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真田十勇士

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巻ノ最後 訪れるものその八

 十勇士達と共に酒を飲む、そこで彼は家臣であり友であり義兄弟である彼等に満足している笑みで話した。
「やはり拙者の命はな」
「満月の如くですか」
「満ちていますか」
「これ以上幸せな者はおらぬであろう」
 こうも言うのだった。
「武士の道を歩めてお主達もおるのだからな」
「だからですか」
「そう言われますか」
「そうじゃ」
 まさにというのだ。
「心から思うからな」
「ですか、それはです」
「我等も同じ」
「殿とお会いしてこれまで」
「不足に思ったことはありませぬ」
「一度たりとも」
 十勇士達もこう答えた。
「何といいますか」
「これ以上の幸せ者はおりますまい」
「我等もです」
「そうでしょう」
「そうか、お主達もか」
「はい」
 十勇士は幸村に一斉に答えた。
「殿の最初の旅でお会いしましたが」
「我等それぞれ」
「その時からです」
「一度も思ったことはありませぬ」
「元より富貴や身分にはこだわらぬ身」
「左様でしたから」
「それでか、ではこのまま幸せに生きてな」
 幸村は十勇士達の言葉を受けてだ、飲みつつ述べた。
「約通りにな」
「共に死にましょうぞ」
「同じ場所で同じ時に」
「そうしましょうぞ」
「そうしよう、我等はこの世だけでなくな」
 まさにというのだった。
「何度生まれ変わってもじゃ」
「共にいましょう」
「何があろうとも」
「必ずな」
 幸村は愛する家臣達に言った、そうして次の日もそれからも修行に励み武士の道の果てを目指すのだった。
 真田幸村は大坂の陣で死んだと歴史にある、彼の主君であった豊臣秀頼とその子国松も後藤又兵衛も同じだ。幸村の子大助も長曾我部盛親もそうである、そして十勇士達はその戦で死んだ者もいれば生き延びた者もいると言われている、実はいなかったのではないかと言われている者すらいる。
 だが鹿児島に彼等が生きていたという伝承がある、この時代で言う薩摩に。
 それは実は真実であり幸村の墓もそこにあり秀頼の伝承も残っている。しかしそれはあくまで伝承ということになっていてだ。
 真実ではないと言われている、しかしそれは真実であり幸村が薩摩に逃れるまでそして薩摩に逃れてからはこの物語にある通りだ。後藤又兵衛と長曾我部盛親もまた同じでこの国で生を全うし真田大助は名を変えて島津家の家臣となり生きた。
 幸村と十勇士達はこの世を去るまで共に修行に励み死ぬ時と場所は同じだった、その時彼等は十一人共見事な大往生を遂げ世を去ったという、彼等が武士の道を歩みきったかはわからない。だが満足のいく人生であったという。これ以上はないまでに。


巻ノ最後   完


真田十勇士   完


                 2018・5・5 
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