なんばパークス
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第五章
「確かにこの場所にあったのね」
「そうよね」
今はなんばパークスとなっている自分達はこうしている場所にというのだ。
「それでそこで南海ホークスが戦っていたのね」
「試合していたのね」
二人共南海の緑と白のユニフォームやモノクロの写真も観ていた、そしてその中で飾られているチャンピンフラッグと背番号七十一のユニフォームを見てだ。
直美はしみじみとした口調になってこんなことを言った。
「ああ、鶴岡一人さんね」
「名前は知ってるわよね」
「ずっと長い間ホークスの監督でね」
「名監督だったのよね」
「ずっと南海の顔だったっていう位に」
「凄い人だったって聞いていたけれど」
先程は二人共鶴岡の名前は思い浮かべることは出来なかった、だが今はそれでも思い出してだったのだ。
「勝った試合の数凄いわね」
「歴代一位ってね」
「二十年以上チームの指揮執ってきて」
「戦争前は選手でね」
「ずっと南海にいた人なのね」
「というかね」
今度は千明が言った。
「戦争前のプロ野球ってね」
「もう誰も知らないわよね」
「南海ってその頃からあったのね」
「戦後は色々あったけれど」
「近畿日本って」
「それって近鉄じゃ」
資料には近畿日本グレートリングのことも少しだが書かれていた、親会社の南海自体が近鉄に買収されていた頃のチーム名だ。
「その頃に優勝したって」
「もうその頃になると」
「一体どんな時代だったか」
「想像もつかないわね」
二十世紀の末に生まれて二十一世紀に暮らしている二人にとっては想像も出来ない時代だった、終戦直後のことは。
「その頃から鶴岡さん監督だったのね」
「それで二十年以上采配執ってて」
「野村さんや杉浦さんが選手にいて」
「広瀬さんね」
「あっ、岡本さんって人いるけれど」
千明は三人の選手の手形の中から岡本伊三美という選手のそれを見て言った。
「この人凄かったみたいね」
「凄い活躍した人みたいね」
「この人も当時の南海にいたのね」
「それで大活躍したのね」
「大沢さんも南海だったのね」
親分の仇名で知られていたこの人もそこにいた。
「へえ、選手時代は外野手だったの」
「野村さん杉浦さんと同じ頃に現役だったのね」
「その頃の南海っていい選手一杯いたのね」
「今のソフトバンクみたいに」
「メジャーリーガーの人いたのね」
千明は今度は村上雅則という選手の写真と説明されている文章を目にした、そのうえで直美に話した。
「日本最初の」
「野茂さんじゃなかったのね」
「そうみたいよ、この人が最初でね」
「今の日本のメジャーの人達がいるのね」
「そうなのね」
その村上がはじまりだと知った、今メジャーで活躍している日本人の選手達は。
「そうだったのね」
「私こんなこと知らなかったわ」
「私もよ」
「こうした人もいたのね」
南海というチームにとだ、二人はこのことも知った。
大阪球場のことも学んだ、五十年以上この地にあったこの球場の歴史は野球以外にも様々な事柄に彩られていた。
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