星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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揺籃編
第十二話 エル・ファシルの奇跡(前)
宇宙歴788年6月8日01:00 イゼルローン前哨宙域、エル・ファシル警備艦隊、旗艦グメイヤ
アーサー・リンチ
「司令官、敵が二つに別れました。敵前方集団、約八百隻。これよりA集団と呼称します。敵後方集団、約千二百隻。これよりB集団と呼称します。敵の両集団共に、わずかづつですが、徐々に近づいてきます」
「命令、現陣形を維持し、等距離を保ちつつ後退せよ。…敵の意図は何だと思うかね?」
「はっ…現陣形を維持し、等距離を保ちつつ後退せよ!……兵力は敵が優勢ですが、戦い方によっては我々に状況を覆されかねません。よって、状況を更に有利にする為に、現段階では我々の分艦隊の無力化を意図しているのではないか、と思われますが…」
「私もそう思う。が、何だね?」
「何故敵は一気に距離を詰めないのでしょうか。敵は優勢なのですから敵A集団、B集団共に我が方の分艦隊にそれぞれが攻撃を仕掛ければ、こちらは当然本隊がどちらかに救援に向かいます。我が方はどちらかの分艦隊を失う覚悟をせねばなりません」
「それはかなりきつい一手だな。こちらは本隊両翼前方に第1、第3分艦隊を置いている。奴等が横並びでこちらの中央めがけて距離を詰めてきて、こちらの両分艦隊を中央から外に圧するように別れたなら、かなりまずい」
「そうですね、その場合どちらかの分艦隊を救援に向かうと、もう一つの分艦隊は完全に孤立します」
「だろう?…敵はそれに気付くかな。気付く様なら、右翼の第3分艦隊は中央に合流させた方がいいかも知れん。彼等は数が少ない」
「…第3分艦隊に合流の指示を出されますか?」
「私は気付く様なら、と言ったぞ参謀長。しばらく現在の位置関係で様子を見よう。それでも敵が何の動きも示さない様なら、急進して敵のA集団を半包囲する」
「しかし、それでは敵B集団は敵A集団を迂回して、我が方右翼側面か左翼側面に食いつこうとするのではありませんか?」
「そうだろうな。だからこちらは全力斉射でA集団を潰しにかかるのだ。敵B集団がこちらに食いつく頃には、敵A集団は半壊寸前だろう。そうなればB集団は我が方に食いつきつつA集団を救おうとするだろう。そこでこちらは退くのだ。…過日の第2分艦隊に倣う、二時間きっかり全力斉射して後退する」
「なるほど。ですがどちらに食いつかれても両翼が耐えきれるか分かりません。今の内に警戒するよう伝えようと思いますが、宜しいでしょうか」
「そうしてくれたまえ」
6月10日17:15 アスターテ星系、エル・ファシル警備艦隊第2分艦隊、旗艦アウストラ
ヤマト・ウィンチェスター
「ヤマト、調べものって、何を調べるんだ?」
「エル・ファシルの民間人の数さ」
「…民間人の数……?そんなデータ、この艦にはないだろう?そもそも有ったとして、調べてどうするんだ?」
自由惑星同盟って不思議なんだよな。有人惑星のある星系に警備艦隊があるのは分かるんだけど、中核となる戦力がいないんだよな。せめて一個艦隊でもエル・ファシルに常駐していれば、もっと楽だと思うんだけどな。それかジャムジード辺りに三個艦隊くらい常駐させるとかすれば、最前線は精神的にも物理的にもだいぶ楽だろうに、と思う。
いちいちフェザーン経由で情報もらって、帝国が攻めてきます、じゃあハイネセンから何個艦隊出撃…なんて、タイムロスが有りすぎるだろ…本当に自分達の領土を守る気があるのか??民主共和制の軍隊なのに民間人を守る、という色が希薄なように見える。
「いや、うちの本隊が負けたらどうするのかな、と思ってさ」
「え?負けるって事はないだろ。負けたってハイネセンから増援が来れば巻き返せるさ」
「同盟軍だけならそれでいいけど、エル・ファシルはどうなる?」
「どうなる、ってそりゃあ…民間人を脱出させる計画くらいはあるだろ」
「そりゃああるだろうさ。問題はそれを民間人に周知徹底させてるかどうかだよ。俺達訓練されてる人間だって緊急出港でめちゃくちゃ混みあうんだぞ。それを民間人にもやってもらう…想像できるか?」
「…単純にパニックだな。でも俺達がやらなくても」
「戦闘中の本隊は自分達で精一杯さ」
「じゃあエル・ファシルの地上作戦室は」
「前哨宙域と何個星系またいでると思う、危機感がないんだよ。負けた時を想定していれば呑気に補給艦出そうか、なんて言わないよ。それにあそこは艦隊が出撃してしまえば、補給管制がメインの仕事になる。何も考えてないと思うぜ」
「なんてこった」
百五十年も戦争してたら麻痺しちゃうのかな。戦闘始まったから避難の準備を、なんて毎回やってたらエル・ファシルの経済活動や市民生活はめちゃくちゃだろう、やってないだろうな多分。エル・ファシルが落ちた、なんて事がないから危機感が無いんだろうな。平和ボケではなくて戦争ボケか。
「でも、どうやって司令部に持ち込むんだ。前はカヴァッリ大尉が暴走してくれたけど」
「うーん、艦長にいうしかないな。その前に副長か。ドッジ准将に直接言ったら今度は怒られそうだ」
6月10日16:00 イゼルローン前哨宙域、エル・ファシル警備艦隊、旗艦グメイヤ
アーサー・リンチ
これ以上下がるとティアマト星系外縁部に入ってしまう。後退を続けても等距離で追って来るだけで何もしてこない。丸二日半も稼いだし、これ以上下がるのは危険だろう。
「オペレータ、敵A集団とB集団の間はどれくらいだ?時間的距離で頼む」
「はっ…およそ三十分です!付け加えますと、我が方と敵A集団の距離は三十光秒、至近です!」
「了解した…司令官、お聞きの通りです」
「気の利くオペレータだな。よし、全艦に作戦の伝達は完了しているな?」
「はっ」
「では始めよう。全艦、後退やめ。全艦前進。…砲撃戦用意。艦隊速度、第一戦速で敵に逆撃を加える。旗艦の発砲は待たなくてよい。敵A集団の先頭が有効射程に入り次第砲撃開始。全力斉射だ」
「了解しました。…全艦、砲撃戦用意!」
6月10日17:40 アスターテ星系、エル・ファシル警備艦隊第2分艦隊、旗艦アウストラ、
第2分艦隊司令部 セバスチャン・ドッジ
「旗艦艦長は、あの下士官達の言う事を真に受けるのですか!?」
声をあらげているのはウインズ中佐だ。彼も前回の戦いの恩恵を受けた一人だ。おこぼれ昇進にあずかった形なのが気に食わないらしい。その作戦を立案したのが下士官乗組員で、それが採用されたのも気に食わないらしい。司令部所属でないとはいえ、上位者に対する態度としては決して誉められんな。
「…充分真に受けておるよ。でなければ司令部にこのような話を持ち込む訳はなかろうて」
パークス准将。彼も前回の戦いで昇進した。旗艦艦長は本来大佐が務めるが、退役前ともあって昇進後もアウストラの指揮を執ることが許された。
「では、旗艦艦長もリンチ司令官が負けると仰るのですか?」
「負けるとは言っていない。だが、ウィンチェスター曹長の言う事も尤もだ、とは思わないかね?」
「…確かに尤もではあります。ですが、ジャムジードからの増援が来れば、充分に勝利は可能ではありませんか」
「…ダウニー司令、彼等に言っておらんのですか」
「…何の事です?司令」
…何の事だ?
「…ジャムジードからの増援は来ない。ジャムジード警備艦隊は出撃準備を整えていたが、国防委員会に止められたのだ。ジャムジードの艦隊兵力は千隻、もし更に帝国軍が増援を繰り出した場合、ジャムジードからの増援では焼け石に水の様なものだと。第1、第2艦隊を増援として派遣するので、それまで帝国軍を食い止めろ、との事だ」
「そんな…馬鹿な…いえ、失言でした、申し訳ありませんでした。司令のお言葉を疑う訳ではありませんが、それは事実なのでしょうか」
「事実だよ、ウインズ中佐。事実だからこそ、リンチ司令官は不利な状況にありながらも前哨宙域から後退されないのだ」
6月10日18:30 エル・ファシル、自由惑星同盟軍エル・ファシル基地、警備艦隊地上作戦室、
ヤン・ウェンリー
「私がですか?」
「それはそうだろう。私はただの作戦室長で、末席とはいえ君は司令部の作戦参謀ではないか。民間人に与えるイメージを考えてみれば君の方がいいイメージを与える事が出来ると思うがね」
「…そんなものでしょうか」
「そんなものだよ。それに作戦室は要請に従って民間船の徴用準備と民間人の乗艦の割り振りの計画を立てねばならんのだ。実際暇なのは君しかいないんだよ。よろしく頼む」
「了解しました。これよりエル・ファシル合同庁舎に出向き、脱出計画の説明にかかります」
「よし、かかれ」
体のいい厄介払い…いや、よそう。
イメージ云々はともかく作戦室長の言う事は尤もだ。艦隊司令部が出張らないと市民は納得しないだろう。問題なのは私の階級が伴ってない、という事だけだ。
それに民間船の徴用準備も乗船計画も急を要する。厳密には私は部外者ではないが、私が居たって邪魔なだけだろう。
それにしても、私はどうしてこうも事務処理が不得手なんだろう…歴史書を読むのは得意なのに、何故書類を読むのは苦手なのか。それがなければこうも厄介払いは…いや、よそう。
6月10日18:30 アスターテ星系、エル・ファシル警備艦隊第2分艦隊、旗艦アウストラ、
第2分艦隊司令部 ギル・ダウニー
「主任参謀、補給艦はエル・ファシルに向かったかね?」
「はい。明後日の昼頃にはエル・ファシルに到着予定です」
「そうか。補給艦にはどれくらいの人間を乗せられるのだ?」
「十万トン級三十隻、二十万トン級十隻ですから、乗船者の為の最低限の飲料水と糧食を搭載しても、無理をすれば百万人は乗船させられます」
「そうか。そういえば、艦隊陸戦隊の強襲揚陸艦もあったな」
「はい。陸戦隊の装備を載せずに補給艦と同様の措置をとりますと、二百隻で五万人は乗船させられます」
「そうか…宜しい。ところで、今回もウィンチェスター君の発案かね?」
「そうです。彼は…司令の仰るようにアッシュビー元帥の再来かもしれません」
「…賛同者が増えて嬉しいな、それは。しかし、何故そう思うようになったのかね?」
「彼がこの案を持ち込む前の事です、食堂で私は彼と話す機会がありました。彼の同期や部下もいたのですが、話の内容は前哨宙域で戦っている味方の事でした。自分が警備艦隊司令官ならどうするか、と」
「ほう」
「彼は戦わないと言いました。戦わずとも、敵の面子を立ててやれば、敵は退くと」
「面白い考え方だな」
「その答えに至るまでの彼の考えがまた興味深いものでした。まるで見てきたかのような、既に確定事項のような…充分に有り得る、そのような推論でした」
「見てきたかのような、既に確定事項のような、か」
「士官学校への編入を推薦したことも話しました」
「…推薦したのか、彼を」
「はい。最初は驚いていましたが、後は平然としていましたよ」
「そうか…推薦したか。では死なせてはならんな。主任参謀、旗艦艦長を呼んでくれないか」
「了解しました」
6月10日17:40 イゼルローン前哨宙域、エル・ファシル警備艦隊、旗艦グメイヤ
アーサー・リンチ
「司令官、敵B集団、我が方の右翼前方、二時方向に移動しつつあります。こちらの右翼側面または右翼後方に回りこもうとしているようです」
「……よし、第1分艦隊に命令、敵A集団に突撃せよ。命令、第1分艦隊突撃後、本隊と第3分艦隊は敵A集団への攻撃を続行しつつ九時方向に移動、敵B集団に正対する。陣形そのまま、急げ」
「了解しました。…第1分艦隊はA集団に突撃せよ!…本隊、第3分艦隊は九時方向にスライドしつつB集団に正対する!B集団との相対距離を保て!」
第1分艦隊が約三百五十隻、敵A集団は…約五百隻くらいか。突撃が成功すれば、敵A集団を釘付けに出来る。こちらの本隊、第3分艦隊で約千隻、敵B集団がおよそ千二百…正対すれば戦線の維持は可能だ…なんだ?
「こ、これは…敵A集団が後退しつつあります!敵B集団、陣形再編中…紡錘陣をとる模様!」
紡錘陣だと?…しまった!こちらを分断に来たか!
「急速後退だ。スパルタニアンを出して近接戦闘の準備をさせろ…どうした?」
「司令官、第1分艦隊が後退する敵A集団を追って陣形が崩れ出しています。突撃準備には時間がかかるものと思われますが、続行させますか」
「続行だ。引き続き突撃隊形への再編急げと伝えろ」
「了解しました…二時方向より敵B集団、向かって来ます!」
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