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ユア・ブラッド・マイン―鬼と煉獄のカタストロフ―

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episode9『家族に』

 日は暮れて、既に天上の真っ暗な空には満月が顔を出している。夕飯も既に終わって風呂も済ませ、今の時刻は優に22時を回っていた。

「――。」

 廊下の窓縁に肘を立てて、都会の光で輝きの薄れた星空を見上げる。幸い、雲はほとんど見られないため空を遮るものはないに等しいが、しかし綺麗に空が見えたとしても、そう特別な景色がみられるわけではない。
 ただ夜空の静かな闇は、見る者の心を落ち着かせる。無論それも行き過ぎれば逆効果だが、こうして夜空を眺めて考えを整理するには、充分な静けさだった。

 “――私は、シンを救うために、お前を利用しようとしている”

 別に、そのこと自体には不満はない。自分だって助かるためにこの施設を隠れ蓑にしている身だ、何かを貰う以上、それに見合うだけの対価を支払うのは当然のことだ。
 だが――だが、そうは分かっていても、心に湧き出てくる気持ちだけが止められない。

 せめて、最初からそのつもりでヒナミを引き取ったのだと言ってくれればよかったのに。

 せめてあんな、まるで母のように優しくしてくれなければよかったのに。

 あんなにも暖かい手で、抱きしめてくれなければよかったのに。

 無償の博愛、何もそれが欲しかったなんて傲慢なことを言うつもりはない。智代はあくまで他人で、行き場のない己に居場所を提供してくれただけの協力者に過ぎないのだ。
 けれど、期待してしまった。もしかしたら、なんて考えてしまったのだ。


 ……ここは本当に、帰る場所になってくれるんじゃないか、なんて。


「……ばか」

 自分に向けて、そう罵倒する。
 覚悟していたことだというのに、未だ未練がましく過去を引きずっているのだ。馬鹿らしい、阿呆らしい、こうして自分を軽蔑した数など数知れないにもかかわらず、それでも尚懲りずにこんなことを繰り返すあたり最悪にタチが悪い。

 いい加減、いつまでメソメソとしているつもりなのか。余計なことを考えるな、逃げ切る事だけを考えていればいい……あぁ、あまりにも簡単な話だというのに、どうしてその程度の事が出来ないのか。

 分かっている。全ての原因は、あの日の記憶なのだ。

 “怖い、痛い、苦しい、寂しい。”

 終わらない苦しみへの恐怖、それはそのまま渇望になる。『救われたい』、『楽になりたい』なんて余計な願いと一緒に、心の隙間に忍び込んでくる。そんなものがあるから、苦しいだけだというのに。
 せめて、恐怖なんてものがなければ、こんな思いを抱かずに済んだのだろうか。幸福を忘れてしまえば、こんな願いを抱かずに済んだのだろうか。

 それらを、切り捨ててしまえば――。



「『【“ダメだ”】』」


「……っ!?」



 ――地獄の底から響いたような、恐ろしい声がした。

 即座に、ばっと振り返る。一瞬だけ何か紅色の異形の影が目に映って腰を抜かしそうになるも、尻もちをつきそうになったところで、伸びてきた手がヒナミの腰に手を回し支えた。
 驚きすぎて目の錯覚でも起こしたのか、先ほどの異形の影はもういない。目の前にいたのは心配そうな表情でヒナミを支えるシンの姿のみ、その他には誰も見当たらない。

 では、さっきの声の主は?とあたりを見渡しても、彼以外には誰もいない。声質まではよく聞き取れなかったが、あんな声をシンが出すとも思えないし、そもそも声の主は、いったい何に対して言った?

 心を読んだとでも?そんなまさか。

「……大丈夫?ミナ」

「……ぁ……っ、う、ん。だい、じょうぶ……」

 シンの支えを借りて、何とか体勢を立て直す。ふとその風貌を見ると彼の髪は若干湿り気があって、顔色も少し熱に当てられたように赤い。よく見ればその服ももこもことしたパジャマで、随分と触り心地がよさそうだった。
 ……というか、もしかしなくっても風呂に入っている。昼間にあれほどの大怪我をしておいて、なんて危機感のない。

「……お風呂入ったでしょ。傷に障るんだから、シスターに怒られるよ?」

「あはは、それはちょっと見逃してくれると嬉しいなぁ……。しばらく休んでたらなんかすごい汗でさ、流石に気持ち悪くってね」

 “包帯はちゃんと巻き直したから”なんて、寝間着の襟を引っ張って背中の包帯を見せてくるが、少し赤く滲んだソレは明らかに『ちゃんと巻き直した』なんて口が裂けても言えないようなヘタクソさだった。何なら若干傷口が露出していて、たいへん見るに堪えない。
 はぁ、と深くため息を吐く。

「全然できてない。ほら座って、巻き方は昼見たから覚えてる」

「あれっ、うまくできたと思ったんだけどなぁ」

「これを見て何でそう思うのよ……」

 寝間着を脱いだシンの包帯に手を掛けて、一度包帯を解く。バラバラに伸びたそれをロール状に丸めてから、しっかりと傷口を覆うようにくるくると巻きなおしていく。
 ……そういえば、シンが自分で包帯を巻けないのもオーバーワールドの影響だったりするのだろうか。

 自分の姿が歪んで見えるタイプのOWを持ったOI体質者は、自分に関する認識が上手く取れないことがあると聞く。それは例えば、自分が透明に見えるといった“歪む世界”が分かりやすいだろうか。見えない傷の手当てが困難なように、シンもまた己の姿が歪に見えるOWを持っている可能性はある。

 ふと、気になった。

 シスターの言う、人類史上類を見ない程のオーバード・イメージ。それほど強大なイメージを抱えた彼が見る歪んだ世界の景色がいったいどんなものなのか、少しだけ興味が湧いた。

「ねぇ」

「うん?」

「シンの“歪む世界”って、なんなの?」

 ぴくり、と、歳にしては大柄な肩が揺れる。ちらりと肩越しにヒナミの方を覗いたシンは、すこしだけ思案するように目を伏せて、少し渋るように「ん……」と悩むような声を漏らした。
 しまった、と内心で後悔する。オーバードイメージは本人にとってかなりデリケートな問題だ、これまでOWを持った人物との交流など無かったこともあって無遠慮に聞いてしまったが、あまり気軽に踏み込んでいい話題ではなかったかだろうか。

「……ご、ごめん。話したくないなら……」

「あぁ、いや、いいんだ。隠すような事でもないからね」

 謝るヒナミに笑顔で笑い掛けるシンは、ふと頭の方へと腕を持ち上げる。頭上まで手を上げた彼はそのまま額の上に手を添えると、手首を何かに引っかけているかのように曲げた。
 一体何を、と困惑するヒナミに、シンがぽつりと問いかける。

「僕の手、ミナから見て、今どうなってる?」

「え?……おでこに、当ててる?」

「うん、きっと普通はそうなんだと思う。まあ僕から見てもおでこに当ててるには変わらないんだけれど、どっちかって言うと“当たってる”の方があってるかな」

「……当たってる?」

 首を傾げて問うヒナミに、シンは一つ頷く。包帯を全部巻き終わったヒナミに“ありがとう”と先に礼を伝えたシンは寝間着を着なおすと、逆側の開いた手でちょいちょいとヒナミを手招きしながら、移動を始める。
 歩き始めたシンの横に並んで付いていくと、向かっているのはどうやら上階らしかった。いったい何の用なのだろうか、と疑問には感じながらも、一先ずは話を聞く。

「今ね、腕に全く力は込めてないんだ。僕はこれ以上、このまま手を下ろすことはできない」

「下せない、って……」

「勿論、迂回すれば一発で下せるよ。この位置のまま下せない、ってだけの話さ。角があるからね」

 角?と心の中で復唱する。勿論、そんなものはシンの額に存在していないし、明らかに腕はシンが自ら浮かしている。だがきっとそれはあくまでヒナミから見た場合の話。
 シンにとっては違うのだろう、オーバードイメージは人の認識、五感の情報を容易く書き換える。彼にとってはそこに角が存在していて、物質として質量を持っているのだ。手は物をすり抜ける事が出来ないように、シンにとっては存在するその角を透過することはできない。

「僕はさ、僕自身が鬼に見えるんだ」

「鬼……?」

 そういえば以前シンと話したとき、『鬼』というワードを口にしていた。あの時は“変なの”なんていって流してしまったが、それこそがシンのOWなのだろう。

「そう、鬼。おでこには角があって、からだ中にごつごつした殻みたいなのが張り付いてる。手は大きいし爪もナイフみたいに長ければ、歯も肉食獣みたいに尖ってる。それと……」

「……それと?」

「……いや、なんでもない。後はそうだね、たまにすっごくおなかが空く時がある、くらいかな?何年か前から、ずっとこうなんだ」

 何か踏みとどまるように言葉を噤んだ彼は、そう言って困ったような笑顔で笑う。しかし、何年か前からということは先天性の……つまり、生まれつきではないという事だ。
 後天的に発現したオーバーワールド――つまりは、何かしらの要因で精神状況に多大な影響があった、ということ。それも『振鉄(ウォーモング)位階』、あるいはそれ以上ともなれば、並の要因で起こりうるものではない。

 無論、イメージ力の鍛錬によって徐々にOWを発現していく者もいる。だがシスターの言から鑑みるに、もはやシンのソレは鍛錬でどうこうできる領域ではないだろう。

 そして“その出来事”は、如何なる理由でシンを『鬼』としたのか。

「……っと、ここだよ。シスターには内緒でね」

「……?ここって、確か屋根裏の……」

 シンの案内でたどり着いたのは、屋根裏部屋の入り口だった。老朽化もあって危ないから、と立ち入りはシスターが許可したシンしか許されていない筈だが、そんなところに何故連れてこられたのだろうか、と首をひねる。
 かちゃ、と古びた扉を開けると、中は意外にも綺麗に掃除されていた。埃は多少散見されるが、誇張しても少し汚い生活スペース程度。荷物もきちんと整頓されているし、特に汚れもない。

 見慣れぬ物珍しい空間にヒナミが目を奪われていると、シンは慣れた様子で奥まで歩いていく。タンスの影になっていて見えていなかったが、どうやら梯子があるらしい。

 シンに続いて梯子の下までやってくるも、そもそもここが屋根裏部屋だったことを思い出す。であれば、この上に繋がっている梯子は……?

「よい、しょっと。気を付けて登っておいで、危ないからね」

「ぁ、……うん」

 先に上っていったシンを追って、梯子に足を掛ける。元より低めの天井だったので梯子もそう長くはなく、ヒナミの身長でもさほど上るのに苦労はしなかった。先に上にいたシンが伸ばしてきた手を取れば、想像以上に強い力でぐいっ、と引っ張り上げられる。

 瞬間、冷たい風が全身を撫でた。

「――わぁ」

 目に飛び込んできたのは、高い位置から見下ろす道頓堀の街並みだった。

 この教会自体は三階建てで、別にそう特筆して大きな建造物というわけではない。が、今二人が居る位置は屋根裏からさらに上った場所……つまりは、屋根の上なのだ。
 無論そのまま屋根に立っているという訳ではなく、初めから登ることを想定して作られた高台のようなものらしい。シンとヒナミが入っただけでもそのほとんどのスペースが埋まってしまう程狭い空間で、昔は鐘でも釣ってあったのか、この高台用の小さな屋根の裏には、フックのような金具が取り付けられていた。

 だが、それも今は気にすべき事ではない。

 高い地点から見下ろす難波の街並みは、決して星のように自然的な美しさはない。だが、街灯と魔鉄ネオンが生み出す人工的な光の輝きの海は、暴力的ながらも、特有の見ごたえがあった。
 人の営みが生み出した夜景は、星々の輝きとは別ベクトルでの美しさを持つ。輝かしいその光景に目を奪われていると、不意にひゅぅっ、と強い風の流れがヒナミを撫でる。

「さ、寒……っ」

「あはは、冬場の夜だからね。ほら、これ掛けて」

 シンは脇に置いてあった箱の中から厚めの毛布を取り出すと、ばさりと覆いかぶせるようにヒナミの上へ広げる。頭から毛布をかぶったヒナミはしばらく外に顔を出そうともがいてから、抜け道ができるよう端を持ち上げたシンの助けも借りて脱出に成功する。かなり大きな毛布だった、ヒナミが丸々くるまってもまだまだ余裕を残している。
 本来は大人用のサイズなのだろう、ただでさえ幼い上、魔女であるヒナミにはやはりオーバーサイズに過ぎる。まあその余った布を重ねた分、暖かくはあるのだが。

 ほぅ、と息を吐けば、白い息が漏れていく。冬を感じさせる突き刺すような寒さは、一年の終わりを連想させた。

「……シンは寒くないの?」

「うん、あんまり寒いとか暑いとかは、僕には分らないんだ」

「それも、オーバーワールドの影響?」

 ヒナミの問いかけに、シンは「多分」と一つ頷く。

 自らが鬼に見えるというオーバーワールド、それに付随する痛覚、寒暖の感知機能の麻痺。更には高頻度で発生するという、例の歪む世界による自傷現象。
 自らが鬼に見える、というのは分かる。だが痛覚、寒暖の感知が出来ないということ。そして自傷現象に関してはまるで理解できない。

 何故鬼になったら痛覚や温度を感じなくなるのか、自傷現象に関してはそれこそ意味不明だ。OWを発現した要因たる何かがヒントになっているのだろうが、それをヒナミが知る由もない。

「シスターと、何かあった?」

「……え?」

 考え事の横からふいに掛けられたその問いに、思わず硬直してしまう。

 焦げ茶色の瞳は、依然夜景の輝きを受けて光を宿している。視線もそちらに向いたまま変化なく、何でもない事のように、“そういえば気になってたんだけど”程度の感覚だったので、一瞬戸惑ってしまった。

「なん、で?」

「夕飯の時、あからさまに避けてたじゃないか。嫌でもわかるさ」

「ぁ……ぅ」

 あまりにも心当たりがありすぎて、口を閉ざすしかなかった。
 まだ少し心の中で整理がつけ切れていなかったというのもあって、夕飯の時はシスターを避けて動いていたのは事実だ。無論シスターが悪い訳では断じてなく、自分の甘えた考えが要因だとヒナミは認識している。
 “心の整理がすぐにできなくても、せめて気取られないように”――なんて考えて動いた結果がこれとは、何とも間抜けな話だ。

「喧嘩、とはちょっと違うみたいだけどさ。ヒナミもあんまりシスターに悪い印象があるって訳でもないんだろう?」

「……うん、ともよが悪い訳じゃないよ。私が、ばかだっただけ」

 毛布を深く被り直して、消え入るような声でそう答える。しっかりと声を出したつもりだったのに、喉はその意思に反して大した声を出してくれなかった。
 とても複雑な心境だった。べつに、怒っているわけでもない。悲しんでもいない。ただせめて、最初から“あくまでこれは取引なのだ”と突き放していてほしかった。

 或いはこれは、失意なのかもしれない。心のどこかで求めていたものが手に入らないと知って、落胆しているのかもしれない。いいや、どうだろう。分からない、分からなかった。
 なぜこうも苦しいのだろう、どうして智代を見れないのだろう。これまでと何が変わるわけでもないというのに。

「シスターは不器用だからさ、よく誤解されやすいんだ」

「……?」

 ぽつり、とシンがそんなことを口にした。

「昔っからそうでね。口調や態度なんかも固いから、厳しい人だって印象が強くなる。けど実際ほんとに優しくってさ、ずっとみんなの事を考えてる――勿論、ヒナミの事だって」

「……私、も?」

「……さっきもシスターが部屋に来てさ、泣きそうな顔で言われたんだ。『私はヒナミに酷い仕打ちをしてしまった、どうやってあの子に接してやればいいか分からない』って……あんまり、こういうのは言わないほうが良いんだろうけどね」

「ともよ、が?」

 どうして?
 最初から利用するつもりで招いたのなら、そんなことに思い悩む必要はない。ハナから他人として接してくれていればそれでいいのだ、無理に保護者のふりをする必要なんてないのだから。
 と、そこまで考えたところで、ぽすんと頭にくぐもった感触が触れる。横を見てみればシンが毛布越しにヒナミの頭に手を置いて、何やら微妙な表情で苦笑していた。

「多分シスターに何かを言われたんだと思うけど、誤解しないで上げてほしい。あの人は、行き場なんて無かった僕を引き取って育ててくれただけじゃない。僕のこの“歪む世界”まで何とかしようと全力で頑張ってくれた、優しい人なんだ。……ちょっと一言足りなかったり、ヘンな言葉になっちゃったりすることはあるけど……それでも、ヒナミのことも家族みたいに大事に思ってるのは、本当だよ」

「……。」

 ……本当に?
 シンのことは信じている。彼が根っからのお人よしだというのは、しばらく共に暮らしてきて嫌という程身に染みているのだ。だがそれでも、こればかりは簡単に受け入れきれない。
 ここは、本当にヒナミにとっての“帰る場所”になってくれるのだろうか。一度帰る場所だと受け止めた世界が奪われる苦しみは、二度も耐えられるものではない。それをヒナミは、かつての『一度目』で確信した。

 それが他人によってのものでも、当人によるものでも変わりはない。一度構築された“自分の世界”が崩れるさまを見るのは、もうたくさんだ。

「……すぐに受け入れられないなら、それでもいいんだ。ここには僕もいれば、マナみたいに他の家族たちもいる。怖いことでも、何でもないような事でもいいんだ、一度話してみてほしい。僕たちはヒナミがここに来た時から、ずっと君を家族だと思ってる。だからさ……」

「……?」

 少し言い淀んだように、シンが視線を落とす。言葉を探しているように考え込むと、やがて彼はヒナミの頭を撫でていた手を止めた。
 言いたい言葉は、見つかったらしい

「――そんな、寂しそうな顔をしないでくれ」

「……ぇ?」

 シンに言われて、自分の頬に手を当てる。
 寂しそうな顔を、していたのだろうか。分からない、当然だが鏡でもなければ自分の顔など自分では見れないし、そんな自覚など一切なかった。
 だが、その言葉は――寂しい、というワードは、驚くほど自然に心の中の引っ掛かりを解いていく。整理の付かなかった感情が、一気にすとんと纏まった気がした。

 そうだ。

 単純なことだったのだ、簡単なことだったのだ。どうして気が付かなかったのだろう。この胸を苛む言いようのない感情は、たったそれだけのことに過ぎなかった。

 ――“寂しかった”のだ。

 家族を失って、大好きな人たちが消え去って悲しかった、そして怖かった。でも、何よりも寂しかった。やけになって半端なつながりを断とうとしていたのも、寂しかったが故のことだった。些細なつながりでも、失われてしまうのが怖かったから。また一人になるのが嫌だったから。

 ただ、それだけの話だった。

「……ヒナミ?」

「……そっか。寂しかったんだ、ずっと」

 ぎゅっと、毛布を握りしめる。ようやく整理の付いた自分の感情に苦笑して、遥かな夜景に視線を戻した。ずっと胸の内に引っかかっていた棘が、取れたような気がした。
 ならば、己のすべきことは自然と分かってくる。この苦しい感情を別のものに変化させるためにすべきことは、即座に頭に入ってきた。

「シン」

「……?」

「わたし……ともよの、シンの、みんなの家族になれる?」

「勿論」

 当然のように頷いて見せるシンに、ヒナミが微笑む。
 これまでずっと、怠慢にも、手を差し伸べられるのを待っているだけだったのだ。だから今度は、自分から踏み出さなくてはいけない。
 家族に入れてくれる、ではない。家族に“なる”のだ。だというのに、こちらが踏み出さなくてどうするというのだろう。

 勇気を出そう。前を向こう。

 これは、自分が踏み出さなくてはいけない問題だ。

「……やっぱり」

「?」

 不意に、シンが小声で呟く。どうしたの?と視線で問いかけるヒナミにシンは気恥ずかしそうに笑って、ぽつりとつぶやいた。

「いや、やっぱり笑うと、特にかわいいなぁと思って」

「……か、かわ……っ!?」

 ぼっと顔を赤くしたヒナミは視線を右往左往させて、やがて耐えきれなくなったのか逃げるように毛布を深く被り直す。頬を掻いて苦笑したシンは柵に両手でもたれ掛かると、道頓堀の夜景に目を戻した。

「僕はもうしばらくここに居るけど、ヒナミはどうする?」

「……もうちょっとだけ、一緒に居る」

「そっか」

 そう言ったシンは、笑って空に浮かぶ数少ない星を見上げる。その隣で少し顔を出したヒナミは不服そうにその横顔を見上げると、不意打ちを受けたお返しのように、小声でぼそりと呟いた。

「……寒さで傷が悪化して、ともよに怒られても知らないよ」

「うぐっ」

 ひゅっと目をそらして体をこわばらせるシンに少し笑って、ぐるぐるにくるまっていた毛布を開く。その端に手を掛けたヒナミは少しだけ手を振って勢いを付けると、シンの肩に思いきり余った布部分を投げ掛けた。
 突然の行動に目を丸くするシンに、ヒナミが少し耳を赤くしてそっぽを向く。

「……シンが寒くなくても体には悪いんだから、入ってて。まだ、全然大きさは余ってるから」

「……いいの?」

「いいのっ!」

 言い切ったヒナミの圧に押されて、シンもまた毛布に身を包む。ヒナミがずっとくるまっていたこともあって熱が籠っているのか、若干のぬくもりが残っていた。といっても、シンがそれに気づく事はないのだが。
 とん、と毛布の中で肩どうしが触れる。シンの冷えた体温が、寝間着越しにもはっきりと伝わってきた。

「……寒い」

 ぽつりとヒナミが、微笑みながらそんな声を漏らす。



 ――きゅっと、シンの小指を遠慮がちに握りながら。
 
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