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人理を守れ、エミヤさん!

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「健在なのは」





「却下だ」

 憔悴し切った面貌である。頬は痩け、遂に全体の皮膚の色が褐色へと変色していた。
 疲弊した声には精彩が欠けており、体調は万全であるにも関わらず最悪の状態だ。さながら死病に冒された重病人で、今に意識と命が途絶えても不思議ではない。
 実際に彼は幾度となく気絶と覚醒を繰り返し、漸くある程度落ち着いたばかりである。会話が出来るまで回復するのに掛かったのは、実に一昼夜余りであった。

『……正気か? 貴様は己のバイタルを把握出来ているのだろう。とても実戦に耐えられるとは思えん』

 日差しが中天を過ぎ去り地平線に差し掛かりつつある。黄昏の陽を横顔に受ける男は、長く寝ていても殆ど回復した気がしていなかった。
 鉄のアグラヴェインの直言は正論だ。躰は健康そのもの、されど士郎の魂は深刻な状態である。

 ――そも『魂』とは何か。その解説には専門的な魔術の知識を必要とする。

 魂とは物体の記録だ。肉体に依存しない存在証明であり、物質界に於いて唯一不滅のモノ。肉体が根差す物質界にではなく、その上の星幽界という概念に属している。
 だが肉体なくして、単体で現世に留まる事は不可能だ。肉体に宿すと自身を肉体によって再現するが、その代わり肉体という器に固定され、肉体の死という有限を宿命付けられる。記録であるが故に、この魂が健在であれば肉体の遺伝情報が失われたとしても、嘗ての自身を復元する事が可能だった。

 だが――例えば間桐の蟲翁などは、その魂が腐敗し果てていた為に、復元した肉体も老いた状態で固定されていた。あまつさえ復元した後でも、すぐさま腐敗を始めてしまう。
 つまり魂は肉体に深刻な影響を与えるモノだという事。士郎には早急な休息が必要なのだ。激戦が予想される場にいるべきではない。

『カルデアに帰還しろ。貴様の命は、貴様だけのものではない。マスター、いつも通りに合理的な判断を下せ』
「合理的に判断を下したから、却下だと言った」

 士郎はあくまで冷淡だった。――否、あらゆる気力が枯渇している故に、言葉に力が入らないだけである。

「俺が帰還したら、この特異点にマスターはネロだけになる。そうなるとこの特異点に残せるサーヴァントは最大で三騎、無理を押して四騎といった所だ。判明している敵はヘラクレス――いや、アルケイデスだったか。兎も角最強格のサーヴァントだろう。あの手口から察するに、こちらの弱味を最大限突いてくるのは想像に難くない」

 まだ見ぬ敵の事を想定すれば、三、四騎のサーヴァントでは心許ないのだ。

「俺が帰還した場合、ネロの下に残すサーヴァントはランサー、アルトリア、マシュ、キャスター……つまりアイリさんだな。その辺りが妥当だろう。真っ向勝負ならランサーで奴を抑えられるにしろ、奴がそれに応じる訳もない。人質を取るかもしれない、奇襲闇討ちは当たり前だ。罠を仕掛けるのも基本だな。――最も狙われるのは、アイリさんとネロだ。アルトリア達を信頼してない訳じゃない、ネロの能力が足りてない訳でもない。単純に敵の脅威とこちらが保持する戦力、守らないといけない人数の釣り合いが取れてないんだ」
『その海賊達を護る必要はない。現地人が他にいても同様で、そもそも人質は無視すればいい。大事の前の小事だ、敵の撃滅のみを考えねばならない局面に在る』
「――認める。お前の言う事は正しい。だが正しいだけだ。それじゃあ、駄目だろう? 人理を巡る戦いって、のは……大事も小事もない。……生きる為の戦いに、貴賤はないんだ……」

 不意に意識が混濁としたようだ。言葉尻が緩くなる。意見の具申に聞く耳を持たないマスターに業を煮やすも、英霊としての本能で納得してしまいアグラヴェインは苦々しく顔を顰めた。
 きゅぅ……と、フォウが鳴き、士郎の頬を嘗める。それに反応を示す余力もなく、士郎はか細い息を吐き出した。

『……マスター、一時帰還し急速を挟んで、再度レイシフトすればいい。それでいいだろう』
「駄目だ」

 木の幹に背を預け、片膝を立てて座っていた士郎は、言下にカルデアの司令官代理の提案を退けた。

「……そこにロマニはいるか?」
『いないよ。今は休んでる。あと二時間の仮眠を挟んで戻ってくるよ』

 通信に割り込んできたのはレオナルドだった。
 士郎は安堵する。アグラヴェインは本人が聞いていようがお構いなしに今の台詞を吐いていただろうから。
 レオナルドがアグラヴェインに代わって言う。

『私も君が一時帰還する事に関しては賛成だ。――無理すれば死ぬよ、士郎くん』
「……生憎と、無理を通して道理を蹴っ飛ばして生きてきた口でね。この程度で死にはしない」
『士郎くんに廃人になられたら困るって言ってるんだ! 士郎くんが倒れたらカルデアの士気は破綻しかねないんだぞ!? それぐらい大きすぎる信頼が君の命には掛かってるんだ、一回ぐらい素直に言う事を聞けこの分からず屋!』
「……すまないが、譲れないな」

 レオナルドの叱責とも、懇願とも、罵倒とも取れる怒声に士郎は苦笑した。
 全面的に彼らの言い分は正しいのだ。それでも譲らない理由は意地であり、計算であり、情でもあり、信念でもある。

 やられっぱなしでいられるかという意地。
 明確に弱っている士郎は格好の餌になる故に、敵の狙いを誘導し易くなるという計算。
 ネロ一人を死地に送り出したくないという情。
 言葉にするのは難しい、信念――

 どれも譲る気はない。そのどれか一つでも妥協出来ていたなら、そもそも士郎は死徒狩りをはじめとする苛烈な戦いに身を投じていなかっただろう。

「この話は終わりだ。もっと建設的な話をしたいよ、俺は」
『どの口が……! その建設的な話とやらを蹴ったのは貴様ではないかッ』
「怒るなアッ君」
『我が王よ、どうかこの愚か者へ裁定を。私の言葉は届かずとも、王のお言葉ならば耳を傾けるやもしれません』

 士郎の傍には、アルトリアとオルタ、マシュがいた。他のサーヴァント達はネロの指揮の下、哨戒に当たっている。あの痛烈な奇襲が強烈に刷り込まれていた。
 アルトリアは静かな眼差しで士郎を見詰めた。オルタは視線すら向けない。赤い弓兵と完全に一致するようになってしまった風貌の青年は、彼女が口を開くのを待った。

「シロウ」

 目を逸らさず、アルトリアは説く。

「私は騎士です。貴方の剣になるという誓いは、些かも揺らいでいません。貴方が命じたのなら、私は如何なる者も斬る刃となるでしょう。しかし私は木偶ではないつもりです。諾々と従うだけでどうして騎士であると誇れるでしょうか。
 故に私は、騎士として諫言しましょう。シロウはもう限界だ。いえ、もう限界を超えている。貴方は休むべきです。誰もシロウが休息を取る事に異議はない。あったとしても、私が黙らせます。
 シロウ、私は貴方だけの騎士だ。貴方が不在でも、必ずや勝利を掴みましょう。私を信じて、下がってはくれませんか……?」

 哀願ではない。懇願しているのでもない。身を案じ、主の無謀を諫めている。
 本当は愛する青年に縋り、涙ながらに休んでくれと愁訴したかったのを、士郎の鋼のような瞳に封じられていた。

 琥珀色の瞳を伏せ、士郎は瞑目する。吹けば飛びそうな程に弱った、老人のような佇まいで。

「……アルトリア、俺はお前を信じてる。嘘偽りなく、その力と心を信頼している。それはお前もそうだと思っている」
「はい」
「だから――俺がどう答えるかは、言わなくても分かっているはずだ」
「……」
「先輩」

 哀しさを隠すように目を閉じたアルトリアに代わり、マシュが心細げに呼び掛けた。ふぉう、と小動物が鳴く。

「私は、どう言えばいいかなんて、解りません。けど先輩が――いなくなってしまうかもしれないと思うと、どうかしてしまいそうで……」
「大丈夫だ。俺はいなくならない。死んだりなんかしない。マシュやアルトリアが護ってくれるんだからな」
「……ずるいです」

 そんな事を言われたら、本当に何も言えない。士郎の意思を曲げさせられない。
 しかし士郎も弱っていた。つい、白状する。

「A班の全力戦闘を俺が支えられるのは、保って後三回だ」
「……シロウ、それは」

 オルタが漸く視線を向けてくる。ばつが悪そうに頭を掻いて、士郎は嘆息する。

「つまりその三回の戦闘の後は、カルデアに帰還するという事ですね」
「……そう、だな。ああ、俺だって無駄に死にたくなんてない。後三回の戦いの後は、大人しく帰還する。それは約束するさ」

 三回。何を以て三回だと決めたのか。
 士郎は左手首に巻き付けてあるカルデアの通信機に向けて、己の所感を述べた。

「アグラヴェイン、レオナルド。俺の考えを伝えておく。恐らくだが……あのクソッタレのヘラクレス野郎は、近い内にまた仕掛けて来る」
『……根拠は』
「分かってるはずだ。奴の主観で考えると自明だろう。カルデアのマスターを消耗させ、サーヴァントを一騎脱落させてある。だが躰を蝕んだ、ヒュドラの毒をも癒したアイリさんの存在を視ているから、俺を回復させてしまう可能性がある。一度は撃退されたが、時を置けば折角のアドバンテージが無くなるかもしれない。奴はそう考え、警戒されているのは承知の上で仕掛けて来る」

 道理である。レオナルドやアグラヴェインには言うまでもない。それでも訊ねたのは……今の士郎に、それが気づけるか試したのだ。
 結果が示すのは如何に気が萎えていようと、曇らない洞察力の切れ味。気づかないようであればそれを口実に、無理矢理にでも帰還させるつもりだっただけに、一概に良い事とは言えなかった。

 ――どのみち一度目のアルケイデスの奇襲は痛み分けに近い。二度も三度も同じ手が通じるとは思わないはずだ。

 ならば今度は更に強力に襲撃し、なんらかの決定打を決めたいのが敵の心情。アルケイデスの召喚者が誰で、敵の残存数は何騎かも不明なあちらと異なり、こちらの実情は割れている。警戒していても不利なのはカルデアなのだ。その優位を活かさないでどうする。
 そしてこちらの陣容の厚さから、次からは奇襲だろうが正攻法だろうが結果は同じになると判断できる。ならアルケイデスとしては士郎が回復する前に決着を付けた方がいい。

「……正念場、か」

 幾度も体験してきたそれは、しかし今回がとびきりのものであると感じた。それは気弱な囁きである。士郎は自身の手をマシュが握っている事に気づかないまま、ふと呟く。

「……で、お前はさっき、どこ行ってやがった。――黒髭」

 森の茂みが、がさりと鳴る。隠れていたつもりなのだろうが、マシュやアルトリア達には筒抜けだった。彼女達の視線の向き先に違和感があったから、士郎は潜んでいる者にあたりを付けて呼び掛けたに過ぎない。
 潔く茂みから出てきたのは、やはり黒髭の大男である。躰についた葉やら枝やらを払い落とし、黒髭はにぱっ、と笑みを浮かべる。

「デュフフ、気づかれてしまいましたな」
「俺は気づかなかった。ま、今の俺にお前の隠密を悟れる余裕はないが」
「いやぁ、両手に華どころか一輪余っておりますぞ。実に羨ましい限りwww ちょっと拙者と代わって欲しいですなリア充めwww」
「さっきの戦闘、参加しなかった所か、いつの間にか消えていたらしいな。何をしていた」

 ふざけた言動にリアクションを取る気にもなれない。端的な詰問に黒髭は頬を染めた。

「ちょっとお花を摘みに行っておりますたw」
「……」
「……ゴホン。真面目に答えると、拙者がいても瞬殺されるのが関の山でござる。流石に拙者が消えるのは困るでござろう? あそこで宝具(ふね)を出しても壊されるだけですしおすし」
「……それだけか? 天下の黒髭様が、用心して隠れてましたってだけじゃないだろ」

 空元気ながらも士郎が煽るように言うと、黒髭はにやりと笑った。

「当たり前だぜ。この俺を誰だと思ってやがる。ケツ捲って逃げてったあの野郎が何処に向かったのか、この島のいっちゃん高ぇところから見てたんだよ」
「――流石」

 その方角を掴めるだけで、かなり今後の状況が違ってくる。士郎はマシュとアルトリア達を見渡し、少し身長差に苦笑して黒髭に言った。

「エドワード、肩貸してくれ」
「……ほほぉ? 拙者を名前呼びwww もしやデレたのですかな?www」
「バカか。何時までも渾名の『黒髭』呼びだったら他人行儀だろう。それにティーチって呼んでたら、日本の海賊漫画の三下みたいになっちまう。お前、あんな三下じゃねぇしな」
「ブフォw 拙者がモデルのあれですかwww あれはあれでいいものですぞwww
 師匠www」
「誰が師匠か。というか知ってるのかよ。その知識は何処から来てるんだ……? とりあえず、ロボトミー手術を受けた後なら弟子入りも考えてやるよ」
「んんんwww 拙者の性格全否定www」

 ひょいと士郎の腕を掴み上げ、黒髭は気安く士郎に肩を貸した。その際、士郎にだけ聞こえるように黒髭が呟く。

「――おう、カルデアのマスター。テメェ、知らねぇだろうから教えてやるよ。どうせ後で聞かされるだろうがな」

 光の御子が切り落とした、復讐者の片腕。それが――忽然と消えたというのだ。









「――」

 ケリュネイアの牝鹿から飛び降りる。自身が更地に変えた無人の島故に、見張らしはいい。万が一にも奇襲される恐れはない。
 アルケイデスは考えていた。カルデアの主柱らしき男の事を。
 宝具化に際してスケールダウンしているとはいえ、最悪の神毒を受けて尚もその精神が死に至らぬどころか、僅かな時で意識を覚醒せしめたあの男。

「素晴らしい忍耐力だ」

 ぽつりと讃える。サーヴァントである己は、その死因ゆえにヒュドラの毒を受ければ行動不能に陥るだろう。しかしそれとは別の所で、毒物への畏怖はある。拭いがたいものだ。それを耐えきった男を、彼は認める。
 あの男は現代に生きる最新の英雄。なればこそ戦士としての血が騒ぐのだ。それでこそ人間、神の力などなくとも、人があの毒に耐え得るのが素直に喜ばしい。実に打ち倒し甲斐があるというもの。

 そして、思い出す。

「まさかな。あの男が、冬木の時の小僧だったとは」

 縁というのは、やはりバカにできない。自身の記憶にある、忌々しい神に成り下がった愚物が仕えた、冬の妖精のような少女の義弟があの男だ。
 気持ちの良い少年だった。『二度目の茶番時は見れたものではなかったが』、その力は赤い弓兵のそれと同一だった。
 同じ顔、同じ力――同一存在なのだろう。内面は違うのだろうが……まあそれはいい。

 問題は敵の陣容の厚さ。片腕を失ったのは、極めて大きな損失である。あの男が復活する前に仕掛けたいが、正面から向かうのは無謀。かといって二番煎じの奇襲では対処されるのがオチだ。
 まともに戦いを成立させられないほどの痛手、これをどう補うかが――

「むッ」

 ――と、勝負の分かれ目について思考していたアルケイデスは、悍ましい異物感を覚える。
 腕の切断面が疼き、グヂュグヂュと肉が沸騰したように沫立ったのだ。ぞわりとした不快な感覚は、しかしすぐさま立ち消える。
 それらを遥かに上回る驚愕と、得体の知れぬ納得があったのだ。

 喪ったはずの腕が再生していた(・・・・・・・・・・・・・・)

 ――これなら戦える。

 亀裂が走ったように不気味に笑み、復讐者は嗤う。そう己はカルデアに(・・・・・)復讐する為に存在するのだから。



 その思考に、違和感はなかった。








 
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