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fate/vacant zero

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日常の定義



 さて。

 シルフィードから置き去りにされたあと必死こいて歩いた結果、何とか夜が明ける前には学院まで帰り着くことが出来た俺たち五人。


 皆して老オスマンに報告を終え、ぐったりと部屋に戻って、眠って起きたらさらに翌日の夜明けだったって怪奇現象を体験したわけだが。



 まあ、それは別にどうでもいい。

 いま問題なのは。


 なんか、ルイズの様子がおかしいってことだ。









Fate/vacant Zero

第二十一章 日常の定義







 異変は、起き抜けから始まった。と、思う。


 本当にイヤになるほど染み込んだ定時起床の習性は、きっちり俺の目を日の出前に覚まさせた。

 いや、丸一日眠ってたんだけどな。


 でだ。




 最初の数日はルイズを起こしてから洗顔用の水を汲みにいっていたんだが、そうするとどう頑張っても「遅い!」と怒鳴られることを学習した。
 よって、俺の朝起きて最初にすることは、一階まで駆け下りて水を洗面器に張り、部屋に戻ることである。

 手間と時間の節約のため、自分の顔は井戸から水を汲み上げた時に済ませるようにしていた。

 今日は一段と寝汗がじっとりヤバかったので、念入りに洗っておく。


 で、部屋に戻るとすぐにルイズを起こす。



 ふにゃっと歪んだ寝起きのルイズの表情は、いつ見ても和むなぁ。

 ここしばらく見れてなかったからより味がある。





 床に洗面器をおいて、両手で水を掬すくったまではいつも通りだった。

 つまり、ここらから先が何かおかしかった。




 手に水を溜めて、待つこと数秒。

 どうしたことか、ルイズが動かない。


 手がかじかんできたから早くしてほしいんだが。



 そのままぼーっとしたルイズを待つこと数秒、こしこしと眠そうに目を擦って曰く。


「そこに置いといて。自分で洗うから、いいわ」


 と。

 なんか漢文調になったがそれはどーでもいい。





 最初に思ったことが『ヤバい俺なんか粗相でもしたか』だった辺り、いい具合に俺もこの世界に馴染んできちまった気がするんだが。

 ともかく、驚いた。




 驚いてる間に手の間から洗面器に、水がどぱっと落下するぐらい驚いた。

 このワガママ女王ルイズさまの口から、『自分でやる』なんて言葉が出るなんて、この半月余りの間、想像したことすら一度たりともなかったんだから。


 故に。



「……ルイズ?」


 と、ひらひら顔の前で手を振ったのは無理からぬことだと思う。

 ルイズは拗すねたように口を尖らせて、そっぽを向いた。


 なんか頬が赤くなってる。



「自分で洗うから、いいの。ほっといて」


 そういうとルイズは自分の手を洗面器に入れて水を掬すくうと、顔をつけて。


 ぶるぶるぶるっと、顔を思いっきり振った。

 わりと派手に水が飛び散り、拭き仕事が増えた気がする。

 まあとりあえず。



「お前、顔を動かして顔を洗うタイプだったのか」


 ぴたっとルイズの動きが止まった。

 手から顔を上げ、赤く染まった顔でわめく。



「い、いいじゃないのよ!」

「や、いいけど」


 調子狂うなぁ、とその間にすっかり慣れてしまった手つきで着替えを用意して、下着をベッドの傍に置いておく。

 こうやってから後ろを向くと、いつも通りにもぞもぞと衣擦れの音が聞こえだす。

 下着だけは、さすがに毎回自分でつけるルイズであった。



 そうして衣擦れの音が3秒ほど続けて聞こえなくなったら振り返り、服を着せる。





 これがいつもの方法だった、んだが。

 今朝のルイズは、本当に妙だった。




 衣擦れの音が途絶えて、1・2・3。

 手にルイズの制服を掴んで振り向く。

 するとそこには、下着姿のルイズが――


 いなかった。



「服、置いといて」


 何でか知らないが、ルイズは口元から下をシーツに包くるんで、そうのたまっていらっしゃる。

 いつもなら、『早く着せなさいよ、グズ』とか罵声ばせいが飛んでくるんだが。


 何やら、恥ずかしがっているように見えるのは俺の幻覚か。

 使い魔に見られてもなんともないんじゃなかったか。



「着せなくていいのかよ?」

「置いといていってるじゃないの!」


 と怒鳴って再びシーツに顔半分を埋めるルイズは、う~~~と唸うなりながら俺を睨んでいる。

 不審に思いながらも、ルイズの傍に制服を置いてやる。


 すると今度は、



「向こうむいてて」


 とおっしゃった。



「え?」

「向こうむいてなさいって言ってるの」


 着替えるところを見られるのがイヤらしい。

 マジで恥ずかしがっている。



 こいつ、おかしくなったんじゃねえの?





 なんて考えてた俺は、今から考えると相当おかしくなっていたと思う。


 これまでがこれまでだったから忘れがちになってたけど、女の子ってフツーこうなんだよな。

 今までが異常だっただけで。


 ともかく、その時の俺はどうかしていたんだろう。

 言われた通りにルイズに背を向け、しばらくの間イカレた頭でルイズに何があったかを考えた。




 確かにアルビオンでは色々あったんだ。


 婚約者だと思ってたヤツは裏切り者。

 幼馴染のお姫さまの恋人は死地に出向いた。

 そしてルイズ自身、死ぬような目に――フラッシュバックしかけたので回想を遮断。



 ともかく色々あったあの事件が、ルイズを変えたのかもしれない、と思った。

 思ったんだが、直接的な原因がまったく思い浮かばない。


 何がルイズを変えたんだろうか。


 俺は、自分がルイズに好かれるようなことをした覚えはない。

 それどころか、あの旅の間はずっと、ルイズから避けられていたような気さえする。


 となると、これはなんだろう?

 好意的なものでないことは間違いなさそうなんだが。



 ――あ。



 ふと、旅に出る前夜のこと、お姫さまがこの部屋を訪れた時のことを思い出した。


 そうでした。

 確か俺、あの時にルイズをキャミソール姿にまで無許可で剥いた気がする。

 アレか、アレのせいなのか。


 ああ、だから着替えを手伝わせなくなったんだな。

 ああ、ああ、それで俺は旅の間中、ずっと避けられてたんだな。


 自業自得じゃねえか。ばっかでぇ。



 ああもう、あんなことしなけりゃよかった。

 そうすりゃ、タバサに迷惑かけることも無かったろうに。


 俺の馬鹿。


 要するに、ルイズは俺に襲われたくないんだな。


 いや、当たり前だけど。

 つまり、好きじゃないんだ。


 これも当たり前か。

 当たり前なんだが、なんでか悲しいのはなんでだ。



 一縷いちるの望みか?


 ないない。

 あるはずない。


 俺はルイズに好かれてなんかない。


 ただの使い魔。

 もとい、今では危険な使い魔。


 夜中に狼に化ける、いけない使い魔。



 きっとそう思われてる。

 心の壁がある。





 ……って感じに思考が走っていったんだっけか。


 どう考えても、これって変な話だよな。

 旅の終わった後でひん剥いたんならともかく、旅の始まる前のことだぞ?


 なんで今になって、こんな恥ずかしがってるんだ。

 だいたい、出かける日の朝は普段どおりに着替えさせた覚えがあるぞ?

 もしそれが原因なら、あの日の内から避けてくるだろうに。



『それ、錯覚だから。
 その証拠に、ワルドが現れてからは一度も俺に話しかけなくなりませんでしたか――』


 ややこしくなるからちょっと黙れ絶望派才人おれ。




 ああ、そうだ。間違いない。

 ルイズは、全然何とも俺のことを想ってないのだ。


 寂しさに気付いてしまった分だけ、新しく間に出来たその壁が痛かった。

 落ち込みが激しかった。



 僅か20秒ほどの間に、俺の思考はどん底まで落ち込んだ。





 ……振り返れば振り返るほど馬鹿っぽいなぁ、俺。

 調子に乗るのもあっという間なら、墓穴掘るのもマッハじゃねえか。


 父さんゆずりか、これ?


『そこは親のせいにすんなや』



 なんかいま幻聴が聞こえたような。

 驚かされすぎて、疲れてんのかなぁ、俺。




「なにつぶやいてんの?」


 いつの間にか口に出ていたらしい。

 迂闊に考え事も出来んクセだな、と振り返ってみれば、着替えを終えたルイズが、怪訝に俺の方を見つめていた。


 どん底まで落ち込んだ俺は、なぜだか申し訳ない気持ちで満載になって、幽霊のような虚ろな声で答えた。



「すいましぇん。もう二度と独り言はいたしましぇん」

「そうして。なんか気味が悪いし」


「はいでしゅ……」


 俺が猛烈にしょぼくれるのを気味悪く見やりながら、食堂に向かった。

 ドアを開けた途端に目を覚ましたばかりのキュルケと鉢合わせたのは余談だ。

 いつもみたいな口論にもならなかったしな、なんでか。


 とりあえずアレだ。

 俺の周りの女の子は、低血圧ばっかりか。





 さて、そうして移動したアルヴィーズの食堂でも、まだ異変は続いていた。

 いつものように、定位置と化した床に座り込んだ時のこと。




 スープの皿がない。


 やべえ、なんか飯を抜かれるようなことしたっけ。

 いや、何もない。そのハズだ。


 昨夜。

 っていうか、今朝未明か。





ホントは昨朝未明だったんだけどな。




 学院に帰りついて、オールド・オスマンに事の次第を報告して、誉めてもらって。

 部屋に戻って、泥みたいに眠って……、そのまま朝だ。


 怒らせるようなことは、何もしてないはずなんだけど。

 どゆこと? と眉を下げてルイズを見上げると、何故かルイズはそっぽを向いたまま喋った。



「今日からあんた、テーブルで食べなさい」


「え?」

「いいから、ほら。早く座んなさい」


 あまりの思いがけなさにきょとんとしたまま、ルイズの手で椅子に座らされた。

 しばらく呆然としてると、いつぞやのかぜっぴき……、マリコロネだっけ?

 が近寄ってきて、文句を言い出した。



「おい、ルイズ。そこは僕の席だぞ。使い魔を座らせるなんて、どういう了見だ」

「座るところが無いなら、椅子を持ってくればいいじゃないの」


 ルイズが、きっとマリコロネを睨んだ。



「ふざけるな!
 平民の使い魔を座らせて、僕が椅子を取りに行く? そんな法はないぞ!

 おい使い魔、どけ! そこは僕の席だ。
 そして、ここは貴族の食卓だ!」


 そうマリコロネは告げると、襟首を掴んできた。





 ……あー。

 多分、一昨日にワルドの馬鹿野郎とやりあった感覚が残ってたんだろうなぁ。




 俺は反射的に手を払って立ち上がると、マリコロネの首筋に、デルフの刃をぴったりと添えていた。



「ヒッ……」

「……ぁ、わりい」


 完璧にうっかりだ。

 デルフを背負いなおすと、マリコロネ――あ、思い出したマリコルヌか――の肩を叩いて、力なく微笑んだ。



「なあ、ぽっちゃり。さっきなんか言ったか?」


 ぶんぶんぶん、と脅えた様子でマリコルヌは千切れるんじゃないかってくらい勢いよく首を横に振る。

 なんでこんなに脅えてんのかね。





 なんて思った自分がちょっと怖い。

 今は反省している。




「言った、けど、いい。
 なんでもない、ません」


「ありません、じゃね?」

「ありません、です。はい」


「うん、よし。ほら、椅子とってこいって。
 メシは仲良く食おうぜ」


 そう言ってにっこり笑うと、マリコルヌは椅子を取りに行くため、素晴らしい速さで駆けていった。

 うん、ワルドの獅鷲グリフォンにも勝てそうなくらいにすっとんでったなぁ。


 そう思いながら座りなおした。

 ちょうど、キュルケが大欠伸しながら食堂に入ってくるのが見えた。





 流石に剣デルフ抜いたのは拙かったよなぁ……。

 あの時は気にしなかったけど、なんか食堂中が静まり返ってたし。




 キュルケは珍しいことに、ルイズの隣に座った。

 さらに珍しいことに、ルイズはそのことに何も言わず、すました顔で祈りの時間を待っている。


 はて、本当に今日のルイズはどうしたんだろう。

 キュルケはなんとなく分かるんだけどな、シルフィードの上での様子を見る限りだと。



 しかし、ルイズの方は謎だ。

 いったいどういう心境の変化なんだか。


 なんだって今日のルイズはこんなに優しいんだ。

 いっそ不気味なほどに。


 何かの罠か。





 うん、テンパって無い頭で考えると……、これって、アルビオンでワルドから助けたことに対してのお礼……なんだろうかなぁ?

 そうだとしても、ルイズは俺が助けに行ったなんて覚えてないような気がするんだけど。


 俺が行った時は気絶してたし、実際に守ったのはタバサ(の姿をした人形を使ったシェルンノス)だから、そういうのの鉾先が向くとしたら俺じゃなくタバサなんじゃ……いかん、わからん。



『だーかーらー』


 やかましいぞ絶望派おれ。




 いや、違う。

 ルイズはあのアルビオン行きで、確かに何かが変わったのだ。


 きっと……、傷つき、斃たおれ逝ゆく人たちを見て、心に優しい気持ちが芽生えたんだろう。

 そうに違いない。


 そうでなければ、俺みたいな野獣に優しくなんてしないだろうから。

 歴史上の人物、ローマのカエサルも言っていた。



 自分と敵対した者でも降伏すれば許す、と。



 言ってはなかったっけ。

 あれはなんと呼ばれてたっけか……、そうだ、『寛容』だ。



 これだ。





 んなこたぁないだろ、俺。

 許したからって、評価が向上するわけでもないだろうに。




 そこまで想像をめぐらして、生暖かい目でルイズを見つめる。


 優しくなったネ、ルイズ。

 うん、一段と女の子らしくなったヨ。


 なんだか、とってもキミが眩しいヨ……。

 野獣認定真っ最中のこんな俺にまで優しくしてくれるなんて、キミはどんどん成長してるんだネ……。



「ねぇ、ルイズ」


 うん。そんなキミを、ボクはちゃんと見守るヨ。



「なによ?」


 キミの使い魔として、物理的にも。



「なんか、ダーリン変じゃない?」


 もう、二度とひん剥いたりしないヨ。



「……やっぱりキュルケもそう思う?」


 いつか帰るその日まで、キミを守るヨ……。



「ええ。とりあえず目が変ね」

「そうね、目が変よね。あと、言葉遣いも変になってたわ。
 どうすればいいと思う?」


 ボクのこと、スキでもなんでもないキミでも、優しくなってくれて嬉しいヨ……。



「とりあえず、直接言ってみたら?」

「そうね、話しかけるのもちょっと躊躇いたくなるけど。
 ちょ、ちょっと、なにヘンな目で見てるのよ?」


 ルイズに話しかけられ、自分が相当気持ち悪い目になっていたことに気付いて焦った俺は、とりあえず顔を背けた。



「き、キモくてごめんなしゃい」


「……ほんとにヘンね。どうしちゃったのかしらダーリン」

「そんなのわたしが聞きたいわよ……とりあえず。サイト?」


「はいでしゅ」

「『でしゅ』は禁止。あと、その卑屈な態度なんとかしなさい。いいわね?」

「ハイ」


 そう仰せでありますなら、喜んで。



「それにしても、タバサ遅いわねぇ。まだ眠ってるのかしら……?
 もう食事始まっちゃうわよ」



 ……なぬ?








 その辺りでようやく正気に戻ったんだっけ。


 とりあえず、朝からのあの豪華さは、粗食に慣れてた俺にはちょっと重い。

 あのサラダはやっぱおやっさんのが最高だったけどな。



「同意」


 うんうん。

 それから部屋の掃除と服の洗濯を済ませて、いつものようにこうして寮塔前のアウストリの広場で、ルイズの豹変っぷりについて考えてるんだが……、服……。



 ああ、服、どうしようか。

 夏の間はこの半袖パーカーでもいいとして、冬を越せるかどうかが怪しいんだけど。



「ごめんなさい」


 いや、タバサは治療してくれたんだし、必要なことだったんだろ?



「(こくり)」


 なら、気にすることなんか無いって。









 ……ん?



「タバサ、いつからそこに?」

「ようやく正気に、の辺り」


 なんか、いつの間にやらタバサが隣に座って本を読んでいた。



「もう体は大丈夫なのか?」

「平気。もう充分」


 平気ね。

 大丈夫、と言わない辺りが不安なんだが。



「そんなことはない」


 そうか。



 ところでタバサ?



「?」


 首を傾げるのは結構なんだがな。



 もう、二限目に入ってるぞ?



「知ってる。さっき窓から見た」


 そうか。


 って待て。



「授業でなくていいのか?」

「今から行っても、中途半端」


 だから行かない、っていいのかそんな適当で?



「いい」


 そうか?


「そう」


 そうか……。



「ならさ、今からちょっと俺に、文字を教えてくれないか?」


 こくりと頷いてくれた。ぃよし。



「でも、どうして?」


 首をかしげて、タバサが訊ねてくる。

 や、どうしてって言われてもな。



「アルビオンでも言ったけど、俺ってこっちの文字読めないからさ。
 本が読めないんだよ」


 前にルイズの部屋にあった本を軽く見てみた時は、ミミズの羅列にしか見えなかったしな。



「こっち?」


 ぁ、いけね。

 俺が異世界から来た、ってことは秘密にしないと……あれ?



 ちょっと待てよ?


 タバサになら、正直に言っても別に問題はないんじゃないか?

 というか、そもそもなんで異世界から来たことを秘密にしてるんだっけ?



 ……ああ、思い出した。


 ルイズにこれでもかってくらい説明したのに信じてもらえなかったから、説明するのが面倒になったんだっけか。



 ――さて、ここで問題なんだが。


 今、目の前で首を傾げているちっさな少女。

 借りを作りまくった相手であるタバサに、面倒なんていう理由をもってこのことについて沈黙を守り、嘘を教えることは、赦されることだろうか?



 無論、否だ。

 ていうか、俺自身がなんか恩を仇で返すみたいな気がして嫌だ。



 まあ、信じてくれなけりゃその時はその時だ。

 別にそれで困るわけでもないし、そもそもタバサは自分からこういうことを放言するタイプでは、確実に無い。


 そこは断言してもいいと思うから、面倒なことにはならないと思う。



 さて、それじゃあ……語ってみようか。









「違う世界の人間。そう」


 タバサは軽く目を瞑つむると、それだけを返してきた。



「信じてくれるのか?」

「あなたが嘘をつく理由がない」


 まあ、そうだけど。

 自分が聞いても法螺と思いそうな話を信じてくれたらしいタバサは、そのまま俺をじっと見つめてくる。



「あなたは」


 なんかどきどきと音がするんだが。なんだこの音。

 耳元で鳴り響いてやかましいぞ。



「帰りたくないの?」


 ……へ?



「自分の家に……、お母さんのところに、帰りたくないの?」


 そりゃ、帰りてえよ。


「じゃあ、どうして」



 帰らないの? ってことだろうか。


 帰れるもんならとっくに帰ってるよ。



「どうやって帰ればいいんだか、方法が見当もつかねえんだ」


「探せばいい」

「とりあえず学院長には聞いてみたけど、手掛かり皆無だったよ。

 "破壊の杖"の入手経緯も偶然だったみたいだし」



「あ。……それで、本を?」


 そうだよ。



 まあ、魔法の知識を増やしておきたいってのがどっちかっていうと本音なんだけどな。



「わかった。協力する」


 いいのか?


「かまわない。これも、借りの一つ」


 すまん、なんか新たに借り作ってばっかな気がするヨ、俺。



「なら、今から図書館に行く」


 図書館?



「そんなのあったのか?」

「本塔の、宝物庫の一つ上の階。
 本塔の上半分は、図書館と学院長室で殆どが占められている」



 上を見上げながら言うタバサにつられて、俺も背後の本塔を見上げてみる。



 …………上の方に雲が掛かってる気がする。ちょっと高すぎないか。

 コレの上半分が殆ど全部図書館だって?



 マジか?


「まじ」


 表現に即した律儀な返答ありがとう。

 ……昇るの大変そうだなぁ。



「大丈夫」


 そうか?


「あなたのルーンなら、5分もあれば余裕で着く。

 …………ハズ」


 それは大丈夫っていわねえ。

 っていうか、俺がタバサを抱え上げるの前提じゃねえかそれ!



「よろしく」


 いや、おま、自分が女の子だっていう自覚をだ『ズドォオオンッ』



 ………………。



 見詰め合うことしばし。



「なあタバサ。今の音って」


「爆発」

「だよな。ルイズだと思うか?」

「多分。……『火』の塔から」


 確かに、『火』の塔の方からなんやら黒煙がもうもうと。



「……やっぱ、片付け行かねえと拙いよなぁ。
 わりぃなタバサ、頼んでおいてなんだけど、字の勉強は今度にしよう」

「いい。それより、手伝う」


「え。

 い、いやそこまでしてくれなくていいって」

「気にしないでいい。暇つぶし」


 ……俺の言えた義理じゃあないが、マジメに授業受けなさい。

 って、爆発したんならどうせ潰れてるか、この時間。


 ……ハァ。







 今回の爆発の原因は、モンモランシー……長いな、モンモンでいいか。

 モンモンの安い挑発に乗っかったルイズが、コルベール先生製作の謎の装置に点火しようとしたから、らしい。


 なんでもその装置は、気化した油に点火することで連動した部品――カクカクと曲がった金属の棒やら歯車やら――を動かし、変なヘビのぬいぐるみが箱からひょこひょこと顔を出すという、謎極まりないものだったとか。

 ひょっとして、それは動力機械の類なんではなかろうか、と思いはしたのだが。


 俺の見たそれはルイズの魔法でズタボロになっており、何がなんやらわからない金属の集まったモノと成り果てていた。



 ちょっと残念だ。


 ちなみにいつもより爆発音が派手だなと思っていた理由も、どうやらこれが原因らしい。


 エンジンに使われていた油に、思いっきり失敗魔法が引火したのだ。

 お蔭で、教室はいつにもまして無惨なことになっていた。


 焼けた教室の机を取り替え、水浸しになった床を拭き上げ、至る所にこびりついた煤を取って。

 全ての後始末が終わる頃には、辺りは夜となっていた。


 最後まで手伝ってもらったタバサに、明日の放課、文字を教えてもらう約束を取り付けて別れたのがつい先ほど。

 俺はルイズと部屋に戻るなり、どた、っと藁束の上へと転がった。


 ルイズもベッドに座り込んだ。そろそろ、寝る時間なのだ。



 一週間もあれば習性と言うヤツは身につくもので、俺は無意識の内に立ち上がっていた。

 ルイズの着替えを用意するためにだ。



 ったんだが。



 ルイズもそれに合わせたように立ち上がると、足元からシーツを引っ剥がし、ベッドの上から吊るし始めた。



「な、なにしてんの?」


 頬を染めたルイズは応えない。



 そうしてベッドを覆い隠す即席のカーテンをこしらえてしまったルイズは、自分の足でクローゼットに向かう。

 ぽかんとして俺が見つめる中、着替えを取り出したルイズは、カーテンの向こう側に引っ込んでしまった。


 衣擦れの音が聞こえる。



 ああ、そっか。

 そうだったね。

 俺は狼だったネ。



『いや、俺はそんな上等なもんじゃないぞ。

 いいか、才人オレ。あんな清楚になったルイズに比べたら――』


 安い挑発に乗っていきなり教室で爆発起こすヤツは清楚っていわない気がするが、比べたらなんだ絶望派オレ。



『――――――優しくなったルイズに比べたら、貴様なんか不細工なモグラに過ぎねえじゃないか』


 そうか、俺はモグラか。

 モグラがあんな成長途上にある女の子を着替えさせていいなんて法はねえよなぁ。


 うん。



 ルイズ、俺はモグラだ。

 モグラの分際で一度ひん剥いちゃってゴメンナサイ。


 悪気は無かったんだ。

 正気に戻って欲しかっただけなんだヨ。


 だから、もうそんなことはしないヨ、ルイズ。

 安心していいヨ。

「おーい、相棒ー。帰ってこーい」

 モグラは大人しく、丸まって寝ることにするヨ。

「おーい……」

 この寝床の中から、モグラ、キミをずっと見守るヨ……。

「あれ、蒼い娘っこ」

 ボクは……、え、タバサ?



 こんな時間に? と首を上げて。



「……なんか知らんが重症だねぇ、相棒。いろんな意味で」


 正面、即席カーテンの落とされたベッドの上には、ネグリジェ姿のルイズがブラシを手にして、不審の眼差しでこっちを眺めていらっしゃった。

 騙しやがったな、デルフ。



「あんなので騙される相棒がどうかしてると思うぜ、オレっち」


 ご尤もっとも。



 いやもうホント、今日の俺はどうかしてる。

 原因なんか考えるから墓穴に埋まるんだ。


 ルイズが優しくなった。もうそれでいいじゃねえか。

 後は俺がひん剥いたことを謝っちまえば、それでいつも通りの日常が来る。



 視線の先、髪を梳き終えたルイズが杖を振って、机の上のランプを消した。

 今日は透き通った方の月が満月らしく、青白い光が煌々と窓から差し込んでいた。


 ベッドの上で身を起こしたルイズが、なんとも神秘的だ。



「ルイズ」「ねえサイト」



「「あ」」


 掛けた声が被った。





「えと、お先にどうぞ」

「そ、そうね。そうさせてもらうわ」


 こほんと、ルイズが咳払いをして。

 ちょっと間があいた。



「……ルイズ?」


 声を掛けてみると、言いにくそうにしながらもルイズが話し出した。



「その、いつまでも床、ってのはあんまりよね。
 だから、えっと、その、ベッドで寝てもいいわ」


 ――――――なんですと?



「か、勘違いしないで。へ、へ、へンなことしたら殴るんだから」


 あ、うん。


 大丈夫、俺モグラ。

 襲ったりしないシナイ。



 "原因"がスイッチになってしまったのか若干壊れながら、一歩一歩ベッドに近づき、ルイズに訊ねる。



「い、いいの? モグラ、いいの?」

「いいって言ってるじゃないの。何度も同じこと言わせないで。あと、モグラって何よ」


 ルイズは壁の方を向き、ベッドの端の方で毛布にくるまっていた。



「ごめんなしゃい」


 脊椎反射的に謝りながら、もぞもぞとルイズとは逆のベッドの端っこに潜り込んで、毛布を被る。



「『しゃい』とモグラも禁止ね。っていうか、卑屈な態度をなんとかしなさいって言ったじゃないの」

「あ、ああ」


 呆れたようにルイズに言われ、少ししゅんとする。



「それで?」


「え?」

「『え?』じゃないわよ。なんか話があるんじゃなかったの?」


 あ、そうだった。

 いや、ちょっと刺激が強すぎてうっかり記憶から引き出せなかっただけだ。


 忘れてたわけじゃないぞ?



「で、なによ?」

「ああ、その。
 ごめんな、この前は。お前の確認無く、下着姿まで剥いちまって」


 ルイズは答えない。



「俺、アルビオンを脱出する少し前に、ウェールズ皇太子に約束してきたんだ」

「約束?」


「ああ。俺の信じるものを――」


 背後のルイズの気配を、感覚で掴み取る。



「俺の守りたいものを――」


 一瞬だけ、あの冷たくなっていく体の感触を思い起こす。



(――王子さまの護りたかったものを)



 口に出さずに意識で想い、お姫さまの涙付きの笑顔が、閉じた瞼の裏を過ぎった。



「守り抜くって、誓ってきたんだ。王子さまと別れる直前に」


 ルイズは、口を噤つぐんでいる。



「でも敵から守る前に、まずは俺の欲望から守らねえと、ちゃんと守ってるって言えねえからな」


 顔だけ、目線だけでルイズの方を見やりながら、心の底から声を挙げる。



「だから、ごめん。謝ります」


「……いいわよ、もう。そのことは」



 わたしだって、そんなの覚えてなかったわよ。


 そんな小さな呟きが耳に届いた。



「……わたしも、あんたに謝らなきゃ」


 ……あれ、じゃあなんでこう態度が……。



「ごめんね。勝手に召喚したりして」


 いいから、自重しろ好奇心。



「いいさ。
 こっちの世界に連れて来られて腹も立ったし、痛いことや嫌なことも随分あったけど――」


 ルイズは変わった。



「――面白いって思えること、楽しいと思えることだって、山みたいにあったからな。
 とびっきりの夢の世界ファンタジーに連れて来てくれたこと、今は感謝してるよ」


 それで充分だろ?



「ごめんね……。きちんと帰る方法、探すから。
 今はどう探していいかも、わかんないけど、きっと、見つけ出すから」


 少しだけ震えるルイズの声に、俺は気付かないフリをした。



「ありがとう」


 そう答えるだけにしておいた。



 ややあって。



「ねえ」


 いつも通りの・・・・・・ルイズが、もぞもぞと動きながら話しかけてきた。



「あんたの居た世界って……、魔法使いメイジがいないのよね」

「ああ」


「月も、一つしかないのよね」

「ないな」


「ヘンなの」


「俺に言わせてもらえりゃ、こっちの世界の方がヘンだぞ。
 だいたい魔法ってなんだよ。
 物理法則スルーってレベルじゃねえぞ。特にギーシュ」


 花びら一枚の青銅からあんなゴーレム出現させるなんて、質量保存とやらはいったいどうなってんだ。



「錬金絡みだけは異常に上手いのよね、あいつ。
 それ以外は並もいいとこなのに……、まあいいわ。

 それで、あんたはその世界で何してたの?」



「高校生」

「コォコゥシェ?」


 惜しい。



「まあ、お前らのやってることとかわらねえよ。
 学生だ、学生。勉強するのが仕事、ってヤツ」



「それで、大きくなったら何になるの?」


 ……やっぱ今日のルイズはなんかヘンだな。

 質問攻めなんて珍しい。



「そうだな。
 ……あー、と。サラリーマン、になるのか? 普通だったら」

「なんで疑問系なの? ……それで、サラリーマンってなに?」


「まあ、色々と働いて給料貰う仕事のこと」

「ふぅん。よくわかんないけど、あんたはそれになりたいの?」


 どうだろう。



 将来の進路なんて、俺は自慢じゃないけどマトモには考えたことなかった気がする。


 史学者、盗掘屋トレジャーハンター、冒険家。

 歴史を、遺物を、未知を探す仕事。

 それは夢に過ぎないと、自覚している俺も心の裏にいて。


 現実として、そんな夢へと走り出したりはしなかった。

 誰にも分からぬ過去なんて、俺が知る前に解き明かされて。

 誰もが探した財宝を、可愛がってくれた両親を犠牲にしてまで探しにいくほど俺は非情には成りきれず。

 誰も知らない世界の謎なんて、凡人の俺には見えもしない。



 退屈を抑えて学校に通い。

 退屈を忍んでネットを巡り。

 退屈を堪えて毎日を過ごして。


 刺激を求め、好きなように遊び。

 ずっとこんな毎日が続いていくんだろうなと思いながら、怠惰に生きてきたわけだ。



 それでも。



「多分、なりたくなかったと思う」

「どうして?」


「皆と同じことをして、皆と同じように生きて、皆と同じものを楽しんで。
 そんなこと、俺はやりたいとは思えなかった」



 そこに、新しいことがないから。

 そこに、"俺"が居られないから。

 そこから俺が居なくなっても、誰も気付かなくなってしまいそうで。



 それだけは、どうしようもなく嫌だった。



「なら、あんたの夢はもう叶っちゃったのかしら」

「へ?」


 意識が思考から現実に帰された。



「あのワルドが言ってたわ。あんたは伝説の使い魔だって。
 あんたの手の甲にあらわれたのは『神の盾ガンダールヴ』の印だって」


 ――ああ。



「そうみたいだな。俺には、こっちの伝説なんてのはよくわかんねえけど。
 そこのデルフも、その『神の左手ガンダールヴ』が使ってた剣だとさ」


「それ、ホント?」

「まあ、目の前で変形までされちゃあな……、それこそ、嘘をつく意味もねえだろ?」


 なんかデルフの苦笑が聞こえた気がするんだが気のせいか。



「そっちじゃなくて、あんたの"印"よ」

「まあ、本当なんだろうな。
 じゃなけりゃ、ド素人の俺があんな風に武器を使いこなせたりもしねえだろうし」


 シェルの奴も、俺の体を操れてただろうし。



「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの?
 あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしは『落ちこぼれゼロ』のルイズなのかしら」


 んなこと、俺に聞かれても困る。



「あのね、わたしね、立派な魔法使いメイジになりたいの。
 人と違うほど、強くなれなくたっていい。
 ただ、呪文をきちんと使いこなせるようになれれば、それでいいの。
 得意な系統もわからないまま、どんな呪文を唱えても失敗だなんてイヤ」


 昼前の騒ぎを思い返す。

 ルイズは、いつも通りに失敗していた。



「小さい頃から、わたし、ダメだって言われてた。
 お父さまもお母さまも、わたしには何にも期待してくれなかった。
 クラスメイトにも馬鹿にされて。『ゼロ』なんて二つ名までついて……。

 わたし、得意な系統がないの。ほんとに、才能なんて無いんだわ」


 でも、とアルビオンでの出来事を思い返す。

 ワルドを攻撃した時も、確か失敗の爆発だった気がする。

 それでワルドの『偏在』をぶっ倒したわけだが。


 あれでも、才能は無いんだろうか?



「自分で、分かってるの。呪文唱えても、なんだかぎこちないのよ。
 色んな先生や、お姉さまや、お母さまが言ってたの。
 得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を廻る感じがするんだって」


 ……その気配を、俺は知っている気がした。

 アレは、いつのことだっただろう?



「それは拍子リズムになって、その廻りが最高潮になった時、呪文は完成するんだって。
 だから、"詠"唱っていうんだって。……そんなこと、一度もないもの」


 そう、確かアレは――



「ねえ、あんたはそんな感覚、感じたことはある?」



 へぇ!?


「ぁ、ああ。
 確か、フーケと戦ったとき、シェルが叫ぶ呪文を繰り返した時に、少しだけ」


「どの系統の呪文だった?」


 えっと、確か……。



「揺らぎを飛ばした時、だったと思う」



「そっか……、あんたは、『風』の魔法使いメイジの素質、あるのかもね」


 ……俺に?



「羨ましいな……、あんたと感覚が共有できたら、それを感じられたかもしれないのに……」


 なんだか、申し分けなくなってきた。



「そうだ、もう一つ謝らせて」


 ……なんだよ?



「ごめんね……、ずっと、冷たくしちゃって。
 わたし、あんたに嫉妬してた。わたしより早く、魔法を使ったあんたに……」



 ……逐瘴ちくしょう。


 そんな風に言われちゃ、拗ねてた自分を殴りたくなっちまうじゃねえか。



「……気にすんなよ」


 こんなことしか言えない自分も。



「わたし、せめて、みんなができることを、普通にできるようになりたい。
 じゃないと、わたし、自分を好きになれない。


 ……そんな気が、するから」



 ……なんて言って慰めてやりゃあいいんだろうか。


 数分の間が空いて、それを考えに考えた結果。

 俺の思いついた言葉は、これぐらいだった。



「考え方を、ちょっと捻ひねってみたらどうだ?」


 返事は無い。



「お前は、ワルドの偽者を、その魔法でぶっ倒したじゃねえか。
 ホントに"魔法"の才能なかったら、そんなマネ出来やしねえって」


 でも、関係ない。



「だからさ、お前は失敗してるんじゃなくて――」


 俺は俺の言っておきたいことを言うだけだ。



「――『爆発』っていう魔法を、無理矢理に成功させちまってるんじゃねえかって思うんだ」


 返事は無い。



「お前は、魔法を使えてるよ。ルイズ」


 代わりに、寝息が聞こえてきた。


 ……さっきの何言おうか考えてる間に眠っちまったのかね。

 まあ、それならそれでもいいさ、と。


 俺は目を閉じた。



 体の疲れが意識を休眠に誘うまで、大した時間は掛からなかった。



 だから、才人は。


「なんの慰めにもなってないわよ。
 呪文を唱えて、その魔法本来の効果が発揮されない。
 それが、失敗じゃなくて何だっていうのよ……?」



 そう呟くルイズの声も、寂しそうな、でも確かに微笑んだその顔も、その意識に感じることはなかった。





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 誰も動くものが居なくなった部屋の中、囁くような声と、金属と金属のぶつかり合う微かなカタカタという音がする。



「なんとも、難儀なこったね。相棒といい、ピンクの娘っこといい。その気になりゃあ、もっと気楽に生きられただろうに」


 呆れたような、面白がるような声。



「使い手の力。伝説の力。
 人には過ぎた力――って、こりゃオレっちが言えたことじゃねえか」


 きらりと、柄頭に嵌った緑色の宝玉を、月明かりが照らし出す。



「まったく、懐かしいねぇ。
 昔のお前さんたちを見てるような気がしたぜ、『華翼エレ』、『左手トーマ』」


 『運命の剣■■■■■』は、長年愛用した寝床に収まらなくなったその身を蒼い月光に晒しながら、独り声を発していた。



「今夜もいい月だね。
 アレから随分と経っちまったが、皆で守ったこの世界は、今日も綺麗だぜ」


 どこか寂しい感傷の声は、誰の耳にも届くことなく、闇に溶けていく。





 ――ねぇ、皆。冥府には、幸せなまま辿り着けた?





 微かな呟きの宛先を、誰も知らない。



 
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