよう。

 数瞬前と同じ様でまるで違う迷いが、わたしの動きを固めている。

 正面には、わけもわからず笑い続けるルイズが一人。

 声を掛けなければ考えも先に進められないはずなのだが、どうにも踏ん切りが付けられない。

 母さまもいつだか言っていた。

 “突然笑い出す人は風の精霊シルフに魅入られた人だから近づいちゃダメよ”と。


 ……妖精ニンフだっただろうか?


「嬢ちゃん、そんな変な余裕持ってないで早くしなよ。
 空の方が、また騒がしくなってきやがった」

 地下水シェルンノスの声と、遠く響く大砲の発砲音に紛れて、彼が矢を射る音が微かにする。

 空を見上げれば、大艦の向こうでひっきりなしに方向転換している、黒い小さな鳥影が。


 ……二つ見えた。

 急いだ方が、いいかもしれない。


 怯む心に杖をくれてやり再び顔をルイズに向けると、彼女も丁度遠くラ・ロシェールの方から、視線をこちらへと向け直すところだった。

 その面はいつかシルフィードの背で見た決意の表情に似て、だけどあの頃決定的に足りなかった何かに満ちているような気がした。

 見ていて不安になるような怯えが、形なりを潜ひそめている。


 ただそれだけ。

 そのはずなのに、この人物が本当にルイズであると確証が持てなくなるほど、ルイズの印象は変化していた。

 ほんの数十分前、涙交じりにサイトの動向を語った姿とも、つい先ほどまで呵々大笑していた怪人物とも、像が上手く重ならない。

 そうして戸惑う私に対し――


「タバサ。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど。いい?」


 少し震えている声で、ルイズはそう問うて来た。

 堅い、確固とした笑みと共に。





 一方。

 その一番騒がしい音の、発生源では。


「あの、艦長」

「ん? どうした」


 ようやく体勢を落ちつけたアルビオン艦隊が、突然港の一角が爆発し霧の晴れ始めたラ・ロシェールへと進軍を再開していた。

 威嚇砲撃を散発的に行いながら。

 その判断を下したボーウッドに、参謀長が尋ねる。


「よろしいのですか? アレは」

「……アレ、とは」


 二人が、更なる上空……艦のほぼ真上辺りで飛び回りながら鍔迫り合う、小さな二つの影を見上げる。

 首が痛い。


「アレのことか? ホレイショ参謀長」


 それに是を一つ返して、彼は問う。


「あの異常なまでの火力、墜とせる内に墜とすべきではないので?
  いつまたこちらに首を向けるか分かったものではありませんし、子爵と奪やり合っている今であれば……」

「そうしたいのは山々なのだが……この艦隊では、な」

「ああ、そういやそうでしたな」


 そうして二人は、また上空を見上げる。



 この親善艦隊を筆頭としたアルビオンの艦ふねには、とある弱点ウィークポイントが存在する。

 上方に対する武装を保持する艦が、極端に少ないのだ。

 そのため、直上に居座られてしまうと、大半の艦においては乗員の魔法以外の攻撃手段が尽くガラクタと化してしまうのである。

 それほどの弱点にも関わらず、他国と数多の空戦を繰り広げた過去を持つアルビオン空軍が、今日に至るまで放置し続けてきたのは何故か?


 要因は幾らか存在するが、主だった物を挙げるなら一つ。

 アルビオンという国の環境そのものだろう。

 浮遊大陸と言う特殊な国土は、それ故に総じて標高が高い。

 平地の森の中を歩いていると雲と擦れ違った、なんてことも日常茶飯事ザラだ。

 そのため、国土全体を通じて酸素濃度は当然の様に薄い。

 アルビオンで生まれ育った者がトリステインを訪れて最初にすることはむせて口に手拭を宛てること、という冗談のような通例まである。


 そんな環境であるため、ただでさえ高空のアルビオンの更に上空を往く艦ふねの更に更に高く飛ぶ事が出来るものなど、同じ環境で生まれ育った竜族の生え抜きと、極一握りの騎士のみだった。

 侵略してくる他国(ゲルマニアとかスカンザとか)の艦など、同じ高さまで上がってくることさえ不可能であったのだ。

 故に竜騎士はアルビオン艦隊の要であり、最強の号を冠する誉れの騎士であった、わけだが。


 つまるところ、『上を警戒するくらいなら横や下を狙うことに重点をおくべきだ』という風潮が、アルビオン空軍には存在しているのであった。



「まあ、先の爆発といい、今この上空といい、ワルド子爵もああして奮戦してくれている。
 上の怪鳥も下の風竜も、こちらに突っ込んでこない限りは警戒しておくだけで充分だ。
 それより今は、港を押さえる方に集中したいからな」

「弾にかなり風石を持っていかれちまいましたからね。通常航行であと、三十分くらいですか」

「そうだ。守りをカ殴り捨てて弾を曳き上げても、せいぜい一・二時間伸ばすのが精々だろう?
 どの道、いまあの港を奪えねば」

「我ら共々、巨艦は大地の木片と化すのですな。
 全く、こうなると堅実に陣など張ってしまったのが悔やまれます。
 不明になっても未だ健在とは、なかなかどうして総司令官殿は一味違いますな。

 嫌な意味で」


 今は床に伏しているサー・ジョンストンを盛大に皮肉ののしる参謀長だが、更なる皮肉どくを吐こうとしたところでボーウッドに遮られた。


「その辺りにしておけ、ホレイショ。
 提案したのは彼あれだが、それに乗ってしまったのは我々で、彼あれが戦術眼など微塵も持たない輩だということを忘れていたのも我々なのだ。
 彼あれに愚痴をこぼすくらいなら、眼前の敵に集中した方がずっと健康的というものだろう?

 ……精神的に」


 参謀長は憮然としてそれを聞き流していたが、ボソリと最後に彼が呟いた途端、様相を崩してこの堅苦しい同期艦長の肩を叩いた。

 と。そこに伝令が一人駆け寄り、一つ伝えた。


「港町ラ・ロシェール、必中距離です!」


 ボーウッドは一つ頷くと、揮下の艦に砲撃命令を下した。

 応じた砲列艦が一斉に鉛を吐き出す。

 対するラ・ロシェールも薄まる雲を掻き集めているが、薄くなったそれでは全ての弾はもはや防ぎきれず。

 多くの弾雨が市街地に到達し、岩の破片を撒き散らす。


 初撃は上々、このタルブの戦いに措ける、最後となるだろう艦隊行動が始まった。





「もう、幾許の猶予もないわ。タバサ……サイトを、お願い」

 一通りの作戦、とも呼べない無茶を説明し終えたルイズは、空を滑らかに動き始めた艦の方へ体ごと顔を向け、手にした白紙・・の書に目を落とした。

 どうしたものか、と少しだけ迷い――思いなおして、一つ告げる。

「わかった」と。

 もし彼女が、本当に言ったとおりのことを行えるならば――


 上空、まだ廻り続ける二つの線を見つけた。


 ――艦を落とそうと試みるだろう彼も、まず間違いなくそれに巻き込まれてしまうだろうから。

 それだけは、避けなければ。

 そう考えた時、胸の奥深いところで、赤い瞳の魔物が問うた。

 『何故?』と。

 それに答えるでもなく、愛用の杖と短剣シェルンノスを手に、線の片割れ、黒い方を見据えた。


 そんなものは、分かりきっている。

 彼は、よき教え子であり……きっと、よき友人なのだから。

 友人を死なせたくない、理由なんてそれだけで充分だった。


『もし……彼がそう思っていなかったとしても?』


 イメージの邪魔だ。

 目を閉じ、再び囁いた像を打ち砕く。

 当然だ、と痛みと共にそう胸に抱く。


 これ以上、行動が遅れてしまわないように。

 万が一にでも、彼を死なせてしまうことのないように。


「Egomet私は draconis竜. Conscendi boreas風を駆る, nondum nomen名も無い draconis竜」


 イメージするものはシルフィード。その対象は、私自身。


「Cito疾く, firmare靭く, sicut jegli-猛禽の様に――」


 この呪言は呪文ではない。

 ただイメージを強固にするためだけの、古代語ルーンによる自らへの戒め。

 そうして一言、


「"Volucritas, sublimen崇く翔べ"!」


 『飛行じゅもん』を唱え、この身を全き風と同化なした。


 木々の合間をすり抜けて、枝葉の壁を踏み越えて、進路の燕を追い抜かして空に舞う。

 仮面を着けていて、本当に良かった。

 少なくとも、風圧で目を開けていられない惨事だけはないのだから。


「嬢!」


 忠告こえに咄嗟に捩じらせた身を、砲弾のような速さで飛来する『風槌カタマリ』が掠めて過ぎる。

 右面上方、艦隊最後尾の艦の上、身を乗り出し杖を振るう兵が幾らか見え、

《  ……~~~§^ ̄〇! еЩ☆℃Θ£! #$~~~……  》

 一瞬後には何事か叫ぶそれらの死角となる艦尾に入り、勢いもそのままに通り抜け、逆舷から甲板を越えた。

 狙いを付けられぬよう、帆の周りで弧を描き、短剣シェルンノスを突き立て、帆を軽く裂いて獲る。

 裂いた帆を口に食はみ、軽く呼吸を整え、準備は完了。

 飛んできた風の塊を避け更に上、縺れ合う二騎の軌跡を頼りにそれを目指す。

 目まぐるしく位置を違えようとしている二騎に気付かれないよう、相対線上に常に雲を挟む様に進路をこまめに変えながらしばし飛び。



 ――正面、間近に迫った雲が、突然弾けた。

 反射的にそれを交わし見れば、弾けて拓けた雲の切れ間から、杖を振った姿勢のままこちらを仰ぎ見て目を見開く、空に溶け込みそうなほど青い竜を駆る騎士と目が合った。


「ッ、せぇぅシェル!」

「万端だ! 振り抜け、嬢!」


 ソレを合図に、作戦通りに加速しながら空を斬る。

 短剣シェルンノスの軌跡から細い針が複数生まれ、騎士――見覚えのある男へとその身を飛ばす。


 『風棘エアニードル』。

 『飛行フライ』を使っている間は、他の魔法を一切唱えられない。

 極一般的な常識せんにゅうかんを逆手取った、実質二人掛りならではの奇襲おくのては、


『――――ッ!!!』


 けれど騎士に到達するよりも速く払うように振りぬかれた杖に砕かれた。

 無詠唱呪文、恐らくは『風槌エアハンマー』。

 杖を持っていない方の傍らを擦れ違い、進行方向はそのままに振り向きながら。

 既にこちらを振り向きつつあるその騎士と目が合い、その反応の速さに畏怖を覚え。


 同時、その姿に快芯の意を捉えた。





「タバサ!? 何やってんだこんな所で!!」

「知らん! てかそんなこと言ってる場合じゃねえぞ相棒、野郎の狙いが娘っ子の方に流れてる!」


 いきなり増えた背後の気配につい機体を傾かせた才人は、左舷の空で対峙しているタバサとワルドの姿を捉え、フリーズしたまま慌てふためいていた。

 器用な。


「いいか、この隙逃すんじゃねえぞ!
 下のデカブツか、そこの騎士サマか、どっちかだけでも確実に潰しちめぇ!」

「わかりやすいアドバイスありがとよ!」


 叫び、操縦桿を引き倒す。

 機首を跳ね上げ、更に宙に近くなった機体をドリフト気味にするっと回し、ラ・ロシェールを目指す遠く遠く見えるゴマのような敵の群れかんたいをじっと見据え、


「行くぞ!」

「よし行け! ってそっち行くんかよ!」


 ドリルか螺子の渕エッジでも滑ってんのかって軌道で、半ば重力任せに、見ていた方とは違う敵影めがけて突撃かました。

 もう、マジで燃料がかっつかつなのだ。

 下の艦まで下りたら最後、多分この高さまで戻ってこれない。

 だからマズはアレから倒す。ぶっ倒す。


 そうして裏の銃爪トリガーを一つ、がっつりと握り込んだ。



 タンッ、と空気を打つ音がして。

目の前、迫る翼の付け根の辺りが赤く光り。

 左の砲から一発限りだが飛び出した凶弾は空を奔り、竜を抉った。

勢いよく飛び出した細長い何かが、竜に着弾する瞬間にその背中を蹴って飛び出した。

 その皮翼の右半分を形造っている骨を中ほどから槍たまに喰らわれ、きりもみを始める竜から弾かれたように飛び出す一影ひとかげが、機体の射線に重なり――

絶叫する竜を背後に正面、丸い窓硝子の向こうに座り構える小僧を、視界に捕らえた。

 ――ドクリと視界が脈打った。

 影が頭頂から割れ、血を噴きながら笑い出す。

一瞬、翼が剣に見えた。

 この一ヶ月間、生き物に剣を向ける都度、意識の底から俺を蝕んでいた“呪い”だ。

薄い板状の物を見るたび、こんな錯覚が見えるようになった。

 流石に相手が斬った本人だからか、いつもの幻影に増してはっきりとした輪郭をしてる。

原因はやはり、この小僧か。

 だが、構いはしない。

この翼やりも、あの魔剣も、皆こいつを慕うようにこの小僧の手元に集ってゆく。

 後でいくら吐瀉に塗れようが、こいつだけは。

やはり、危険だ。

 あの一瞬を、紛い物でも作り上げたこいつだけは。

何としても、この空で――

 今、この瞬間にも杖を向けてくる――


「「こいつだけは!!」」


 お互い、ソレと知らずに叫びあう一瞬の同調と共に。

 引き金が引かれ、

杖が振るわれ、

 ガキりと不快な音がする。

すっと体が風に乗る。

「な――」

一瞬で足元を通り過ぎようとする猛禽、

 引き鉄それに触れている手が、その災悪を伝えてくる。

その内で慌てる奴の姿に、好機を悟る。

 排莢不良ジャム。

足元のそれを追う様に飛び、

 機体が、いきなり大きく旋廻し始めた。

この翼の逆立てた尾に手を掛け、乗り移る。

 一瞬詰まった薬莢に、好機は一転。

翼が大きく揺らぐ。振り落とそうとしているのかもしれないが――

「なんだ!?」

「この程度、気性の荒い竜の騎乗に比ぶれば!」

「相棒、やべえ!

ただ速いだけならば、どうと言うことは無い。

 後ろに乗り移られてる!

この距離、この位置ならば!

 でけぇのが来るぞ!」

「Magnus大くよ Turbidus病み Solo荒れ Rui打ち据えよ Ventosus風よ――」

 袋小路の窮地に変化した。

振り下ろす杖から、振動する風の塊が飛び出し、

 座席真後ろの風防が、勢いよくべっこりと凹んだ。

……通った!





「やべえ、相棒! こりゃ、もう一発喰らったらマジでオレっち落っこちちまう!」

「わかってる、もうやってる! やってるけど、あいつ落ちねえんだよ!」


 アフターバーナーを使用しないギリギリの状態に何度も到達しているのに、後ろに乗っているワルドはしぶとい。

 頼みの綱のタバサも、墜落しないギリギリの全力で飛び回るこちらの速度に明らかに追随しきれていない。

 もう一撃、もう一撃ワルドに攻撃を許してしまえば全てが終わる。

 終わってしまう。

 もう一撃……ん。



 ……もう、一撃、加われば?



「これだ!?」


 右旋回の自動操縦をONにし、おもむろにデルフの先端でハーネスを裂いてゆく。


「……っそうか、その手があった! やれ、やっちまえ相棒!」





大鳥が加速している間、何度も吹き飛ばされかけ。

それでもこいつだけはと、振り落とされるものかと、姿勢を低くし踏ん張っていたジャン。

彼はその瞬間、全身に感じる圧が下がるのを感じ、勝利の確信を確かに見出していた。


杖も、精神力も、確かにある。

後は呪文を唱え、杖を振るえば……あの小僧の首を、獲れる。


「Magnus大くよ」


数ある呪文より選択したのは、先と同じく貫通力と面の攻撃範囲。

「Turbidus病み」


もう一撃の『震風ウインドブレイク』を以って、硝子窓ごと奥の小僧まで攻撃を届かせるごり押し。


「Solo荒れ, Rui打ち据えよ」


そうして高々と杖を振り上げ、呪文の完成と共に、杖を――


「Ventか……a,sぁ!?」


振り下ろそうとした、腕が――

 振り上げられた腕を狙って――

「Fregi砕け, Gradius Aura風刃――!」

 思いっきり、杖を振りぬいた。

肘の辺りで、半断された。

力が抜け、吹き飛ばされそうになる杖を慌てて逆の手で掴み、

「Lunar襲え,」

「バカな――」

今にも砕け散りそうなヒビに塗れるガラスを見やれば、

「Magnus広大な」

「――魔法だとォ!?」

大きく裂けたその向こうに、一人杖を構え直す――

「Ventosus大気よ――!」

「ぅ、ぉおぉおおおおおおお!?」

軽装ベルトまみれの、竜騎士こぞうの姿!

「吹っ飛べぇえええええ!!!!」

直撃する。





「――ッ」


 砕け散った硝子を巻き込みながら襲い来る『風槌エアハンマー』に吹き飛ばされ、だがジャンは未だ諦めてはいなかった。

 中空に滞空しながらも、飛び去ろうとする怪鳥を睨み据え、無事な腕に持ち替えた杖を手に、再度『飛行フライ』の呪文を唱える。


 もう一度。

 もう一度、今一度、あの逆立った翼に手を掛ければ――!


 まだ、勝てる。

 そう信じ、『飛行フライ』の呪文を完成させ、発動しようとしたジャン。

 だが、


「ごッ!?」


 そのイメージが、喉仏を強突する硬い衝撃に遮られ霧散した。

 何事かと、出血と衝撃に霞みかけた目で背後だいちのほうを見やると……。


「こ、むす――」


 その曲がりくねった長い杖の頭にこの身を掛け、今まさに振りぬかんとする青髪の女騎士シュヴァリエの後姿が見え――







そうして。

その一撃をもって、この空域最後の空中戦の、幕は落ちた。






 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧