徒然草
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49部分:四十九.老来りて
四十九.老来りて
四十九.老来りて
年老いてからはじめて仏門の修行をはじめるのだと言って時間が経つを待ってはいけません。古くなったお墓の多くは早死にをした人のものです。おもいも寄らず病にかかり忽ちのうちに別れの言葉を言わなくてはならなくなった時にはじめて過ぎてしまった過ちに気付いたりするものです。過ちというのは言うまでもなく速くやっておけばいいことをずるずると先延ばしにしてどうでもいいことは何故か速くやってきたことに対して悔やむことです。やはり後悔先に立たずです。
人はただ何時までこんな日が続かないことが身に迫ってくることを感じてそれをどのような時にも忘れてはいけません。そうすればどうして世の中の喧騒に混ざり濁ることも薄く仏の道の修行に対して真剣になれないことがあるでしょうか。
今ではもう昔のことですがとある偉い僧侶は人がやって来て自分や他人の大事なことを話しはじめると今すぐにやらなくてはならないことがあってすぐそこまで迫っているから他人の話なぞ聞いている暇なぞないと答えました。そうして耳栓をして念仏を唱えながらどう送信でしまうことができたと禅林寺に永観が書いた往生十因という本に書かれています。それから心戒という高徳の僧侶はあまりにもこの世が儚いと思いじっと座ることもなく死ぬまでしゃがんでいたそうです。
老来りて 完
2009・6・4
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