魔法使い×あさき☆彡
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第二章 二度目の初戦
1
北を向けば、そこに広がるは住宅街、
反対側を向けば、手賀沼が雲間からの陽光を受けてきらきらと粒子を反射している。
千葉県我孫子市立天王台第三中学校の、屋上からの眺めである。
小さな校舎なので屋上も広くはないが、それでも現在二十人ほどの男女が、お喋りしたり、追いかけっこ、縄跳びやキャッチボールなどをしてそれぞれの時間を堪能している。
手賀沼側の隅っこでは、五人の女子生徒が集まって話をしている。
令堂和咲。
昭刃和美。
明木治奈。
大鳥正香。
平家成葉。
五人が話を、といっても現在喋っているのはカズミだけであるが。
それを、正面向き合っている令堂和咲がぽーっとした現実味のない表情で聞いており、さらに残る三人が見守っているという構図である。
「……と戦うために魔力を引き出す服がいわゆる魔道着で、変身アイテムがこいつ、クラフトってわけだな」
茶髪ポニーテールの少女、昭刃和美は自分の左腕を立てて、リストフォンをアサキへと見せた。
「目立つことなく堂々と身につけられるように、ってことでリストフォン型になっている。つうか最近のモデルは本当にリストフォンの機能も搭載してっから、わざわざ二台持ちする必要はなく実に家計に優しい。って、ここまでは昨日も簡単に話し……って聞いてんのかアサキてめえ!」
カズミは、隠さず大アクビをしているアサキの制服襟首を掴むとグイグイ乱暴に引っ張った。
「うわっ、ご、ごめんなさい。だって、だって昨日、一睡も出来なかったからああ!」
そう。昨夜は本当に全然眠れなかったのだ。未知の生物に襲われて生命を奪われかけたのだ。ズタボロになりながら、戦って倒したのだ。恐怖に、興奮に、すんなり眠れるはずないだろう。
強烈な眠気にふらふらしながらなんとか登校して、明るい日差しや生徒たちの賑わいにようやく安堵が訪れて、自席で鼻ちょうちん膨らませながら船を漕いでいたところ、国語担任の杉山良雄先生から転校二日目だというのに容赦皆無のゲンコツを食らって起こされ、バケツ両手に立たされて、結局、五分も寝られなかったどころか、疲労が蓄積しただけという始末。
「寝てねえのかよ。まあ、おしっこ漏らしたくらいだからなあ」
わははと笑うカズミ、の胸倉をアサキががっしと掴み返していた。
「それいうなあああああああ! 地の果てまでぶっ飛ばすぞおお!」
真っ赤になった顔をカズミへと近付け、怒鳴り声を張り上げながらがくがくがくがく首を激しく揺らした。
「すっ、すいやせんでしたあ! ……怒ると怖いな、お前」
「あ、いや、あの、こっちこそすみませんっ! 眠気でテンションが安定してないだけですので、きっとすぐに戻りま……あいたああっ!」
何があいたあかというと、なんのことはない、ふらついて足をもつれさせフェンスのに側頭部をゴツッと強打したのである。運悪く、一番痛そうな柱部分に。
「うぎいいいいい」涙目で頭を押さえてしゃがみ込むアサキ、「眠気覚めたあああああ……」
「よかったじゃん」
カズミはおかしそうにははっと笑った。
「よくないんですけどお」
「とにかく、そのクラフトのパワーで魔道着に変身して戦うのが、あたしたち魔法使いってわけだ」
「はい」
アサキは頭を押さえたまま、よろよろ立ち上がった。
「着るだけでなく、使いこなさないとヴァイスタには勝てねえ。昨夜、戦ってみて分かったろ? ちょっとやそっとの攻撃なんか通じねえ、再生しちまうんだ。身体がアンドレ・ザ・ジャイアントみたいにバカでけえから、腕力もとんでもねえしさあ。ほんと、怪物だよ」
「はい。どうやっても倒せなくて、治奈ちゃんの槍がなかったらどうなっていたか。……ところでアンドウジャイアントってなんですかあ」
なんとなく気になって、尋ねた。
「大昔のプロレスラーだよ」
「強かったの?」
「身体がとてつもなくデカくて、横もガッシリしてるから、何をどうやっても倒せねえんだよ」
「いつ頃の人?」
「昭和だよ」
「テレビが白黒だった頃?」
「たぶん、カラーだと思うけど……」
「ジャイアントって本名?」
「いや、リングネームに決ま……別にあたしアンドレ・ザ・ジャイアントの話したいわけじゃねえんだよ!」
ボガン!
突然声を荒らげるとカズミは、アサキの側頭部を思い切り殴り付けた。
「あいたあっ! さっきぶつけたとこっ!」
「うるせえええええ! アンドレといえばあネックハンギーーーーングッ!」
カズミは叫びながらアサキの首を両手で掴み、ぐいぐい締めながら怪力で持ち上げた。
ネックハンギングツリー。
プロレス技である。
パワー系レスラーが得意技にしていることが多く、ハングマンズホールド、ネックハンギングボムなどの派生技がある。
本来は締めるのは反則であるし、締めずとも持ち上げられた者の自重により頸部が圧迫されるためただ怪力でもって持ち上げるというだけで非常に危険な技である。
しかし今はプロレスの試合をしているわけでもなんでもなく、カズミは持ち上げつつ平気でぐいぐいと締め上げている。まるで悪魔である。
「ぐっぐるじいいいいい」
振りほどこうともがくアサキであるが、カズミの怪力はなかなかほどけず。締められ続けてどんどん顔が青くなっていく。
やがて解放されるまでに、果たしてどれほどかかったであろうか。
「ひどいよおおおお」
涙ボロボロこぼしつつゲホゴホむせているアサキ。
反対に、プロレス技でストレス発散したかスッキリ顔のカズミ。
二人の間にすっと、長い黒髪の少女、大鳥正香が割って入った。
「では、続きはわたくしが説明致しますね」
彼女は語り始める。
「カズミさんが説明したのは我々魔法使いの能力について。わたくしはヴァイスタやこの世界のことをお話します。ヴァイスタ、というのは白い幽霊という意味から造られた名称です。秘かに人類を襲う脅威の存在ですが、どこで生まれるのか、どこから来るのか。それはまだまったく分かっていません」
「そう……なんだ」
アサキのかすれ声。まだ痛そうに喉を押さえている。
「アサキっ、そのしゃがれた声のうちに、『ごっつぁんです』っていってみてくれ!」
カズミが表情わくわくさせながら、アホなことを要求している。
「やだよ恥ずかしい! ……あれ、なんの話してたっけ?」
「ヴァイスタがどこから来るのか分かっていない、というところまでですね」
親切に説明してあげる正香。
「ああ、そうだった。あんなのが、謎に包まれたままなんじゃ怖いな。……不安だな」
「ええ、不安ですね。ただし、最終的にどこへ向かおうとしているのか、については判明しています」
「え、それはどこ?」
アサキが食い付く。まあ食い付くのが当然だろう。
正香は、少し間を置いて、答える。
「中心です」
と。
「中心?」
はっきり聞こえてはいたが、アサキは聞き返していた。
「霊的世界の中心、ということなのですが、物理的な場所としていうならば現在の東京です。平将門の首塚の近くに、大きな神社があるでしょう。そこの地下です」
「な、なんだっけ、平将門って。ごめん、わたし歴史てんでダメで。神社のことも知らないや。……でも、どうしてそこへ向かうのかな。ヴァイスタがそこへたどり着くと、なにがどうなっちゃうのかな」
「世界が滅びます。そして新しい世界が始まる、といわれています」
「へえ」
あまりにさらり淡々とした正香の語り口調のためか、まるで他人事のようなアサキの反応であったが、やがて、
あれえ、ちょっと変だな、という顔になり、
続いて、うーん、と難しい顔になり、
そして、
「ええーーーーーっ!」
間の抜けた大口で叫んでいた。
「世界がっ、滅ぶう?」
どういうことお?
「はい。それが『新しい世界』です」
「ヌーベル……ヴァーグ?」
「はい」
「どっ、どんな世界なのっ、それっ」
「分かりません。もしかしたら『無』かも知れない。宇宙や次元といった大きな規模での」
「無って……」
なかったことになっちゃうの? わたしたちの存在が。世界が。
「または、ヴァイスタにとっての楽園かも知れない。言葉の通りに世界が再構築されるにしても、人間にとってのまともな世界であるという保証がまったくない。だから、現在のこの世界を守るためにわたくしたちは戦っているのです」
「……そうか。……失いたくはないもんね。この世界、家族、友達」
アサキは、ぎゅっと両の拳を握った。
「はい。人間をわざわざ絶望させて食らうヴァイスタのような悪霊がもたらす『新しい世界』が、まともなものとは考えにくい。ならば戦って阻止するしかない」
「そうだよね。でも中心に辿り着かれたら終わり、って怖いよ。だってヴァイスタ一匹で無茶苦茶に強かったよ。もしも全員が一斉に中心を目指したら防げるの?」
昨夜のことを思い出すだけでも身震いする。
治奈が連戦ですっかり疲弊していたこと、自分の「変身」という体験が初めであったこと、などを差っ引いてもヴァイスタという存在がとてつもない脅威であることに変わりはない。
「本能的に、というよりは、知恵をつけていく過程で中心を目指すことに目覚めていくようです。うろうろ徘徊しているだけの個体も多いことから、そのように考えられています」
「そうなんだ」
「本能のままに人を襲っているうちに単純に成長するのか、人を食べることでなにかを吸収するのか、知恵をつけていくプロセスは判明していません。いずれにせよ、そのような理由により基本的には各個撃破で対応可能です。とはいっても昨夜のように、何体かの単位では群れて現れることも多いですが」
アサキが遭遇したのは一体であるが、治奈が二体を相手に戦っている。正香、カズミ、成葉が、やはり二体を相手に戦っている。
「つまり、倒さず放っておくと段々と中心を目指すようになる。それは世界の危機というだけでなく、人間が襲われていることでもあるから、早く倒さないとならない、ということだね」
「我々のすべきこととしては、その通りです。ただ、知恵をつけたヴァイスタは、中心ではなく、まずは身近な結界を目指すようになります。最終的な目標地点である中心に辿り着くために邪魔だからです」
「結界?」
「はい、五芒星のバリアーです。五芒星は、知っていますか?」
「ゴボウセイ?」
「星の模様の」
「ああ、知ってる。あの、おまじないみたいなのだよね。御札に書いてあるような」
「大阪、佐渡ヶ島、仙台、伊豆諸島の青ヶ島、それと太平洋の千葉県銚子沖に簡易的な人工島を作って、日本列島を半分使っての巨大な結界を施してあります。かなり歪んだ形状の五芒星ですが、地球の自転や公転軌道を計算して霊的な調整を加えてあるため問題なく機能しているとのことです」
「なんだか難しい話になってきたな」
アサキは鼻の頭を掻きながら苦笑した。
大切なことだから聞き漏らすまいとしても、予備知識がないからどうにも頭に入って来ない。
「それでね、その中央でガッチガッチに守られているのがあ、東京にある中央の結界ってことなんだねえ」
口を閉ざし続けて飽きてしまったか、平家成葉が勝手に割り込んで正香の説明の続きを語った。
「五芒星を形作る五つの拠点と、中央、それぞれの結界点が、さらに小さな五芒星で守られていてね、このあたり東葛区域は、中央を守る五芒星の一つなんだあ」
「へえ」
さも当然のようにさらさら説明していく成葉であるが、あまりに話が大きすぎて、アサキとしてはどうにも現実味を感じることが出来なかった。返事も生返事だ。
でも、現実味を感じないとはいえ、昨日ヴァイスタのような怪物と自分たちが魔法で戦ったこと、これが夢でないのなら、成葉の話もおそらく真実なのだろう。
真実だとして、と、ふと素朴な疑問が頭に浮かんでいた。
「日本を半分使った大きな規模の結界に包まれている、ここはその内側なのに、でも、いるんだ……ヴァイスタが」
「うーん。鋭いとこ突くねえアサにゃん。なんでだろうねえ。隙間から入り込んでくるのかあ、中で生まれるのかあ、よく分かってないんだけど、でも特異タイプということなのか強いんだよねえ、ナルハたちが戦っている中央結界のヴァイスタは。……難しいこと喋ってたら頭が痛くなってきたあ。はい、ハルにゃん交代!」
成葉は、明木治奈の背中をドバシッと乱暴に叩いた。
「無駄に強いわ! 背骨折れるじゃろが!」成葉の背中を叩き返すと、治奈はアサキへと向き直って咳払い。「まあ、そがいな事実があるもんじゃけえ、ヴァイスタの正体は魔法使いの成れの果てなんじゃないかという仲間同士で囁かれとる黒い噂もあってな」
「魔法使いの……」
成れの、果て……
「ほじゃからうち、アサキちゃんを魔法使いに誘うのを躊躇っていたんじゃよね。……こんな優しい子を強引に戦いに巻き込んでええんじゃろか、と」
苦笑しつつ、治奈は鼻の頭をかいた。
「そうだったんだ」
それきり黙ってしまうアサキであったが、やがて微笑を浮かべ、
「わたしなんかのことをそうやって考えてくれて、ありがとう」
礼をいった。
「あっ、そういえば、昨日公園で治奈ちゃんがなにかバッグから出そうとしていたでしょ? あれやっぱり、わたし用のクラフトってこと?」
「勘がええな、アサキちゃんは。見せようとしとったのは、これじゃ」
治奈は上着のポケットから、赤いポイントのある白銀のリストフォンを取り出して、アサキへと見せた。
「ヴァイスタは高い魔力を持つ者の中で、なおかつ襲いやすい者から襲う習性があってな、アサキちゃんの安全を考えるなら変身出来た方が良いのかも知れん。じゃけえ、捨て猫を真剣に心配しているアサキちゃんの優しいところ見てしまって、巻き込むこと躊躇ってしまってなあ。いま話したヴァイスタの素性の問題だけでなく、魔道着を着るということは戦いの日々になることは間違いないわけで」
そこまでいったところで、治奈は口を閉ざした。
アサキはしばらく考え込む様子だったが、やがておもむろに口を開く。
「怖いけど、わたしなんかじゃ大した戦力にならないだろうけど……でも、この世界が無くなるなんて絶対に嫌だ。だから、手伝うよ。……もう治奈ちゃんたちと、縁は繋がっちゃっているんだし」
「ありがとう。……自分で考えて、決めてくれたんじゃから、うちももう躊躇わずにこれを渡すわ。アサキちゃんのクラフトじゃ」
治奈の差し出すリストフォンを、アサキは少し恥ずかしそうな笑顔で受け取った。
「これからよろしく、アサキちゃん。……仲間にしようと転校までしてもらったいうのに、話の順番がおかしいけどな。……クラフトを正式に渡す前に、もう変身もしとるし」
「そうだね。……ん? え、あれっ、わたしの転校は単に修一く……保護者の、仕事の都合なんだけど」
え?
どういうこと?
ほっぺたにおでこに、顔に無数の小さな疑問符を浮かべまくるアサキ。
「上がやっとることは、単なる戦闘兵であるうちらにはよく分からんのじゃけど、多分その修一くんはなんにも知らんのじゃろな。組織が色々と根回しをして転勤になるよう仕向けたんじゃろ」
「そうなんだ。……嫌だな、そういうのは」
こっそり仕組むなんて。
わたしをどうこうしたいなら、わたしに直接いいに来ればいいじゃないか。
「仕方ないんよ。十代の女の子が潜在魔力が一番高いし、となると保護者がいるのが当然で、でも世の中の混乱を考えると家族とはいえ話してはいけないことで。どこからどう話が漏れて広がるか分からんしの。……うちもな、せっかく広島でお店が繁盛しとったのに、ライバル店を出され潰され、ってやられたけえね」
「分かった。……世界を滅ぼされちゃったら、なんにもなんないからね。……みんな、あらためて、よろしくね」
アサキは手を差し出して、全員と握手をかわしていった。
「おう、よろしくな、アサキちゃん」
明木治奈、ぎゅっと握った。
「なんでも聞いて下さいね、アサキさん」
大鳥正香が、やわらかな笑みを浮かべた。
「一緒にヴァイスタばんばんやっつけようね! アサにゃん!」
慣れないなあ、成葉ちゃんのその「にゃん」を付けるの。
「命懸けの仕事だ。ビシビシしごくから覚悟しとけや、アサキ」
「いたたたっ! カズミちゃん握力が強すぎるううう! 骨っ、骨があ! 痛いほんと痛いっ!」
あと数秒も握られていたら間違いなくアサキのやわらかな手は砕かれていたことだろう。
「ほらもう、カズミちゃんもええ加減にせんと。もう業間休みも終わるけえね。戻ろか。放課後になったら、みんなで校長に会いに行こう。アサキちゃんが仲間になりましたって報告せんとな」
「くそ、もう休み時間終わりか。運のいい奴だ」
カズミは残念そうにアサキの手を放した。
「ヒビ入ったかも知れないよお」
涙目で痛そうに右手を押さえるアサキ。
ふとその顔に、疑問に満ちたような表情が浮かんだ。
「え、えっ、なんで先生が関係あるの?」
尋ねた。
「うーん、それはまあ、なんじゃろ、顔がゴリラそっくりだからかなあ」
治奈はとぼけたようなことをいいながら、にひひっと悪戯小僧のような声で笑った。
2
「おーーーーーっ! ほんとにっ!」
ゴリラだあ!
「ほんとに、なんだね? あと人に指を差さないの!」
狭いが高級そうな調度品に囲まれた落ち着いた雰囲気の部屋で、一番奥の肘掛け椅子に一人座っているのが天王台第三中学校長の樋口大介である。
四十七歳。
小太り。
角刈りの、ゴツイ顔。突き出た太眉。
生徒たちに第一印象のアンケートを取ろうものなら、九割方がゴリラと答えるであろうそんな顔だ。
「あ、あ、いえ、その、なんでもありません。失礼しました!」
令堂和咲は非礼を自覚し、深く頭を下げて謝った。
だというのにその後ろでは、
ぷーーーーっ、
明木治奈と昭刃和美と平家成葉がピッタリ揃って吹き出していた。失礼ですよ!と大鳥正香が小声で注意をしている。
樋口校長は、両手で机をバンと叩きながら立ち上がった。
「分かってんだよね! またどうせボクの顔がゴリラみたいとかいってたんだろ! 動物園から脱走して来たとかさあ」
「いえ決してそんなことは」
治奈はもう真面目な表情に戻っているが、白鳥水面下の努力ということか腰の裏で組んでいる手は、前腕の皮膚をぎゅぎゅぎゅーーっと強くつねっている。
「そうそう。敬愛する校長に、そんなめっそうもない」
和美も同様に真顔に戻ってはいるが、ぴくりぴくり頬の肉が一目で分かるくらいに痙攣している。
「ま、いいけどさ。ぷんぷーんだ」
樋口校長は不満げな顔を隠しも戻しもせず、どっかり椅子に座り直した。
「すみません。わたしが全部悪いんです。昨日からまったく眠れてなくて、躁鬱繰り返している感じで。本当にすみませんでした」
アサキはちょっとしょげたような表情で、また校長へと深く頭を下げた。
「いわれた通りの顔だったからおかしくて笑っちゃったあ、って素直にいっちまえばいいじゃん」
カズミが、自分の口をアサキの耳へと近付けてこそりぼそり。
「つうかさあ、もう眠いのはいいわけにならねえんだよ、さっき購買でマックスコーヒーおごってやったろ」
「あれ甘いだけで、全然眠気なんかとれなかったよお」
「『なんと練乳入り!』というその感動で眠気を飛ばすのがマックスコーヒーだろが」
「意味が分かんないよお」
ぼそぼそ声でつつき合っているカズミアサキの二人。
「あのー、誰もボクのこと紹介したりしようとしないのかなあ? ここで練乳の話とか、おかしいと思う人はこの中にいないのかなあ?」
ゴリ、いや樋口校長、顔見て吹き出されたかと思うと今度は存在を無視されて、すっかり不貞腐れて頬杖をついている。
「ああ、どうもすみませんでした。ではうちが」治奈は顔をアサキへと向けつつ、手のひらを先生へと向けた。「こちらが先ほど話をした樋口校長じゃ。この中学の校長であり、メンシュヴェルトのメンバーでもある。我々のように魔道着を着て戦ったりはしない。いわゆる背広組じゃけえね」
「メンシュ、ヴェルト?」
よく分からない名前が出て、アサキは小首を傾げた。
「そう。メンシュヴェルト。うちらが所属しとるギルドの名じゃ。ヴァイスタと戦い『新しい世界』を阻止するための組織じゃけえ」
「ああ、昨日から組織組織いっていたよね。その名前か」
「ここの校長であり、メンシュヴェルト東葛J3エリア支部長の樋口大介です。よろしくね。令堂和咲さん」
樋口校長が右手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アサキも腕を伸ばし、握手をかわした。校長の手は、ちょっとごつくはあるけれども、普通の、人間の手だった。
「令堂さんが、メンシュヴェルトの仲間になること承諾してくれましたので、今日はその報告に来ました」
と、治奈はあらためて訪れた理由を伝えた。
「うん。しっかり面倒を見てあげてね。……でね、昨日のことについて一つ質問なんだけど。どうして最初から令堂さんにクラフトを渡さなかったんだい?」
「すみません。……前々からゆうていた通り、闇雲に仲間を増やすのは反対じゃったんです。狙われることに関しては、うちらが、特に近くに住むうち……わたしが、守ってあげればええだけだと思いまして」
治奈は、ちょっとばつ悪そうに視線そらしつつ、半ば口ごもるように説明した。
「でもさ、実際それで昨夜は死にかけたんだよね、二人とも。『魔力の高い者はヴァイスタを倒す戦力になる』『魔力の高い者をヴァイスタは狙う』、知ってるよね? ならば、性格が異常とか自己優先傾向とか適正に問題さえなければ、魔法使いになってもらうのが、我々組織を利するだけでなく、本人の自衛のためにも最善なはずだよ」
「はい。分かってはいます。全てわたしの独断なので、全責任はわたしにあります」
治奈は頭を下げながらもちょっと唇を歪めて、面白くなそうな表情。隠そうと努めているのかも知れないが、はっきり滲み出てしまっていた。
「先生、明木さんはわたしが辛い思いをするんじゃないかと心配してくれていたんです。魔法使いがヴァイスタになっちゃうとか、そんな噂も……」
庇うアサキの言葉を校長が途中で遮って、
「ああ、あんなん単なる噂、噂」
笑顔でぱたぱたと手を振った。
「だって魔力なんか多かれ少なかれ誰でもあるもん。男性はほとんどないけど、女性なら。魔道着は体内体表の魔粒子伝導性を高める効果があるというだけで、着た瞬間に自身がなにか特殊な存在に変化するわけでもない。そもそも大昔の魔法使いは、生身でヴァイスタのような魔物と戦っていたのだし。須黒くんとかさあ」
「わたしの頃にも、とっくに魔道着はありましたけど。ねえ、校長」
いつの間にか、アサキたちの担任である須黒美里先生が、校長の背後に立っており、校長のゴツイ頭に両腕を回してスリーパーホールドで締め上げていた。
「ご、ごめん、須黒くん若いっ! ゆるしてっ!」
顔を青くしたり赤くしたりして苦しんでいるゴリ……いや樋口校長。
「あ、相変わらず神出鬼没だあ」
平家成葉が、あっけにとられて口をあんぐり開いている。
「動作も素早いけえね。さすが、カズミちゃんにプロレス勝負で勝てる唯一の存在じゃ。現役の頃はどれだけ強かったのか想像もつかんわ」
「そこ、勝手なこといわない!」
野放しで強いだレスラーだいわれるのも女性として単純に嬉しいものではないようで、須黒先生はピシャリ雷落として私語をシャットアウトした。
「はーい」
と静かになる治奈たちであったが、
「えーーーーーー! なんで須黒先生までいるのお!」
いきなりアサキが素っ頓狂な叫び声を上げた。
「うわ、びっくりさせんな! つうか驚くタイミングが、スリーテンポ遅いんだよお前は!」
「あいたあっ!」
カズミに耳の近くをフック気味にぶん殴られて、アサキは悲鳴を上げた。
「いるよそりゃあ。須黒先生、メンシュヴェルトのメンバーだもん」
説明する成葉。
「あ、そうなんだ。え、それじゃあ、じゃあ戦う仲間ってこと?」
「現役は、もうとっくに引退されています。校長の言葉でいう、背広組ですね」
今度は正香が説明する。
「凄かったらしいけどな、現役時代は。ヴァイスタに飛び付き腕ひしぎ逆十字でギブアップさせたという逸話があるくらい」
「昭刃さん、話を捏造しない!」
「はーい。すんません」
カズミは楽しそうに唇を歪めた。
「ああ……もしかしたら魔法使いって意図的に一つのクラスに集められているってこと?」
アサキが、ぽんと手を打った。
「おー、さしもの鈍いアサキくんも気付きましたかあ」
カズミが、笑いながらアサキの背中を叩いた。
「さ、さしももなにも、まだそこまでわたしのこと知らないでしょお!」
バカにされ声を荒らげるが、じーっと先生二人が見ているのに気付き、咳払いでごまかした。
「じゃあ、わたしたちのクラスには、まだ魔法使いや、その候補生がいるってことですか?」
「いや、候補生を集めておくような学校、クラスもあるらしいけど、うちはきみたちだけだよ。三年が卒業しちゃったし、適正のある一年生が入ってこなかったし」
校長が答える。
「わたしがこの学校へと呼ばれた理由というのは……」
「企業の転勤や配属といった人事バランス調整と同じ理屈だね。魔法使いって潜在魔力が一番高いのが十代の女性で、まあ身体能力も考えると中学生か高校生に限られるよね。……結界のあるところは必然とヴァイスタの数が多くなるから、魔法使いを適所必要数配置させて守備にあたらせる必要がどうしても発生する」
さらさらと語る校長であるが、いまいちアサキの頭に入って来ない。
「あの、よく分からないんですが。そもそも、どうしてわたしなんですか? もう仲間になることは決めてますから、いいんですけど、ちょっと気になったというか……」
「適正テストと、いま話した配置バランスの関係だよ。……テスト、前の学校でも、その前の学校でも、やらなかった? 計器で心拍を測定したり、あと性格診断みたいなのとか、図形を考えたりとか」
「ああ、やりました。やらされる子とそうでない子がいて、わたし劣等生なのかなって思ってました」
「とんでもない。素質があるから、やらされたんだ。実はあれが適正をさらに絞り込むためのテストなんだよね」
「そうだったんですか……」
「それ以外にも、勉強や体育の成績、普段の態度、総合的に判断して適正者を割り出すんだ。……きみは前々回から前回、とイイ感じに適正値の上昇が見られるから、伸びしろを考慮に入れた上で選ばれたんだ。わたしが求人を出していたので、組織がきみを推薦して来たんだ。まだまだではあるが伸び代がある、と。優秀な人材の揃うここでなら、急速に伸びるだろうと」
「それでも死にかけた奴がいるなあ昨日」
カズミが治奈のことをからかった。
「あ、あれはっ、わたしが治奈ちゃんのこと邪魔しちゃったから」
アサキが庇う。まあ、事実その通りなのであるが。
校長は二呼吸ほど置いて言葉を続ける。
「そういう検査目的でデータを取っているって、ほとんどの先生は知らないんだけどね。ごく一部の学校の、ごくごく一部の教師しか知らないことなんだ。だって、下手をしたら世界がなくなるだなんて大勢の人が知ったら絶対にパニックが起こるからね」
「はい。まあ、そうですよね」
わたし一人でも、昨日は充分にパニックになっちゃいましたけどお。
と、心の中で呟くアサキ。
「うちは特に優秀だった魔法使いが去年卒業しちゃって、まあ潜在能力に優れた一年生たちが進級して二年になって、現在よく戦ってくれている。でもまだ頭数的にちょっと厳しいことに間違いなくて、だから令堂さんを呼んだんだよね」
「自分の適正とか分からないので、そういわれてどう思っていいのか分からないんですけど。……ふと思ったんですが、どうして学校なんですか? 世界の存亡が掛かっているのに、卒業がとか、一年生がとか、なんでことごとく学校中心なんですか?」
自衛隊や警察、国はなにをしているんだ。
「効率がいいからだね。適正者が中学生と高校生しかいないのだから。なら学校と手を組んだ方がすべてにおいて都合がいいでしょ」
「はい」
よく分からないけど、反論する材料も持っていないし頷くしかない。
「もちろん、裏では国が動いているよ。メンシュヴェルトは実質のところ国が作らせた非合法組織だ」
「あの……どこの中学や高校にも、魔法使いの生徒っているんですか?」
「結界点のあるエリアには、必ず置いている」
「結界……」
ああ、五芒星の星の一つ一つのことか。さっき正香ちゃんと成葉ちゃんが話してくれたっけ。
「地元の生徒が魔道着を着て戦うことを引き受けてくれて大活躍もしてくれればいうことないけど、実際はそうもいかないんだよねえ。戦闘力が最低ランクの者しかいない場合もあって、言葉悪いけど弱いのばかり揃っちゃって、頭数をどうこうしようとも補い切れなかったりもして」
「はあ」
「……転校生としてよそから連れてきたり、逆によそへ行かせたり、でもどの学校も人材は不足しているから、あまり放出はしたくなくて、裏では色々と争っているよ。……ま、だからボクは、潜在性をじっくり吟味して新規さんを獲得する、という方針なんだあ。性格がおっとり過ぎて、奪い合いになったらまず負けちゃうから」
なるほど。
納得いった。
わたしが連れて来られた理由。
いま校長がいった通り。
即戦力が加入するに越したことはないが、獲得が難しいため、成長に期待して、ここへ連れて来られたわけだ。
まだまだ役に立たないといわれたも同然だが、訓練など受けていないのだからそれは当然だろう。
いずれどこかで魔法使いになっていたのなら、ならばこの学校に呼ん貰えて良かった。
治奈ちゃんたちのいるところで。
でも……なんかみっともないな。世界がなくなるかも知れないというのに、水面下で引き抜き合いとか、そんな争いしてて。
「いや、もちろん戦力バランスの大枠は、最上層が決めるよ。細かいところで、そういうことがあるってこと」
無意識に呟きが出てしまったようで、校長はいいわけするように答えた。
「それは分かりました。……あの、ちょっと直球で聞いてしまうんですけど……戦死された方って、いないんですか?」
このような疑問を抱いても不思議ではないだろう。
昨日、自分はヴァイスタに殺されかけたのだから。
だから、日本の色々なところに魔法使いがいて、ベテランも新人もいて、日夜戦っているというのならば、実際に亡くなった人がいても当然だ。でも、自分がそういう目にあったというのにいまいち実感がなくて、それでふと尋ねてみたというわけである。
答えは簡潔だった。
「腐るほどいるよ。命懸けの戦いだから、どうしても不幸は起きてしまうよね」
「やっぱり、そうですか」
自分の実感とか関係なく、いるに決まっているよな。戦っているのだから。
アサキはそう心に呟きながら、ちょっと沈んだような声を出した。
「死体を回収出来た場合は、損傷具合にもよるけど事故死とか、暴漢に刺された、とかで片付けられることが多いね。食べられてしまったなら、行方不明にするしかないよね。……せめてこの学校からは、一人も死者なんかは出したくないよね。ああ、でもさ、朗報だよ、武器のバージョンアップが早まるってさ」
「え、ほんとそれ?」
カズミが身を乗り出して、校長の話に食い付いた。
「本当。攻撃力自体はあまり変わっていないけど、魔力の消費が抑えられていてより長期戦に対応出来るようになるってさ。……生きてさえいればさ、こうして科学の進歩でさ、戦いは少しずつ楽になっていくとは思うよ。いつかはロボットが自動に出撃して勝手に戦ってくれる時代になるかも知れないよね」
「そうなるとええんですけどねえ」
治奈はそういうと、ちょっと寂しげに笑った。
彼女の気持ち、アサキには分かるような気がした。
いくら未来に希望を持たせようとも、現在生身で戦っているのは自分たちなのだ。
いつ死んでもおかしくない、そんな最前線に行くのは自分たちなのだ。
3
令堂和咲は、マンション自室のベッドで横になっている。
現在は、夜の七時。
二時間ほど眠ってしまい、起きたばかりだ。
学校から帰宅して短パンに履き替えベッドに横になるなり、猛烈な睡魔に襲われ一瞬にして眠ってしまったのだ。
アサキは、ふかふかの枕に頭を埋もれさせながら、天井を見上げるように、リストフォンを操作し始めた。
もともと所有していた型ではなく、今日の放課後つまりつい先ほど明木治奈から受け取った物だ。昭刃和美いわく、変身アイテムにリストフォン機能がついた物。
腕時計型携帯情報端末であるリストフォンには、小さな画面を直接タッチするモードと、ホログラムを空間スクリーンに投影してその映像空間をタッチするモードという二つの入出力方式があるのだが、現在は後者の方法で操作をしている。
頭上に投影されている空間スクリーンには、なにやら中世西洋風RPGのような古臭い武器写真がたくさん並んでいる。
槍、矛、短刀、鉄球、剣、ムチ、棍棒、メイス、弓矢、ブーメラン、などなど。
治奈に教えて貰い登録した、メンシュヴェルトのメンバー用サイトだ。
メンシュヴェルトとは、白い悪霊であるヴァイスタと戦って「新しい世界」を阻止するために結成された組織のこと。
サイトの中をざっと閲覧してみる。
現在までに分かっているヴァイスタのことや、戦いにおける心構えが書かれている。
他、怪我をした場合の手当の方法や、提携病院について、やむにやまれぬ理由で一般の病院にかかってしまった場合の対応について。
などなど、なかなか充実している。
しかし、本部支部などの構成、場所、メンシュヴェルトに属している学校については少しも情報が書かれていない。
サイトの作りがなんとなく嘘くさいのは、それ自体が紛失などのセキュリティ対策ということだろうか。
とはいえ内容だけでなく機能自体も充実しているようで、なんとこのサイトを利用して、魔道着へ変身した際の装備品や、武器防具を選ぶことが出来てしまうようだ。
現在、そこを見ているところなのだが、しかしやはりどうにも現実味がない。
あまりにもテレビゲーム的で安易な勇者の買い物っぽくて。
「とりあえず、剣を、選択っと。柄の形状は、普通、と。……これ普通のリストフォンからも入れちゃうんじゃないの? セキュリティは大丈夫なのかなあ」
ぼそり呟くアサキ。
「そもそも、こんなサイトで選んだ武器が、変身した時に本当に現れるの?」
なんかえらい嘘くさく思えちゃうんだけど。
本当だとして、一体どんな感じに武器が出現するのだろうか。
空中からくるくる落ちてきて自分で掴み取る、とかだとしたら危なくない? 頭に刺さったり、指を切ったりするかも知れないよ。危ないし、恥ずかしい。
念の為に、練習しておこうかな。
アサキはもぞもぞ腰をずらしてベッドから降りると、
「変身!」
叫びながら腕を振り上げた。
実際に変身するわけではなく、イメージトレーニングだ。
上空から剣が、くるくる回りながら落ちてくる。という想像をしながら、身を深く屈めて、さっと後ろへ跳ね上げるように右腕を振り上げた。剣の柄を逆手で掴……
ガン!
「いったあああああ! 手、ガツッとぶつけたあああ!」
振り回した手がクローゼットの金属の取っ手に思い切り当たってしまったのだ。
背中を丸め、手を太ももの間に挟んで、ふーはー息を吐いて激痛をこらえていると、
ぶーっ、
ぶーっ、
股間に強烈な振動が来て、
「うわああああ!」
妙な感触を妙なところに受けて、思わず悲鳴を上げていた。
左腕にはめたリストフォンが、最大レベルで震えているのだ。
「なんだよもう! いまこっちは複雑骨折中だあ!」
涙目で顔をしかめながら、股間から左手を引き抜いてリストフォンの画面を確認すると、黒背景に赤文字で、emergencyと表示されている。
なにかのアプリが自動的に起動されているようだ。
「これひょっとして……」
現れた、ってこと?
ヴァイスタが……
アサキはごくり唾を飲んだ。
おそるおそる指を伸ばして画面をタッチすると、画像が切り替わり、アサキがいまいるこの場所を中心とする半径三キロメートル程度の地図が映った。
中心であるこの場所には、小さな円形の中に自分の顔が表示されている。大鳥正香にいわるまま、先ほどこのリストフォンで撮影をしたと思われる画像だ。
「みんなもいる……」
アサキのいう通り地図上には他にも、明木治奈、昭刃和美、大鳥正香、平家成葉の顔が映っている。
さらに、黄色の丸が数個。つまりこれがヴァイスタの位置、ということだろうか。
ヴァイスタと思われる黄色い丸は、二箇所に分かれて表示されている。
まず地図上の一番北側にはアサキ、少し南にヴァイスタ、さらに南にカズミと成葉。そこから西南方向に正香、ヴァイスタ、さらに西南に治奈。という位置関係だ。
ここから一番近いのは治奈の家だが、出掛けているのだろうか。この地図によると、スーパーにいるようだ。
「みんな、マップの位置通りのとこにおる?」
突然、リストフォンの小さなスピーカーから明木治奈の声が聞こえてきた。
「いるよー」
同じスピーカーから、平家成葉の緊張感のない声が、
「ういー」
昭刃和美の、もっと緊張感のない声が聞こえる。
「はい。自宅にいます」
続いて、大鳥正香の声だ。
あっけにとられていたアサキであったが、突然慌てたように画面をタッチしてマイクをオンにした。
「アサキです。いま自宅です。聞こえてる? ヴァイスタが現れた、ってことだよね? どうすればいい? どこに行けばいいの?」
「ああ、アサキちゃん。聞こえとるよ。ヴァイスタが、また分散して現れたようじゃ。……じゃけえ、今度はこっちもペア以上で戦える。……うち、スーパーカスミに買い物に来ちゃってるから正香ちゃんが近いけえ、二人で南にいる方に当たろう。北側のは、カズミちゃんと成葉ちゃんで。アサキちゃんは、そっちに合流してな。でも絶対に無茶はせず、自分の生命を最優先でな」
「分かった」
アサキは頷くと、ぎゅっと拳を握った。
じとっと、汗ばんでいるのが不快で、短パンの尻で拭った。
「アサにゃん、本当は先に変身してから異空を通って場所へ行くのが早いんだけど、まだ難しいだろうから、現界でナルハたちと一緒になろう。五号公園って地図に書いてあるとこ分かる? そこで落ち合おう」
「了解」
手を拭いながらアサキがもう一度頷いていると、
「みんな、頑張ってね」
別の誰かの声が聞こえてきた。
一瞬驚くアサキだったが、すぐに誰の声だか分かった。クラス担任の、須黒先生だ。
「特に平家さん昭刃さん、令堂さんのことしっかり守ってあげてね。わたしが魔道着を着て陣頭指揮が出来ればいいけど、自分の身を守れず足を引っ張るだけになってしまうから」
「ういーす」
「まあかせて!」
カズミと成葉の、緊張感のない声。
わたしはこんなに、手から出る汗が止まらない状態なのに……
と、ズボンの尻をごしごし擦り続けながら、アサキは心に呟いていた。
「ほいじゃ後でみんなで落ち合って報告しあおう」
治奈がいうと、
「絶対に生きて帰ることが最優先。笑顔の報告だけは受ける。以上!」
須黒先生が厳しい口調で締めた。
続く声は、おう、はい、にゃー、とてんでバラバラだったが。
それきり、無音になった。
タイミング乗り遅れ返事が出来なかったアサキであるが、しんと静かになった自分の部屋の中で、ぼーっと突っ立っていた。
ゆっくりと、手を握った。
脂汗にじっとりとした手を。
戦えるのだろうか。
自問した。
でも、
の言葉で自問を否定した。
ゆっくりと、口を開いた。
「やるしか……ないんだ」
この世界を守るために。
4
「おっせーよお、新入りい!」
令堂和咲が待ち合わせ場所に息を切らせながらやってくると、既に私服姿の昭刃和美と平家成葉が待っていた。
「ごめん」
まだ慣れていない土地ということもあり、地図上では抜けられそうな細い道が行き止まりだったりして迂回しているうちに迷ってしまったのだ。
「まあまあ、カズにゃん」
成葉が、にこにこ笑顔でなだめる。
「んじゃあ、これから異空に入っぞ。分かってると思うけど、相手は二匹だ。で、とりあえずの作戦だけど、基本はあたしと成葉が二人で一匹に当たって各個撃破する。アサキは、もう一匹を上手に引き寄せてくれればそれだけでいい。で、残り一匹になったら数に物をいわせて三人がかりでボコボコにしちまおう」
カズミが、なんだか簡単なことのようにさらりと説明する。言葉はさらりどころか無駄に物騒だが。
「分かった」
戦いのイメージというものがいまひとつ浮かばなかったけど、とりあえずアサキはそういって頷いた。
あれこれ聞いたり話し合ったりしている時間などないのだから。
自分が少し遅れてしまったのがいけないんだけど。
「それじゃあ行こう、アサにゃん、カズにゃん」
成葉の言葉に、うん、と頷こうとするアサキの目が、驚きに見開かれていた。
すぐ隣にいたはずの成葉の姿が、溶けるように消えてしまっていたのである。
いや……
よく見ると、消えてはいない。
よく見ると、空間が少しぐにゃりと歪んでおり、それがまるで濁った透明ビニールシートの幕を何枚も重ねたように見えるのだが、そのビニールシートの向こう側に、うっすらとではあるが成葉の小柄な身体が見えている。にっこり笑顔をこちらへ向けて、両手をひらひらと振っている。
「おいアサキ、ぼーっとしてんじゃねえよ。さっさと入っぞ」
カズミは、左腕を立てて、払うように拳を軽く横へと動かした。
次の瞬間、彼女の姿もまた消えていた。
消えたというか、空間の向こう側へと移動していた。
濁ったビニールシート幕のような向こう側から、カズミと成葉がこちらを見ている。
カズミが、「早く来いってばよ!」とでもいいたげなイラついた表情で、おいでおいでをしている。
そうか、二人とも、異空とかいうところに入ったんだ。
でも、どうやって?
聞いてないよ、異空への入り方なんて。
えっと、二人ともどうしてたっけ。
「た、確か、左腕を、こうやって立てて」
カズミたちの真似をして、カーテンを開くような感じで、手を横へ動かしてみる。
やってみたものの、しかし、なにも起こらなかった。
濁ったビニールシートの向こう側で、成葉とカズミがなにかゼスチャーをしている。
それぞれ左腕のリストフォンをこっちに向けて、側面部分を指差している。
「ボタンを押す、ということ?」
尋ねるアサキであるが、カズミたち二人の顔は「はあ?」という感じになるばかり。おそらく声がまったく聞こえていないのだろう。
アサキは自分のリストフォンを、カズミたちへと向けながら、側面のボタンに人差し指で触れてみる。
これ? という意味を込めて、首を軽く傾げてみせる。
うんうん、という感じで、カズミと成葉が頷いた。
「よし、それじゃ早速」
アサキは、リストフォンの側面にあるボタンを人差し指でかちり押し込み、そして腕を立てた。
ぎゅ、拳を握る。
「え……」
驚愕に声が漏れ、目が見開かれていた。
空間が、空気が、布のようにはっきりと、手に掴めるのである。
見えない透明なカーテンを開くようにアサキは、握った手を真横へと動かした。
すぐ目の前に、くっきりはっきりとした姿で、成葉とカズミが立っていた。
「おせーよ、もう。バーカ」
カズミが腕を組んで、だんと足を踏み鳴らした。
「ごめん。でも、異空への入り方なんて、教えてもらってなかったから」
とりあえず謝ってしまったけど。
「はあああ? 治奈ああ、あいつ全然教えてなかったのかよお」
「まあまあ、カズにゃん。こうして一歩一歩前進して、少しずつ慣れてけばいいだけだから」
成葉はにっこり笑顔でアサキの背中を叩いた。
「ありがとう、成葉ちゃん」
感謝の言葉を吐きながら、アサキはぐるりと周囲を見渡していた。
ここは、今までいた公園だ。
だけど、今までいた公園ではない。
視界に入る物ことごとくが、加工した画像のようにぐにゃぐにゃに歪んでいる。成葉とカズミ、現界から入り込んだ以外のすべてが。
歪んでいるだけでなく、色調も奇妙であった。全ての色合いが、ネガフィルムのように反転しているのだから。
現在は夜であるため、空は真っ白だ。
ここが異空なんだという実感が、まだあまりない。
昨日、あんな死闘を繰り広げたところだというのに。
昨日と同様に、こんなに瘴気腐臭にまみれた辛気臭い空間だというのに。
「さ、変身しちゃおうよ」
真っ白な闇の中で、成葉が大声を出しながら腕を振り上げた。
頭上で、クラフトと呼ばれる特殊なリストフォンをかざすと、側面のスイッチを押し、ゆっくりと腕を下げる。
眩い光が起こす逆光の中、着ているものすべてが溶けて、白銀の糸がより合わさって身を覆い白銀の服になる。
その上から白銀に黄色の装飾が施された防具が装着され、さらに頭上からふわりと、コートのような長く硬そうな上着が落ちて来て、成葉は前屈みになりながら翼のように手を広げて袖を通した。
目を開き笑むと、
「魔法使いナルハ!」
くるんと回転し、右腕突き上げ決めポーズ。
「おっしゃ、それじゃあたしも行くぜ!」
カズミはおりゃあと叫び声を張り上げながら左腕を振り上げ、クラフトのスイッチを押した。
成葉と同様、目の眩むような強烈な光と同時に、カズミの服は溶け消えて、白銀の糸が束なり生地になり新たな服となり、手、足、胸に青の装飾の入った防具が装着される。
ふわり落ちてくるロングコートのような長い、袖無しの服に腕を通すと、笑顔アップで拳を握り、ぶんぶうんと後ろ回し蹴りを放ち、だんと足を打ち下ろす。
「魔法使いカズミ!」
びしっと決めポーズを取ったのを見て、
「わ、わた、わたしも……」
残るアサキが焦りだした。
へへ、変身、しないと。
と、心の中でまで言葉がつっかえつっかえになっているうちに、緊張のあまり手から汗がどどっと出て来た。
上手く出来るかな、変身。昨夜は治奈ちゃんのクラフトで、なんとかかんとか変身することが出来たけど。
思ってもいない服になるだけならまだいいけれど、着てるものが消えるだけ消えて魔道着が出ずに素っ裸になってしまったりしたら、もう生きていけない。
異空で、カズミちゃんたちしかいないとはいえ、恥ずかしいという自分の心は騙せない。
「お嫁に……行けない」
「わけ分かんねえこといってんじゃねえぞ!」
「あいたあ!」
カズミにゲンコツ食らったアサキは、痛みに両手で頭を押さえた。
すぐ殴るんだからなあ、カズミちゃんは。
でも、やれるだろうかとかそんな心配なんかしている場合じゃないよな。
考えるより先に実行だ。
世界を守るために。
アサキはクラフトに右手を添えると、力、貸して、と話し掛けるように強く念じた。
目覚め呼応するかのように、クラフトが淡く青い輝きを放った。
側面にあるボタンを押すと、
「変身!」
叫びながら、拳を天へと突き上げた。
すーっと腕を立てたまま下ろしていくと、不意に全身が眩い輝きに包まれた。
輝きの中、アサキのシルエットからぱあっと服が弾け飛び空気に溶けた。
糸のようなものが周囲をぐるぐる回りながら、より合わさり、アサキの首から下のすべてを包んでいく。
白銀の布がつま先からするすると折り返されてスパッツ状になり、同時に手も指先から折り返されて二の腕まであらわになる。
頭上に浮いているごちゃごちゃとした塊が弾けて、アサキのすね、胸、前腕、手の甲、などに防具状に装着されていく。
ふわりと落ちてくるコートのように長く硬そうな、袖のない服。
前へ屈むようにしながら、翼のように腕を後ろへ上げて、それぞれ腕を通す。
上半身を起こしたアサキは、服をなじませるために腰を軽く捻り、右、左、と拳を突き出した。
赤く彩られた白銀の魔道着姿になったアサキは、はっとした顔になると、
「そ、そうだっ!」
さっと左手を高くかかげながら、ちょっと引き気味へっぴり腰になりつつ天を見上げた。
「……どしたのアサにゃん?」
黄色の魔道着、平家成葉がぽかーんとした表情で見つめている。変な格好になっているアサキを。
「あ、いや、武器が落ちてきてそれを掴むのかなあと思って。落ちてきませんでしたあ」
アサキは姿勢を戻しながら、えへへと照れたように笑った。
「ひょっとして、お前はアホなのか」
カズミの痛烈な一言。
「え」
なにがあ? といった感じにアサキがきょとんとした顔になっている。
「もう持ってんだろが」
「ん、おーっ、ほんとだっ!」
視線落とすと、右手にしっかり剣を握りしめていた。
「結構ずっしりくるなあ」
「だったらすぐ気付けよ」
カズミの突っ込み。
「本当にサイトで選んだ通りの剣だあ」
でも全然聞いてない。
覚悟して臨んだ初めての変身に、リストフォンでセレクトした通りの武器に、と、ちょっとだけ気分が高揚していたのである。これから戦いへと向かうその緊張や恐怖はそれとして。
ふと、視線を落として自分の身体を見る。
白銀の服に、やはり白銀に赤の装飾が施された防具。
ちゃんと、変身出来ているぞ。
これが……わたしの魔道着なんだ。
これから、この魔道着で、この剣で、この世界を守るんだ。
しみじみ胸の中に実感と覚悟を噛み締めていると、突然耳元でバリバリと鼓膜破らんばかりの大声が爆発した。
「選んだ通りの剣だあ、とかどうでもいいから、とっとと名乗れよ! 戦意に影響すっだろがよおお、このボケ!」
「え、な、名乗り? やんないとダメなの? やっ、そんな睨まないでよ。やるよ。……それじゃあ……ま、ま、魔法使い……」
「弾け方が足らーん!」
ガチーーッと頬骨を直接殴るような痛々しい音とともに、アサキの身体はくるくる回りながら吹っ飛んで、地面に激突、さらに回りながら顔や全身をゴツゴツ打ち付けた。
「あいたあああ! 足らんもなにも、弾けなきゃいけないもんなんですかあ?」
理不尽な暴力による激痛に、アサキは涙目になってよろよろと起き上がった。
「あったり前だろ! せめて最低限はテンション高くパーッと名乗らなきゃあ、こっちだって盛り下がるだろが。もしヴァイスタに負けたら責任取れんのかよ!」
「だって恥ずかしいよお! それに、変身直後ならともかく少し過ぎちゃってるしい」
「変身し直せばいいじゃねえか!」
「やだよお」
なんで名乗りが悪いからって、そのためだけに変身をやり直さなければならないんだ。
恥ずかしい。
そもそも、わたしはわたしなりに、戦意を高めようとしていたんだ。
なのにさあ……
「昨日も戦ったとはいえ、気持ち的にはこれがわたしの初陣なんだ。なのに、そっちのやってることこそ、戦意を下げる行為じゃないかあ」
不満高まって、ついガーッといってしまい、はっとした顔になるアサキであるが、もう遅い。伸びるカズミの両手に、がっしり首を掴まれていた。
「新入りがああ、イチイチはむかうなあああああ!」
「く、首を締めるのやめてえええ」
「久々のお、アンドレ・ザ・ジャイアントの必殺技ネックハンギングツリーーーーーッ!」
「ぐ、ぐるじ……ひさびざじゃ、ない、お昼にもやられ……ぐるじいやめてええ」
両手でぎりぎり締め上げられ持ち上げられて、青ざめた顔で掠れた声を漏らすアサキ。
「カズにゃんもアサにゃんもお、遊んでる暇ないってばあ。ヴァイスタが誰かを襲う前にい。早く行こうよお!」
成葉がもどかしそうに、足をバタバタバタバタ踏み鳴らしている。
「うおっ、ヴァイスタのこと素で忘れてたあ。行くぞアサキ! いつまでもふざけてんじゃねえぞ、ったく」
首締め解除したカズミは、ちっと舌打ちすると、くるり踵を返して走り出した。
「まったくもお」
成葉が苦笑を浮かべながらその背中を追う。
「なんか納得いかない、絶対に納得いかなあない」
その背中を、ぶつぶつ不満を漏らしながらアサキが追う。
ヴァイスタとは昨日も戦っているが、正式にメンシュヴェルト所属の魔法使いとして戦うのは初めて。いわば、これからヴァイスタと二回目の初戦を向かえようとしているというのに、なんだって戦いの前からこんな目にあわないといけないんだ。
すっかり枯れ果て涙も出て来ないアサキであった。
5
「あれだっ!」
カズミが、こそっと囁くような、鋭い声を発した。
それは、走り出してものの十秒程度であった。すぐ近くの公園を集合場所に選んだのだから当然ではあるが。
ヴァイスタ、「白い幽霊」を縮めた呼称である。その名の通り、全身が真っ白でヌメヌメしている、身長二メートルを優に超える、手足が妙に長い不気味な存在だ。
アサキたちは、その背中を発見したのだ。
二体、ゆっくりと歩いている。
「誰かいるよ!」
成葉がヴァイスタのさらに前方を指差した。
透明シートを何重にもしたような、濁って見える膜状の向こう側を、大学生だろうか二十歳少し前といった女性が歩いている。
二体のヴァイスタは、その背後を追うように、足音立てず歩いている。
一体が女性の背後へ、くっつくくらいまで迫ると、長い腕を振リ上げて、しならせるように振り下ろした。
濁った膜ごと、頭上から叩き潰すように。
「あっ!」
アサキはつい声を発し、剣を両手に握り走り出そうとするが、
「大丈夫」
カズミが腕を遮断棒にして制する。
ぼずり
振り下ろされた白くぬめぬめした腕は、分厚い透明幕を突き破ることが出来ずに弾力で跳ね返されていた。
ヴァイスタは、再び拳を振り上げ振り下ろす。
ごずり
ごずり
濡れた巨木が擦れ合うような、なんとも気持ちの悪い音が響く。
なにかを感じたのか、女性がはっとしたように止まり、肩越しに振り返った。
ちょっと小首を傾げると、すぐに前を向き直ってまた歩き出した。
「あの女の人、気が付いていないのかな」
アサキが、ぼそっと疑問の言葉を発する。
「嫌な気配は感じていて、だから振り返ったりしたんだろうけど、魔力そんな高くないから見えてないんだろねえ。見えてないから、気のせいだと思いこんでしまう」
成葉が答える。
「そうなんだ。でもこれ、このまま放っておいても問題ないの?」
「問題あるさ。異空と現界の境が薄いところがあってな、そのうちにそこが破れて、そしたらこっちに連れ込まれて食われちまうよ」
カズミの説明に、アサキはぶるぶるっと身を震わせた。
昨夜の、自分自身に降り掛かったことを思い出していたのだ。
まさに、そうなりかけたのだから。
「だから、そうなる前にこうすんだ、よ!」
カズミは、いつの間に拾っていたのか右手に持った小石をヴァイスタへ向けアンダースローで投げていた。
べち、と音がした。
一体の後頭部に命中したのだ。
当てられた一体が動きを止めて、ゆっくりとこちらを振り向いた。
顔のパーツがないので、振り向かれても見た目の変化はあまりないが。
遅れて、もう一体も歩く動きを止めて、アサキたちの方を向いた。
ごくり、
アサキは、唾を飲んだ。
右手に構えた剣をぎゅっと握る。汗で、滑り落ちてしまいそう。
左手で、強く拳を握る。
全身が、微かに震えている。
数秒の沈黙、数秒の静寂の後、ヴァイスタが動き出した。
アサキたちのいる方へと、ゆっくりと歩き出したのである。
「こっち来るよー!」
アサキはびくうっと肩を大きく震わせると、悲鳴のような情けない声を出した。
「当たり前だろバカ! それじゃあ、さっき話した作戦な。一匹を引きつけとくんだぞ」
「りょ、りょ、了解っ!」
アサキは冷静でいようと冗談ぽく軍人の敬礼のような仕草を取った。どう見てもパニック起こしているとしか思えないカチコチ顔であったが。
こうして戦いは、スポーツの試合以上のあっさりさでもって、開始されたのである。
赤い魔道着を着ての、アサキの初めての戦いが。
ゆっくりと向かってくる二体のヴァイスタ。
アサキは、視線そらさず正面向きつつ、どくように横へと動いた。
二体が完全に通り過ぎカズミたちへと向かうのを待って、後側の一体を剣でつついて振り向かせて誘導しよう、と考えたのだ。
だが、予期しないことが起きた。
二体ともが回れ右をして、アサキへと向かったのである。
「えーーっ!」
な、なんでえっ、という表情隠さず踵を返してアサキは逃げ出した。
ヴァイスタの歩調が速くなる。
アサキを追っているのだ。
「ああそっかあ、アサキが弱っちいくせに潜在魔力が高いからかあ」
カズミが、ぽんと自分の手のひらを打った。
そう、分かっているヴァイスタの習性として、魔力が高くかつ襲いやすい者から襲う、というのがある。と考えるとこの成り行きは当然ということか。
「冷静に解説してないで、助けてよお!」
涙目になって逃げているアサキ。
ヴァイスタとおっつかっつの追いかけっ子なのは、全力疾走したいのはやまやまだが恐怖に震えてしまって足がうまく動かないためである。
「こ、こ、こうなったらこの剣でえ!」
やけくそ気味に叫びながら振り向くと、迫ってくるうち一体の胴体を剣を振り回して斬り付ける。
しかし、ぶよんぶよんと震えるような音がするばかりで、まったくダメージを与えられているような感じがない。
とん、と後ろへ跳んで距離を取った。
ぜいはあ、
ぜいはあ、
ほとんど剣を振るってなどいないというのに、もう息が切れている。
苦しい。
苦しいし、それとは別になんだかとても気怠い感じが……
「魔力を無駄に出し過ぎだ! 拡散してるから威力もないしすぐバテる。全力ダッシュでマラソン走り切れるわけねえだろバカ! ふざけてんのか!」
「そそ、そんなこといわれてもお……」
わたし、初めてなんだよ。
正確には二回目だけど。
とにかく戦闘訓練とか、そういうの全然受けてないんだよ。
そんな心の声など他人に聞こえるはずもなく、
「戦いのセンスなさ過ぎなんだよ。つか一般常識的にもうちょいマシに動けねえのかよ。もういいやお前は。黙って見てろ。作戦変更だ」
マシンガンでバスバスバスバス容赦なく撃ち抜かれた。
「はい……」
心の中だけは好きにいえても新米の身では強くも出られず、アサキは申し訳なさそうに肩を縮めて、カズミと成葉の背後へと退いた。
二体のヴァイスタそれぞれの前に、カズミと成葉がアサキを守るように立ちはだかっている立ち位置だ。
カズミと向き合うヴァイスタが、なんの予備動作もなく突然に長い腕を振るった。
ぶうん、と唸るそれを、カズミは予期していたかのようにすっと身を屈めてかわしつつ、地を蹴って懐へと入り込んでいた。
「うりゃあ!」
叫びながらコマのように身体を高速回転させ、両手それぞれに握った短剣で、ヴァイスタの胴体を斬り刻んでいく。
いや、
攻撃はすべて弾き返されていた。
傷もなければ、よろけることすらもなく、なんのダメージも受けていないかのように平然と、もう一本の腕もカズミへと振り下ろした。
間一髪、後ろへ跳んでかわす。風圧でカズミの前髪がばたばたなびいた。
「くそったれ、防御力の高い個体かよ」
苦々しい顔で、舌打ちした。
「頑張れえ、カズミちゃん、成葉ちゃん!」
まだまったく魔力が回復していないアサキが、はあはあ息を切らせながらも、大きな声援を送った。
そう、成葉も既に、もう一体との戦闘に入っていた。
「ナルハスペシャル!」
小柄な身体を高く高く跳躍させて、叫びながらヴァイスタの頭上へと、両手に持つ巨大な大刀を振り下ろしていた。
なにがスペシャルということではなく、単なる気合を入れるための掛け声ということか。いずれにせよ、その気合も虚しく、攻撃はぼよおんと跳ね返されてしまった。
「うえー、こっちの個体も防御型だあ。手が痺れたよお」
とんと跳躍してヴァイスタとの距離を空けると、大刀を道路に突き立てて、しかめっ面になりながら両手をぷるぷるっと振った。
それらの戦いを後ろから見ているアサキは、ぎゅっと拳を握った。
「黙って見ていろ……といわれたけど……」
でも、なんか強そうだよ、このヴァイスタ。
なにかやれること、なにか手伝えること、しないと。
やれること、わたしに、出来ること……
よおし、
アサキは決心したように、顔を上げた。
「わたしがすきを作る!」
叫んだ。
まだ魔力も体力も回復していない、呼吸も整っていない苦しそうな表情であるが、構わず駆け出し、カズミと成葉の間を抜けると、ヴァイスタの一体へと飛び込んでいた。
飛び込みつつ、ごろんと身体を丸めて前進し、股の間を抜けていた。
立ち上がるなり、わあああと叫びながら、剣を両手に持ってヴァイスタの背中を斬り付けた。
虚しく弾き返される。
だけどアサキは、迷うことなく次の一振りを放っていた。
通じなくとも構わない!
そう心に叫び、何度も、何度も、斬り付ける。
ヴァイスタがゆっくりと、アサキの方へと振り向いた。
「カズミちゃん、成葉ちゃん、いまだよ!」
疲弊に歪んだ表情を隠さず大声で叫んだ。
「了解、アサにゃん!」
「少しはやるじゃねえか! そんじゃ行くぜえええ!」
カズミは、うおおおおと獣のように吠えた。
「イヒウェルデディチ ヌアンシュケルテン」
呪文を唱えると、足元に青く光る五芒星が現れていた。
カズミはすっとそこへ膝を着くように腰を落とすと、両手の短刀を改めて構え直し、
「超魔法グローゼンブリッツ!」
地を、五芒星を蹴って、ヴァイスタの無防備な背中へと飛び込んでいた。
カズミの身体が目にも止まらぬ速度で回転し、ざくざくざくざく、今度こそヴァイスタの肉体を切り刻んでいく。
自転しながら、さらにぐるりとヴァイスタの周囲を一周。表面をべろべろに切り裂かれて、さすがのヴァイスタも、ダメージに足元がふらついている。
「皮は剥がした! 成葉、とどめだあ!」
「了解! 今度は決めるよ、ナルハスペシャルう!」
叫びながら高く跳躍した黄色の魔法使い、両手に持った大刀で、背中から袈裟がけの一撃を浴びせた。
とん、と着地し、もう一度高く跳躍すると、宙でトンボを切った。
「昨日の牛丼タマゴのカラが入ってたあああああああ!」
それが怒りのスイッチになるのか分からないが、とにかく成葉の絶叫と同時に、彼女の全身が黄金色の輝きに包まれていた。
振り上げた両手の大刀を、今度はヴァイスタの正面から、渾身の力を込めて叩きつけるように振り下ろしていた。
着地と同時に、裂けていた。
ヴァイスタの身体が、頭頂から股間まで真っ二つに。
「ナイス成葉。んじゃ昇天よろしくう!」
そういいながら、カズミは既にもう一体へと飛び込み切りつけていた。
「な、成葉ちゃんっ! これ、ま、まだ動いてるよおっ!」
悲鳴のような震える声を上げるアサキ。
でもそれは、決して不自然な反応でも情けない言動でもないだろう。
頭から完全に真っ二つになったヴァイスタの肉体断面から、にょろりと触手のような細長い肉片が伸びて、お互いにくっつき合おうとしているのだから。
悲鳴を上げ逃げたくなるのが当然というものだろう。
「これがヴァイスタなんだよ。どれだけダメージを与えても決して死なないんだ。だから、ダメージ与えて一時的に動きが止まったところを狙って、魂自体を溶かすんだ。それが昇天という儀式。昨日もハルにゃんがやってたでしょ?」
成葉は、両断され地に倒れているヴァイスタの間にしゃがむと、左右の腕を伸ばしてそれぞれの身体へと触れた。
「よく見ててね。……イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ!」
成葉の詠唱する呪文に反応するように、ヴァイスタの身体に変化が起きていた。
重力の法則を無視したかのように、すーっと起き上がっていくのである。手で支えることもなく、分断された胴体が、ふわっと浮かぶかのように。
叩き斬られて地に崩れた時の映像を、そのまま逆再生しているかのようである。
あっという間に、完全に、元の姿に戻っていた。
いや、元の姿はのっぺらぼうのはずであるが、現在、顔には魚に似た小さな口が存在していた。
そしてその口が、にやーっと満足げに笑ったのである。
頭頂がきらり輝いたかと思うと、さらさらとした光の粉になって、上から下へとその肉体は空気に溶けていった。
立っていた場所にわずか残っていた光の粉も、すぐ風に運ばれて、存在していた痕跡は完全に消え去った。
「どういう気持ちで昇天していくんだろうね」
気持ち悪さと寂しさという二種類の感情の混じった複雑な表情で、アサキは呟いた。
「さあ。感情なんかないんじゃない。ナルハも最初は同じようなこと考えてたけど、すぐに慣れて、そんなこと考えもしなくなるよ」
「そうかなあ」
まあ、下手をしたら自分が殺されるわけで、割り切らないととても戦い続けることなど出来ないのか。
「お前ら手伝えよお! 残り一匹! 人海戦術だ! アサキも加われえ!」
声のする方を視線向けると、カズミとヴァイスタが一対一で交戦中だ。
「ごめんカズにゃん! よしっ、アサにゃん、やろっ!」
成葉が大刀を両手に握って走り出す。
アサキは小さく頷くと、右手の剣をぎゅっと握りしめ、そのあとを追った。
そうだ。
死ぬか、生きるかなんだ。
この戦いは。
ヴァイスタとの戦いは。
殺さなければ、自分が殺される。
我々が負けたら、世界が滅ぶ。
戦って、倒して、この世界を守るんだ。
怖いとか悲しいとか、それは戦いの後だ。
わたしがだらしないと、みんなに迷惑がかかる。みんなの生命を危険にさらすことになる。
だから、だから、
やるぞおっ!
「今度はわたしに任せてっ!」
成葉を追い越し、そして高く飛んだ。
両手に握った剣を振り上げ、少しだけ回復した魔力をすべて剣に集中させる。
アサキスペシャルといおうかいうまいか、とにかく汚名返上の一太刀を浴びせてやる、という気持ちは満々であったのだが、
バズン!
人生ままならず。
横殴りの直撃をモロに食らって、アサキはあっけなく吹っ飛ばされていた。
「あいたあっ!」
壁に後頭部や背中を強打し、ずるずるーっと地面に落ちると、そのままぐったりしてしまった。
「くそ弱えなああああ! お前絶対に体育の成績1だろーーっ!」
カズミは怒鳴るだけ怒鳴ると、すっかりあきれ顔になってため息を吐いた。
「いや、けしてそんなことは……」
薄れゆく意識の中で、必死に弁解しようとするアサキ。
結局、汚名返上ならず、ますます積み上げてしまうだけ。
本当にわたしなんかが世界を救えるのかなあ。
そんな不安を胸に呟きながら、アサキは気を失った。
6
「……こっちは仙台より魚と野菜が、ちょっと高いかなあ。出来合いの惣菜も、なるべく控えた方がいいなあ。駅向こうのマンション一階にあるなんとか食品館ってスーパーはちょっとは安いけど、めっちゃ混むんだよなあ。入ったら生きて出られるのかってくらい」
リビングのテーブルで、令堂直美がため息を吐いたり唸り声を上げたりしながら家計簿をつけている。
という姿を、令堂和咲は自分の部屋から出たドアの前で、複雑そうな表情で見つめている。
ふと視線を上げ気が付いた直美は、びくりと肩を震わせた。
「い、いつからそこにっ」
「三十秒前から。……やっぱり、うちあんまり余裕ないの?」
当然といえば当然か。こんなおっきな荷物がいるんだからなあ。
と、アサキは胸の中に続きを呟いた。
高校生になれば、とりあえずはアルバイトでもして家にお金を入れることも出来るけど。または一人暮らしをしちゃうとか。なるべく負担にならない方法を選びたいけど、でもあと二年ある、辛いなあ。
「あ、なにか勘違いしてない? 単に前のところと物価を比べてただけだよ。修ちゃんの稼ぎはそれなりにあるし、無駄使いはあたしの飲み代くらいだから余裕はあるよ。だから中学を出たら働くとかいわないでよね。大学だって行っていいんだから」
「ありがとう」
「家族はそんな程度で礼はいわない! むしろアサキちゃん、あまりにお金がかからなすぎ、迷惑かけなすぎだよ。全然おねだりしないし、小遣い上げろとかもいわないし、旅行とかもしたがらないしさあ。……とにかく、アサキちゃんはあたしらにとって実の子も同然なんだから、遠慮すんなあ!」
「ごめん。でも別に、遠慮とかそういうわけじゃ、ない……」
と、思うけれど……
どうなのかな。
などとまた胸に呟きながら、冷蔵庫からミルクを取り出して、床の上に置かれている銀の器へと注いだ。
音かにおいか雰囲気か、カーテンの向こう側でじゃれあっていた子猫たち気付いたようで、争うように走って来ると争うように飲み始めた。
「よしよし、大きくなるんだぞー」
アサキは笑みを浮かべ、二匹の柔らかそうな頭を撫でる。
昨日、明木治奈と一緒に公園で拾った猫である。貰い手が見付かるまでは、ということでここで世話しているのだ。
「ただいまー」
玄関の方から野太い男性の声が聞こえたかと思うと、しばらくして令堂修一がリビングへと入って来た。
「お帰り、修一さん。今日もお仕事お疲れ様でした」
猫の頭を撫でながら、アサキが声を掛けた。
「おうっ」
というなり修一はささっと背広を脱ぎ、背広を脱ぐなりテレビのリモコンを手にして電源スイッチオン。
チャンネルを変え、映ったのはボクシングだ。
ミドル級くらいの、日本人と肌の黒い外国人とが試合をしている。
「おい、ビール!」
などといいながら、どかっとソファに腰を下ろして観戦モードに入る修一であるが、しかし直美にリモコン取り上げられ画面を消されてしまった。
「おい、なにすんだよ!」
「すぐ食事にするんだからテレビはダメー。連絡なしで帰宅時間が一時間も遅くなった修くんが悪いんだよー」
「食事中にお前の漫談みたいな独り言を聞いているのも、テレビを見るのも同じことだと思うけどなあ。……おれの念が届かったせいで橋本恭平がタイトル防衛に失敗したらどうしてくれんだよ」
「そしたら次はチャレンジャーのチャレンジに念を送ればいいでしょ。よし、それじゃお皿どんどん持ってくるからアサキちゃんはそこに並べてってね」
「うん。分かった」
素直な返事をするアサキの前に、いった通り直美が皿やお椀を持って来る。
焼き魚、筑前煮、肉じゃが、お新香、ご飯、しじみの味噌汁、何故か一つ洋風のミニハンバーグ、大皿小皿、お椀に茶碗、アサキがてきぱき配置して、箸を箸置きに並べ、
「いただきます」
さて、夜の八時半、ちょっと遅いが夕食の開始である。
「学校、ちょっとは慣れたか?」
場を乱す唯一の洋食であるミニハンバーグを退治しようとさっそく箸でつまみながら、修一が尋ねる。
「うん。友達もすぐに出来たんだよ」
アサキはちょっと得意げな笑みを浮かべた。
これまでどの学校でもなかなか友達が出来なかったのだ。自慢したくなるのも当然というものだろう。
「うん、治奈ちゃんとかね。良い子だよね、あの娘」
「え、なんだよ、直美ももう面識あんの?」
びっくりする修一へ、直美は笑顔を向けながら、
「ほら、ここのすぐ近くにあるお好み焼きの娘さんだよ」
「へえ。まあ、すぐに友達が出来たのはよかったな。いつも初日の挨拶で似合わないギャグやって見事に滑って、ずうっと日陰族だったもんな。ようやく友達が出来そう、って頃に転校になったりしてさ」
修一にからかわれたアサキは、ムッとしたようにほっぺたを膨らませた。
「ギャグなんか、いったこと生まれて一度もないよっ! 『ははあん配給うううノーリタアアン』とか、『ガチガチなん? ガチガチなん?』とか、一度もさあ」
「やってんじゃねえかよ! つうかまったく似てねーっ!」
「さすが初日の掴み研究家あ!」
夫婦二人で大爆笑である。
「オソマツ様でしたあ」
アサキは照れたような笑みを浮かべながら、深くお辞儀をした。
こんな態度でごまかしながら、アサキは胸の奥で二人に感謝をしていた。
こうして、自分に対して明るくふるまってくれることに。
自分のことを、実の娘のように愛してくれていることに。
だから、自分も大好きだ。
この二人のことが大好きだ。
だから、頑張って守らないとな。
この、世界を。
手を伸ばして赤く装飾された銀色のリストフォン、クラフトへ指先でそっと触れた。
まだまだ戦力にもなっていない自分だけど。
まだまだ迷惑ばかりかけている自分だけど。
だからこそ、頑張ろう。
強くなろう。
また、明日から。
一歩一歩、進んで行こう。
「おーい。アサキくうん、聞こえてますかあ」
直美の声。
眼前で、直美が手をひらひらと振っている。
「あ、ああっ、な、なにっ?」
「なんでもないよ。北川コタ側の『でぃっふーーーん!』のギャグのポーズのまま、いつまでもぽけーっとしているから呼んでみただけ。……あのさ、昨日っから考え事が多い気がするんだけど、まあ学校変わったんだから当然かも知れないけど……あたしたちに隠し事とかは……してないよね?」
「し、し、し、してませんっ!」
勘が鋭いなあ直美さんはっ!
確かに隠し事してるよ。でもいえないよ、魔法使いになったとか、ヴァイスタで世界が滅ぶとか。いえるわけないじゃん。
「ん、なんで敬語?」
「あ、いや、隠し事とか悩み事とか、なんにもないよ。ポエムでも書いてたら、さすがに隠すだろうけどさあ」
「あー、ポエム書いてんだあ。ね、見せてよ」
「書いてないよ。例えだって」
日記くらいだよ、書いてるのは。
しかし繰り返すけど直美さん、勘が鋭いなあ。びっくりしたあ。
それとも実はわたしって、ことごとくが顔に出てしまうタイプなの?
明日、治奈ちゃんたちに相談してみよう。
7
「転校二日目。
つまりは魔法使いマギマイスターとしての生活も二日目だ。
といってもただ魔道着へ変身して戦ったというだけで、魔法なんか使ってはいないけれど。
時系列で書こう。
ちょっと長い日記になっちゃうけど、私もしっかり話をまとめておきたいから。
昨日、ヴァイスタという謎の存在と戦ったことを、昨日の日記に書いた。
今日はそのことについて学校で、治奈ちゃんたちから話を聞いた。
ヴァイスタ。
真っ白でぬるりテカテカした、ゼリーを固めたみたいな、人間みたいに二本足で立つ悪霊だ。
どこから来るのかは不明。でも、どこを目指すのかは分かっている。
霊的な「中心」。
具体的な場所で言うと東京の、平将門の首塚の近くにある神社ということらしい。
もしもヴァイスタがそこへ辿り着いたら、この世界が終わってしまうというのだ。
どう終わるのかは、まだよく分かっていない。
どこの誰が何を根拠にそうなると言っているのかは分からないけれど、とにかく間違ってもそんな事態にはならないように、ヴァイスタを寄せ付けない結界が全国のいたるところ何重にも張られている。
メンシュヴェルト、というヴァイスタと戦う組織があって、人知れず色々と動いているらしい。
その、メンシュヴェルトという組織に所属して、実際にヴァイスタと戦うのが「魔法使い」だ。
クラフトというリストフォン型のアイテムで、魔道着姿へと変身して戦うんだ。
昨日、治奈ちゃんが一人で何体も相手にして苦戦していた。
残った最後のヴァイスタが、私を襲って、私を庇うために治奈ちゃんが怪我をして、それで、私が治奈ちゃんのクラフトで変身することになった。
でも本来は、私を仲間に誘いクラフトを渡すつもりだったのだそうだ。
私が捨て猫を見つけて、可愛そうとかなんとか泣いていたものだから、戦いに向かないんじゃないか、善良そうなのに辛い思いさせるのも可愛そうだ、と躊躇していたらしい。
私のことを気遣ってくれるのは嬉しいけど、そうした話を聞いたからこそ、私は彼女らの仲間になることに躊躇いはなかった。
私だって友達のためになることをしたいし、
それに、誰かがヴァイスタと戦っていかなければ、この世界が滅んでしまうというのだから。
ならば、そういう能力のある者が、やるしかない。
能力も何も私なんかまだまだだけど、スカウトを受けたという自分の潜在能力を信じて頑張るしかない。
放課後、校長室へ行って、校長と話をした。
驚いたけど、なんでも校長もメンシュヴェルトのメンバーなのだそうだ。
結界はどこにでもあるわけではないが、結界のあるところの中学校や高校には、まず魔法使いがいるとのこと。
十代の女性が、一番魔力が高いからなのだそうだ。
なのでメンシュヴェルトは、そういう学校と裏で手を組んでいる。戦力のバランスを整えるために、保護者の職場に裏で手を回して転勤つまり生徒の転校を促したりもしているらしい。やりすぎな気もするけれど、世界の存亡が、とか言われると私程度の身では何も言えない。
魔法使いの装備は、杖とかそういうイメージから大きく離れていて、刀とかナイフとか棍棒とか。
クラフトはリストフォン機能を持っているのだけど、そこから入れるネットのサイトがあって、好きな武器や細かな装飾品を選ぶのだ。
そんなのでその武器が変身時に出て来るのかなあ、と心配していたのだが、驚いたことにちゃんと出て来た。
つまりは、今日もまたヴァイスタが現れて、戦ったのだ。
昨日は治奈ちゃんのクラフトを使ったが、今日は私のためのクラフトを使い、私専用の赤い魔道着で。
変身したら、しっかり剣を右手に持っていた。
その戦いだけど、二手に分かれて、治奈ちゃんと正香ちゃんがまず一手。
私は、和美ちゃんと成葉ちゃんと一緒に。
でも結局、私は全然戦えなかった。二人の足を引っ張るだけだった。
誘い出すだけ、という最低限の役割すらこなせなかった。
ただそこにいるだけの方がよほどマシだったのではないか。
まだ二回目の戦いだから仕方ない、と成葉ちゃんは慰めてくれたけど。
頑張らなきゃな、と思う気持ちと、家族に秘密にしていることの罪悪感。
帰宅後、そんなことを考えてぽーっとしているところ、直美さんに「隠し事してない?」と聞かれて飛び上がるくらいびっくりした。
でも、罪悪感ばかりではない。
少しずつ、楽しくもなってきている。
みんなでこの世界を守っているんだ、その一員なんだ、ということを誇らしく感じる自分もいる。
どうしてなんだろう。
どの学校でも暗くてなかなか友達の出来なかった自分が、(きっかけはメンシュヴェルトに誘うという目的であったにせよ)すぐに数人の友達が出来たこと。
それも、私自身の前向きな気持ちに繋がっているのかも知れないな。
いいよな、仲間って。
同じ誘われて魔法使いになるのなら、この天王台第三中学に呼ばれて本当に良かった。
私も早く魔法を使うことや魔道着で戦闘することに慣れて、みんなを助けられるようになるぞ。
ワンフォーオール!
オールフォアワン!
って、テンション高くなって恥ずかしいことを書いてしまった。
もう寝よう。
おやすみなさい。」
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