人理を守れ、エミヤさん!
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アーキマンなのかソロマンくん!
うわぁ、と気の抜けた声で呻いたのは、誰あろう魔術世界に於ける始祖である。
あらゆる魔術師の頂点に君臨し、魔術に分類される全てを支配する絶対者。魔術王ソロモンの転生体にしてそのデミ・サーヴァント。二つのソロモンの魂が重複した異例中の異例だ。
魔術王の魂を持つロマニ・アーキマンとしての生身を持つ故に、魔術王の霊基との親和性は完全である。
ただのロマニだった頃から持ち合わせた一の指輪と、サーヴァントとして所有していた九の指輪を十指に嵌め、ソロモンは眼前のそれを眺める。
津波の如くに押し寄せる呪いの泥。それは強大な――七十二柱の魔神にも匹敵する呪いの規模を持ち、汚泥の如くに現出した反英霊の霊基反応が感じられる。現れた大量の海魔は、その反英霊の宝具によって召喚されたものだ。
なんらかの機能が作動し、脱落したサーヴァントを聖杯が取り出して、こちらに差し向けたのだろう――ただ一目視ただけでその正体とからくりを看破していながら、魔術王は緊張感の欠片もなく嘆息した。
「おい魔術王! こやつらが何者かはひとまず横に置くとして、この無粋な賊どもを片付ける手はあるか!」
雷牛の牽く戦車に乗った征服王が、のんびりと構えたままの魔術王に呼び掛ける。
強大なその呪いは、サーヴァントにとっては鬼門である。触れただけで融かされるだろう。
酒盛りに来ただけなのにこのような事態に遭遇したともなれば、愚痴の一つも吐きたくなるというもの。征服王はやや剣呑な眼差しで海魔の物量を一瞥した。
戦車による全力疾走で、轢き潰してやるのもいいが、征服王の眼力は冴えない表情の魔術王の方が対処に適任と見たのだ。故に水を向けたのである。ソロモン王の力を見たいという打算もあった。
「うーん……まあ、そうだね……」
有り体に言って、この海魔とその使役者はソロモンからすれば敵にも成り得ない。
対処は容易いの一言で、その気になれば海魔の召喚術式に介入し、キャンセルして異界へ送還してしまえる。実際、冬木のキャスターをそうして丸裸にし焼却したのだ。宝具による召喚だろうが、それが魔術による代物である以上、ソロモンの支配下に置けるのは当然である。
故に彼が残念に思うのは、この騒ぎのせいで『あん畜生』に気づかれてしまったことだ。折角驚かせてやろうと思っていたのに台無しである。
ソロモンの胸中を察していた少女、マシュ・キリエライトは苦笑した。ドクターが楽しそうで良かったです、なんて――この場にはそぐわない穏やかな表情だった。
ソロモン――ロマニ・アーキマンはそれには気づかず、とりあえず思案した。
ここで海魔を異界へ送還してしまうのは簡単だ。が、それを征服王の前で見せてやる必要はない。ソロモン王の逸話から簡単に推測できる能力の方で対処した方が手札は隠せるだろう。
それに、一度やられた手法に対して、冬木のキャスターがなんの対策もせずにいることから――まあそもそも対策なんて出来ないだろうが――冬木のキャスターに自我はない、と彼は断定する。
堕ちたりとはいえ、まがりなりにもフランス救国の英雄だ。ジャンヌ・ダルクの添え物として見られがちだが、実態はその逆である大元帥ジル・ド・レェ伯が同じミスをするとも思えない。故に間違いないと言えた。
まあ、敢えて同じミスをして、相手の油断を誘発する策とも見れるが、それをする意味はない。何故ならカルデアの陣営に、油断や慢心は無縁であるから。
「普通に焼き払ったんでいいんじゃないかな」
なげやりに言いながら、ソロモンは魔術を行使する。
召喚魔術に特化した術者ソロモンは、詠唱を瞬きの間もなく完成させ、目的のものを召喚した。
「――来たれ地獄の大伯爵。第三十四柱の魔神フュルフュールよ」
別名フルフル。英霊ソロモンに付随する、自我のないただの術式――人理焼却の実行犯にはなんら関わりのないただの使い魔だ。
と言っても、伝承に語られる最高峰の使い魔である。宝具の域にも届くそれを、ただの召喚魔術に過ぎないと看破できる者はこの場にいない。
久方ぶりの、ソロモンとしての魔術行使に感じるものはない。あるのは奇妙な自己の齟齬。かつて純粋なソロモン王だった頃にはなかった人間としての心を持ちながら、ソロモンの力を振るうことへの心地好い異物感のみ。自分が変われていることへの実感だ。
白衣を纏い、眼鏡を掛け、ソロモンによって霊基を誤魔化され、普通の人間に見せられているマシュを庇うように立ち、傍らに魔神を召喚する。
現れたのは背に翼を持つ牡鹿。燃え立つ火の蛇尾が特徴的な魔神である。
優美なる威厳を備えたその魔神は、地獄とされる異界にて二十六の軍団を率い、雷や稲妻を操る異能を保有していた。真実を話させる呪文を唱えない限り召喚者に対しては嘘を吐き続けるが、現在は自我を持たない使い魔である。喋る機能はあるがそれは切ってあり、魔神は無言で佇んだ。
「おお!」
第三十四柱、フュルフュール。噛まなくて良かったと人知れず呟くソロモンに、征服王の感嘆の声が上がる。そのマスターである少年ウェイバー・ベルベットは、ただただ圧倒されて魅入られるのみ。
ソロモンが楽団の指揮者の如くに腕を薙ぐ。フュルフュールは主の指示に従いその異能を遺憾なく発揮した。
異次元の音波を発して牡鹿が嘶き、見事な七支刀のような角を誇示する。雷光が閃き、その身が宿す膨大な魔力を大雷へと変換して、百を超える海魔へ向けて撃ち放つ。
その威力は、さながら電磁加速砲により投射された砲弾の如し。凄まじい雷弾の破壊の余波は物理的な破壊力を伴う衝撃波を発し、周辺に夥しいまでの破壊を撒き散らす。
射線にあった森林は壊滅し、地面は地割れを起こしたように抉れ、着弾を受けた百の海魔は一瞬で蒸発した。
宣言通りに焼き払い――否、焼却し、ソロモンは張り切りすぎたと反省する。
対軍宝具にも匹敵する一撃を事も無げに放ったのは、せめてものマスターへの意趣返しだ。今頃突然の魔力消費にそれなりに苦みばしった顔をしているはずだと思う。
オルガマリーの父、マリスビリー・アニムスフィアがマスターなら今の位階の砲撃を五連射出来たが、士郎の魔力量では連発すら危うい。今ので溜飲をさげようとソロモンは思う。余り後に引き摺るのは大人げないし。
「嘘だろ……今のレベルの大魔術を、なんの下準備もなしで、それもたった一息でだなんて……」
ウェイバーが絶句していた。魔術による大規模破壊は、噂に聞く彼のミス・ブルーを上回っている。とても現実の光景とは思えない破壊の跡に、彼の中の常識ががらがらと音を立てて崩れていった。
それを尻目に、今の一撃で誰の目にも触れさせず、冬木のキャスターも倒せたのを確認し、ソロモンはひとまず自身の正体を有耶無耶に出来ることを確信する。
ロマニとしての研鑽と、ソロモンとしての叡知が掛け合わされている今、士郎の策謀を見抜くことは困難ではない。故にそれに合わせるために、ソロモンは自身の正体を秘匿する。
「流石よなぁ、魔術王! 今の一撃を事も無げに放ってのけるとは、余をしても度肝を抜かれたぞ!」
「賛辞は受け取ろう。しかし私からすれば、今の魔術は児戯にも等しい。これが全力と思われたなら心外だね」
「ほぉ! 今のが児戯ときたか! 俄然其の方に興味が沸いてきたわい」
豪胆な征服王の賛辞に余裕を持って微笑む。
相性のいい下位のサーヴァントが相手だから一撃で倒せたのだ。これが征服王を狙ったものなら回避されただろうし、カルデア最強の槍兵なら反撃ついでの投げ槍で手傷を負わされかねない。
やはり魔術師である以上、神殿を作って籠っている方がいいなと思う。まあこの編纂事象の処理が叶わなかった変異特異点で、ソロモンは自分の陣地を持つつもりはなかったが。
ソロモン――ロマニ・アーキマンは、自分の保有する最高位の千里眼を封印していた。
過去・現在・未来の全てを見通すそれは、確かに便利ではある。しかしそれは人の心を持つ者には無用であり、人の戦いである特異点修復の旅に用いるべきではなかった。
それでも、これは自身に関わる事件だ。故にこそロマニは千里眼を使い、迅速に事態の終息を図るつもりでいたのである。しかし――
――ロマニ。マスターとして指示するが、その千里眼は閉じておけ。
カルデアのマスターは、そう言ってロマニに千里眼の使用を禁じた。
それはソロモンはともかく、ロマニの人の心では、『全て』なんてものを見れば必ず引き摺られるからで。もちろん、人理焼却の黒幕に気づかれないようにするためでもある。
こんな事態にあってすら、ロマニ一人の心を慮り、全知ではなく人知による戦いを肯定している彼に、ロマニは感謝の念と共に決めたのである。彼のサーヴァントとして、そして――ただの友人として、共に特異点を旅して戦おう、と。
「――む、魔術王! 新手だぞ!」
征服王の警戒を呼び掛ける声。ちらりと見ると、残像すら残さず蒼い風が吹いた。
マシュが声を漏らす。それは今しがた脳裏を掠めた冠位の槍兵。ソロモンと同格の勇者。
クー・フーリン。
呪いの朱槍を肩に担ぎ、征服王とソロモンよりやや間合いの離れた位置に立つ彼は、意味深な眼をマシュとソロモンに向けた後にぐるりと辺りを見渡した。
「んだよ、もう片付けちまったのか」
「貴様、ランサーではないか!」
「おう。ライダーはともかく、そっちははじめましてだな」
征服王の誰何に応じ、清々しいまでに初対面を装う彼に、ソロモンは悪びれもせずに平然と乗っかった。
「こちらこそはじめましてだね、ランサー。それで何の用かな? 戦いに来たというなら迎え撃つけれど」
「まあ待て。オレはそれでも構わねえが、マスターからの指示でな。今の雑魚の掃討に手を貸しに来てやった所だ。まあテメェだけで瞬殺したようだから無駄足だったが」
「それは悪いことをした。申し訳なく思うよ」
「は、よくも抜かしやがる」
クー・フーリンは失笑し、そして征服王を見た。
「で、ライダーに――キャスターだな。テメェらは今のアレが何か、知ってるか?」
「その前にランサー、うぬに確かめておくことがある」
話をばっさりと切り、自身の方に話の流れを強引に引き寄せたイスカンダルが、鋭い眼光で槍兵を睨み付ける。
虚偽を赦さぬ圧倒的な威圧感である。その直撃を受けたクー・フーリンは、しかし涼しい顔を崩しもしないまま応じた。
「おう、なんだ」
「うぬに駆け引きは無用であろう。故に直截的に訊ねるが――貴様は今、この森の奥から来たな。ランサーよ、貴様はセイバーと決着をつけてきたのか?」
見方によればそうも見えるだろう。
アインツベルンの森から、セイバーではなくランサーが現れ、あまつさえランサーの口からそのマスターが健在であることを語られる。
そうなれば、セイバーが倒されてしまった可能性も浮上するのだ。
しかしそれに、隠す気もなくクー・フーリンは応じた。
「いいや? 単にオレのマスターが、セイバーのマスターと手を結んだだけのことだ」
「なんと――」
考えられるもう一つの可能性――戦況としては最悪の展開にイスカンダルは声を上げる。
「それはなんと羨ま――否、なんと卑劣な!」
イスカンダルは胸の前で拳を握り、心底口惜しげに嘆き、
「勝ち抜き戦の聖杯戦争で、よもや他陣営と盟を結ぶとは! ――これはもう余らも手を結ぶしかないのではないか、キャスターよ!」
本人にとってはさりげない勧誘に、ソロモンは苦笑した。ここで、実は冬木のランサーとキャスター陣営はとうに敗れ、入れ替わった自分達が一つの陣営だと教えたらどんな顔をするのだろう。
まあ明らかに聖杯が異常な活動を始めた以上、どんな事態にも柔軟に対処できる位置取りをしておいた方がいい。ソロモンは曖昧に頷いた。
「この件は持ち帰り、マスターと前向きに検討させて貰うよ」
「おぉ、真か!」
前向きに検討すると言っただけで、別に同盟するとは言っていないのにこの喜び様である。
これは有耶無耶の内に自分に都合よく動かすタイプの、論戦などでは滅茶苦茶な論法での論破を図るタイプと見た。
適度な距離感が必要かなと思いつつ、ソロモンはそろそろ本題に入ることにした。
「それより二人とも。今の雑魚いのに関してと、本来の用件もあるんだし、そろそろセイバーの所にお邪魔しないかい? そこにランサーのマスターもいるだろうし、楽しい話が出来ると思うな」
士郎くんの驚く顔が見られなくなったのは残念だけど、彼なら『この形・状況』で出来る、最善の手段に思い至るだろう――とソロモンは思う。
異邦人である自分達がいる以上、イレギュラーは確実に起こるのだ。方針を転換する必要がある。カルデアでの状況もある、場合によってはクー・フーリンには離脱して貰って、影の国の方に救援に出向いて貰った方がいい。
ソロモンの提案に、イスカンダルとクー・フーリンも気楽に乗った。
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