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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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想いの吐露と現実と

装備科棟の一室を、自分とアリアとは目前に控えていた。扉の傍らにある壁には『平賀文』と可愛らしく装飾されたプレートが備え付けられていて、それを一瞥しながら扉を開ける。
すぐさま視界に飛び込んできたのは、部品を収納しているらしいボックスや工具箱の集積だった。それらが積み重なって幾つかの山を形成していて、あまつさえ、その山から零れ落ちてしまったらしい部品などが床に散乱している。絶句しているアリアを引き連れながら奥へ進んだ。

平凡な金具が落ちていることもあれば、高価に見える回路のようなものが落ちていることもあった。更には、何処から伸びて何処へ向かっているのか分からないケーブル──それらを踏まないように慎重に足を踏み出しながら、ようやく見えてきた数畳ほどの空間に安堵する。
壁際の作業テーブルに自らの座る椅子を備え付けて、少女──平賀文は自分たちを待っていたらしい。床に着かない足を遊ばせながら、あどけない顔付きと瞳とをこちらに向けていた。


「久しぶりだね。最後にこうして会ったのは、昨年度の暮れだっけ?」
「たぶん、その頃だと思うのだ。あれから少し空いたけど……今日の用事は何ですのだ?」


文はそう言いながら小首を傾げて、切り揃えてある茶髪を揺らした。不意に「あっ!」と呟いたかと思うと、「もしかして、カップル成立のお知らせですのだ?」と無邪気に訊いてくる。
いち早く返事を返したのは、アリアだった。それは言葉ではなくて、銃なのだけれど──彼女は撃鉄を起こした白銀のガバメントを握り締めながら、その銃口を真っ直ぐと文に向けていた。


「ばっ、馬鹿なこと言わないで! アタシと彩斗はそういうのじゃない!」


色恋沙汰に関する彼女の激昂は、彼女自身の羞恥を隠すためのもの──裏腹な頬の紅潮が、暗にその事実を示唆していた。そうして、自分がその大半を確信したのは、最近のことだった。
どうやらアリアは『色恋沙汰に疎い』自分とはまた異なった感じで、根本的に『色恋沙汰を象徴すること』を見聞きするのがどうにも恥ずかしいらしい。類推ながら、そう感じていた。

もちろん恋愛ドラマなど見れたものではないし──見れたとしても、それは告白シーンだとかキスシーンだとか、そんな大仰な演出のされていないような箇所に限られている。何をそんなに恥ずかしがるのかしら──と思うことも間々あるけれど、単にアリアの性格が初心なだけだろう。
そうして、そんな初心な彼女は、激昂から並べ立てる言葉の裡面に羞恥を秘めていた。


「彼氏彼女とかそういうのじゃなくて、ただの武偵活動のパートナーなだけ! アタシは恋愛なんてどうでもいいし、したいとも思わない! 次にそんなこと言ったら、風穴開けるわよ!」


本気の激昂ではなくて、羞恥を隠すための激昂──というのが可愛らしいところだ。事実、彼女はガバメントの安全装置を解除していなくて、単なる脅しだというのが誰にも見え透いている。
「まぁまぁ、そんなに怒らないの」と、いつも以上に眦を上げているアリアをなだめながら、文に向けられている銃口を逸らしてやる。「女の子は怒るより笑ってた方がいいでしょう」


「そーいえば、2人がパートナーっていうお話は聞いたことがあるのだ。ところで、神崎さんが如月くんと一緒の部屋に住んでるっていう噂は本当なのだ? 色々と言われてるけど……」
「本当だよ。……ただ、なるべく内密にしてくれていた方が助かるね。男子寮に女子生徒が寝泊まりしている事実は、教師から見たら不健全だろうから。生徒たちにも言及されちゃうし」


それこそ自分とアリアが同棲している──と公言してしまうと、客観的なお互いの関係に波風が立つことになる。言及も増えるだろうし、そうなれば追々と面倒臭くなるのだ。それが自分だけならまだしも、彼女にまで迷惑をかけてしまうのは悪いと思っているし、黙っているしかない。
そうして文は、その頼みを子供さながらの無邪気な笑みで快諾してくれた。「あややと2人だけの秘密、ってことにするのだ!」と、友誼的な言葉を、その口の中に転がしながら。

「うん、ありがとう。恩に着るよ」そう微笑してから、「ところで、本題なんだけどさ──」と続ける。今日ここに赴いたのは、その目的を達成するために他ならなかったのだ。
『ちょっと寄り道をするね』といった説明だけで自分に着いてきたアリアは、その理由を知らない。銃を仕舞ったらしいその手を組みながら、眦と赤紫色の特徴的な目で一瞥をくれた。


「昨年度の初めに、君に銃の改造をしてもらったろう。それで帰り際に、『また1年したら定期整備をするのだ! 忘れずに来てくださいですのだ!』って。だから約束通りに来たよ」
「あー……。そんなこともあったですのだ。あややと如月くんが初めて会った時なのだ!」


確かに、そう言われてみれば──そんなことを思い返しながら、文に促されるまま2人で椅子に腰掛ける。文に向ける目線は自分の目線よりも少し下で、そこと平行な位置にアリアが居た。
それにしても──と口元に手を遣りながら、彼女と果たした邂逅の所以を思い返してみる。当時は入学して間もない頃で、優秀な生徒の名前が噂に噂を重ねてあちこちに散見された。その中に恐らく、文がいたのだろう。確か『装備科の俊才ロリ』と呼ばれていたような気がする。

そんな噂が立つほどなのだから、彼女の技量は相当なものなのだろう──と期待して、単なる興味本位で依頼をお願いしたことを思い出した。それが銃の改造だったのだ。カスタムパーツといったものの取り寄せに始まって、反動除去機構の構築、デザートイーグルのバースト化、そういったものを文は請負ってくれた。そうしてそれは、自分の期待通りの結果に収束してくれた。

彼女の装備科生としての能力は、現在はおろか当時から見ても非常に高い。その技量を見込まれて教務科からはAランクの肩書きを受けているし、彼女を頼る生徒も多く居るのだと聞く。
とはいえ、その上で彼女に些かの問題があることは、 自分たち周囲も承知していた。文の実力はSランクにも届くだろうと言われているのに、彼女がAランクの理由がそこにあるのだ。

それこそが、様々な問題行動──例えば、キンジの愛銃であるベレッタM92FSが身近な例だろうか。この銃に元来、バースト機能は存在しない。それを彼女特有の技力でもって違法の改造を施してしまうところだとか、相場を無視した料金の支払いを提示するだとか、そんな問題行動を教務科も知っているからこそ、叱責の意を多分に込めてランクを落としているのだろう。

それも含めて更には、とうとう──当然の帰結かもしれないけれど──平賀文は、その苗字から推して、かの平賀源内の子孫ではないかと未だに噂されているのだ。平賀源内は江戸時代の名工として知られている。彼女のその技量は、まさに彼を思わせるに相応しいものに相違なかった。問題こそあれど、その実力は申し分ない。これこそ自分たちが彼女に抱く共通認識だろう。


「君はずっと変わらないね。未だに自分の中では、ぼったくりの俊才技師だよ。だってさぁ、初めて依頼した時、請求書の額を見たら驚いたもの。当時は入学して間もないし、ある程度の資金しか持ち合わせてなかったからね。しかも、切り崩したくない資金だよ? 結果してこれが如月彩斗の最初の借金、ってことになったんだ。最初で最後なら万々歳だけれどもね。ふふっ」


壁際の作業テーブルに肘を掛けながら、自分は口元から穏和の2文字を吐いた。
「借金して、その後はどうしたの?」隣から興味ありげにアリアが訊いてくる。


「依頼を解決して、そのお金で支払ったよ。資金には微塵も手を付けずにね。その後も、成績向上と資金増加を目標にして、自分なりに昨年度を過ごしてきたつもりではいるかな。前者も結果として見事に表れてくれたし、後者の資金も今のところは不自由が無いね。気楽に生きれるよ」


両手を組んで磊落に笑みを零しながら、自分はそうアリアに返事した。彼女も面白そうに「へぇ、そうだったんだ」と頷いてくれる。「強襲科の総依頼解決数が1位の背景、これなのね」
事実の裡面──ある種の秘密を垣間見たことが、アリアにとって何かしら面白かったのだろう。納得したように笑いかけてくる眦は、赤紫色を隣にして、いつもにも増して下がっていた。


「それに比べて、今年度はどうなるのかしら。先月の《武偵殺し》の件で、バスジャックとハイジャックは解決済みって認可されたでしょ? 1ヶ月で2件の調子じゃ、まだ追い付けないけど」
「昨年度が異常だった、って思ってくれた方が嬉しいな……。今は記録とかに固執してないし、それに、1つの事件に懸けるものが前者と後者では違いすぎるからね。しばらくは安穏にさ」


苦笑を零しながら、自分は今しがた告げた言葉の意味を反芻する。1つの事件に懸けるもの──それが何なのかは、本質を見澄まさなくとも分かりきっていた。根幹にあるものが自利的行動から利他的行動に変貌した、たったそれだけのことなのだ。金銭とか記録を意識していた去年までの生半可な気概では、パートナーである一少女の命運を背負いきれない。それを自覚したからこそ、自分は彼女に対する事案だけに傾注して請け負う──という断案を下したわけになる。

そこまでを、この一言二言からアリアが感受したかは定かではない。自分のことを茶化したつもりが、意想外のところから返事が飛んできたので、どうやら呆然としているようだった。
そんな彼女を横目に見ながら、遣り取りを黙視していた文に本題の言葉をかける。「最近は事件の関係で銃を使わせられたから、ちょっと状態が心配だね」とだけ、前置きをした。

「というわけで、文、宜しく頼むよ」そう笑いかけながら、愛銃のベレッタM93Rと父親譲りのデザートイーグルを取り出した。作業テーブルの上に置いた2丁を見たその刹那に、わけも分からず気の作用が少しだけ変わったのか、どうせだから《緋想》も文に点検してもらおうかしら──と思い至って、隠匿していた背から手伝いに「ついでに、これも頼むね」と彼女に渡す。

彼女はそれを見るや否や、どこからか取り出した白手袋を嵌めた。それから手伝いに《緋想》を受け取って、白手袋と同時に取り出したらしい白布を、敷いたテーブルの上に静止させる。
その手際の良さに感嘆させられてしまった。《緋想》を視認してから、並大抵の日本刀でないことを即座に察知したのだろう。その上で、これだけ大仰かつ適切な対応をしてくれたわけだ。
文は切り揃えてある茶髪を揺らしながら、自分の方に問いかけてくる。


「如月くん、この刀は何ですのだ……?」
「母方の本家一族に伝承されてきた日本刀だよ。これも点検してほしいんだ」
「なるほどー、了解ですのだ! じゃあ、銃は完全分解までしてパーツの点検、刀は研磨と手入れっていうことで──うーん、たぶん今日中に終わるかどうか分からないけど……」
「無理して終わらせなくてもいいよ。明日にだって取りに行けるもの」


その間、主要な武器を手放してしまうのは惜しいけれど──不備があるかもしれない武器を、その可能性とともに使用するよりかは惜しくない。急かした結果に事故でも起こす方が駄目だ。
そんな意味合いを込めて、文にはこの依頼を改めてお願いした。「頑張れば、もしかしたら夜に終わるかもしれないけど、それはそれで大丈夫なのだ?」と彼女はこちらを見上げてくる。


「うん、構わないよ。遅くなるなら身内に連絡はするしね。陽も延びたし、食堂とか購買も空いてるかな……? まぁ、アリアが好きな……ほら、あのお饅頭……ももまん程度は買えるでしょう」
「神崎さん、ももまんが好きなのだ? それなら購買に売れ残りがあったと思うから、今からでもたぶん売ってるのだ。いくつ残ってたかは忘れちゃったけど、善は急げでレッツゴーなのだ!」


片腕を可愛らしく掲げた文を見て、アリアは「本当?」と嬉しそうに零した。なるほど、どうせなら買ってしまえばいいのだ。彼女にとっては、どちらに転んでも損はしないだろう。
「じゃあ、はい、これ。あげる。お釣りはいらないから」そう言って、自分は財布から取り出した1000円札をアリアに手渡した。1000円ならば、あるだけは買えるだろうと思う。


「えっ、でも……。悪いからいいよ」
「ほら、早く行っておいで。この間に売り切れちゃったら本末転倒でしょう?」
「うん、じゃあ……ありがと。ちょっと行ってくる」


気恥ずかしそうに笑いながら、アリアは自分たちに小さく手を振って部屋を後にした。彼女の軽快な足取りと揺れる髪、小さな背姿を見送ってから、一息ついた自分はまた文の方に向き直る。
話が一段落したところで、彼女はちょうどベレッタの整備を始めるところらしかった。点検に使うような工具もろもろを引き出しから取り出して、傍らに据え置いてある照明を点けている。

まずは弾倉を抜いて手元に置くと、文は安全装置を解除してから撃鉄を起こした。そのままスライドを外すと、銃の内部機構がありありと見て取れる。ここから分解していくのだろう。
そうして「……実際のところだけど」と、横目でこちらを一瞥しながら呟く。「如月くんは神崎さんのこと、どう思ってるのだ? あややにはパートナー以上で恋人未満っていう風に見えたのだ」そう告げる彼女の声色は、先程の無邪気な調子とは少しだけ違って、大人びていた。

そんな一様の悠然とした調子と紺碧の瞳とを見聞きしているうちに、次第次第に自分の脈搏が段階的に速度を上げていくように思われてくる。泰然としていたはずの心臓が突発的に早鐘を打ち始めて、その理由が彼女の言葉と自分の意識に由来していることだけは、とうに分かっていた。
詰まった咽喉を無理やり震わせながら、「そうねぇ……」と切り出して照れ笑いを零す。


「あの子を庇護してやれるのは自分のみだろう、と思ってるよ。生家のことを語らない、両親の居ないアリアにとって、他に頼れる人なんて限られているだろうからね。気位に満ち満ちた彼女の性格からしても、あの子は1人で抱え込んでしまうタイプじゃないのかな。そうなった時に彼女を介抱してやれるのは、彼女のことを少なからず分かっている人じゃないと駄目でしょう」


いじらしい彼女の零した本音を、他の誰でもない自分だけは、既に耳にしている。『甘えたくなったら、彩斗に甘える。たぶん弱音だって吐くし、泣いちゃうこともあるかもしれないけど、絶対に抱え込まない。……アタシなんかのことを分かってくれてる、たった1人のパートナーだから。だから、大事にする。何かあっていちばん頼れる人が、彩斗しか居ないもん』


「その上で、彼女の悲運めいた境遇に同情しているんだ。あの子を支えてやれるのは自分しか居ない、パートナーになってやれるのも自分しか居ない──単なる同情とお人好しから出た感情だけれどもね。少なくとも、その悲運から逃がしてやろうという気ではいるよ。そうでなければ、あの子が何のために自分をパートナーにしたのか、分からなくなっちゃうでしょうからね」


自分の世界は、1度ならず2度までも変貌した──胸の内で、そう零す。
そもそも自分が生家を離れて武偵になったのは、単なる我儘な子供の我儘でしかなかったのだ。日常に蔓延っていた無味乾燥を一掃するための、そうして同時に現実逃避を果たすための、押し切りに押し切って、突き放すように手から零した由縁と過去──それでしかなかったのだ。

そうして自分は武偵になった。生家とも世俗とも異なった感じを実感して、4年の歳月をそこに費やすまでに至った。独特な環境の中で感受した知識とか能力とか、構成した人間関係とかを思えば、対価にしたこの4年も無駄にはなっていないのだろうと思える。むしろ尾ひれを引いた結果、この現状に至っているのだ。始業式の日に、またもや世界が変貌したのだから──。


「……実は神崎さんは、転校したての頃は悪く言われてたのだ。銃剣技の天才なのが裏目して、誰も彼女に動きを合わせられなかった。直情的な神崎さんも神崎さんで、パートナー役の子に食いかかっちゃうことも多かったから、周囲からは短気で我儘って思われてたみたいなのだ。周りから浮いてることもあったし、あまりお友達って呼べる子は居なかったみたいに思うのだ」


文はまた自分を横目で一瞥しながら、淡々とした中に悄然とも取れる色を滲ませていた。
「でも、」と彼女は続ける。それは弾けた泡沫のような声に聞こえた。「神崎さん、如月くんにはそんな素振りは微塵も見せないし、むしろ如月くんに会ってから、性格が少しだけ穏やかになった気がするのだ。……たぶん、如月くんなら理由は分かってるかもしれないけど」

自分は文の告白を聞く今の今まで、神崎・H・アリアという眇たる一少女の過去を知らなかった。そうして同時に、その告白と彼女の態度とを鑑みると、文の言う理由とやらも分かる気がしてくる。それは実に単純明快な見え透いたもので、人間の心理作用の代名詞とも呼べるものなのだ。
──彼女自身に納得がいくパートナーを上手く見付けられずに、焦燥していたのだろう。迫る不可視の刻限を何処かで感受しながら、この現実を見て焦燥に焦燥を重ねていたのだろうと思う。

けれど、そこに如月彩斗という武偵が現れた──彼女に納得のいくパートナーこそが──ために、アリアは些か強情な手段でもって自分にその話を持ち掛けたのだ。そうして自分はそれを快諾して、そこから彼女とともに生活をするようになった。その後の彼女しか、自分は知らなかったのだ。気位に満ち満ちていて、他人には少し当たりが強くて、可愛らしく愛嬌のある、ときおり見せてくれる優しさに惹かれてしまうほど──そんな彼女だけしか、知らなかったのだ。


「だから、少し前と今の神崎さんを見比べて驚いている人も居たのだ。如月くんの穏和な性格が移ったのかなっていうお話もされたり、パートナーでお似合いだっていう声もやっぱり多いのだ。それに何より、如月くんの能力が神崎さんと同じくらいのレベルだから、お互いに息が合ってるみたい。みんな、神崎さんの本当の強さが分かったんじゃないのかなって思うのだ」


「それに、結局は」と文は続ける。


「神崎さんのことをいちばん分かってあげられているのは、やっぱりパートナーの如月くんだと思う。まだ良くも悪くも彼女の噂はあるけど……何より、同棲していちばん近くに居る如月くんから愚痴の1つも出てこないことが、凄いなぁって思うのだ。それって神崎さんの性格とか、そういったことを分かってあげられているからでしょ? むしろ、護ってあげたいとか──」


文はそこまで言ってから、やにわに作業の手を止めてしまった。そうして生起した森閑という名の空白の中に、彼女はほんの数秒の息継ぎを込める。()っと見据えられた紺碧の瞳を前にして、その紺碧は何ともなしに爛々としているように見えた。玲瓏な瞳は自分の胸臆を見澄ましているように思えてしまって、どうにも仕様がない。そんなことばかりをこの刹那に一考した。


「如月くんは、神崎さんのこと……好き、なのだ?」


気恥ずかしそうに零した無邪気な笑みの裡面に、彼女はいつにも増して真剣な面持ちを秘めていた。同時に1度は泰然を取り戻したはずの脈博が120以上を打ち始めて、心臓のあたりが何とも形容のできない、息苦しいだけの締め付けられるような閉塞感に襲われてしまっている。そうして文字通り、文から投げかけられた問いの意想外なことに、肩が跳ねたのを感じていた。

肺胞に染み渡るまでに息を吸い吸い、長い溜息を吐きながら、どうにも落ち着かないこの感情を何とか落ち着かせようと躍起になりつつ、組んでいた手元の指先を遊ばせている。
何でもいいから言葉を返したいのに、口元からは吐息が洩れるだけだった。それがただ煩わしくて、目前の彼女から見た自分の姿は、動揺にあてられて緘黙しているのだろうとさえ思った。

忍ぶれど色にでりけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで──。

つい近頃に自覚した神崎・H・アリアという眇たる一少女への恋情は、他言もせず自分の胸臆だけに秘めていたはずなのに、こうして久々に会った他人に見澄まされてしまうほどには、どうやら自分のこの恋情というものは、何かしらの色を帯びて滔々と横溢してしまっているらしい。


「……アリアに対して、恋情を抱いているのは事実だよ。彼女の優しさとか、そういう面に惹かれてしまっているのも、ね。けれど『好き』という言葉が、あの子を親友として好きなのか、パートナーとして好きなのか、異性として好きなのか──その区別が、あまりよく分からない。さっきも言ったけど、この感情の根幹はアリアを護りたいというだけ。それが文の中で『好き』という言葉に置き換えられるのなら、たぶん、そうなんじゃないかな。この感情も、きっとね」


言い切るだけ言い切ってから、自分の顔がはにかんでいるのを自覚した。ここに彼女が居なくて良かったと、そんなことを思ってしまうくらいには、どうやら今の自分は参っているらしい。
アリアの前でこんな表情を見せたら、あの子は物珍しがって茶化すだろうか。それとも内容にあてられて、逆に羞恥に気圧されてしまうだろうか。そんな考えが、ふと脳裏を過ぎていった。

作業をしている文の手元を見ると、銃はいつの間にか完全分解がされている。その部品を紛失しないように静止させながら、1つずつ目視での点検を始めていった。致命傷の有無とかを確認しているのだろう。それを済ませたら銃器用潤滑油に湿らせた布で、洗浄と手入れを兼ねている。


「神崎さんが如月くんのことをどう思ってるかは分からないけど、あややの見る限り、悪く思われてはいないのだ。校内で一緒に居る姿もよく見かけるけど、いつも仲が良さそうにしてるし……少なくとも、お互いにパートナー程度の関係っていう風に感じるのだ。同棲してるって言ってたけど、お家での神崎さんってどんな感じなのだ? 個人的にちょっと気になるのだ」


楽しそうに笑いながら、彼女はそう告げた。この話題に意識を傾注させているようで、少なくとも関心は持ってくれているらしい。その事実を表層から感受して、誰にともなく安堵した。


「家でのアリア……と言っても、そんなに変わらないかな。学校よりも家に居る方が気楽なのはあるでしょうけど、女の子らしいと言えば女の子らしいかも。『この服、可愛いなぁ……』って呟きながらファッション雑誌を読んでたり、あとは動物系のテレビ番組が好きだね。自分も一緒に見るんだけど、本当に動物が好きなのか、ちょっとテンションが上がってる。ふふっ」


口元から零れた笑みを手で隠しながら、細まった視界越しに文を見る。紺碧の瞳と視線が合って、彼女の眦も自分と同じように下がっていた。お互いにアリアの姿を想像しているのだろう。
ひとしきり笑い終えてから、文は「2人とも、だいぶん仲が良さそうで安心したのだ。このまま是非とも、武偵活動のパートナーとして頑張ってもらいたいところなのだ!」と告げてくれる。

「それと、密かに如月くんのアプローチにも期待してるのだ!」真鍮製のブラシを自分に向けて突き付けながら、無邪気と悪戯心の綯い交ぜになった笑みで目前の少女は鷹揚に宣言した。
「あややは恋愛とかはしたことないけど、他の人の恋バナとかを聞いたり進展を見たりするのは大好きなのだ。自分も感情移入して、同じような気分になれるから……。あはは……」


どうやら文がこの話に乗り気だったのは、こうした性格が影響していたのかもしれない。そうして気恥ずかしさを隠すためだろうか、苦笑しながら作業の手を着々と進めていった。
同時に彼女の性格──無邪気で奔放で磊落な様を想起させられて、思わず訊いてみたいような感覚に苛まれた。前々から気になっていたことをようやく訊けることに、内心で満足しながら。


「……ところで、文って落ち込むことはあるの? いつも可愛らしく笑っているところだけを見てて、それ以外の表情は見たことがないもの。笑顔でいるのも別段、悪いことじゃないけどね」


彼女はそうした自分の問いを聞いて、一考するように「うーん……」と唸った。愛嬌のある大きな瞳を何度か瞬かせながら、おもむろに作業の手を止めていく。それから呟くように零した。


「落ち込むことは、まぁ、ある……のだ。さっき、あややは色恋沙汰の経験は無いって言ったけど、それでも何もしてないわけじゃないのだ。これは恋愛じゃなくて片想いの話になっちゃうけど、あややの気になってる人とかが依頼に行ったりすると、しばらく会えないって落ち込むし……でも帰ってきて、あややに武器の整備を頼んでくれた時とかは、すっごく嬉しいのだ!」


文の咲き誇った花のような笑顔に、雲間から陽光が射す様を幻視した。一喜一憂する年頃の女子高生らしい恋愛事情の告白を聞いて、一抹の慰安と安堵とが胸の内を覆っていく。いくら純真無邪気を極めた彼女でも落ち込むことはあるのだと知って、人間の心理作用というものを悟った。
「君の片想いが、どうか成就しますように──。ふふっ、応援してるよ。頑張ってね」胸の高さに小さく手を握りながら、その握った手に声援を込める。文はそれに大きく頷いてくれた。

そうして話の区切りがついた丁度の具合に、例の集積の山々を隔てた向こうから、扉の開閉音と不規則な足音が聞こえてくる。やはり散乱している部品等を踏まないように、慎重に歩いているのだろう。彼女の軽快な足音のなかには、紙袋の立てる独特の乾いた音色が混じっていた。

それらが段々と近付いてくると、すぐに彼女──アリアの姿が視認できた。紙袋を両腕に抱き抱えるようにしながら、足元に意識を傾注させて爪先立ちのように歩いている。ようやく山の麓から抜けると、アリアはそのまま勢いをつけて、もと座っていた椅子へと一気に腰を下ろした。
文に負けず劣らずの無邪気な笑顔を振り撒きながら、彼女は「ただいま」と挨拶する。


「おかえり。何だかご機嫌だけど、良いことでもあった?」
「あのね、ももまんが在庫処分セールだったの。 賞味期限切れの1日前で半額だったから、おやつ用と夕食用で……15個ね。ふふっ、かなり得しちゃった。購買の人も『ありがとう』って」
「また随分と買ったね……。まぁ、君が嬉しいのならいいや」


そうして2人で顔を見合わせて軽快に笑う。こうしている時の彼女は、一般校に居るような女子高生のようで可愛らしい。そんな思いを思考の端に覗かせながら、ひとしきり笑い終えた。
「そういえば」とアリアが思い出したように切り出す。「2人とも、何を話してたの?」
赤紫色の瞳で自分と文との顔を交互に見遣りながら、彼女は興味ありげにそう訊いてくる。


「えっと、如月くんは神崎さんのことを、どう思っているのか──っていうお話を……あっ」


そこまで言い切ったところで、文はこの返答がいかに如月彩斗にとって都合の悪いものか──ということを察し得たらしい。目を泳がせながら、慌てたように口を両手で押さえている。
同時にこの話題を露呈させられると思っていなかった、或いは彼女にこの話題を知らせたくなかった自分の緊張が、一気に最高潮に達しているのを感じていた。苦笑するのが関の山だった。

アリアはそうした文の返事を聞いて、少しだけ面食らったようにしている。そうして返事の内容を咀嚼したのか、羞恥したような拗ねたような面持ちで、決まりが悪そうに目を伏せた。
けれども、そうした平生とは異なる彼女の態度も、ほんの一刹那のことだった。やにわに「ねぇ、今って何時?」とアリアは自分に問いかけてくる。腕時計の文字盤は5時付近にあった。


「じゃあ……その、先に帰って夕食を作っておいてくれる? アタシも平賀さんに色々とお願いしたいことがあって、このままだと夕食が遅れちゃうかもしれないから……。なるべく早く帰れるようにするけど、少し時間が掛かるようなら電話するから。キンジたちにも言っておいて」


彼女は口早にそう告げると、「なんか、我儘で悪いわね」と苦笑した。そうしたアリアの仕草が平生と似つかわしくないことを理解しながらも、「別に構わないよ」と快活に背いて席を立つ。その表情の裡面に、彼女に対する緊張を隠していることが判明しないようにしながら……。
これで何度目だろう──忙しなく拍動する心臓を、煩わしく思うのは。どうかその音が彼女に聞こえていませんように、と泰然を気取りながら、自分は少女2人に笑いかけた。


「それじゃあ、そういうことだから先に帰ってるね。バイバイ」


手を振り返してくれた彼女たちの表情が、何だか印象的だった。 
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