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異能探偵・番長五郎( #いのたんちょう )

作者:南雲麗
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1-1 番長五郎、登場

 夏の夜更け、近年広がりつつある電灯が輝く帝都の街並み。モダンな若人が浮名を流し、サラリーマンはビールをあおる。しかし探偵・番長五郎(つがいちょうごろう)には、そんな余裕は全く無かった。

 彼が立つのは、帝都中心部を走る列車の上。風が中折れ帽を飛ばしかけ、長五郎は右手で軽く抑え込んだ。改めて自身の前に立つ人物を見る。ある事情から捜索を頼まれた対象だ。しかし対象は不敵な笑みを浮かべ、敵対の意志をあらわにしていた。

 長五郎は対象を見分する。短めの辮髪に華人服、豆粒を見るような背の高さ。勝ち気な表情から見るに、まだ少年とも言えるような年頃だ。長五郎は小さく息を吐き、今一度だけ説得を試みた。

「どうにかここは捕まってくれぬか。悪いようにはしない」

 カーブに差し掛かり、電車はわずかに斜めに傾く。しかし二人共に意に介さない。身の丈百八十を越えんとする大男に見つめられてなお、少年は首を横に振った。

「否。信じない」

 片言の混じった、取り付く島もない返事。一片の望みさえも残さない言い草に、長五郎は顔をしかめた。どうしようもないのだと、見切りをつけた。諦め混じりに、軽口を吐く。整った顔立ちに、一筋の汗が流れた。

「警察連中もまいて、ここまで追って来たんだがね。つれねえな」
「しつこい。アンタ、一度負けた。なのに追ってくる。分からない」
「……仕方ねえ」

 一度は長五郎を破り死の淵まで追い込んだ少年は、どこまでも強気だった。長五郎は細く息を吐き、帽子を押さえる右手を剥がした。夜風が帽子をさらい、撫で付けた黒髪を晒す。続いてスーツを脱ぎ捨てる。ベストが現れ、スーツは夜風に消えた。

「相方が見抜いてくれたが、お前さんの技。アレだろ?」

 腰を落とし、両の腕を広げる。学舎で学んだ柔の技に徒手空拳。そしてほんのちょっとした『おまけ』。武技そのものはあくまで自己流だが、おまけも含めて自身の戦闘力は見定めている。ましてや、既にタネは割れている。

「『異能』」

 長五郎は口角を上げ、少年を見据えた。あからさまに表情が揺れていた。すり足で間合いを詰め、言葉を続ける。

「相方の受け売りだがな。大陸にゃ『二の打ち要らず』なんてぇとんでもない拳法の使い手が居るらしいじゃねえか。一撃食らわせるだけで相手が死んじまうとか聞いたぜ」

 少年の顔が青ざめていく。戦闘への集中力を、あからさまに欠いている表情だった。しかし長五郎は言葉を続けた。勝負を優位に進めるための、抜け目なき盤外戦術である。

「お前さんの技は、『異能』でソイツを再現している。いわば『偽・二の打ち要らず』ってところか。アレだな。内側から人体を狂わせ……」
「言うな!」

 図星を突かれたか、遂に少年が動いた。長五郎が測った間合いは四歩。少年の動きは素早く、目の前から消えたようにさえ見える。だが長五郎は読み切っていた。

 下から突き上げて来る右の肘鉄。必殺を試みた左の拳。顔面めがけて飛んで来る右の掌底。少年の流れるような連撃を、長五郎はわざと紙一重のところでかわした。

「綺麗な技だ。ただしそれ以上でもそれ以下でもない。筋が見えれば、さばく必要もない」
「くっ……」

 たった一度の攻防で、力量差は明白となった。しかし長五郎は、敢えて舌鋒を振るった。少年の意地を叩き折り、圧倒的な勝利を追い求めんとしていた。少年を依頼人の元へ連れて行く為には、こちらの言うことを聞かせる必要があった。

「まあネタバラシは程々にするが……。当たりさえしなければどうということはない。まあ先日は当てられ、病院に送られたがな。なあ、俺が何故ここに生きてるか、分かるか?」
「うるさいっ!!!!」

 少年が足を踏み鳴らす。空気が揺らぎ、腹を突き上げるような振動が長五郎を襲った。相方は震脚と言っていただろうか。腰を落とし、太腿に力を入れる。異能は使わない。電車に傷を残したくなかった。

「簡単な話なんだから聞こうぜ少年。なにを隠そう俺も異能持ちだ。相殺して、我慢比べをした。ギリギリのところで、踏みとどまった」

 振動が止まって、再び口を開く。既に反撃の態勢だった。右足を後ろに下げ、前傾姿勢。いつでも踏み込める。

「なあ。おまえさんを探して、はるばる大陸から船ではるばるやって来た奴がいるんだ。どういうアレでこっちに来たか知らんが、終いにしようぜ?」

 答えを聞く前に、長五郎は動いた。踏み締めていた足をバネに使い、低く素早く、直線的に間合いへ入る。

「防戦も、種明かしも。お前さんを折るにはどうにも足りねえ」

 列車の上でも、長五郎の動きは揺らがない。板張りの道場にいるかのように、滑らかな足運びで少年に迫っていく。

「だから力で叩き折る」
「っ!」

 少年は背を反らし、最小限の動きでかわそうとしていた。しかし時既に遅し。長五郎はささやかな抵抗すら許さなかった。大柄な体を屈めて少年の真正面に踏み込み、ほとんどゼロ距離で不敵な顔を突き付ける。少年の腰が引け、大勢が決した。

「やっぱりな。お前さんの武技、異能頼りだ」
「う……」
「大人しくしとけ!」

 軽く言葉を交わした直後、長五郎は少年の鳩尾に拳を叩き込んだ。反吐を吐いて崩れ落ちた少年を支えつつ、長五郎はひとりごちた。

「迎え撃っていれば、勝ち目もあったかな」

 駅に近付いた列車が、徐々にスピードを落としていく。よく見れば、官憲も先回りしていた。遠目ではあるが、拳銃や刺股が見える。武道家連続襲撃事件の下手人相手には、おおよそ妥当な武装と言えた。

「チッ、面倒は避けるか」

 長五郎は少年を背負うと、いともたやすく列車から夜空へと身を投げだした。二人の体は、そのまま闇へと溶けていった。

 ***

 数日後。依頼人の少女と、彼女の目的だった例の少年が旅立ち、久々に二人だけとなった長五郎の事務所。しかしその空気は、近年探索が進んでいるという酷寒の極地よりも冷たくなっていた。むしろここからが開戦と言えた。

「さぁて、反省会といこうか」

 シャツとズボンに身を固めた、眉目秀麗な相方。今は目の笑っていない笑顔で長五郎を見ていた。長五郎の背中には嫌な汗が滴っている。彼自身、ここ数日の行動が相方の逆鱗に触れているのは分かっていた。

「先走ってあの少年と立ち会ったせいで一時は心肺が停止するほどの重傷を負い、意識を取り戻すや否やボクを脅して答えをもぎ取り脱走。おまけに事務所の経費をあの子達にほとんど渡してしまう。そもそもキミのツテ頼りの密出国だから帰れる保証もない。さて、言い分はあるかい?」
「え、ええと……」

 応接用の机を挟んで、一気にまくし立てる相方。長五郎は明後日の方向を向いて思案していた。とはいえ、とうに結論は出ていた。自分と相方では頭の回転が違う。屁理屈をこねたところで、相方に論破されるのは目に見えていた。

「特にないです……」
「よろしい」

 長五郎は冷たい床に自主的に正座し、うなだれる。こういう時の相方は、下手に抵抗するよりも一度折れてしまった方が話しやすい。長五郎の経験則だった。事実、相方の殺気はいくらか和らいでいた。

「まあボクは馬鹿じゃないので、一個一個の事態はある程度は想定していたのだけど……。いっぺんに起こされるとどうしようにもない。おかげで、あの少年をこっちへ手引きした人間とかの調査までは手が回らなかったよ」
「う」

 だが相方の舌は鋭さを失ってはいなかった。長五郎自身も分かっていた。この程度で彼女がおさまらない。故に、先手を取り続けなければならない。

「すまん。勝手に突っ走った」

 長五郎は冷たい床に手を置き、座礼をした。まずは謝罪が必要だった。よろしいと声が聞こえるまで、長五郎はそうした。まずは意志を見せる。それが最善だった。

「まあ良しとしよう。ボクだってキミとの関係にヒビを入れたいわけじゃあないからね。そもそも一つ一つの行動はキミの性格からして妥当だ。反省は必要だが、修正はいらない。むしろ早急な課題は、事務所の財政が危機的状況にあることだ」
「いっ!?」

 長五郎が驚きの声を上げる。一応、最低限残しておくべき金額は計算していたはずだった。なのにどうして。理解が追いつかない。

「まあ正座は良いから掛けなよ。ここからは膝を突き合わせて話をしたい」

 外国(とつくに)の血が混じったという金の短髪を揺らして、相方が椅子を指差した。少し離れたところで、やかんが音を立てている。

「おっと。珈琲珈琲。飲む?」
「貴様の珈琲は砂糖とミルクを大量に入れた上に、妙な薬剤も入れたシロモノだろう? 茶でいい」
「そう。じゃあ白湯にするね」
「んなっ……」
「修正は要らないけれども、罰は要る。そういうことだよ」

 下手くそな口笛を吹きながら、相方はコンロへと向かっていく。三分ほどして、彼女は二つのコップを手に戻ってきた。コップをテーブルに置いた後、長五郎の対面に座る。長五郎の前に置かれたのは、宣言通りに白湯だった。

「本気かよ」
「本気だよ。なにせ今月の賃料が危うい。安ビルの一室とはいえ、人様からの借り物だからね。キミの立場を考慮すると、払えなくなった時点で追い出される」
「……去年の俺が向こう見ずに過ぎたのは認めるが、そういう言い方をされると腹が立つな」

 白湯をすすり、長五郎は口を尖らせた。確かに相方と組み、この一室に住居兼事務所を構える羽目になったのは自身が原因だった。率直に言えば「醜聞」の類に属する、身分違いの恋が関係している。

「自業自得だろう? 大学にも残れず、職のアテもない。そんな可哀想な青年を拾ってやったんだ。感謝したまえ」
「感謝はするが脚色は要らんだろ。貴様だって無一文で新聞紙に包まっていたじゃないか」

 気にしている箇所を突かれたことで、長五郎は頭に血が上っていた。その結果。

「あのう……」
「はい?」

 不意討ちの闖入者に、気付けなかった。いや、闖入者と言うには不適切か。ともかく、声のした方向を見る。出入口近辺に、中年のサラリーマンが立っていた。冴えないという言葉が、あまりにも当てはまっていた。

「番探偵事務所は、こちらでよろしかったでしょうか……。後、すみません……。返事がないので、入ってしまいました……。困っている、ので……」

 猫背気味で、ボソボソと喋るサラリーマン。長五郎は内心で溜息を吐いた。こういう手合いは色々と面倒だと、経験則が語っていた。

「合っていますよ。どうぞおかけください」

 その間に動いたのは相方だった。営業スマイルを浮かべ、丁寧な所作と言葉で応対する。先程までの態度とは大違いである。

「し、失礼します……」

 長五郎の向かいに、サラリーマンがおずおずと座る。急かしたいという衝動を、長五郎は理性で押さえ付けていた。

「力抜いて」

 相方が、口の動きだけで伝えてくる。いつの間にか横に座っていた。ニッと笑みを浮かべ、話の口火を切る。

「かしこまらずに、ざっくばらんに参りましょう。今日はどうなされました?」

 テノールに近い高音で、彼女は柔らかく問いかける。サラリーマンは一度下を向き、ズボンの太もも部分をきゅっと握った。そして顔を上げ、切迫した表情で打ち明けた。

「助けて下さい。私達が開発した新型の発動機を奪取すると、予告状が届いたのです!」 
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