緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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緋神の巫女と魔剣《デュランダル》 IV
「ふん、良いだろう。そこまで言うのならば──」
──始めるとしようか?
機械的で冷徹な声色が、この無機質たる地下倉庫に反響する。
それに相反するのは、嫌に陽気な、笑みを含めた俺の声。
一閃するように挟まれたその声に、双方構わず訝しむ。
「まだ始めるのは、早いんじゃない?」
訝しむ、というより呆れに近しい顔でジャンヌは問い掛ける。
「……気に迷いが生じたか? 如月彩斗」
「いや、そういうわけじゃないんだ」
言い、俺は小規模の《境界》を展開させ、その中から茶封筒を取り出す。それは数日前、理子との司法取引で得たもの──今の俺たちにとっては、命以外では何にも変え難いものだ。
敢えて、ジャンヌに見えるように掲げてみせる。
「彩斗、これって……」
「……茶封筒、か?」
背後から近付いてきたアリアが、覗き込んで小さく零した。キンジも興味本位で見に来たのだろう。何やら分からなそうな顔をしているが、それが普通。キンジは《イ・ウー》に関連がない。本当なら、この闘いにも巻き込みたくは、なかったのだけれどね。
「そう、理子との司法取引の書類だよ。君たちを出払わせただろう? あの日だ。あの日、これを理子から受け取ったんだ」
大事な資料だからね、戻しておこう──そう告げて、《境界》を閉じる。ジャンヌはその一連の動作を注意深く見つめていた。
依然として静謐という名の語彙を被ったような鉄面皮は、まるで剥がれることを知らぬ樹幹のようだ。
だけれど、どこまでそんな平静を保っていられるかな?
「一般に《魔剣》と武偵界隈では呼ばれているけれど、ここでは君の言に従おうか。……ジャンヌ・ダルク30世」
「…………」
「気になったからね。色々と調べてきたんだ」
成程。この程度では動じない、ってことだね。
……じゃあ、予習の復習を、始めようか。
そう胸中でほくそ笑み、脳内に蓄積させた記憶の引き出しから、確実な情報を列挙していく。
「1431年5月30日、初代ジャンヌ・ダルクは火刑台で亡くなられた。俗に言われる『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』だ」
「だったら、なんで《魔剣》が30世を名乗ってるのよ。死んだのなら子孫はいないはずでしょ」
「そこなんだよ、アリア。ただ、答えは実に単純明快だ」
──ジャンヌ・ダルクは死んでいない。たったそれだけ。
「ジャンヌ・ダルクは死んでいない。ともすれば、あの日、火刑台で処された彼女は何者なのか──影武者だ。そうだろう? 30世さん。この情報に間違いはあるかな?」
「……理子が口を割ったか。裏切り者が」
「あぁ、十分すぎるほどに頂いたよ。情報をね」
だから──俺はこんなことも知っている。
「『極めて希少価値の高い金剛石の素』と、君は星伽白雪を評価したね。どうして白雪を狙うのか不思議だったんだけど、少し考えてみれば、君たちにしてみるとどちらに転んでも嬉しい出来事だね。敢えて詳細は伏せておくよ。……キンジもいるから」
キンジを一瞥し、「ごめんね」と呟く。
もしこのままジャンヌを逮捕してしまったら、この場にいた俺とアリアは元よりとして、キンジの身が危うくなる。
部外者を《イ・ウー》に触れさせることは、実に危険なのだ。
なんせ理子の忠告に則れば、そういうことなのだからね。
「まぁ、それはさておき。……君たち一族は、『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』がもとで、焔に恐怖心を抱くことになったのも、実は知っているんだ」
この一言で、ジャンヌが眉を顰めたのがハッキリと見て取れた。目に見えて分かる、最も大きな動揺。
ここまで察しがついているとは思わなかったのだろう。情報戦では、こちらが1本とることが出来た。
「このあたりまで説明したところで、本当にジャンヌに伝えたかったことを伝えておくよ。なんだと思う? ……いや、聞く間があるなら、すぐにでも始めた方が吉か」
呟き、俺は天井を──その更に上を、指さした。つられるようにして、ジャンヌも。事情を知らないキンジも、真上を見上げる。
「この案件、教務科には既にケースDとして報告済みだよ。ここに来る直前、D7に訂正したけどね」
「……本気で、私を捕らえようとするわけか」
「そういうことだねぇ」
ケースD。これ単体で、アドシアード開催中の、武偵校内での事件発生を意味する符丁になる。
それに番号の7が付与すると、事件であるか否かは問わず、アドシアードを予定通り実行。事件であった際は秘密裏に解決する、ということを意味するわけで。
事件発生地がこの場所であることは教務科に通報済みだし、武偵病院に白雪を搬送した時点で既に緊急事態だ。
ともすれば頃合を見て、強襲科やらの有望手が総動員されることだろうね。相手は都市伝説に近しい《魔剣》。
そして、報告者は──如月彩斗、神崎・H・アリア。信用には事欠かないはずだ。
ふぅ、と小さく溜息を吐く。説明は既に終えた。
これから行うのは──武偵なりの義に則った、執行。
「……アリアとキンジは、後方支援を宜しくね」
控えている2人の返事は待たない。意識と視界の中に居るのは、無論、ジャンヌ・ダルク30世だ。俺はアリアとキンジから距離を置き、彼女と少しでも間合いを縮めるように歩を進める。
甲冑に包まれた身軀は既に西洋大剣を携え、脚を半歩引いて、既に攻撃態勢を整えていた。
刹那──彼女は予備動作を見抜く暇すら与えず、地を蹴った。銀髪は逆風に靡き、蒼玉の瞳は氷華の如く凍てついている。
先程の動揺など嘘のようで、その瞳は感情を押し殺したような色をしていた。……だけど、それは簡単には拭えないはずだ。
ものの数歩で肉薄してきたジャンヌは、およそ鈍器のような重量を誇るそれを下袈裟型に振るう。初動の様子見、当たれば御の字というところだろうか。当たるつもりも、毛頭ないのだが。
無慈悲で冷徹な、虚空を斬り裂く音色が聞こえた。喉元に薙がれた西洋大剣の切っ先を、右脚を半歩引いて避ける。
彼女もそれは予想済みだろう。そのまま大剣の重心を活かし、流動的な足取りで、片手で柄を握りながら右回りに回転した。
軌道は──《明鏡止水》のおかげで視える。頸動脈を一閃。
《緋想》で鍔迫り合いに持ち込んでも、そもそも武器の選択で作戦負け。幅広の大剣と細身の日本刀ではこちらが不利。
そんな時の為に、あの2人に後方支援を任せたのだ。
「さっ、頼むよ」
笑み、片腕を掲げる。ジャンヌが訝しむのも束の間、背後からは硝煙と銃撃が立ち込めた。発砲音で類推するに、アリアの二丁拳銃が2発。キンジのベレッタが3点バーストだろう。
そして、その類推は確信へと変貌する。
「……煩わしい奴らだ」
キンジの放った9mmパラベラム弾は、単なる意識逸らしのブラフに過ぎない。本命こそが、アリアの .45ACP弾だ。
2発は的確にジャンヌの腕を狙っている。動いている極小の的を射るのは大道芸じみた技術だけれども、アリアなら可能だ。
……ただ、当たるか当たらないかが問題なだけで。
虚空を裂く2弾は右螺旋回転を維持しながら、柄を握るジャンヌの両手から両腕までを射程視野に入れている。
その全てを防ぐには、この肉薄した2人の距離間では困難だ。だから彼女は、即座にバックステップで間合いを取って──、
「斬り落としてしまえば問題なかろう?」
──地に脚を着ける前に、大剣を横凪ぎに振るった。
それは直前まで、ジャンヌ・ダルク30世という人間が存在していた空間。今となっては虚実であり空虚である、其処。見事に両断された.45ACP弾は累乗数的に分散し、そのまま壁を抉り廻ってゆく。
「「斬った!?」」
背後でアリアとキンジが狼狽する声が聞こえた。
そう、それこそが最善手なのだ。とはいえ非常に高度な技量を要する芸当である以上は、それなりの実力者とみれる。
早期にこの闘いを終わらせられれば彼女としては僥倖といったところだろうが、そうは問屋が卸さないってところかな。
「アリア、キンジ。そんなことで驚いてちゃ、この先に対応できないよ。キンジはまだしも、アリアは……ね?」
身を半身だけ翻し、諭すように2人に告げる。
そしてまた、ジャンヌの方を向き直って、
「様子見だけの前戯は、これで良いだろう? 戯れもここまでだ。正直言って、俺たちは君に構っている余裕はないからね」
本心と挑発を僅かに織り交ぜたその言葉とともに、小さく溜息を吐く。眼前のジャンヌを一瞥すると、柄を握る手に青筋が浮かんでいた。アリアの挑発の時よりも、恐らく強い感情。
無駄にプライドが高いのだろう。今回だけは仇になりそうだ。
私情を入れた方が不利になる。自分はそう、思っているから。
《緋想》を手首で回しながら構え直す。
《明鏡止水》は今も継続中だ。ともすれば同時に、陰陽術の能力上昇も意味している。決めるならここしかないのだ。
今までは短期決戦で済んでいたが……恐らくジャンヌは、《魔剣》は、手強い。そう考えていいだろう。
「……そんな矮小な刀で、貴様に何ができると? ただの斬れ味の良い日本刀では、この聖剣デュランダルには敵わん。情報は確かに有力だが、最後に生きるのは、力ではあるまい?」
挑発を挑発で返したジャンヌの一言で──何かが瓦解していく音が聞こえた。何の音だろう、と意識を聴覚の一点に傾注させる。
「……大刀契の何を知って、君にそんなことが言えるの?」
外界から聞こえているのか。……否。それでは何処から?
自分の中からだ。脳内で、何かが崩れ落ちてゆく音色が。
「そもそもの話、恐らく君は──俺を過小評価しすぎている」
「……?」
本心と言わんばかりの疑惧の念を露わにして、ジャンヌは訝しんだ。自分の《策》に不都合が生じている。そう、類推しているはずだ。そしてその類推は、間違っていない。
「君は俺のこと、何処まで知っているのかな?」
脳内で不気味に響くその音色は、飽きを知らないほどに存在感を増してゆく。何が瓦解しているのか。もう、自分の中でそれに見切りは付いた。
だから、たまには、その感情に身を委ねても良いかもしれない。私情を持ち込むのも、突発的な感情に身を委ねるのも駄目だって、アリアに始業式のあの日の朝に、告げたんだけどね。
けれど、大刀契を揶揄されることだけは聞き捨てならないかな。
「如月彩斗という個人にとって、大刀契は決して遠縁にはなれない。何故なら元来は護り刀であり、一族の系譜を継いだ唯一の宝具であり、そして何より──」
言い、背後に控えているアリアを一瞥する。
「──この刀で、本当に護るべき存在を。……傷付けて護ってしまったようなものだから」
《緋想》の柄を握る手に、力を込める。
……恐らく、これは長くは保たないし、そもそも発動するのは数年ぶりだ。この空白期間は致命的ですらある。
だけど、ジャンヌ・ダルクという名の策士を、策に溺れさせてやることくらいは出来るはずだ。
「だから、今回はキチンと護ってあげないとね」
大切な人を護れなかったあの時の、やり場のない感情をもう生み出すことがないように。そう願いながら、俺は諳んじる。
それは祝詞でもあり、呪詛でもある。使いようによっては他人を生かし、或いは殺めることも可能な代物。
始祖から代々と継いできた系譜であり、一族の集大成だ。
「消え惑ひ、振らむとするは浅緋の──
──水紋の如きに、舞い廻る袂」
後書き
この歌は単に直訳しただけでは、意味は分かりません。ただひとつ解読のヒントを列挙するならば──恋の歌ってことだね。
……そんなこんなで、今回も読んでくれてありがとう。評価や感想、お待ちしています。次回もお楽しみに!
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