渦巻く滄海 紅き空 【下】
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二十六 親睦
「まさかお前とこーやって温泉に入るとはなぁ~。世の中何が起こるかわからんぜよ」
「そりゃ、こっちの台詞だ」
白い湯気が立ち込める温泉街の一角の宿。
宿に泊まる事を提案したヤマトが温泉に浸かりながら鼻歌を歌っている。
その少し離れた場所で、同じく温泉に浸かる鬼童丸と左近を、シカマルはじっと見つめた。
「お前、あの腕はどうした?」
「変化で隠してるに決まってるぜよ。普通の人間に腕が六本あるのはおかしいだろーが」
シカマルの問いに、ふふんと胸を張る鬼童丸の腕は、現在二本。常に額当てで隠している三つ目の眼は、タオルで巻いて隠している。
他にも温泉客がいる為、変化で隠している鬼童丸に、左近が口を挟んだ。
「お前にも常識ってのがあったんだな…」
「おいこら。お前には言われたくないぜよ」
眠っているらしい右近の頭にタオルをかけて隠している左近に、鬼童丸が呆れた声を返す。
まさか、敵対していた音の五人衆の2人と同じ温泉に入るとは思ってもみなかったシカマルは、溜息をついた。溜息は温泉から立ち昇る白い湯気に雑ざって消えてゆく。
大きな竹垣の向こうから、「おぉ~!久しぶりの温泉だってばよー!」というナルの歓声が聞こえてきて、シカマルは益々溜息をついた。
今回の任務で暁のスパイを連れ帰る事が出来れば、大蛇丸暗殺とサスケ&サクラ奪取の両方の作戦を立案できる貴重な情報源を入手することになる。
そう、木ノ葉の里出発前にヤマトが語った内容を思い返して、シカマルは眉間に皺を寄せる。
本当はサスケが木ノ葉のスパイである真相を知っている彼は、さてどうしたものか、と白濁した湯の中で腕を組んだ。
ちら、と隣を見やる。木ノ葉病院に入院したカカシの代行として七班の隊長となったヤマトの本音はその顔からは一切窺えない。
柔和な笑みを湛えているが、(こりゃ恐怖による支配も平気でやるタイプだな)とシカマルは冷静に分析していた。
先に湯から上がったヤマトの後ろ姿を見送った後、シカマルはついと油断なく鬼童丸と左近を見やる。
元は音の五人衆、しかし今は『根』の一員。
かつて大蛇丸に仕えていた者が今やダンゾウ率いる『根』に所属している。
いわば木ノ葉に捕虜として捕まり、『根』に強制的に引き込まれたと言ってもいい。
だが、それならば現在、『根』にいる鬼童丸と左近は、ダンゾウに忠誠を誓っているのだろうか。
「お前達は…大蛇丸からダンゾウに乗り換えたのか?」
言い方は悪いが率直に問うたシカマルの前で、鬼童丸と左近はキョトン顔を浮かべる。
敵だった時は憎い相手だったが、こうして見ると自分とさほど変わらない年齢の青年だということがよくわかる。
年相応の表情だった。
やがて、ぷっと吹き出した左近に続いて鬼童丸も腹を抱えて笑い始める。
周囲の客が何事かと遠巻きに視線を投げてきたので、シカマルは「おい」と眉を顰めた。
「乗り換えてなんざねぇよ」
ひとしきり笑った後の左近の答えを聞いて、シカマルは「それじゃ、」と言い淀む。
その言葉尻を捉らえ、「だからって大蛇丸様…いや、大蛇丸でもないぜよ」と、鬼童丸が答えた。
大蛇丸でもダンゾウでもない。
ならば、彼らは現在誰にも仕えていないのだろうか。
木ノ葉の忍びとして火影に仕えている身のシカマルは、元音の五人衆である二人をまじまじと観察する。
ややあって、鬼童丸と左近に再会してからずっと考えていた疑問をシカマルは彼らにぶつけた。
「今回の任務…何故、引き受けた?」
天地橋を目指し、大蛇丸の組織に潜入している『暁』のスパイを拘束し、連れ帰る。
それが大蛇丸及びうちはサスケと春野サクラの情報が手に入るチャンスだと、ナルとヤマトは考えている。
だがかつて、サスケを大蛇丸の許へ向かわせた張本人達が今や真逆の任務を受けているこの状況はどう考えても不可解だ。
「引き受けたっつーより、ありゃ強制だな」
温泉の中で肩を竦めた左近に、鬼童丸が同意する。
「ああ。捕虜の身である俺らに選択肢はねぇぜよ」
「ダンゾウにか?」
「「それ以外なにがある?」」
シカマルの問いに、左近と鬼童丸は揃って肩を竦めてみせた。
「お前も気をつけろよ、奈良シカマル。ありゃ野に虎を放ってるのと同義だ」
「────詳しく聞かせてくれ」
かつて火影の座を巡って、綱手と争った志村ダンゾウ。
大きな禍のもとだと暗に告げる左近と鬼童丸の話を耳にし、シカマルは思わず身を乗り出す。
真剣な顔つきで聞く体勢になったシカマルに、鬼童丸はすぐさま否定を返した。
「ああ、そりゃダメぜよ。話せない」
「何故?忠誠を誓っているわけではないんだろ」
シカマルの至極当然の問いに、左近がやにわに口を開いて、舌を見せた。
そこには奇妙な印が施されている。
「コイツがあるもんでね」
【舌禍根絶の印】。
『根』の機密事項、特に長であるダンゾウの情報を話そうとすれば、たちまち身体が痺れて動けなくなる呪印だ。
大蛇丸に施されている呪印だけでなく、ダンゾウにまで呪印を舌に施されている鬼童丸と左近に、シカマルは愕然とした。
ようやく口にできた言葉は「そりゃまぁ…用心深いこって」というダンゾウに対する批評だった。
「そりゃまぁ、俺らは元大蛇丸の部下だかんな。用心にこしたことはないんだろーよ」
「まぁ正直言って、呪印が二つも施されてる状況はあまりよかねぇぜよ」
他人事のように言葉を連ねる左近と鬼童丸に、シカマルは違和感を覚える。
「随分…他人事のように言うんだな」
「まぁ俺らには当てがあるからな」
ふ、と誰かに思いを馳せるように、遠くに視線をやる二人。
温泉街のあちこちで立ち上る白い煙の向こう、遥か彼方を見るようなその目線に、シカマルは眉間に皺を寄せた。
だが、シカマルが再度質問するより前に、ザバリと身を起こした左近と鬼童丸は「そろそろ出るぜよ」と湯船から出る。
「お前もさっさと温泉から出ろよ。湯冷めしても知らねぇぞ」
そう言い捨てて、背を向ける左近と鬼童丸を、シカマルは思案顔で見送った。
(呪印を解呪する見込みでもあるのか…?)
それとも────解呪できる誰かがいるのか。
思わず熟考して長湯しそうになったシカマルは、竹垣の女湯のほうから恥ずかしげもなく「おーいシカマル~!いるってば~!?」と自分の名前を呼ぶナルの声で、温泉に顔を突っ伏した。
周りの男性客からにやにやと「彼女かい?」と揶揄され、顔を真っ赤にしたシカマルは「あの…超バカ…!」とお湯の中で悪態を吐いたのだった。
薄暗い部屋の壁に、額縁が飾られている。
たくさんの絵が壁に掛けられている様は、さながら美術館のようだ。
しかしながら、それらはどれもタイトルが無い。
無題の絵ばかりの部屋は美術館のように見えても、やはりどこか殺風景な室内だった。
絵の具や筆が置かれた机上で、持ち物を整理していたサイはふと、小さな絵本に目を留める。
それに気を取られた一瞬、背後から風を切って刃物が迫った。
「腕は鈍ってないな。それでいい。いつ何時も気を抜くな」
同じく刃物で受け止めたサイに、襲い掛かった仮面の男が忠告する。
同じ『根』所属の先輩の言葉に、サイは素直に頷いた。
「なんです、先輩?」
藪から棒に襲い掛かってきた先輩を、サイは胡乱な眼つきで見遣った。
たかが忠告の為だけに自分の許へ来るはずがない事はとうに知っている。
サイの怪訝な視線を受けて、『根』の先輩は懐に忍ばせておいた封筒を差し出した。
受け取って中身をチラリと覗き見たサイの顔色が一瞬変わる。
サイから疑わしい視線を受けても、『根』の先輩は平然としたまま、仮面の下で「いいか」と確認するかのように言葉を続けた。
「お前に与えられた極秘任務はダンゾウ様の、」
刹那、仮面の下で鋭く視線を投げると同時に、クナイを投げる。
吸い込まれるように窓から外を飛んだクナイは、サイの部屋の前にある木々の中へ突き進む。
葉音を立ててクナイの姿が消えた直後、木の葉陰から飛び出してきた猫が慌てて屋根の上を走り去っていった。
「猫か…」
仮面の下で、ぽつり呟く。
しかしながら隙のないその身のこなしから、『根』に所属する者が常に神経を張り巡らせているのが窺えた。
鳥の鳴き声がちちち…と聞こえてくる麗らかな陽射しが窓の外では溢れている。
里が明るい光に包まれている反面、薄暗い室内でサイと会話を交わす仮面をつけた『根』はまさしく闇に生きる者だった。
平和な木ノ葉の里の裏に所属する者のひとりは、再度サイに忠告をもたらす。
「里の先を見据えたダンゾウ様の意志を担うもの────それが今回の極秘任務だ」
そう告げた先輩の眼が仮面の奥で細められる。
サイの手元にある本に眼を留めた彼は「まだそんなものにしがみついているのか」と咎める。
「お前の兄──シンは死んだ。それ以上でもそれ以下でもない」
いっそ残酷なまでの言葉に、サイは顔を逸らす。
言い淀み、顔を伏せたサイに、『根』の先輩は改めて『根』に生きる者が今まで幾度も言い聞かされてきた決まり文句を口にした。
「『根』には名前がない。感情はない」
「過去はない。未来はない。あるのは任務」
続けて言葉を連ねたサイに、『根』の先輩は満足げに頷く。
「木ノ葉という大木を眼に見えぬ地の中より支える我々『根』の意志。決して忘れるな」
そう言うや否や消え去った、同じ『根』に所属する先輩の忠告がサイの耳朶を打つ。
白煙と化した相手が消えた場所を睨むように見据えながら、サイは「……あなた方はなにもわかってない…」と小さく反論した。
「シン兄さんは生きている…『根』のあの水柱の中で」
だから僕は────…。
薄暗い部屋。
絵に囲まれた室内で、ぽつりと呟いたサイの本音を聞いているのは、先ほど『根』の先輩が投擲したクナイに驚いて逃げたはずの猫だけだった。
サイが住む部屋を遠目から見ている猫。
サイの先輩である『根』の人間にクナイを投げつけられ、逃げたふりをした猫は、髭を震わせて口を開く。
そこからあふれ出す鳴き声は猫のものではなく、明らかに人の声。
「『根』には名前がない。感情はない。過去はない。未来はない。あるのは任務、か────。くだらない。全くもってくだらない洗脳だ」
『根』しか知らぬ文句をあっさり諳んじてみせた猫の影がみるみるうちに人の形へ変わってゆく。
サイの部屋の前にある木々に飛び込んできたクナイを、手の中でもてあそぶように放り投げながら、彼は猫の変化を解いた。
サイが持っていた絵本の表紙。その絵表紙の人物に似ている彼は、サイがいる部屋を遠目に見遣る。
「木ノ葉は人目がありすぎるな…さっきの『根』の眼が隅々まで行き届いている」
そう言いつつも、猫に完璧に変化していた為、バレなかった彼は地面を忌々しげに見下ろす。
それは地下に蔓延る根を睨むような視線だった。
「木ノ葉という大木を地の中で支える『根』…だが眼に見えないその『根』の根元が腐っていたとしたら────」
サイが持ち歩く本の表紙の人物────死んだはずであり、水の柱に囚われているはずのシンはそこで言葉を切った。
水月の兄の満月と間違われている彼は、真実を告げたい想いを抑え、サイの部屋を見据えると、やがて鳥の姿へ変化して、空を飛び立つ。
直後、部屋を出て里外へ向かうサイの後ろ姿を追いながら。
「ヤマト隊長~!」
「やれやれ…現金な子だね、君は」
温泉街の宿で、太っ腹にもご馳走を食べさせてくれたヤマトに、ナルはすっかり懐いたらしい。
犬のようにヤマトについて回るナルを見て、左近が「おめーも大変だな」とシカマルに労いの言葉をかけた。
「どういう意味だよ?」
「いや、お前ってアイツの保護者っぽいとこあるからさァ」
人の悪い顔をする左近をシカマルが横目で睨んでいる傍ら、ヤマトにまとわりついていたナルがこちら側へ駆け寄ってくる。鬼童丸をビシッと指さしながら、負けん気の強い彼女は鼻息荒く、宣戦布告した。
「ところで!おめーとはいつか決着つけなきゃいけないってばよ!!」
「おう。望むところぜよ」
宿を出て、さほど経っていないのに、道中で喧嘩が勃発しそうな気配に、シカマルは「お、おい」と焦った声をあげる。
親睦を深めるという意図から、温泉街の宿をとったヤマトの笑顔が徐々に暗くなってくるのを認めて、シカマルはナルと鬼童丸の間に割り込もうとした。
「腕が六本もあるなんて、ズルいってばよ!!腕相撲で勝てるわけねーってば!!」
「ふふん、負け犬の遠吠えぜよ」
直後、思いもよらぬ喧嘩の内容に、ガクッと崩れ落ちる。
ぽかんとするシカマルの横で、左近が呆れたように「アイツら、昨日、腕相撲で白熱してたんだよ」と説明した。
いつの間にか、ヤマトの思惑通り、親睦を深めているナルと、鬼童丸と左近。
すぐ仲良しになる美点を持つ彼女だが、それにしたって警戒心無さすぎだろう…とシカマルは脱力したのだった。
後書き
大変お待たせしましたー!!
ナルが原作のナルトより天然で、すぐ仲良くなる子です、すみません(汗)
更新遅いのに、ゆっくり進んでしまって申し訳ありません…!じ、次回こそ天地橋へ…!!
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