【ユア・ブラッド・マイン】~凍てついた夏の記憶~
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滴る氷柱2
エデンは歴史の授業があまり好きではない。
過去より今を見つめるのが生きるということだと思うからだ。
もちろん方便だ。実際には鉄歴なる年の数え方が出てきて面倒くさいからだ。
(あーもー、鉄歴のまま暦進めればよかったのに、なんでこの区切りの悪いところで魔鉄歴に切り替えるのよ。年号でいいじゃない年号で)
エデンは内心で盛大に文句を垂れ、黒板に刻まれた先人の輝かしい歴史に筋違いな恨みを抱きながらノートに書き写す。
エデンに限らず日本皇国民は、鉄歴や魔鉄歴という暦をそんなに重視していない。
なぜなら国家の主たる天孫が代々更新してきた「年号」があるから、そちらを使うのだ。そのためこういった海外の暦にはそれほど馴染みがない。一時期日本皇国がラバルナ帝国の支配下に置かれた際には鉄歴の普及が図られたそうだが、少なくともエデンのように比較的田舎な土地に住んでいる人間にまで浸透することはなく年号と歴は併用され、そしてラバルナ帝国滅亡によって中途半端な浸透に終わった。
(アンタもアンタで何で滅んでんのよ。あんたのせいで近代史すごい面倒くさくなってんのよ責任とりなさいよ!?)
とうとう魔鉄文明開祖ともいえるラバルナ皇帝に内心で喧嘩を売り始めたエデンは、教科書に載るラバルナ皇帝の額に肉の文字を書き込み、まだ満足できないと変な手足を生やしてペロペロキャンディーを持たせたりふきだしを作って「キャンプファイヤー!」と書き込んだり盛大に落書きを開始した。
が、遊び過ぎてノートが進んでいないことに思い至り、「今回はこのくらいにしといてやるわ」と内心で捨て台詞を吐いて再び授業に集中する。
「――とまぁ、ユーラシア主要国家は最後まで超国家化の流れに反発してた訳だが、結局メリットが大きいということで話に乗り、ヴァンゼクス連合が出来上がった。ただし、主要六か国の仲はお世辞にもよろしくない。もともと音頭を取ってるプザイとマギに意見対立が多く、他四か国は国力に劣るからそれに振り回されがちで溜まる不満も多い。ある意味では超国家連合の構成そのものに失敗した国と言える」
「議会は毎度全会一致が取れず、超国家なのに人種も文化圏もバラバラ。まぁマギを取り込まなきゃ遅かれ早かれ戦争になったから取り込んだのはいいものの、逆に獅子身中の虫を抱えることになったってトコかな。政治ってどっち選んでも苦しいって時があるから大変だねぇ」
リック先生とルーシャ先生は授業の説明でも妙に息が合っている。
それにしても他国、かつ一番攻め込んでくる可能性の高い国とはいえ結構ボロクソな言いようである。実際のところ、ヴァンゼクス連合参加国で強力な力を持っている国家は多くが元は独裁国家か王国らしい。しかも永久凍土や砂漠などの空白地帯が多く、物理的な繋がりの薄い国も数多い。
「一度ラバルナ帝国に支配されたとはいえ、そもそも国家とは大きいほど管理が大変なものだ。しかも一強ならばまだしも統一議会の合議制と来たものだ。それが複数あるとあっては、利害関係は必然的に混沌化する」
さっきから感じていたが、この授業中学の指導要綱にしては難しくないか、とエデンは思う。クラスの半分くらいがだんだんついていけなくなっている気がする。いくら授業要綱をかなり飛ばし気味に駆けているとはいえ、エデンも正直途中からだいぶ理解が曖昧だ。もしかしたらリック先生は教えるのがそんなに得意じゃないのかもしれないなどと失礼なことまで想像する。
仕方なく、理解を深めるためにエデンは手を挙げる。
「あの、先生。ゴーギセーとかコントンとか言われてもいまいちピンとこないんですが」
「そうか?そうだな……」
少し考え、リック先生は説明の仕方を変えてくれた。
「例えば今、このクラスの授業方針は俺が決めている。お前らは色々思いがあるだろうがとりあえず先生の言うことだしと従う。俺がルールを決める一強体制だ。反対意見が起きにくく、起きたとしても俺に怒られて従わせられる。だから話を決めたり行動するのが早い。代わりにトップに対する不満が募る」
「実にこのクラスの勢力図を如実に表しているな」
皮肉気に悟が漏らし、古芥子姉妹がウンウン頷く。
「ところがだ。俺と副担任の仲が悪く、俺が右だと言えば副担任が左だと言っていがみ合うと、お前らは結局どっちなんだよ、という事で動きにくくなる。足並みは揃わないし代表は喧嘩してばかりとなると、残されたお前らは今のうちにサボってしまおうとか、逆に他の生徒や先生と協力して俺らの喧嘩を止めようとばらばらに動き出すかもしれない。今のヴァンゼクス連合はそういう危険性を秘めてるって訳だ」
「統一王であるリュドス四世が抑止力であり絶対者として君臨しているから辛うじて纏まってるけど、カリスマの政治は代替わりで潰れるのが世の常だからねぇ……あ、ちなみに私はリック先生と喧嘩とかしないから安心してね?」
にぱーと笑うルーシャ先生。
しかし、エデン的には喧嘩しないってものどうなんだと思う。彼女の家も、どっちが勝つかは別にして父と母は時々ぶつかり合ってる。それがないのは、本音がない関係じゃないのだろうか。
「……家族ってたまには喧嘩もするもんじゃないですか?」
「むっ……じゃあえーと……リック先生!パートナーたる私をもっと尊重してくれてもいいんじゃないでしょうか!」
「いつ尊重しなかったってんだよ」
「昨日一緒のベッドに入ってくれなかった!」
「バカたれ」
(駄目だこりゃ。この二人は喧嘩しないわ)
所詮家族の在り方とはエデンの中での在り方だ。中にはこんな家族もあるだろう。
というか、そういえば自分もエイジと喧嘩しない。喧嘩を売るといつも訳の分かってない顔で「ご、ごめん」と謝るものだから喧嘩が成立しない。そのうち自分がいじめているみたいで嫌になって止めてしまう。
マギとプザイもそんな感じで仲が良ければいいのに、世の中上手くはいかないものだ。
こんな調子では、「ラバルナ支配時代が理想だった!」と街頭で騒いでる旧帝国至上主義の宗教家が世を嘆くのも、まったくの妄言ではないのだと思い知らされる。
= =
「リック先生とルーシャ先生ってさー、なんかちょっと不思議な関係な気がしね?」
休み時間、ノートの取れていなかった部分をエイジの協力で書き写していると、横で同じことをしていた永海がそんなことを言った。
「何が?」
「籍入れてるって話だけどさぁ、ルーシャ先生はリック先生のこと名前で呼ぶのに、リック先生の方は『副担任』としか呼ばねーじゃん?だからこう、継明(※)時代のオヤジみたいなのなのかなぁ、なんて思ってたんだけど、結構ルーシャ先生が甘えても嫌な顔しないからさ」
「あー。確かに美杏もそれ気になってたー」
「美音もー!」
(※継明……現実における昭和、つまり前の元号)
いつの間にか双子や他のメンツも集まる。
なにせ少人数の教室だから、だいたいの話にはいつの間にか全員参加になってしまう。
それにしても二人の関係か、とエデンは思う。
確かにちょっと夫婦っぽくはないが、仲の悪さも一切感じない。
それに、と自分の家庭を思い出しながらエデンは口を開く。
「人前じゃ他人行儀にしてもプライベートではべったりってこともあるじゃん」
「あー、なるほどね。部屋に戻った途端に立場が逆転!リック先生はケダモノに……!それとも甘えん坊化!?キャー!」
「いや、それはないと思うよ美杏……なんの漫画の読みすぎ?」
珍しく意見の一致しない古芥子姉妹。見た目も口調も普段はそっくりなのに、こういうときはだいたい美音の方が冷静である。しかし空気の読めてない発言をポロっと漏らすもの美音なので、どっちがマトモかは甲乙つけがたい。
「夫婦と言やぁ、暁ん家って見ず知らずの氷室をイキナリ養子にしたんだよな。どうなん、それで関係拗れたりしねーの?」
「ないなぁ。ウチはママは主導権握ってるから、ママが譲らないって言ったらそれが家族の決定になりがちなの。パパは流石にちょっと考えたみたいだけど」
「でも優しいよ、パパ。シャンプーで髪の毛洗ってくれたり、昔の家族のこと教えてくれたりしたし。血が繋がってなくてもお前は暁家の子供だ、って」
「ま、パパも基本お人よしだもんねー」
恐らく家族に聞かれれば「お前が言うな」と言われる気もするが、周囲は納得といった顔だった。
「暁家はどこまでも仲良しだなぁー。俺ん家はさ、俺のジェンダーのことで一時期離婚しかけたかんね。今はなんだかんだでヨリを戻して落着したけど」
「うわぁ、やっぱ大変なんだー性同一性障害って。いじめとかヤバイって噂は聞いてるけど、ぶっちゃけマジなの?美音気になるー!」
「そらもう大変よ」
美音の質問に永海は過去を思い出すように腕を組んで頭を傾ける。
「小学6年くらいには心は男だったんだけど、馬鹿正直にはっちゃけたらもう、すごいぜ。担任が真っ先に馬鹿にしてくるから男も女も周囲全部敵になるんだもん。ぶっちゃけこのクラスでも悟以外の全員に虐められるぐらいの覚悟で入ってきてんだぞ、オレ」
からからと快活に笑う永海だが、さらっと明かした過去が重すぎる。
担任が率先して虐め。クラス全員敵。エデンにとっては漫画の世界だったものを、現実に経験している人間が目の前にいて、それを笑い事のように語っている。全然笑う気分になれなかった。どうしてそんな風に笑い事に出来るのか――言葉が出ずにいると、美杏が話を変えた。
「そういえば心は男なのに悟っちと契約したのは何でなの?」
「そりゃ単純だ。悟が俺の契約相手候補の中で一番俺に対して無関心で、フェアだったから」
「無関心……?ちょっとよく分かんないなぁ。確かにさっきから話に全く参加せずに相変わらずなんかの情報収集してるけど……悟っちはどうなの?」
「……製鉄師だから仲よくしようとか付き合おうとか、煩い魔女が多くて面倒だったからな。俺に関心がなく、最低限の協調性のある奴なら誰でもよかったんだ。すると同じ条件でパートナーを探してる永海に会った」
「ま、女の製鉄師はどうしても受け入れてくれるヤツがいなくてよ。男もだけど、可愛いとか言われて女の子に可愛がられるのも嫌だったからどーしたもんかと思ってたら、ほれコレよ。初対面の時も人のことどーでもよさそーにして、性別の話しても『あっそ』の一言。なんつーか、ビビっと来たね」
何がどうビビっと来る要素があるのか、理解が及ばない。
八千夜に至っては若干不快そうですらあった。
「わたくしならそんな無礼者を前にすればビキっと来ているところですが」
「お嬢様、お静まりを」
「まぁ普通ムっとするわな。でもさ、その時の俺は若干人と話すのが嫌になってきててさ。で、思った。コイツと契約すれば別に親しく喋らなくてもやっていけるんじゃねーかって。だから契約前に鉄脈とは関係なく契約をしたんだ。互いに互いの詮索をせず、深く関わろうとせず、互いに最低限協力し、性差別はしない」
「俺にとっちゃその方が都合がよかった。以来の付き合いだ。無論、あくまで製鉄師と魔女という関係でな」
互いに特別言葉を交わす訳でもないのに、二人の間に強い繋がりを感じさせる言葉だった。
人は好きになるより嫌いになるより、相手に対して無関心である時が一番楽だと思ったのかもしれない。互いに互いの邪魔をしてほしくないから、その共通認識だけ共有できれば上手くいく。多分二人は製鉄師の関係の中でも特殊な信頼関係を持っているのだ。
エデンはなんとなく、少しだけ二人の関係の謎が解けた気がした。
「……でもさー。一緒にいて会話がなくても苦痛にならない関係って何気に友達よりハードル高くない?美音はちょっとそれ耐えられないなー」
「あら、そうかしら。わたくしはあざねと会話せずにいても平気ですけれど」
「お嬢様を楽しませる為のトークは毎日30は用意しております。お暇でしたらいつでもどうぞ」
「今は遠慮しておきますわ。暁さんもそうではなくて?」
「うーん、私的にはエイジと一緒にいるのがもう生活の基本になってるし。だいたいエイジは喋るのヘタだからむしろ会話が続く方が違和感かなー」
「……ごめん」
「いや怒ってないからそんな沈んだ顔しないの。ほれ、ムニー」
しゅんと沈むエイジの頬を指で伸ばして無理やり笑顔にする。
だいぶ変な顔になって笑ってしまったが、笑った私を見てエイジも笑った。
「……この天然おとぼけカップルは隙あらばいちゃつくよねー、美音」
「……ホンット周りの目とか気にしないよねー美杏。あ、ところで天馬と朧っちはその辺どうなの?」
「え?」
それまで会話に加わらずにノートのチェックをしていた天馬は朧とともに顔を上げ、数秒考えたのちにこう答えた。
「朧が黙ってるときはだいたい理由があるからなぁ。例えば機械関連で分からないことがあるけどそれを悟られるのが恥ずかしくて黙ってるときとか――あ痛ぁッ!?」
「………(真っ赤な顔で天馬の横腹をつねる朧)」
とりあえず、仲が悪いようには見えないのは確かだった。
そういえば、聞いたことはないけどこの二人の付き合いは長いのだろうか。鎮守六天宮という浮世離れした立場の人間と、そんなに特別な人という感じのない天馬。今度ヒマになったら馴れ初めでも聞いてみよう、とエデンは思った。
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