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fate/vacant zero

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雪のヴェール

さて。

 今回は、前回ようやく名前が出てきた空色の少女の物語ことを、少しだけ綴つづろうと思う。


 本日、平等マンの月、誕生の週ベオーク、虚無ウィルドの日の未明。

 と、言われてもこれでは地球の人間にはよく分からないだろうし、前後関係もよく分からないだろう。テイク2。



 第5マンの月、第1週ベオーク、日曜ウィルドの日。


 才人が決闘を行った日から、3日目のことである。時刻は先に述べたように夜明け前。

 タバサ。そうキュルケに呼ばれた少女は、今。

 学院のあるトリステイン、その南の一線で国境を接する大国──ガリア。

 その首都リュティスより、さらに南東へ500リーグキロメートル下った山間の片田舎。

 サビエラ村郊外、ムラサキヨモギの群生地にて――



「どうして! 悪クなイのに! ドうシテ!」

「――わたしは人間なの。だから人間の敵は倒す。それだけ」



 半裸で、杖を手に、白み始めた空を背にし、一人の、幼いともだちにんげんのてきを――焼き滅ぼしていた。



 それは、ガリアの騎士シュヴァリエとして。

 ただの一人の、人間として。


 ――何より、友人として。



 かくして、幼い吸血鬼は両親の許へと旅をする。











Fate/vacant Zero

第四章 前編 雪のヴェール







「ねえお姉さま、おなかすいたの。きゅいきゅい」


 タバサは使い魔の、海のように青い風竜、シルフィードに乗って、今回の事件の報告のために、ぼんやりと本を眺め・・ながら、首都リュティスへと向かっていた。



 彼女は、ガリアの騎士である。


 今回の事件は、才人とギーシュの決闘中に届いた、いつもの指令状から始まった。

 吸血鬼が、村に巣食っている。助けて欲しい、という要請が従姉の騎士団長のもとに届いたらしい。

 それがタバサの所に回されてきたわけだ。


 いつものように公欠届を提出した後、シルフィードを駆ってリュティスへ向かった。

 リュティスで任務を正式に受理し、事件の発生した村、冒頭のサビエラ村へと飛ぶ。

 最初にしたことは、シルフィードを魔法使いメイジに仕立て上げることだった。


 いわゆる囮である。



 『いや、無理だろ』と突っ込みたくなっても無理はないが、そこはそれ。


 シルフィードは、風韻竜。

 『知恵のドラゴンズメイ』が一柱、『群青の守護神』の眷属である。

 ゆえに、喋れる。

 上でタバサをお姉さま呼ばわりしながら喋っているのもシルフィードだ。


 その種族柄、魔法はお手のものであり、その知識の中には人に化けるものすら存在しているのだ。

 それを使っている間は、他の魔法を使ったりすることは出来ないわけだが……。


 まあ、囮としては十分だろう。

 どうせ腕力体力はさほど変わっていないのだし。

 いくらまだ子供とはいえ、ドラゴンなんだから。

 しばかれでもしたら、たまったもんじゃない。



 ということで、囮になったシルフィードだが……、まあ、よくやったと言うべきか。

 威厳が無いのは、タバサ本人でも大差無いことだ。





 それからの事件の顛末を、駆け足で語る。


 到着初日の夜、エルザと呼ばれた女の子が襲われた。

 吸血鬼ではなく、『屍人鬼グール』――吸血鬼の従僕に。

 シルフィードらが駆けつけたことで、その場は収束した。

 この際に、タバサはエルザに境遇を少し重ねている。

 タバサは明け方に眠り、昼過ぎに起きた。


 二日目。

 つまり昨日のことだが、この日の夜、アレキサンドルと呼ばれる若者が、屍人鬼グールとなって村長の館(タバサたちの泊まっている所)を襲撃した。

 これを倒したのち、村人の暴走により、アレキサンドルの家に火が放たれた。

 中に居たと思われる老婆は、消し炭となって発見された。


 そして、丑三つ時と思われる頃。

 エルザにムラサキヨモギの群生地へと連れだされ、そこでエルザ――もとい、吸血鬼エルザに襲われた。

 事前に正体を予想していたタバサは、前もって呼んでおいたシルフィードの持ってきた杖により、彼女を滅ぼすことには成功したものの……、短い付き合いとはいえ、数少ない友達を滅ころした傷は、少々深いようだ。






「ねえー、お姉さまー。おなかすいたってばー! きゅい!」


 反応がない。

 タバサは、黙々と本を眺めている。

 ページはさっぱり進んでいない。


 いい加減、呼びかけるだけ無駄かなー、と変に悟りはじめたシルフィードは、眼下に湖を発見した。

 ちょうど、リュティスとサビエラの中間辺りである。

「池発見。たぶん魚がいると、風韻竜は判断するの」


 やっぱり反応がない。

 つまんない、と思いながらもシルフィードが呟く。


「おりるのねー」

 むろん反応などないが、意に介さずシルフィードは急降下する。

 勢いについていけなかったタバサは空中に放り出されるが、まったく姿勢を崩さずに地面へと一直線だ。

 バラバラバラと勢いよくページがめくれあがっているが、それでも顔は本に向けたまま。



 いまさら言うまでもないが、どう見ても読んでいない。

 というか、意識が現世に居ない気がする。



 ばさッ! と唸りをあげて羽ばたき、シルフィードは↓に加速する。加速する。

 地面手前で急減速し、池の傍らに降り立った。

 草原のど真ん中に作られたそれは、どうやら農水用のため池らしい。

 くんくんと水の匂いをかいで、おもむろに首を水面へとぶち込むシルフィード。


 ざばざばと首を動かし、水柱を立てて再び首を持ち上げた頃には、既に大量の魚が咥えられていた。

 はむはむ、んぐんぐと咬み飲み込みながら、上を見上げる。


 ……微動だにせずに主人が上から降ってきたので、取り急いで口の中身を丸呑みし、風の精たちに語りかける。


『風よ、空に舞う大気よ。縛鎖となりて、彼女を支えよ』


 精霊魔法。身の内に依る人間の系統魔法とは異なり、世界に溢れた力に依る魔法。

 広く大きな自然と契約しお願いをする魔法、と言った方がおそらく正しい。……正しいか?



 まあ何はともあれ、風の精たちはシルフィードの“お願い”を聞き届けてくれたらしい。

 タバサの落下点にあった空気が、渦を巻いて多重クッションになった。

 円く拡がるそのど真ん中を綺麗に直撃したタバサが、瞬く間に両側からソレに包み込まれた。

 タバサin空気の群れはそのまま落下すると、地面でバウンドしてゴムまりみたいに空へ跳ね戻っていく。

 そのまま放置していてもそのうち止まるだろうが、それを待つほどシルフィードはのんきではない。


 跳び上がった空気まり・・を解除はずす。

 再び中空へ放り出され、だがなんら変わることなく紙の塊りを眺めているタバサの襟首をくわえる。

 そのまま地面にそろりと降ろすと、一向に動く気配のないタバサから、本を噛み奪う。


 ……が、それでもタバサは動かない。

 あんまりといえばあんまりな主人の様子に、シルフィードはついつい攻撃ブレスじみた勢いの溜め息を吐いてしまった。

 いきおいに押され、後ろに転がって。タバサはようやく動き始めた。


 ぱちくりと瞬きし、手の中にあったはずの本がなくなっているのに気付いて、きょとんとシルフィードを見て首を傾げる。


 小動物っぽい愛らしさがあるが、シルフィードはそんなこと知ったこっちゃない。

 ジト目でタバサを睨んでいる。



「お姉さま」



 ? と逆側に首を傾げるタバサ。

「シルフィはさっき、お姉さまを振り落としました。
 そういう時は怒るなり驚くなり騒ぐなりしてくださいなのね。
 気持ちが沈んでるのはわかるけど、黙って落ちるがままってどういうこと?
 これから報告だっていうのにそんな調子じゃ、まーたいじめられるのね」


 シルフィードは前足を持ち上げてタバサの頭に軽く乗っけると、ぐりぐりと動かす。

 タバサはされるがままに頭をぐりんぐりんと回している。



「なんかお言いなのよ」


 でもやっぱり無反応。

 や、ちょっと目が回ってるかも。



「あのね。そんな風だから、あの小憎たらしい従姉姫に好き勝手されちゃうのよ?
 そりゃ、お姉さまの境遇ぐらいシルフィも知ってるし、何しようとしてるかも大体はわかってるのね。

 でもね。ちょっと文句つけるぐらいはしなさいなのよ!
 なんかあのバカ姫にいじめられてるお姉さまを窓からじっと眺めるだけってすっごい鬱るのね!
 ちょっとはわたしの精神安定のためにもやりかえすのね! きゅいきゅい!」


 一息にそこまで言って、がしがしとタバサの頭を甘噛みするシルフィード。


 とりあえず、小さなタバサの頭がすっぽりと口の中に納まってる情景は、色々と拙いんじゃないかと思う。

 ほら、そこの茂みとか――



「きぃやぁああああああああああああ!? 竜に人が食べられてるぅううううううう!」

 水汲みに来た女の子が……って、時既に遅し。

 慌ててタバサの頭から口を離すシルフィード。


「違うの! 食べてないの! 咥えてただけなの!」



 テンパっているのか、思いっきり喋ってしまった。

 少女は、いきなり言い訳を始めたシルフィードを見てフリーズしている。



 ……あ、口元がひくひくと。しゃっくりするみたいにひっくひっくとも首が反ってるし……あー、うん。







Fire.どっかん。





「りゅ、りゅ、竜がしゃべったぁああああああああああああ!?」




 ヤバイ。

 つい反射的にそう思ってしまうほど、その声はよく響いた。


 そして、つい慌てに慌てたシルフィードの行動はとても迅速だった。

 タバサのマントを爪に引っ掛け、背中に放り上げて大急ぎで飛び立つ。

 マントを引っ掛けて放り上げたので、一瞬タバサの目が×マークになったりしたのはご愛嬌だろーか。



「しゃべっちゃった! 人前でしゃべっちゃった! もう! きゅいきゅい!」



 風を貫き去りながらそう繰り返す声も、半ば放心状態のタバサの耳には届いてなかったりした。



 そんな一組の凸凹主従が向かうが一路──目指すは、王都リュティス。









 ガリア王国の王都リュティスは、隣国トリステインとの国境より約1000リーグキロメートル離れた内陸部に位置していた。

 その人口は三十万にも及び、名実営土においてハルケギニア最大の都市となっている。


 その大都市の最東端に、巨大かつ壮麗なガリア王族の執務所にして居城、『ヴェルサルテイル宮殿』は君臨していた。

 かつて森だったここを開拓し美しく偉大な荘園を造り上げたのは、先々代の王:ロベスピエール三世。

 そして現在の主であるジョゼフ一世は宮殿の中心、薔薇色の大理石で組み上げられたグラン・トロワ宮に座し、政務の杖を握っていた。



 ──さて。概要を語っただけで随分と行を稼いでしまったが、そのグラン・トロワ、ではなく。

 グラン・トロワよりさらに奥、並ぶ親子のように建てられたルイズの髪のような色の宮──ロベスピエール三世が後宮として造りし、プチ・トロワ宮。

 その主のために執務室として設けられた一室が、この一幕の舞台である。


 その一幕を作る原因となった少女はその一室で、非常にだらしのない格好をして暇を持て余していた。




 年のころは17ぐらいだろうか。

 その頭を彩るは、細く凛々しい切れ長の瞳に、その瞳の色と同じ蒼の金髪ブロンド。

 その色はガリア王家の血を引いていることを明確に、わかりやすく他人に伝える効果を持つ、王家特有の色である。

 肩まで伸ばされた蒼髪は丁寧に梳かれ、扇の起こす風に絹のようにさらさらとそよいでいた。

 前髪は頭上の無闇に大きく豪華な冠に持ち上げられ、滑らかな額が大いに自己主張をしている。

 そして苦労をサボらされている唇は、つやつやと艶めかしく輝いていた。

 紅で真っ赤に彩られた唇を舌で拭う粗野な仕草も、何故かこの少女には似合ってしまうのが不思議だ。

 品が無い分を差し引いたとしても、である。



 このなんとなく高貴さを感じさせない少女こそが、現王ジョゼフ一世の娘。

 ガリア王国王女、イザベラである。


 イザベラは肌着一枚の格好でベッドに鬱伏せに寝そべり、長く蒼い髪を指で弄っていた。

 すらりと伸びた肢体は色艶著しいし、顔立ちも美人ではある。不機嫌げな面を崩さなくとも、だ。

 だが実に不思議なことに、頭に乗っかった豪奢な王冠こそが、彼女の美点を尽く帳消しにしてしまっている。

 傲慢さと退屈の強く浮き出た、気怠けだるげな澄んだ声で――どんな声だと訊いてはいけないし訊かれても説明出来ないが――イザベラは侍女を呼びつけた。



「あの、人形娘はまだ戻らないのかい?」


 今日の彼女は、一段と機嫌が悪いようだ。

 呼びつけられた侍女は険の強い視線に脅え、本能的に俯いてしまった。


「え……、えっと、その……、シャルロットさまは──────ッヒ!?」


 その名を侍女が口に出した途端、イザベラは瞳を怒りに染め上げ、ベッドから跳ね起きた。

 勢いもそのままに、彼女はバネのように伸ばした手で侍女の耳をつねり上げる。


「いま、なんて言ったんだい! ええおい! こら!」

「も、申し訳ありません! イザベラさま!」


 侍女の耳から手を放し、その背を思いっきりひっぱたくイザベラ。


「ひぅっ!」

「あいつはただの人形なんだ! いいかい! 今はただのわたしのオモチャなんだよ!
 わかったら、二度とその名で呼ぶんじゃないよ!」


 侍女は恐縮し、何度も頭を下げた。

 更に幾度か繰り返しひっぱたいたイザベラの手が、今度は壁に掛けてある傷一つ無い樫の杖に伸びる。



「ひ……」



 侍女の顔が、死神でも見たかのような恐怖に歪んだ。

 魔法とはソレを使えぬものにとって、畏怖と憧憬の象徴である。


「お前を、わたしの"水"で少し利口にしてやろうかね?
 最近手に入れた呪文スペルだよ。
 心を操り……、意のままにする神秘わざ。



 どうだい?」









「お許しを、お許しを……」


 侍女がひざまずいて許しを請う姿に、イザベラは杖から手を離した。


「ふふふ……、まあ、許してやるさ。二度とやるんじゃないよ?」

「は、はい!」


 深く礼をする侍女。


 ……どうも、特殊な歓喜を浮かべるイザベラには気付いていないようだ。


 と。ちょうどその時、呼び出しの衛士が待ち人の到着を告げた。



「七号さま! おなり!」



 敬称とも蔑称ともつかない口上の後、姿を見せたのは……、タバサである。

 イザベラの待ち人"シャルロット"とは彼女のことらしい。



 さて、それが何を意味するのかを追っていこう。

 役者が揃えば、幕は自然とその身をたくす・・・ものなのだから。











 あいつが帰ってきた。

 いつもどおり……、いや、少しだけいつもよりも虚ろさが強い無表情で。



 蒼い髪に蒼い瞳。自分より頭二つほど小さいくせに、その身体が秘めた魔力は自分よりも一回り……以上、上。

 そのおかげで、シャルロットを真の王女と見做してしまう馬鹿どもも少なくない。


 それは、わたしにとって何より許せないことだ。この上なく、ムカつくことだ。


 ……まあいいさ。

 今回の任務が上手く行けば、シャルロットへの憧憬は地にまで落とせるだろうから。




 イザベラの口元に、知れず兇悪としかとれそうにない三日月の笑みが浮かんでいた。

 こういう時、切れ長の瞳というのは損なものだ。


 心配そうに見守っている侍女たちを、大声で怒鳴りつける。


「お前たち、何をやってるんだい! 例のものを用意しないか! 急げ!」


 そう命令を放つとイザベラはタバサに……、否いや。





 シャルロット・・・・・・に近づき、自分のかぶった冠を外した。


 ああ、実に肩が凝っている。やはり、こういうものは無いに超したことはない。


 それは、宝石がふんだんに鏤ちりばめられた王女の象徴。

 浸透銀ミスリル製の王冠である。



「ねえ、シャルロット。
 あなた、これをかぶってみたいと思わない?
 ひょっとしたら、あなたのものだったかもしれない冠よ?」


 シャルロットは、なんの感情も窺えない目で、ソレを見つめている。


「……かぶってみたいでしょう?」


 やはり、なんの反応も返っては来ない。

 興味は無い、とでも言いたげな気配はあるが。


「相変わらず頑固な子ね。まあ、被りたくないとしても、今回は被ってもらうんだけどね?」


 シャルロットの貌かおがこちらを見つめてきた。


「ふふふ。さ、あなたにあげるわ」


 そう言って、シャルロットの頭にそれを被せる。

 そうして軽く角度を整えると、次は背後に思いっきり怒鳴りつける。



「ほら、お前たち! いつまでグズグズしてるんだい!?
 この子に王女の格好をさせてやりなさい!」


 慌てて侍女たちがシャルロットに群がっていき、向こうの学院のブラウスとスカートを脱がせた。

 シャルロットはされるがままに突っ立っている。


 たまに揺れてるけどね。

 体重、軽そうだし。ムカつくことに。


 そうこうしてほどなく、シャルロットはいつの間にやら、運ばれてきたドレスに着られていた。

 化粧係が近づき、シャルロットの顔に彩を加えていく。


 ……なんかわたしの時よりもいろんな意味でヤケにノリがいいねえ? ムカつくことだ。



 そんなこんなで数分経って。



 うん、どっからどう見ても見るも鮮やかな王女だ。

 あたし自身がやるより、よっぽど貴族っぽい。ムカつくことに。


 こりゃちょっと手段を間違えたかねえ、とイザベラは溜め息をつきたくなったが……、侍女たちの前でソレをやるわけには行かない。


 王女は、あくまでも自分でなくてはならない・・・・・・・・・・・のだから。ムカつくことに。


 なんて考えていたら、侍女たちの間から溜め息が漏れた。感動したときに洩れるアレだ。




 ああ、本当にバカをやってしまった。




「ふん。まあ、似合いじゃないの。ねえ?」


 ぐりぐりと、憎たらしい王冠をこねくり回す。

 シャルロットの首もそれについてきたが……、可愛いと思ったのは内緒だ。


「ほら、お遊びの時間は終わりだよ。
 ……さて。あんたに今回の任務を説明するわ」


 その言葉で、侍女たちは自主的に部屋から退出していった。

 似合っていらっしゃるだの、ずっといてくれればだの言いながら。

 ……あのな、陰口はもっと上手くたたきな。聞こえてんぞ。


 頭痛を堪えながら二人きりになったことを確認すると、まず一息ついた。


 ああ、実に姦しかった。ムカつくことに。

 ……なんかぱちくりとしてるように見えるのはあたしの錯覚かねぇ。まあいいや。


 色々と湧き上がりそうになった感情をブチ殺して、一人の魔法使いメイジを呼びつけた。





 緞子どんすの陰から「お呼びでございますか」と声がして、一人の若い騎士が姿を見せる。



「東薔薇騎士団所属、バッソ・カステルモール。参上仕つかまつりました」


 軽やかな仕草で、一礼する。

 年のころは二十をいくつか過ぎたころ。

 ぴんとはった髯が凛々しい、美男子である。


「この"人形"に、化粧してあげて」


 「御意」と一肯すると、カステルモールはすらりと杖を背から引き抜く。

 青白い輝きを放つ、見事な銀布の古杖である。

 そんな杖を自然に扱う様子を見るにこの男、どうやら隊長クラスの使い手らしい。


 カステルモールは手早に呪文を唱えると、その杖をタバサに向けて振り下ろした。

 するとすぐさま、タバサの容姿に変化が現れる。

 顔のパーツがくくっと形を引き攣らせ──ものの二瞬きほどの間にその頭部は、イザベラと瓜二つになっていた。


 『仮面フェイスチェンジ』の呪文。風と水の二乗を掛け合わせる、高等系統魔法スクウェアである。

 タバサですら、未だにこれを扱うことは出来ない。

 ただし、高度ではあるものの、その効果は限定的だ。

 変えることが出来るのは、あくまでも顔だけ。

 精霊魔法の『変身ボディチェンジ』の様に、髪や身体全体にまで効果を及ぼすことが出来ないため、用途はかなり限られてしまう。

 とはいえ、今回に限っては、それでも充分な効果を持つようだが。


 変化の収まったタバサの顔から眼鏡を取り上げたイザベラは満足げに頷くと、おもむろにそれを自分で掛けてみた。

 目が×マークになった。世界が歪んだような気がして、額を押さえてメガネを外す。


「あんたこれ、度がきつすぎじゃないかい……?
 まあいい、それじゃ要件を言うよ。

 わたしね、地方に旅行に行くことになったんだけど。
 あんたには、その間わたしの影武者をしてもらおうってわけよ」


 タバサは小さく頷いた。

 了解した、ということらしい。


「確かにあんたはやせっぽちで、小さくて、わたしの美貌には及ばないけどさ。
 その辺はヒールの高い靴や、詰め物っていう手があるからね。
 どうにか誤魔化せるのよ……って」

 イザベラは、タバサの蒼い髪を撫で回して顔をしかめている。

 その髪は、手櫛ではリクに梳けないぐらいごわごわしていた。


「……あんた、髪はちゃんと洗ってるかい? すっごいパサパサしちゃってるんだけど?」

「任務の帰りだから」


 そりゃそうか、とイザベラは一息吐いた。


 いかん、どうも溜め息が増える。

 イザベラはどうしたものやらと考えた後、カステルモールに『仮面フェイスチェンジ』を操作させてタバサを元の顔に戻した。


 それから、ぱんぱん、と侍女たちを再び呼び寄せた。



「お前たち、ちょっとこの人形を風呂にぶっこんでおいで。
 ああ、髪は念入りに洗ってあげなよ。今回の任務で、すっごい重要なのさ」











 さて、侍女たちのお楽しみタイムやら出発までの一悶着やらもあったが、本筋には関係がないので時間とまとめてかっとばす。


 ここは首都リュティスより南西、100リーグほど離れた地方都市に向けて移動する馬車の中のこと。


 イザベラは、垢を落とされ王女の衣装に身を包んだイザベラタバサを満足げに見つめていた。

 イザベラも、髪を三つ編み、度の入ってないメガネをかけ、侍女姿に変装している。

 新しく雇い入れた王女付きの女官という触れ込みで、他の召使や侍女たちを欺く手筈であった。


 敵を騙すには味方から、というわけだ。

 とはいえ、それだけが目的というわけでもないようだが。


「最高ね。誰もあたしが本物だなんて思ってない!
 あたしの変装術も、たいしたものってとこかしらね」


 まあ、変装術というよりは持って生まれた資質によるところが大きいだろう。

 元来イザベラには品位や気品、慎みというものは似合わない上に当人の性にもあわない。

 それでも気合でそれらを纏おうとはしていたわけだが。

 どうにも、久しぶりに冠を下ろした反動で気が緩みきってしまっているようだ。

 ぶっちゃけ、純粋に楽しんでいる。

 元々この任務の目的の半分は、息抜きが目当てだったりするのだから、当然といえば当然であった。



「さて、そろそろ教えておこうかしらね。

 ねえ王女さま。今度の旅行はただの旅行じゃないのよ。

 今から向かう街は、アルトーワ伯という小生意気な領主が収めているの。
 税の払いは滞っているし、今年の降臨祭でも宮殿に顔を出さなかった。
 どうやら謀反を企てている、という噂なのよ。

 でね?
 その領主の誕生を祝う園遊会が催されて、わたしは招待されたというわけよ」


 イザベラはイザベラタバサに被らせた冠をつつきながら言葉を続ける。


「そんなの、罠に決まってるでしょ?
 王女のわたしを捕まえて、人質にする気に違いないわ。
 で、あたしはそれを逆手にとろうというわけ。
 手を出させて、動かぬ謀反の根拠とする。
 そういう筋書きよ。

 どう? 冴えてるでしょ。北花壇警護騎士シュヴァリエ・ド・ノールパルテル団長は伊達じゃないのよ?」


 つんつくしながらイザベラが見つめても、イザベラタバサはいつものようにされるがままの無言である。



「"頭が切れる"っていうのは、こういうことなのよ。
 あんたも、多少魔法が使えるからって自分が切れ者だなんて思わないことね」


 やっぱり無言である。

 すると、目の前に控えたカステルモールがすらりと杖を引き抜き、イザベラタバサに突きつけた。


「影武者風情が……。王女を愚弄するか?」


 イザベラの目が盛大に吊り上がった。

 騎士の光と、王女の光。あと、よくわからない光一つの混ざった不思議に不安定な強さの眼光である。


「おやめ。カステルモール。話しているのは私よ」


 その言葉で、若武者は杖を収める。


「失礼しました。
 しかし、われらが敬愛する姫殿下のお言葉に返事をせぬ無礼、このバッソ・カステルモール、我慢がならなかったのです」


 イザベラは冷めた目でカステルモールを睨んでいる。

 カステルモールは、イザベラの視線をスルーしつつじろりとイザベラタバサを睨んでいる。


「自分が切れ者などと思っていないかどうか、姫殿下は尋ねておられる」


 イザベラタバサはしかたなく、短く言葉を口にした。



「思ってない」


 自分に対する評価など、どうでもよかった。


「そうよね。あんたはわたしの操り人形。わたしの命令どおりに動く、ただの駒。
 ……でもね。たまには眉の一つでも動かしなさい。
 見てると、イライラしちゃうのよ?」

 何故か疑問系で締めくくるイザベラは、従妹のほっぺをつまんで、くにくにと動かした。



「じゃあ、ちょっとは顔色が変わる話をしてあげる。
 その領主はね、わたしを捕まえるために、とんでもない使い手を雇ったって噂だよ?

 "地下水"。

 そんな二つ名の傭兵メイジだってさ。
 あんたも名前ぐらいは聞いたことあるんじゃない?」


 イザベラタバサは頷く。


 その名前は、ガリアの裏世界においてはよく通った名前だった。

 地下を行く水脈のように音もなく流れ、不意に現れては目的を果たして消えていく、謎に包まれた暗殺者メイジ。

 性別は不明、年齢も不明。

 唯一確かなのは、狙われたら最後、モノだろうと命だろうと魔法使いメイジだろうと、逃げきれはしないということ。


「知ってるかい? "地下水"は『水』の使い手だそうだよ。
 "水"は身体を司る。心もね。
 そして、"地下水"は人の心を操ることを最も得意としている。
 ……らしい。あんたは、それに勝てるかい?」

「わからない」


 イザベラタバサは、正直に答えた。

 実際、どの程度の使い手なのだろうか?


「"雪風"対"地下水"。面白そうな見ものになりそうじゃないか。ねぇ?」


 どこか楽しそうに、イザベラは言った。











 イザベラの小旅行は、行きに二日、滞在三日、帰りが二日。合計七日の予定だった。

 竜籠ひきゃくを使ったら四時間程度で着くのだが、あえて時間のかかる馬車で行くのが王族である、というのがイザベラの持論いいわけである。


 二本の杖が交差するガリア王家の紋章旗を掲げ、前に後ろに従者や護衛の兵士が乗った馬車を従え、堂々と道を行く。

 行く先々の街道には、通り沿いの住人たちが整列し、口々に歓呼の声を投げかける。


「イザベラさま! 万歳! ガリア王国万歳!」


 軽く開いた小窓から、王女に扮したイザベラタバサが手を振ると、さらに群衆は熱狂した。

 その様子を見つめながら、イザベラは笑いを必死で堪えている。



「く、くくくく……、あ、あんたが王女様だってみんなして綺麗に勘違いしてるよ!
 どうだい、傅かしずかれる感想は?」


 イザベラタバサは黙々と手を振り続ける。

 カステルモールが動こうとしたが、イザベラの手がそれを止める。

 イザベラは、楽しげに笑っていた。



「ところで、あんたのあの風竜は何をしてるんだい?」


 尋ねられたイザベラタバサは、馬車の天井を指差した。

 上空をついてきているらしい。


「ふぅん。

 ……あたし、あの風竜嫌いなのよ。
 たまに窓から、恨めしそうにあたしを見てるんだもの。

 生意気なのよ、獣のクセに」



 もちろんイザベラは、シルフィードが伝説の幻獣族、知性の高い風韻竜だということは知らない。

 知らない、はずなのだが……、それにしては、やけに忌々しそうな表情に歪んでいる。


 兎にも角にも、退屈になったらしいイザベラは、髪をかきあげると眠り始めた。

 寝顔は、なんだか柔らかかった。







 イザベラタバサたちは、途中の宿場町で一泊することになった。

 百人からの王女のご一行の到着で、その宿場町の宿屋という宿屋は満杯になってしまったが、皆嬉々として出迎えてくれていた。

 大入である。


 イザベラタバサには一番綺麗な宿の二階の、一番豪華な部屋が用意された。

 侍女姿のイザベラはその部屋の前までイザベラタバサを案内して、


「ほら、あんたの部屋だよ。
 こんな上等な部屋で寝るなんて、夢みたいだろ?
 せいぜい、私に感謝するんだね」


 と言い残して、一人階下の部屋に引っ込んでいった。


 そうして、今は真夜中である。


 こんな任務従姉の影武者であるので、シルフィードをそばに置くわけにもいかない。

 喋ったり、人に化けているところを見られてしまったら面倒なことになるからだ。

 ようやく一人きりになれたイザベラタバサは、自分の着込んだドレスを見つめた。



 王女のドレス。そして冠。

 イザベラは、『これが欲しいんでしょう?』とばかりにこれを着せてきたが、こんなものは欲しいと思ったことは一度も……、多分、なかった。

 と、思う。


 自分がいま、本当に欲しいものは……、


「あなたのお父さんの、首」





 イザベラタバサは一人、忘れられぬ思い出にふける。



 今でも、その日のことはよく覚えている。

 父と母は、いつもの様に連れたって猟に出かけていった。

 窓に面したベッドに腰掛け、雲一つない空を眺め、ラグドリアンの湖を眺め、二人の帰りを、楽しみに待っていた。

 蒼白になった母の駆る馬が駆け戻ってきたのは、その日の夕闇の頃。



 父を見たのは、この日の朝、馬に乗り手を振ってきた姿が最後だった。

 それからほどなく――







 とんとん、と叩かれる扉の音に、回想から引き戻された。

 傍に立てかけた杖を掴み、いつものようなタバサの無表情で、イザベラタバサは身を起こした。


「誰?」


 若い男の声が返ってくる。


「わたしだ。カステルモールだ」


 念のため、こっそりと杖を向けながら慎重に扉を開くと、そこにはタバサに『仮面フェイスチェンジ』をかけた若騎士が立っている。


「なんの用?」


 と短く尋ねると、カステルモールは慎重に辺りを見回し、細かく調べたあと、さらに『解析ディテクト』を部屋中にかけた。


「……魔法で聞き耳を立てている輩はいないようだ」


 そこで彼は恭しく帽子を取ると、タバサの足元に跪いた。


「どうか私わたくしめに殿下をお守りさせてくださいませ。
 昼夜を問わず、護衛仕つかまつります。
 隣の部屋に、隊員を待機させる許可をいただきたくあります」


 イザベラタバサは首を振った。

 そんなの、窮屈で仕方がない。


「結構。わたしは殿下じゃない。ただの影武者」


 そうではないのだと、カステルモールは首を横に振る。


「シャルロット様は、いつまでも我々の姫殿下にございます。
 東薔薇花壇騎士団総員、表に出来ぬ、変わらぬ忠誠をシャルロット様に捧げております。
 昼間は大変失礼をしました。王権の簒奪者の娘に、我が心の内を悟られてはと、愚考した次第」


 どうやら、亡き父に世話になっていた騎士のようだ。

 昼間のイザベラタバサに対する乱暴な態度は、イザベラとその父を欺くものであったらしい。

 心強い味方であるが、タバサの顔色は変わらない。


「わたしは北花壇騎士。以上でも、以下でもない」


 カステルモールは、真剣な目つきでタバサを見つめた。


「シャルロット様。貴女あなた様さえその気であれば……、我ら、決起のお手伝いをば」


 タバサは、じっとカステルモールを眺めるのみ。

 カステルモールは立ち上がると、その手をとり接吻した。


「真の王位継承者に、変わらぬ忠誠を」



 そういい残して部屋を立ち去り、ガチタン!と音を立ててドアを閉めた。

 ――はて、なにか別の音が混ざった気がするが、気のせいだろうか。











「……ったく」


 気のせいではなかった。

 どうやら、階下の部屋でイザベラがグラスを壁で殴り割った音だったようだ。


「ふん。詰めが甘いんだよ、カステルモール。
 アンタがなにを話しにいったかぐらい、昼間の態度でだいたいは予想がついたさ」


 さわさわ、と擦れた笑いの返事が聞こえる。


 イザベラは、肌着姿でベッドに横たわっていた。

 手からは、グラスの破片で血が流れ出している。


「真の王位継承者。
 フザケんじゃないよ、東のバカどもが。
 アンタらは、いったい誰の何を見てるんだい」

 ざわざわ、と肯き揺らめく音がする。


 だが、部屋に居るのはイザベラ一人である。

 何の音なのだろうか?


「おまけに、あたしは簒奪者かい?
 ああ、そりゃぁ確かにあたしはあいつの居場所を奪ってるだろうね」


 しゅるしゅる、と撫で擦れる音。


 イザベラの枕元から、手元に巻きつく何かから、そして外からもその音たちは聞こえてくる。


「それでもさ。
 それでも、守ってやれるじゃないか。
 少しでも、苦痛を減らしてやりたいじゃないか!

 ――あいつは、あたしの従妹いもうとなんだぞ!?」


 ぎしり、と。


 壁が撓たわんだ。

 床が鳴った。

 窓が軋んだ。


 部屋中の全てが、のたうつ蛇のように歪んだ。

 掠れる叫び声に合わせるように。

 叫び声を、主の意思に応じて吸い取るように。


 大きく息をついたイザベラの頬に、一筋の光が流れた。

 少々、興奮しすぎてしまったらしい。


 震える胸で、大きく息を整える。

 気管が大きく揺ふるえてしまうが、気にもならない。

 どうせ、一人の時はいつもこうなのだから。



「……ああ、大丈夫。大丈夫さ。

 みんな、あたしを嫌ってしまえばいい。

 あいつが幸せを探せるだけの道が出来るんなら、世界に嫌われるくらいどうってこと、ない。

 ――そう決めたんだから。あんたたちがいる。あいつは、生きている。

 それで充分だ。あたしは、あいつの、従姉あねなんだから」


 ざぁっ、と世界が鳴った。

 一斉に。それらの持つ全ての  が、一斉に縦に振るわれていた。

 肯定の、従属の響きが、耳に届いた。

 部屋の全てそれから。街の、全てそれから。



「――ありがとう」


 彼女は、未だ誰にも見せたことのない、柔らかく花開く涙と笑顔を、それらの全てに向けていた。





「……で、だ。計画の要の"打ち水"は、まだなのかい?」


 くき、と変な音がした。







「お姉さまは、ばかなのね」


 素っ裸の女性が、窓の前で立ちすくんでいるイザベラタバサの前で指を立ててお説教している。

 ってなんだこの光景。



「……」


 イザベラタバサはぽりぽりと頬をかいている。


「せっかく、お姉さまの味方になってくれる人が現れたのに。
 無視して追い返すってどういうこと? きゅい」


 この声。この口調。あとタバサより深い青・色の長髪。

 どうもこの裸婦、シルフィードらしい。

 あれから少しして、部屋に入ってきたのだ。

 シルフィードは、きゅい。と言いながらタバサの額をうりうりとつつきまわす。


 シルフィードの言うことは尤もなのであるが……、タバサはこんな個人的な感情に、他人を巻き込んでしまいたくないのだ。


 ことはカステルモールのみならず、その家族にまで害が及んでしまうような大事だ。

 謀反とは、人の持つ全てを捨てねば為せぬほど、危険な賭けなのだ。

 タバサは、それを強要してしまう・・・・・ことを恐れているのである。


 そして。理由はもう一つ。

 あくまでも、仇は自分の手で討たなければならないのだ。


 なんとしてでも。


 そのために、もっと、もっと強くならなければならない。

 本を読み、力をつけ。あらゆる敵と戦って、"力"を得なければ。



「あの憎らしい従姉姫に、一発食らわせるチャンスじゃないの。
 どうなの? うりうり。ほらほら。
 ……何かお言いなのよ」


 しかしイザベラタバサは何も言わずに、うりうりされるがまま。

 そのうち、シルフィードは調子に乗りはじめた。


「まったくもう、お姉さまはそんな風だから学院でもお友達ができないのよ。
 わかってるの? 今日という今日は言わせてもらいます」


 しかしイザベラタバサは取り合わない。

 無言で窓を指差し、じーっとシルフィードを見つめた。

 要はすなわち、一言である。

 出てけ、と。


「んもぅ! せっかく心配してあげてるのにぃ!」


 シルフィードは窓の外に飛び出すと降りてきた時と同じく元の姿に戻り、飛び去っていった。

 どこら辺の行動に心配してた要素があったかは、推して知るべし。









 そうしてこうして夜はさらに更け、西の窓から二つの並んだ月が見えるようになった。

 月明かりが部屋に差し込み、窓の格子の影をくっきりと床に描き始めた頃のこと。


 イザベラタバサは、きしり……と部屋に近づく気配に気付き、ぱちりと目を開いた。

 小机に置かれた眼鏡をかける。

 次いで杖を握り、燭台の蝋燭ろうそくに点火する。

 部屋が淡い光に包まれたと同時、きぃ、と軽い音を立ててドアが開いた。



 一人の侍女が、ガラガラとワゴンを押しながら入ってくる。



 その顔には見覚えがあった。

 今回、お供にくっついてきていた侍女の中の一人である。


 はて、と怪訝けげんにイザベラタバサが見ていると、侍女はワゴンに乗ったティーポットを取り上げ、お茶を入れ始めた。


 現在、時刻は地球的に深夜2時。傍目からだろうが当事者からだろうが、どこから見ても不自然極まりない。


「どうぞ」


 と、侍女はカップに注がれたお茶をタバサに差し出してくる。

 イザベラタバサはそれを受け取ると、侍女をまっすぐ見つめて呟いた。


「地下水」


 侍女はにっこり微笑んだ。


「よくご存知で」



 渡されたお茶の香りを嗅ぐ。

 不審な臭いはこれといってしないが……、『水』系統のプロが差し出してくるお茶だ。

 何が入っているやら知れたものではない。


「ああ、お茶なら何も入ってはいませんよ。
 盛るつもりなら、時間と場所ぐらい選びますから」


 そこまで言うとふと考え、

「そういえば今はそういう場合に選ぶような時間と場所でしたか。これは失礼」

 と訂正する侍女="地下水"の仕草はあまりに自然にちじょうてきで、それが殊更ことさら異常を煽る。



「わたしをさらうの?」


 イザベラタバサが尋ねると"地下水"は、懐から短剣とロープを取り出し、短剣を突きつけてきた。


「はい。それが依頼者より、私めが受けた任務ですゆえ」

「依頼者というのは、アルトーワ伯?」


 イザベラタバサは、直球でこれから訪問する予定の貴族の名をあげた。

 どうも、駆け引きに関しては年相応のものしか持っていないらしい。

 地下水はその質問に、ただにっこりと微笑んだだけであった。





「さて……、できれば、大人しく捕まっていただきたいのですが。
 騒ぎになるのは私の趣味ではありませんし。それに、姫殿下のような高貴なお方には、乱暴を働きたくないのです」


 丁寧な一礼。

 その堂々としたバカ丁寧な仕草は、彼女の自身を裏付けていた。

 イザベラタバサは弾はじかれたように立ち上がると、呪文を唱えて杖を振った。


「Lunar 襲え、Magnus 膨大なVentosus大気よ――」


 ぶわり、とイザベラタバサの目の前の光景が膨らみ、歪む。

 巨大な圧縮された空気の塊が完成し、侍女姿の"地下水"を襲うが……、咄嗟過ぎて詠唱の声ルーンをはっきり発音したのは拙かった。

 "地下水"は右手に身を擦り倒れさせると、空気の塊をあっさりとかわす。

 ただの人間に出来るような動きではない。


 外れた空気の塊が壁にぶちあたって四散する間に、イザベラタバサが次の魔法を打ち出す。

 上手く詠唱を隠しきり、"地下水"に飛来するのは『風刃エアカッター』。

 普通なら見えるはずのない空気の裂け目ソレをも、奇妙な、つるりとした挙動でひらりひらりと避けていく。


 "地下水"の体術は相当レベルが高いようだ。

 床に、壁に、避けられた風の刃が突き刺さり生々しい傷跡が残されていくのを傍目に、タバサは杖を構えなおした。

 当たらない攻撃呪文ではいくら唱えても意味が無いし、人の精神力には限りがある。

 無意味に唱えていては、あっという間に意識が枯渇してしまうのだ。


 だが、この状況下で唱えないわけにもいかない。

 イザベラタバサは無表情の裏に、焦りを空転させていた。


「イザベラさまは、かなりの使い手のようですね。
 さすがはガリア王家の一員、というべきですか……」


 すっかりイザベラタバサをイザベラと思い込んでいる様子の"地下水"がつぶやく。


「さっきの『風刃』で人が集まってきてもなんですし……、急ぎますか」


 言うなり、侍女は左手を突き出すと……とんでもない行動に出た。



「Ill 汚濁のAquae 水よSopor 昏睡のNubila蒸気と――化せ」



 青白い雲が、イザベラタバサの頭を包み込むように現れた。

 それに合わせて猛烈な眠気がタバサを襲うが、『トライアングル』である彼女は、どうにかぎりぎりのラインで意識を保つことができた。


 そして、ある事実に驚く。


 今のは、紛れも無く『眠りの雲スリープクラウド』。

 系統魔法なのだ。

 だが、あの侍女は杖を握っているようには見えない。

 先住・・魔法とは違う。

 貴族メイジが使う系統魔法には、発動媒介となる杖が必要不可欠だ。


 と、いうことは……。



「Ferocio 猛れVaporatus 水よIs Isa 吹き荒べBoreas 風よ――」



 そうこう考えているうち、"地下水"の次の呪文が完成してしまう。

 次は、タバサの十八番である『凍える風ウィンディアイシクル』であった。

 普段は敵に食らわせる氷の矢が、容赦なくイザベラタバサにむかって飛んでくる。


 大きく跳び退ってかわしてみたが、数本が身体を掠めていった。

 腕から、たらりと血が流れる。


 "地下水"は、余裕めいた笑みを浮かべた。


「動かない方がよろしいですよ。急所は外してありますから。
 ただ、動かれてしまうと、逆に心臓や喉に当たってしまいかねません」


 次の呪文は、何が来るだろう?

 タバサの思考が、フル回転しはじめる。


 さっきの『凍える風ウィンディアイシクル』で、大気中の水分は使い切ったはず。

 室内の湿度は限りなく0だろう。氷は、もう撃てない。

 つまり――


 そこまで考え至ったタバサは一息に呪文を唱え、自らの周りの空気を竜巻状に操る。

 次は風だと読んだのだ。そしてその予想は的中した。



 半分だけ。



 確かに、"地下水"は『風刃エアカッター』を放ってきた。

 しかしそれは、イザベラタバサではなく先ほどイザベラタバサに渡してきたティーカップを直撃したのである。


 『風刃エアカッター』の衝撃で空中に中身のお茶が……、水分が攪拌されてゆく。


 まずい。



 両者が『凍える風ウィンディアイシクル』を唱え始めたが、一瞬タバサが遅れている。


 間に合わない――。



 と。その時、窓枠とガラスをぶち破って、何かが部屋につっこんできた。


「ぐっ!?」


 後ろから体当たりを食らった形の"地下水"から短い悲鳴が漏れ、床に転がった。


「きゅいきゅい!」


 シルフィードだった。窓を破ったのは、突き出された首だったようである。

 床に転がった侍女に、タバサは追撃の呪文を加えた。


 『風槌エアハンマー』。

 最初にタバサが唱えたものと同じそれは、的確に侍女を打ち据え、壁まで吹き飛ばす。

 床に倒れこんだ時には、既に侍女は気を失っていた。


「お姉さま! だいじょうぶ?」


 シルフィードが叫ぶが、ここがどこかを忘れてはいけない。

 忘れていなかったイザベラタバサは、それに応えず唇の前に指を立てる。

 間髪いれずドアがぶち破られ(どうも、地下水がしっかり鍵をかけていたらしい)どやどやと衛士たちがなだれ込んできた。


 カステルモールの隊ではなく、宿の一階で警護をしていた衛士たちである。


「姫殿下!」

「イザベラ様!」


「平気」


 イザベラタバサは一つ頷く。


「お怪我をされているではありませんか! 何事ですか!」


 水の使い手たちが集まってきて、まだ血の止まらないイザベラタバサの腕に魔法をかけた。

 顔を突き出したシルフィードを見て固まっていた数人が動き出す。


「風竜ではありませんか。どうなされたのです?」

「新しくペットにした」

 と、タバサはごまかす。


 流石に、いつも使っている『ガーゴイル』という言い訳はこれだけの魔法使いメイジ相手では使いようがない。

 そもそもその前に風竜と気付かれているし。


 まあ、衛士たちも気まぐれな王女の奇行には慣れているらしく、すぐにシルフィードを『いつものこと』と認識したようである。

 無視して、侍女を抱え起こした。


「おい! 起きろ!」


 揺さぶられた侍女は、ふわ、と欠伸を一つして目を開いた。

 で、固まった。


 まあ、周りをむっさい衛士たちにびっしりと囲まれてたら、固まるか暴れるか叫ぶかするだろう、フツー。

 再起動した彼女も例に漏れることなく、残る二つを制覇した。


「きぃやあああああああああああああ!」


 と悲鳴を上げた後、わたわたばたばたと手を振り回す。


「きゃあじゃない! あ痛!
 貴様、こ、こら、王女を襲うとはどういうこだッ!?」


「お、襲う?
 ど、どういうことですか? わたし、寝ていて、目が覚めたらここに……」


 侍女は目を点にして再度フリーズした。

 どう見ても、何か知ってるようには見えない。

 と、そこで侍女と顔見知りらしい衛士が彼女の顔に気付いたらしく、抱え起こしたまま殴られていた騎士に声を掛けた。


「隊長どの、彼女はお茶係のナタリーです。
 殿下のお世話をするため、向かいの部屋に居る侍女の一人です」


 つまり、身元は完全に割れている。そういうことである。

 衛士隊の隊長らしい騎士は、苦い顔でナタリーを見つめる。


「ナタリーとやら、なぜ姫殿下を襲ったのだ?」


 侍女の顔から、一瞬で血の気が引いた。ズサーッと幻聴おとが聞こえる勢いで。


「そんな、わ、わたくしが……?」


 不審極まりないナタリーの態度で、タバサはイザベラの言葉を思い出した。

 そう、『人の心を操ることを最も得意としている、』という言葉を。


「この! こっちに来い!」


 真っ青なナタリーを乱暴に引っ張っていく衛士を、イザベラタバサは止めた。


「待って」


「ご安心を。今から我々で尋問して、何の目的があって姫殿下に危害を加えようとしたのか聞き出しますから」


 どうやらこの衛士たちは、今回の犯人が"地下水"であることを知らされていないらしい。

 それはそのはず、イザベラの計画ではそれを知るのはあの場にいたカステルモールとイザベラ自身しかいないはずなのだから。


「その子は、操られていただけ」


「操られていた?」


 衛士たちは、突拍子の無い言葉に顔を見合わせた。


「わたしに任せて」


 王女タバサにそう言われ、衛士たちは肯いた。

 散らばったロープやナイフなどを拾い集めると、ナタリーを残して部屋を出て行く。


 今朝もイザベラの横暴さに振り回されたばかりだったナタリーは怯えきっており、イザベラタバサが近づくと震え始めた。





「お、お許しを……」

「安心して。あなたを罰するつもりはないから」

「ひ……」


 よっぽどイザベラが信用できないらしい。

 ナタリーは、怯えながら後ずさっていく。


「覚えている範囲でいいから、詳しく話を聞かせて。
 どこから記憶が無いの?」


 いつになく柔らかいイザベラの話し方に、どうにかこうにか怯えをはずして語りだしたナタリーによると。



 夕食の後、すぐに部屋に引っ込んで同僚たちと眠っていたらしい。

 それで気付いたらイザベラタバサの部屋におり、床で気を失っていた、と。


 となると、寝ている隙に"地下水"に操られてしまったのだろう。

 話を聞き終わったところで、イザベラタバサはナタリーを部屋に帰した。



 割れた部屋の窓からの侵入に関しては問題無い。外にはシルフィードが居るのだから。


 だが、身内にドアを開けて侵入されてしまうのは困った。

 手の打ちようがない。


 イザベラタバサはベッドの縁に腰を下ろすと、肘を膝についた。



 徹夜、決定である。







 その頃。


 詰め所にしている部屋に引き返してきた衛士たちは、納得しがたい顔ではあったが、とにもかくにも『任せろ』との命である。

 それ以上考えるのはやめ、眠りにつくことにしていた。


「おい、ジェイク。何か分かったか?」


 ジェイクと呼ばれた騎士は、ナタリーが持っていた短剣をじーっと眺めながら、「いや……」と呟いた。


「そういやさっきの殿下、ちょっと様子が変だったな。
 いつもなら、『お前たちいったい何をしていたの!』って騒ぎ立てて、俸給を減らされてたとこだってのに。
 一体全体、あのヒステリー娘に何があったんだ? そっちの方が気になるぜ。
 なぁ?」


 話を振ってみたが、やはりジェイクはまったく反応を返さない。

 じーっとナイフを見つめたままであった。


「……おい、ジェイク? そのナイフがどうかしたのか?」

「なんでもない」


 そう呟いて、なめした皮にそのナイフを包み込み、ポケットに突っ込む。


「なんでもないんだ」


 そう呟くジェイクの瞳には、何も映ってはいなかった。





 
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