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魔法絶唱シンフォギア・ウィザード ~歌と魔法が起こす奇跡~

作者:黒井福
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無印編
  第25話:彼は踏み出さない

 
前書き
どうも、黒井です。

今回はちょっと甘めのお話になります。

2020・04・24:一部書き直しました。 

 
 響が弦十郎宅で修業を行い、クリスが今後の身の振り方について考えを巡らせている頃、二課本部のシミュレーションルーム…………に隣接された休憩所では、ちょっと奇妙な光景が繰り広げられていた。

「あの~、奏さん?」
「ん~? 何だ、颯人?」
「えっと~、何時までこうしてるつもりで?」
「まだ5分も立ってないだろうが。もう暫く休むんだよ。分かったらジッとしてろ怪我人」

 颯人のちょっと困惑した声に、奏はぶっきらぼうな声で答えていた。
 これだけならあまり可笑しな光景ではないのだが、問題はそこではない。

 今颯人は、奏に膝枕されているのだ。普段なら頼んだってやってくれないだろう事に、流石の颯人も困惑していた。

 事の発端は、颯人が無理をしている事が奏にバレた事だった。あの後二課本部のシミュレーションルームに移動して互いに模擬戦を行い鍛錬していた2人だったが、暫く続けている内に颯人の動きに異変が現れ始めたのだ。
 ただしそれは、彼の事を普段からよく見ている奏にしか分からないほどの僅かな異変であった。

 異変に気付いた奏は模擬戦を中断すると颯人の変身を解除させ徹底的に問い詰めた。
 最初は当然彼もシラを切っていたのだが、一瞬の隙を突いてまた彼の傷口の辺りを奏が軽く刺激すると、今度はポーカーフェイスを維持し続けることが出来なくなり無理をしていたことがバレてしまった。

 その瞬間奏はシンフォギアを解除し、颯人を強引に引き摺って近くの休憩所に向かうと有無を言わせずソファーに座った自分の膝の上に颯人の頭を乗せて膝枕で寝かせたのだ。
 勿論颯人も抵抗したのだが、相手が奏だからかそれとも傷口が思っていた以上に痛んだからか、完全に抵抗しきることは出来ず結局は奏の膝枕に厄介になってしまった。

「そんなにアタシの膝枕が不満か?」
「いや、不満は無いんだけどよ…………」
「ならいいじゃないか。折角このアタシが膝枕してやるって言ってんだ。ありがたく横になって休んどけ」

 奏としては、颯人を押さえつける意味でやった事なのだろう。適当なものを枕にして彼を寝かそうとしても、恐らく彼は激しく抵抗するか一瞬の隙を突いて逃げ出すに決まっている。

 あまり無理をされると単純に心配になる。彼はもう十分無理をしているのだから、これからは少し肩の力を抜いてほしいのだ。

 そんな奏の想いが理解出来たからか、颯人はそれ以上の抵抗を諦めソファーと彼女の太腿に己の体重を預けた。
 腿に掛かる負荷が増えた事で彼が本格的に諦めたと分かり奏は満足そうに溜め息を吐いた。

 その溜め息を聞いて、颯人は膝の上から奏を見上げて何故こんなに強引な手に出たのかを訊ねた。

「今日は随分と強引と言うか積極的だな。何かあったのか?」
「別に。ただ、心配なだけだよ」
「心配?」

 奏の言葉に颯人は彼女の太腿の上で首を傾げながら先を促した。

「颯人…………無理し過ぎなんだよ。2年前だって、アタシの絶唱の負荷を全部自分に流したりして…………そりゃお陰でアタシは助かった、その事自体は感謝してるよ。でも、アタシだって颯人が思ってるのと同じくらい颯人の事が心配なんだ。どこか、遠くに行っちゃいそうで、不安なんだよ…………」
「奏…………」
「だから、頼む颯人。もうこれ以上、必要以上に無理するようなことは止めてくれ。アタシは今よりもっともっと強くなる。颯人が守らなくてもいい様に、希望でいられるように頑張る。だから颯人も、アタシの希望を絶やすようなことは止めてくれ」

 静かに、だがこれ以上ない程の必死さを感じさせる奏の懇願にも匹敵する要望。言葉の端々から彼女が心の底から颯人の事を心配し、大切に思っている事が伝わってきた。

 それを聞いて颯人は、苦笑と共に溜め息を吐いた。溜め息を苦笑を同時に吐き出す彼に奏は一瞬馬鹿にされたかと不機嫌そうな顔になる。

「ふ…………ククク」
「──んだよ? アタシ何か可笑しなこと言ったか?」

 もしヘタな回答が返ってきたら、傷口が開かないギリギリの威力の肘を傷口に叩き込んでやろうと密かに身構える奏。だが次の瞬間颯人が向けてきた顔と言葉に、奏は思わず動きを止めた。

「いや…………俺やっぱりお前の事大好きだわ」
「んなッ!? おま、またそう言う事────!?」

 何時もであればこんな事言われようものなら即行恥ずかしさのあまり手が出ていたであろうが、今の彼の顔があまりにも真剣で普段のお茶らけた感じとは違っていた為そんな気はとてもではないが起きなかった。真面目な彼の顔が直視できず、思わずそっぽを向いてしまう。

──だぁ、もう────!? ほんっと此奴の行動って全然読めない。何でアタシこんな奴を好きになっちゃったかな~──

 思い悩む奏だったが、そんなの考えるまでも無かった。

 颯人は何時だって本気なのだ。本気で奏を想い、本気で奏を守ろうとする。一切の打算も無く、奏に対する想いだけは何時何処でも偽らないのだ。

 5年前の遺跡で、元気付けようと必死で声を掛けてくれていた時の様に…………。

 心の底から想ってくれるから、奏の心も自然とそれに答えようと思ったのだ。それが奏が彼を好いた理由だ。そう、奏は颯人の事を好いている。

 そっぽを向いていた奏だったが、好意からくる誘惑に負けてチラリと颯人の顔を覗き見てしまう。彼は未だに真剣な表情で奏の事を見ていた。

 思わずその真面目な顔に見とれてしまいそうになるが、瞬間彼の顔に何か悪戯を思いついたかのような笑みが浮かんだ。

「それにしても奏よぉ、今日はホント大胆だよな?」
「え、は? 何が?」

 出し抜けに声をかけられ出鼻を挫かれた奏は思わず面食らう。

 大胆とは、はて一体何の事なのか?

「さっきからこの近くを通ってる人達、み~んな温かい目で俺らの事見てたぜ?」
「えっ!?」

 言われて慌てて周囲を見渡すと、今正に近くを通りかかろうとしていたと思しき女性職員が2人に温かい目を向けながらその場を立ち去っていくのが見えた。

 それを見て奏は一瞬で顔を真っ赤にした。

 この時、奏は人通りの事を完全に失念していた。

 颯人を無理矢理にでも休ませようと言う気持ちが強かったせいで忘れていたが、シミュレーションルームのすぐ近くも普通に人通りがある。そんなところでこんな事をしていては、そりゃ他の職員の目について当然だった。

 奏は慌てて颯人を引き剥がしにかかった。

「ど、退け颯人ッ!? 早くそこ退けッ!?」
「あ~、何だか傷口が痛んできたわ~。こりゃ下手に動くと傷口開きそうだからジッとしてた方が良さそうだわ~」
「お、おま──!? このタイミングでいけしゃあしゃあと────!?」

 どう考えてもこの発言は嘘っぱちなのだが、さりとて彼が怪我人であることは事実なので強硬手段に出ることは出来ない。一見ふざけているように見えて、実は本当に傷口が開きそうになっている可能性もある。
 そんな彼を強引に引き剥がそうとして、本当に傷口が開いてしまっては洒落にならない。

 結局奏は、されるがままに颯人に膝枕をするしかないのだ。その事に羞恥と悔しさで顔を真っ赤にしていた。

 彼女の様子に颯人は再び笑みを溢すと、軽く呻き声を上げながら上体を起き上がらせた。

 突然起き上がった彼に、今度は困惑した奏だったがそれでも最低限彼に無理はさせまいと言う思考が働いたのか起き上がろうとする彼の体を奏は咄嗟に引き留めた。

「ちょちょ、どうした急に?」
「止めだ止め、こんな状態じゃ鍛錬もへったくれもねぇだろ? いい時間だし、飯にでも行こうぜ?」

 奏を少し遅めの昼食に誘いながら手を伸ばす颯人。その姿には無理をしている様子が感じられない。

 暫し悩む奏だったが、結局彼女はその手を取ることにした。
 実際問題、颯人に無理をさせられない以上奏には鍛錬の方法がない。一応シミュレーターを使用して投影したノイズを的にした鍛錬は出来るが、今の奏にその鍛錬はあまり効果がない。出来るのは現状維持程度であろう。

 それならいっその事、気分転換も兼ねて彼の誘いに乗るのが一番だろうと判断した。
 そうすれば少なくとも、彼が何かおかしなことを考えて変な無茶をしないか監視することは出来る。

「当然、颯人の奢りなんだよなぁ?」
「勿論。この間いい店見付けたんだ、多分奏も気に入ると思うぜ」

 颯人の言葉に笑みを浮かべながら彼の後に続く奏。その際誰も居らず、且つ颯人は先導していたのはある意味で奏にとって幸運だったのだろう。

 この時奏が明らかにウキウキした顔をしながら颯人の後について行っていたのだが、その事に気付く者は誰も居なかったのだから。




***




「お、ここだここだ」

 奏を連れて颯人がやって来たのは、大きな通りから少し外れたところに建っていた1軒のラーメン屋だった。一見すると繁盛しているようには見えず、奏は少し不安を覚えた。

 当然、奏の口からは不満が漏れる。

「ここ? 何かあんまり繁盛してるようには見えないんだけど?」
「見た目はな。だが味は俺が保証するよ。それにこう見えて意外と客入ってるんだぜ。俗に言う知る人ぞ知る名店って奴だな」

 颯人の言葉に奏は改めて店を見る。

 見た所確かに寂れている訳ではないが、かと言ってやはり繁盛しているようには見えない。
 何しろ2人の他にこの店に入ろうとしている者は誰も居ないのだ。しかも外から店の中が見えない為、今客がどれくらい入っているのか分からないときた。

 正直、不安しかない。美味い店か、それともがっかり店か。

「ま、失望はさせねぇよ。ほら、早く入ろうぜ」
「あッ!? お、おいッ!?」

 覚悟が決まらずなかなか足を踏み出せない奏を、颯人がその手を引いて店内へと引き摺りこむ。

 2人が店内に入ると、厨房に居た店員が良く通る声で声を掛けてきた。

「いらっしゃーい。お好きな席どうぞー」
「へぇ────」

 店内に入って、奏は少し驚いた。

 まず店内は思っていた以上に綺麗で片付いている。下手なチェーン店より清潔かもしれない。

 そして店内に居る客だが、こちらも想像していた以上に居る。
 満席とはいかないが、見渡せばどこかに必ず客の姿が確認できる程度には繁盛しているらしい。もしかすると、もう少し早い時間に来ていればもっと座席は埋まっていたのかもしれない。

 奏が店内の様子を観察していると、颯人が軽く手招きして手頃な席に彼女を誘導した。

 因みにだが、今奏は颯人のドレスアップウィザードリングで服装を変えている為、店員は勿論他の客にも正体はバレていない。
 かなり地味で大人し目な服装で髪型も変えているので、彼女の事を良く知る者でもない限りは彼女がツヴァイウィングの天羽 奏である事に気付く事は無いだろう。ましてや、食事に意識を割いているなら尚更だ。

 昼下がりの適度に空いたラーメン屋の雰囲気に、奏がホッと一息ついていると颯人がメニュー表を彼女に見せてきた。

「ほれ、好きなの頼みな。俺はもう決めてあるから」
「ん~、そうだなぁ…………」

 奏はざっとメニュー表に目を通す。見た所、醤油・塩・味噌・豚骨と言った基本的なラーメンは揃っているし、ラーメンだけでなく餃子やチャーハンもある。
 逆にこの店特有の、言ってしまえば奇抜なものは存在しないようだ。

 普通こういう個人店は、他店との差別化を図る為に独特のメニューを載せていると思っていたのだが、ここはそう言ったもので勝負する気はないらしい。

「う~ん…………よし! んじゃぁ醤油ラーメンに餃子のセットで!」
「やっぱな。すいませーん! Aセット二つ!」
「はーい」

 颯人が2人分の注文を店員に告げるのを眺めながら、奏はお冷の水を一口飲みながら彼の事を考えていた。

 思えば奏は颯人に助けられっぱなしだった。初めの出会いこそ最悪だったが、その後は自分で蒔いた種の回収の意味もあるが悪意ある同級生から奏を守り、同時に転校先で異性の友人が居なかった奏にとって最初の男子としての友人となり、彼女の世界に色を添えた。

 5年前は命懸けで家族を失った奏を勇気付け、2年前に至っては命を削るレベルの危険を冒して奏の命を救ってくれた。

 そして先日のクリスと透との戦闘である。

 あの戦闘で颯人は奏を(勿論響と翼もだが)庇おうとしてその身を盾にし、奏にトドメを刺そうとしたクリスに生身で挑んで返り討ちにあってしまった。

 元よりシンフォギアを纏うようになったのは、そもそもが颯人を探し助け出す為だったにも関わらず、結局彼女は彼に助けられてばかりだったのだ。

 それが堪らなく情けなくて申し訳なくて、知り合いから邪魔が入らないと言う状況が奏の心の栓を緩めていた。 

 注文を終え、自分もコップに注がれた水を口に含む颯人。その彼に、奏は万感の思いを込めた謝罪を告げた。

「颯人……」
「うん?」
「その…………ゴメン」

 突然絞り出すように告げて頭を下げた奏に、颯人は呆気に取られてきょとんとしてしまう。が、このままでは変に注目を集めていらぬ情報の拡散を招いてしまうと考え、素早く周囲を見渡して自分達に興味を向けている者がいない事確かめるとある魔法を使用した。

〈デシーブ、プリーズ〉

 颯人が魔法を使用すると、2人が座っている座席の足元に魔法陣が一瞬展開され輝くとすぐに消えた。

 これは所謂隠蔽魔法とも呼ぶべきものであり、これが展開されると魔法陣の範囲内で起こったあらゆる出来事は他者に感知されなくなる。
 ただしそれは使用する直前まで見られていないことが必要条件であり、仮にこの時2人の事を見ていた者が居た場合、その者はこの後も変わらず2人の間で行われるやり取りを知る事が出来てしまう。

 また感知できなくなるのは飽く迄も出来事だけであり、2人の存在自体は周囲から認識されている。なので、店員が注文の品を持ってくる時2人の姿を見失う事は間違ってもない。

 今回は颯人が素早く周囲を確認して誰の注目も受けていないことを確認したので、ここから先の会話を他人に聞かれることは間違ってもない。颯人は安心して続きを奏に促した。

「これでよし。んで? 藪から棒にどうしたんだよ?」
「どうしたって…………分かるだろ? アタシの所為で、颯人に余計な負担を掛けまくってるって話だよ」

 奏の言葉に、颯人は少し考え彼女の言わんとしている事を理解した。要は颯人の無茶の責任が自分にあると言いたいのだ。

 それを察した颯人は、俯きがちな奏の額に軽くデコピンを喰らわせた。

「んッ!? 何──」
「な~にが余計な負担だよ、この程度屁でもねぇっての。そっちこそ、余計な心配してんじゃねぇよ」
「何暢気な事言ってんだよッ!? 颯人お前、自分がどれだけ命知らずなことやってきたか分かってるのか?」
「んじゃぁ逆に聞くけどよ? お前の知る明星 颯人って奴は、そんなあっさりと死んじまうような柔い男なのか?」
「それ、は────!? そ、そう言うんじゃ、無いけど…………」
「じゃ、そう言う事で良いじゃねぇかよ。安心しろって、俺はそう簡単にくたばったりはしねぇからよ」

 あまりにも堂々として且つ自信に溢れた様子を見せる颯人に言葉を詰まらせる奏。

 不安を抑えきれないのか苦悩した様子を見せ始めた彼女に、颯人は溜め息を一つ吐くと彼女の右手を両手で包み込んだ。
 突然の行動に颯人の手で包まれた右手を注目する奏。彼女が見ている前で彼が両手を開くと、そこには菊の花の様に花弁が多い一輪の花が彼女の手に握られていた。

「これは────?」
「アスターステラホワイト。花言葉は、『私を信じてください』さ」
「信じる…………」
「約束、守ったろ? もう少しくらいは信じてくれてもいいんじゃないか?」

 颯人の言葉…………そして手の中の花に、奏はそれ以上悩むことを止めた。

 颯人の言う通りだ、彼は2年前の約束を守り奏の所へ戻ってきてくれた。そうでなくとも、彼はこう言う真面目な所で交わした約束を破ったことはただの一度もない。

 ならば信じよう。彼はそれに値する男なのだから。

 奏はそう思い直し、手の中のアスターステラホワイトに向けて軽く笑みを浮かべた。

 彼女の笑みに颯人ももう大丈夫と安堵の溜め息を吐く。それと同時に、2人が注文したAセット2つが運ばれてきた。

「お待たせしました。こちらAセット2つになります」
「お! 来た来た」
「おぉ……」

 2人の前に並べられた2つの丼と皿。

 丼には麺が見えない濃さの色をしたスープが張られ、その上にモヤシやメンマ、2切れのチャーシューに煮卵が乗ったラーメンが入っている。

 一方の餃子は、ハネが付いたシンプルな焼き餃子だ。オーソドックスな組み合わせながら、油と麺とスープが放つ暴力的な食欲を誘う香りが2人の鼻を刺激する。

 店員が離れていくのを尻目に早速ラーメンに箸を伸ばす2人。麺を箸で摘まんでスープを絡ませながら啜ると、程よい塩気と腰のある麺の味が口の中に広がった。

 メンマを口に運べばしっかり締まった歯応えと麺とは異なる味が舌を楽しませ、チャーシューや煮卵は味以上にその重量で腹を満たす。

 そしてたっぷり盛られたモヤシの淡泊な味が舌を休ませ、スープを啜れば麺と一緒に口にした時とは異なる出汁の利いた旨味が心を満たした。

 その素晴らしいハーモニーを現すなら、この一言以外にあり得ない。

「ん~、美味い!」
「だろ? 気に入ると思ってたよ」
「あぁ、こりゃいいや! 今度は翼達も誘ってみよう!」
「お、いいね~。翼ちゃんこういう店にも縁無さそうだから、きっと新鮮な反応を見せてくれるんじゃねぇか?」
「違いない。どうせなら夜ちょっと遅い時間に誘ってみよう」
「何で?」
「その時間に食うラーメンの背徳感も一緒に味合わせるのさ」

 奏はそれを実行に移した時の事を考えてちょいとばかし悪い笑みを浮かべる。

 翼は体型維持の事を考えて、夜9時以降は食事を摂らないようにしているのだ。ましてやラーメンの様な塩分と油分が豊富な物など絶対口にしないだろう。
 だが同時に、その時間に食べるラーメンが殊更に美味いのもまた事実だった。奏の言う通り、背徳感によるものもあるのだろう。

 それを味合わせるのも、彼女にとっては良い刺激になるかもしれない。

 その時の翼の反応を想像して奏は何処か楽し気に笑みを浮かべ、それを見て颯人も満足げに笑みを浮かべると餃子を箸で掴んで酢とラー油を垂らした醤油に付け口に放り込むのだった。




***




 それから数分後、食事を終えた2人は満足気に店を出た。奏は満足そうに膨れた腹を擦り、颯人はそんな奏を微笑みながら眺めていた。

「いや~、食った食った!」
「ホントにな。まさか替え玉まで頼むとは思わなかったぞ?」
「そう言う颯人だって、追加でチャーハン頼んだろうが」
「三分の一はお前も食ったけどな」

 軽口を叩き合いながら路地から出る2人。

 その際颯人は軽く周囲を見渡し────────突然奏の手を取ると路地に引っ張り彼女を壁に押し付け通り側の壁に手をついた。
 俗に言う壁ドンだ。

「ぉわっ!? な、何──」
「しーっ…………」

 完全に予想外の彼の行動に抗議しようとした奏だったが、唇に人差し指を当てられ黙らされる。
 かなり真剣な様子だったので抗議を飲み込み黙る奏だったが、黙った事で頭が冷え今の自分の状態を再認識してしまった。

 そう、颯人に壁ドンされていると言う現状を、だ。

──こ、これが所謂壁ドンって奴か? 何? 何で急にこんな事を? どうした颯人?──

 奏は多少の事であれば軽く流せる程度の神経の太さは持っていたが、流石にフィクションの中だけの出来事だと思っていた壁ドンを、それも意中の相手である颯人にされたとなると冷静ではいられない。
 どこか非現実的な出来事にいろいろな考えが浮かんでは霧散し、奏は指先一つ動かせなくなっていた。

 奏の内心を知ってか知らずか、颯人は通り側からは死角となるズボンの右ポケットから一つのウィザードリングを取り出して奏に付け替えてもらった。

「奏、悪いんだが右手の指輪をこいつに変えてくれねぇか?」
「ふぇっ!? あ、あぁ……」

 颯人の声に現実に引き戻された奏に渡されたのはコネクトウィザードリングだった。

 何処か落ち着きを失いつつあった奏に指輪を付け替えてもらった颯人は、即座に魔法を発動させる。

〈コネクト、プリーズ〉

 魔法を発動させると、颯人は通りから死角となる場所に魔法陣を展開しそこに右手を突っ込んだ。物の数秒で引っ張り出した右手には、見慣れない携帯電話が握られている。

 当然奏のではないし、颯人が持っている物とも違う。

 不審な携帯電話に首を傾げている奏に対し、颯人はジッと何処かを見つめていたが、少しすると小さく息を吐きながら壁から手を放した。

「は、颯人?」
「あっぶねぇ~、今パパラッチ居たぞ」
「えっ!?」

 思ってもみなかった言葉に奏が急いで路地から通りを見ると、1人の男性が逃げるようにその場を去っていく光景を目にした。
 恐らくあの男が颯人の言うパパラッチなのだろう。

 トップアーティストであるツヴァイウィングのスキャンダルを狙う者は多いが、それを差し引いても奏はパパラッチによく狙われていた。

 理由は2年前の生放送番組での啖呵である。
 あれが良くも悪くも注目を集め奏に敵を作ってしまい、それ以降彼女のスキャンダルを狙おうとするパパラッチは頻繁に現れていたのだ。

 今回は確かに危なかっただろう。
 あの人気アーティストコンビの奏が、男と2人っきりで居ると言うのだからこれ以上のスキャンダルはない。あれこれ脚色すれば大きな注目を集めること間違いなしだ。

 例えその結果奏の歌手としての活動に影響が出たとしても、パパラッチ本人には微塵も影響しないのでパパラッチ本人は気楽なものだった。

 尤も、今回は颯人と言うパパラッチにとってのイレギュラーであり天敵が居たので意味の無い事だったが。

「よ、よく分かったな?」
「あれはどちらかと言えば分かり易い方だったけどな。ここ来る途中からこっちチラチラ見てたし、時々携帯取り出してはカメラのレンズこっち向けようとしたりしてたし。挙句の果てには店入る前と同じ場所に立ってやがるからまさかと思って警戒したら案の定だったぜ」

 言いながら颯人は再びコネクトの魔法を使用し、現れた魔法陣にパパラッチから奪い取った携帯電話を放り込んだ。

 その様子を見ながら、奏は先程の事を思い返す。颯人からの壁ドン、それもかなり真剣な表情をした颯人からのそれを思い出し、奏は再び赤面した。もしも、もしもだ…………もしも彼からの最初の告白がこの時だったなら──────

「ん……もう大丈夫そうだな。それじゃ……って、お~い、奏? ぼ~っとしてどうした?」
「んえっ!? いいいいや、何でもッ!?」

 そんな事を考えていたら、安全を確認した颯人から声を掛けられ思考を現実に引き戻された。

 慌てて何でもない風を装うが、その行動は颯人にとって何よりも雄弁に奏の内心を語っているに等しかった。

 案の定彼女が何を考えていたのかを察した颯人は、小さく笑いながら彼女の顎にそっと人差し指を這わせ軽く上を向かせた。

「どうした? 流石の奏でも、ああ言うシチュエーションは恥ずかしいもんだったか? それとも…………その先の事でも考えてたのかな?」

 壁ドンの先…………それが意味することを理解し奏は脳が沸騰しそうなほど顔を赤くした。
 今の彼女が考え付く限り壁ドンの先にあるモノなど、キスしか考えつかなかったからだ。

 それを証明するかのように、颯人は上を向かせた奏の顔に徐々に自分の顔を近づけていった。

 彼が何をしようとしているのか、そんなもの子供でも分かった。

「────!?!?」

 その瞬間、奏は両目を固く閉じた。

 姿勢はそのままに、目は硬く閉じ、体は小刻みん震えている。

 それは果たして拒絶を意味しているのか、それとも──────期待しているのか。

「………………ふぅ」

 一方の颯人は、目を固く閉じ小刻みに震える奏を見て溜め息と共に肩から力を抜きフッと笑みを浮かべると、顔と指を離してそのまま右手の人差し指で彼女の額を軽く突いた。

「ん、え?」
「冗談だよ。お楽しみには、まだ早いもんな」
「え? あ────」

 柔らかな笑みと共に掛けられる颯人の言葉に、奏は何かを告げようとするが、それが告げられるより颯人の行動の方が早かった。

「そんじゃ、怪我人は大人しく帰って休ませてもらうとするかな。多分明日には回復してるだろうし。つう事で奏、また明日な」
「あ……は、颯人────」

 去り行く颯人の背に声を掛け引き留めようとする奏だったが、声を掛けた所で何と言葉を掛けるべきか迷い口を噤み上げかけた手を下ろす。

 そのまま颯人は振り返ることなく歩き去り、人混みに紛れて奏の前から姿を消してしまった。

 暫し颯人が消えていった先を見つめる奏だったが、徐に自身の頭を軽く小突いた。らしくなく、変に期待してしまった。

 お楽しみにはまだ早い…………その通りだ。
 颯人は奏に告白する為の最高のシチュエーションを用意してくれる。ならば、今はそれを待とう。

「楽しみにしとくよ…………颯人」

 姿の見えなくなった颯人に向けてそう告げると、奏も踵を返し帰路につくのだった。 
 

 
後書き
第25話でした。

奏と言えば姉御肌なイメージが強いですが、そんな女性だからこそ乙女な一面を出した時最高に可愛いと思ってます。寧ろ可愛くしたい。

今後もこんな感じで姉御肌とは違うけど、可愛い奏を描いていけたらと思ってます。

執筆の糧となりますので、感想その他展開や描写への指摘をお待ちしています。

次回の更新もお楽しみに。それでは。 
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