Blazerk Monster
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葉のない所に火は立たぬ
涼香が目を覚ますと早朝になっていた。時計を見ると朝の四時半。昨日眠ったのは夕方ごろだったからどうやら相当な時間眠ってしまっていたらしい。とはいえ、そのおかげで少し体は楽になっていた。ベッドの近くの棚にはオレンの実が数個と、カットした赤い果実を水で浸したものが置いてあった。りんごを齧るとほのかに塩味がしたので色落ちしないよう食塩水につけたのだろう。小さなメモ書きで「起きたら食べて」と書いてある。明季葉の字だ。
「……いい母親になれるわよ、あんた」
勝気な自分と病弱な弟、手のかかる二人を育ててくれた母のような気配りに半ば呆れつつ隣のベッドを見る。旅の途中では朝ごはんを作るために早起きな明季葉だが、流石にこんな時間ではまだ眠っていた。いつもの大きなサイズのエプロンドレスとは違う備え付けのパジャマで眠っている顔は、旅を始めたばかりの自分のように子供らしさがある。
「昨日の約束、守ってあげないといけないし……起きるまで待つか」
明季葉は旅をする理由が明確にあり、それを打ち明けたいらしかった。本来ならヘルガーやヒトモシと共に野生のポケモンを焼き魂を燃やしてレベルを上げたいところだが、一旦休んだ方が得策だったし、いなくなって明季葉に反故にされたと思われるのは好ましくない。自分が旅を続けるためにだけではなく、自分を信じてくれるこの子を裏切ることはしたくなかった。
オレンの分厚い皮を剥いて、酸味の強い果実を口に入れると、眠っていた頭が少しずつ冴え始めた。何もせずぼんやりしているのも退屈なので、テレビを付けて音量をぎりぎり聞こえる最低値にする。こんな時間ではやっているのはニュースくらいだ。無気力状態だった一年間は勿論、基本的に涼香にニュースを見る習慣はないので、退屈には変わりない。と思っていた。
「えー、3日前に起こったポケモン研究所強盗事件。盗まれたのは二体のポケモンという情報がありましたが、それは誤りだったと発表されました」
「……!」
研究所への襲撃。行方不明になったという博士。そしてチャンピオン。その言葉に涼香が息を呑む。
「いなくなっていた二体のポケモンは別の要因で連れ出されたものであり、今回の事件では無関係である。博士が拉致された以上の損害は、捜査の結果ないことが確認されたとのことです。博士については全力で行方を追っているが、情報収集の段階で皆さんに何か知っていることがあったら警察に連絡をしてほしいとのことです」
レポートへの返信がなかったのは、博士が研究所からいなくなったせいだというのは間違いがなさそうだった。
「……ほんっと、意味わかんない」
昔旅をしていた時は、ただ強くなれれば。チャンピオンになって、弟の病気を治すお金が用意できればよかった。だが今はただ強くなるだけでは目的は叶わない。四葉が自分を陥れ、わざわざ一年間経ってから伝えた理由が何か。それから目を背けるように、涼香はテレビを消した。
「涼香……起きた?」
呟きは思ったより大きかったのか、明季葉が目を覚ましたようだった。
「ええ。でもまだ寝てていいわよ。……後、ありがとね。色々」
「大丈夫……起きる」
明季葉がいつものゆったりしたエプロンドレスに着替える。まだ少し眠そうな明季葉にオレンの実を無言で手渡すと、彼女も皮を剥いて食べ始めた。向こうが意識をはっきりさせ、話す準備を整えるまで涼香も果物を食べる。
「昨日の涼香の話……ポケモンリーグでの不正が涼香やポケモントレーナーのみんなにとってはすごく許せないことだっていうのは、なんとなくわかる」
切り出しは、涼香の罪についてだった。昨日すんなり受け入れたことが涼香としては半ば信じられない所もあったが、やはりそのことを語る明季葉に嫌悪感のようなものはない。
「でも明季葉は、ポケモンリーグの結果なんて新聞で誰が優勝したのか見るくらいだったし、この旅が終わってもトレーナーになりたいわけじゃないから……ずるはいけない、くらいにしか思えない」
「……そう、なの?」
「うん……だから涼香がどれだけ苦しいかは、きっとわからない。ごめんなさい」
「そんなの、いいけど……」
静かな言葉なのに、まるで氷を首筋に当てられたような感覚がした。確かに、この世界の人間が誰しもポケモンバトルの世界に熱中しているわけではない。そういう人からすれば涼香の不正はちょっとした出来心で済まされてしまうのかもしれない。弟の死、両親との絶縁、そして涼香も付き合いのある人間もトレーナー及びその関係者ばかりだから、この世の誰からも疎まれているように感じてしまっていた。涼香にとって、その言葉は衝撃的だった。
「ただ、明季葉にはこの旅に目的がある……そのことで、話したいことがある」
「トレーナーとしての道に興味はない。でもこの旅には社会勉強以上の価値がある……そういうことよね」
ずっとチャンピオンになることしか考えてこなかった涼香には想像できない。明季葉は頷き、驚くかもしれないけどと前置きしてから。
「単刀直入に言うと……明季葉と巡は、許嫁の関係。本当ならこの旅は……結婚する前にお互いをわかり合う為の儀式のようなもの、のはずだった」
「……は?」
確かに驚いた。時代劇とかファンタジーの中でしか使われない言葉を現実のものとして明季葉に真顔で言われるとは思っていなかった。ぽかんとする涼香に明季葉が少し不安そうになる。
「えっと、なんで許嫁なのかは、話した方がいい?」
「別にいいわ。……本当ならってことは、現実はそうじゃないんだろうし」
にわかには信じがたいが否定しても始まらない。ありがとう、と頷いてから本題に入る。
「うん。そのはずだったけど……さっきの涼香の話で確信した。この旅は、何かおかしい」
「四葉が……チャンピオンが旅は危ないからルールを整備したんじゃないの?」
今回からポケモントレーナーが旅をするルールに大幅な変更が加わったのは涼香も知っている通り。ポケモンが渡されるのは旅に出る半年前から。引率トレーナーの存在、ジムの簡略化、上げればきりがないほどだ。明季葉は首を振る。
「そもそも、この旅に奏海は来ないはずだった。目的は、明季葉と巡の親睦だから。奏海自身、旅を楽しんでいるようには見えない」
許嫁で云々と言うことなら確かに奏海は必要ないのだろう。涼香の見た限り奏海は臆病というか神経質と言うか、自分や巡が危険にさらされることをよく思っていないようだった。
「それは、単に奏海や家族が巡を心配してるからじゃないの?あの性格で記憶喪失じゃ不安にもなるだろうし」
「巡達に会うのはこの旅で初めてだったけど……でも、明季葉は巡と奏海はすごく仲が悪い兄弟だって聞いてた」
「え? どういうことよ、それ」
元気よく積極的な巡と大人しいが知識が豊富な奏海。奏海が兄の軽率な行動をたしなめたり、巡が弱音を吐く弟を叱咤することはあっても険悪になったときのことなどまだ見たことがない。
「そもそも巡が明季葉の聞いてた人物像と大分違う……巡はもっと気が短くて喧嘩っ早くて、家業なんか継がずにプロのトレーナーになりたいからこそ今回の旅に出ることになったって聞いてた……家業を継ぐのは長男って決まってるから本当は巡が継ぐべきなんだけど、奏海に押し付けようとしてて……でも奏海もフルート奏者になりたい夢があるからお互いに反発してたはず」
「ちょっと待って。理解が追い付かないわ」
涼香の知る巡はポケモントレーナーへの憧れこそあれ出会った時の自分の忠告を素直に受け止めていた。明季葉の話は、まるで涼香の知る二人とかみ合っていない。
「それだと、明季葉の許嫁の巡と今旅してる巡が別人に聞こえるんだけど」
「……わからない。直接会うまで、顔も知らなかったから」
えらくきな臭い話になってきた。と涼香は思う。
「明季葉がおかしいと思ったのは、さっき巡が言ってた。目が覚めて記憶の分からない、でも周りに怖がられる自分を奏海が真っ先に助けてくれたって。それと……危ないことが嫌いな奏海が、真っ先に涼香について来てほしいって言ったこと。まるで、明季葉たちに否定させたくなかったみたいだった」
「……確かに、さっきの奏海はなんかおかしかったわね」
全ての人間がポケモントレーナーやバトルに対して関心があるわけではないのだから、明季葉同様ピンとこないのもわからないではない。しかし奏海はそもそも話を聞いているときもそのあとも涼香ではなく巡と明季葉を見ていた。まるで涼香の話に関心がなく、二人の顔色をうかがうのが一番だとばかりに。
「この旅を関するルールを決めたのも、旅に出る人を選んだのも四葉……だから、もしかしたら……」
「一連の違和感の糸を裏で引いてるのも、四葉かもしれない……?」
奏海が四葉とのつながりがあるとしたら、自分のことも既に知っていて言い含められていたからこそあっさり受け入れたことも考えられる。
「明季葉から、話したいことはこれだけ……聞いてくれて、ありがとう」
「いえ……驚いたけど、お礼を言うのはこっちよ。お互い目的があるんだし……気づいたことがあったら話し合いましょう」
明季葉の旅の目的と、奏海への疑問。この二つが四葉とどう絡むのかはわからない。だが涼香一人で抱え込むよりも話す相手が出来たことは内心安堵していた。旅に出るまでの一年間は、誰にも話したくなかったし関わろうともしていなかったから。
(――――ッ!!)
その時、涼香の頭の中を炎が大きく弾けたような感覚が襲った。
燃やし尽くした心は、また、燃え上がる。そう、何度でも。
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