【ユア・ブラッド・マイン】~凍てついた夏の記憶~
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滴る氷柱3
人間は眠っている間、夢を見る。
いくつもの夢を伝っているそうだが、目覚めた頃には覚えていて一つ。
よほど印象的でなければ、生活しているうちにすっかり忘却してしまうような儚い記憶だ。
しかし、氷室叡治は夢を見たことがない。
何故覚えることの難しいものを、ないと断言できるのか。
エイジはそれを言語で説明することが出来ない。
しかし、確信はある。エイジは夢を見ない。
エイジは眠ろうと思い目を閉じた瞬間からパーソナルコンピュータのスリープモードのように停止し、そして決まった時間に機械的に目を覚ます。それをおかしく思ったことも苦痛に思ったこともない。思うことがあるとすれば、週に一度起床時間をずらしてエデンに起こされる作業があるくらいだ。
エイジにとってそれは作業だが、作業でエデンが満足するならエイジはいくらでも作業する。
エイジにとって重要なのはエデンに危機が迫ってないか、そしてエデンが寒い思いをしていないか。
たったそれだけのことばかり、記憶を失ってあの病室で再会して以来、ずっと考えている。
エイジには人にあって当然な感覚が多く欠落している。
しかし、エイジは人が嫌いになったことはないし、好きになることもある。
それは恋愛感情という複雑で理解しがたいものではないが、確かにある。
事実、エイジは暁家の家族が好きだ。彼らから多くのものを受け取ったと思っている。
同級生のことはまだ知らないことも多いが、知る努力をしたいと感じている。
永海とは不思議と話しやすい。それだけは、エイジ自身も不思議だ。
エイジは目を覚ます。この日は、いつもより一時間早く。
ベッドから出ると、冷気を感じる。思わずベッドに戻りたくなるが、耐えて着替えた。
長袖のヒートテックインナー、パンツ、冬用ステテコ、靴下、手袋、ネックウォーマー、ニット帽、そしてその上から厚手のパジャマ。それがエイジの寝姿だ。パジャマを脱ぐ際の寒さは辛いが、冬用制服に着替え、更にその上から分厚いロングコートを着る。
ネックウォーマーは夏と、部屋以外では外す。エデンにつけすぎだと怒られる。
手袋は教室内では外すので、最近は手袋なしもほんの僅かにだが慣れた。
それでもやはり、他の皆から見れば異常なまでの着込みとなる。
OI能力による凍えが完全になくなっていないのは、エデンだけではOIを受け止め切れていないからかもしれない、と言われたことがある。しかしエイジは違うと考えている。根拠はない。しかし確信している。契約する魔女を増やすことでこの寒がりを取り除くことは不可能だ。
ふと、部屋を出る前に鏡を見る。そこに自分の顔が映っている。
男としては少々長めの髪、何を考えているのか表情の分からない顔。
エイジは表情が乏しいとよく言われる。だから時々ここで練習する。
喜んだ顔。やってみるが、笑える時だけ笑えばいいと言われたので下手だ。
怒った顔。やってみるが、エデンに覇気がないと言われたそれと変わらない。
哀しい顔。やってみるが、この顔をするとエデンも哀しい顔になるから好きではない。
楽しい顔。いつも思うが、喜んだ顔との違いがエイジには分からなかった。
その後いくつかの顔を作り、首を傾げて鏡を後にする。
「恐怖の顔以外、ぜんぜん上手くいかないや」
それはきっと、記憶を失う前に最後に浮かべた顔だからだろう、と、エイジは他人事のように確信している。これは、エデンにもそれ以外の人にも一切見せず、知らせていないことだ。
知らせる意味も、必要もないことは、知らせない。
エイジがこの日、一時間早く目を覚ましたのには理由がある。
エイジはクラスメイトの中で永海と悟とはプライベートな付き合いが多少あるが、それ以外の人の事を多くは知らない。その中で、この時間帯から既に活動し、なおかつ寮内に存在を確認できない人が二人いる。天掛朧と凪原天馬だ。
二人は、寮にいるよりも天掛家の出資で作られた和風建築の道場のような場所で活動することが多い。朝はその場所から戻ってきて皆と合流するし、放課後も夕飯前ギリギリまで二人でその建物にいる。天馬はクラス内では積極性を見せるのに、放課後となるとわき目も振らずに朧と共にどこかへ行ってしまう、謎の多い人だ。
朧もまた、謎が多い。日本皇国鎮守六天宮・天掛一族の血を引く生粋の巫女であることは確かなようだが、天孫と同じ時代から連綿と続く家系であること以外、彼女の個人としての人格を知る機会は意外と少ない。機械音痴の類らしいこと、羞恥心は人並みにあること、天馬に少し厳しいところがあること……本当に、それぐらいだ。
エイジは二人がどんな人間なのか知りたい。
だから、二人が何をしているのかを見て確かめるために動いた。
多分、悟に頼めば捕捉して映像を流してくれる。彼の鉄脈術は情報収集という一点のみに特化したものだし、10キロ程度の距離は離れているうちに入らないと豪語していた。しかしエイジは、その選択肢を自ら断った。きっとそれには、意味がない。重要な何かが欠けることとなる。
だから、徒歩で向かう。
五月になって肌寒かった風が温かくなりつつあるらしいが、エイジにとっては「かなり寒い」が「結構寒い」になった程度にしか感じない。
二人のよくいる道場は寮から歩いて200メートル、ちょうど学校に連なる施設の間に収まりよく入っており、寮や学校からは見えづらい場所にある。人によっては全く近寄る用事がない場所なので、存在自体を知らないかもしれない。
道場の入り口に、鍵はかかっていない。エイジは躊躇いもなく中に入った。
決断したのではない。入るなという意志表示を見かけなかったので、当然のように入っただけだ。
エイジは部屋に危険がないと判断するとずけずけ入ってしまう悪癖がある。エデンの着替え中に部屋に入ってしまい盛大なビンタと説教を受けて以来、脱衣が行われる可能性のある場所では細心の注意を払って確認しているが、危険も脱衣の可能性も感じない場所にはこの通りだった。
道場内はいくつかの部屋に分かれていた。その中の二番目の襖が開き、中から声と音が聞こえる。
「はっ、はっ……!」
「また攻撃に集中しすぎて気の緩みが出ているぞ、天馬。ちぇいッ!!」
「ガッ……!!くぅッ!!」
衝突する木と木の放つ、鋭く甲高い音。
板張りの地面を踏みしめる音。
そこには、日常生活には存在しない独特の緊張感が張り詰めている。
「そうだ、間合いを意識しつつ構えをもっと体に染み込ませよ。箸を持つときでも自然と構えを辿るようになれ。でなければ天掛流を超えるなど夢のまた夢……」
「御託はいい!次ッ!!」
「確認などいらぬ!来いッ!!」
そこには、木刀を握り朧に果敢に攻める天馬と、それを顔色一つ変えず捌く朧がいた。
剣道の練習であろうことは察するが、どうやら天掛流の本格稽古をしているようだ。
天掛流――より正確には天掛一刀流剣術。武士の時代、群雄割拠の時代、刀の時代と剣術を深く追求した剣士たちは数多おれど、日本最古にして頂点の流派と言わる天掛流の源流が廃れることはなかった、とは父の殿十郎に聞いた話だ。
嘗て門外不出だったそれは今では一般人も学ぶ機会があるそうだが、稽古は苛烈を極め、100人中1人残れば多いとまで言われているそうだ。
(すごい。朧さん、剣術には一日の長があるなんて言ってたけど、あんなに隙も無駄もない人は初めて見る)
天馬は身長も筋肉も平均を上回るほど鍛えているし、恐らく今から剣道の高校大会に出て優勝を狙えるほどには鋭い動きをしている。
しかしそれに対し、小柄な分不利なはずの朧は天馬の動きを完全に把握したうえですべて受け止めている。躱すことも容易なのにわざと受け止めていることに疑問を覚えるが、その受け止めもすべての衝撃を逸らし人体のダメージを最小限にする理想的な動きをしている。天馬からすれば、攻撃の威力をすべて打ち消されているように感じる筈だ。
エイジは剣の道を詳しく知らないが、朧の剣術は「魔法」の域に達していると感じた。
すなわち、通常の常識の範疇を超えた非常識なまでの体技を用いている。
一般的に、魔女と製鉄師が揃っていれば同じ条件の製鉄師がいなければ倒すことは出来ないとされているが、彼女は例外だ。恐らく彼女は、契約などしなくともそこらの武装製鉄師なら魔鉄器の剣さえあれば撃破できる。
達人ではない。形容する言葉があるとすれば、それは「超人」だ。
ではこの超人は、いったい「何」と戦うために鍛えあげたのか――。
「だッ……りゃあッ!!」
と、天馬が吼えた。ダンッ!!と床を踏み抜かんばかりに踏み込み、まるで背後に推進装置でもついているような爆発的な速度で吶喊する。
エイジはその動きに見覚えがあった。
鉄脈術を発動して天馬が皆の背後に回り込んだ時と同じ動きだ。
術の発動によって常識の埒外の速度を叩き出していたが、あれは術の強化と体技の合わせ技だったのだろう。その証拠に、天馬の移動速度は通常の剣道では決してあり得ない恐ろしい速度だった。
瞬時に間合いを詰めた天馬はその速度を全く殺さないまま唐竹割を繰り出す。
もし生身の人間が受ければよくて骨折、頭に受ければ即死の可能性を秘めた一刀。
それを朧は一切の恐怖なく両手で構えた剣で受け止めようとする。
当たるか、抜けるか。緊張の一瞬が極限の集中力で引き伸ばされる瞬間。
結果は――倒れ伏した天馬と、悠々と佇む朧だった。
「……振り下ろしを隠れ蓑に直前で動きを変えての一刀。相変わらず小器用な事をするものよ」
「完全に見切った上で木刀の腹で人をひっくり返しておいて、嫌味か」
「僻むな、これでも褒めておる。しかし未だ動きに無駄が多い。同格にしか通用せんぞ」
「くそっ、んなこと分かって……あっ」
「どうした……」
悔しそうに寝転がった天馬の視線がエイジに向いた。つられて朧がエイジの方を――。
ぶわっ、と真正面から貫くような風と剣気が殺到した。
「……氷室、どの?」
眼前には、脳天を突かんとする木刀の切っ先。
その奥に、自分で剣を突き付けながら相手の顔をみて一瞬呆けた朧が見えた。
余りにも速過ぎて、エイジは見えていたのに体の反応が追い付かなかった。
同級生に剣を突き付けていたことに気づいた朧は、はっとして木刀を下げる。
「も、申し訳ありませぬ。誰もおらぬと思っていた道場にまさか氷室どのが入っていられたとは露知らず、とんだ無礼を」
「へへん、俺の方が早く気付いたぜー」
「……時間も丁度よいので朝稽古はここまでとする」
一瞬、朧の顔がちょっと悔しそうにぬぐぐ、と歪んだ。彼女は普段はとてもたおやかなのに、天馬の前では年相応の顔を見せる。それだけ二人の関係性が深いのだろう。もしかしたら、コンビとしては天馬の朧への依存よりもその逆の方が強いのかもしれない。
「しかし、立ち入り禁止とは書いていないものの、無言で訓練を覗き見られたのは余り感心できぬ話ですよ、氷室どの。驚いて反射的に切っ先を向けた無礼に言い訳はしませぬが、貴方もあまり人を驚かせぬ方がよい」
「……そうだな。俺も正直勝手に見られるのはいい気分じゃないぞ」
「ごめんなさい」
どうやら、エイジの行動は二人にとって快くないものとなったようだ。
素直に頭を下げ、次からは事前に確認を取ることにする。
「分かればいいのです。こちらにも非はありましたゆえ、ここはお相子としましょう。では天馬、またあとで」
ゆるりと微笑んだ朧は、そのまま道場を後にした。
天馬は乱れる息を落ち着かせながら、道場の端にあるタオルで汗を拭いてドリンクを飲む。ぷはっ、と息を吐き、ゆっくり立ち上がりながらエイジに近づいた。
「あのさ。ここで見たこと、他の奴らに言わないでくれるか」
「……理由を聞きたい」
「ずけっと言うなぁ……理由も周りには絶対言うなよ」
気まずそうに顔を逸らしながら、天馬はぼやくように漏らす。
「俺にはお前らみたいな天才的な才能はねぇ。世界の歪みも大したことねぇ。だから俺が思いっきり強くなるにはこうして地道で格好悪い特訓を毎日積んでいかなきゃならねぇんだ。その為に俺は毎日毎日朧に挑んで、その、負けてる。負けるのは俺が弱いせいだからいいけど……それを周りに知られるのが、なんか、嫌なんだ」
「………」
その時の天馬の表情を、エイジは上手く読み取れなかった。
多分よくない感情を、三つか四つ重ねたような表情。
普段の明るく皆を引っ張る姿と重ならない感情があるのだけは、理解した。
「分かったか?もう二度は言わねぇ。お前に見られるのだって正直嫌なんだぞ?頼れる男キャラが崩壊しちまうっての」
そういって、天馬は自嘲気味に笑った。いつもの顔に戻っている。
「………理由も含めて、僕にはよくわからなかった」
「おい!……ま、お前天然っぽいしなぁ」
「でも嫌だっていうのは分かったから、言いふらさないようにする」
「なら十分だ。あ、朧のことも言いふらすなよ!あんなに強いってバレると周りとか剣道部とかウルセーことになるからな。本人もそれが嫌だから剣の話はあんまり普段しねえんだ」
こうして、エイジの二人を知る努力はほんの少しだけ実を結んだ。
(朧さんを気遣うときの天馬の顔は、エデンが僕を気遣う顔と一緒だ)
その日以来、少しだけエイジは天馬と会話することが増えた。
後書き
「……でも、朧さんに剣術で勝つのはものすごく難しいんじゃないかな。たぶん生身だとクラス全員で挑んでも勝率は0%だよ。リック先生なら分からないけど」
「うっせ。それぐらい知ってらぁ。そこで諦めてねぇから努力してんだろ?」
今回は珍しくエイジ視点。
エイジはちょっと他の人と理屈の観念が違うので、だいぶ歪に感じられるかもしれません。
日本皇国鎮守六天宮のウラ話:
六天宮はそれぞれが剣、槍、弓、槌、鎧、縄の国宝とそれを扱うに相応しい武術を代々受け継いでいます。なお、その戦闘能力の基準は建国神話時代から変わってない=鉄脈術とか関係なしに生身で神と戦おうとしているヤバイ人たちです。OI能力者が身内に生まれ始めてからは更に手が付けられません。
なので朧は現代から見ると異常なまでの生身戦闘力を誇ります。もちろん生身である以上、鉄脈術の相性的に覆せない相手はいますが。
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