何故なれなかったのか
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第二章
暫しこのことを考えていた、するとその話を大坂に来た時に聞いた真田家の当主である真田昌幸がこう言った。
「ではその者じゃ」
「父上のところにですか」
「連れて来るのじゃ」
こう嫡男である信之に話した。
「これよりな」
「そしてですか」
「その者にわしが話そう」
「何故又左殿が前田家の家督を継がれたか」
「このことをな」
まさにと言うのだった。
「これより」
「そうされるのですな」
「このことは大事なことであるからな」
「父上ご自身が」
「話す」
老獪さがいい意味で出た顔で言うのだった、信之はその父の顔を曇りのない精悍な顔で見つつ応えてだった。
そうしてその侍を父のところに案内した、昌幸はその侍が元服したての年齢であると顔の若さから判断して話した。
「うむ、その若さならな」
「若いからですか」
「知らぬも道理、これから知ることじゃ」
「前田慶次殿のことは」
「左様、前田慶次殿のことは聞いておるな」
「天下でも知られた傾奇者で」
侍もすぐに答えた。
「そして槍も馬も天下無双の腕で」
「とにかくお強いな」
「しかも学問もお好きで詩も詠まれる」
「教養も備えておられるな」
「見事な方です」
まさにというのだ。
「そしてそれだけの方が」
「何故家督を継げなかったか」
「今も風来坊で」
「どの家にも仕えずな」
「素浪人と言っていいですが」
「そのことがじゃな」
「わかりませぬ」
どうしてもとだ、若い侍は自身の主である昌幸に答えた。
「どうにも」
「ではじゃ」
それならとだ、昌幸は侍に話した。
「よく見るのじゃ」
「前田慶次殿を」
「うむ、そしてじゃ」
そのうえでというのだ。
「わしのところにまた来るのじゃ」
「では」
「これより都に行くのじゃ」
そこにというのだ。
「これよりな」
「わかりました」
侍は昌幸に答えた、そしてだった。
大坂から淀川を行き来する舟に乗った、舟に乗ると大坂から都まで一日で行くことが出来た。彼はこのことに便利さを感じつつ。
そうして前田慶次を探すとすぐに居場所がわかった。
「遊郭か」
「はい、そちらにです」
尋ねられた町人が侍に答えた。
「おられます」
「よく遊郭におられるというが」
「まあ大抵は」
「そちらは」
「はい、そちらにおられて」
そうしてというのだ。
「風流を楽しんでおられます」
「そうか、ではな」
侍はその話を聞いてだった。
すぐにその遊郭に赴き前田慶次と会った、赤や黄色の派手な柄や模様の服を着た堂々たる偉丈夫であった。
その彼が侍の訪問を受けると彼の名と家を聞いて言った。
「おお、真田家にか」
「はい、仕えておりまする」
侍はすぐに答えた。
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