左近の教え
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第三章
決勝でも健闘した、何と準決勝まで進んだ。準決勝は優勝候補筆頭の国であり接戦の上最後のPKで惜しくも敗れたが。
三位にはなり誰もが驚いた、日本のファン達だけでなく世界のファン達がだ。
日本の思わぬ健闘は監督の練習と采配によるものだと話題になった、それでインタヴューが殺到したが監督はそのインタヴューに淡々と答えた。
「全ては調整場所を長浜にしたことです」
「長浜?」
「何処ですかそこは」
「日本ですね」
日本以外の国の者はまずこの地名からだった。
「何処にありますか」
「聞いたことがないですが」
「その場所は」
「戦国大名の石田三成そして彼の軍師島左近がいた場所です」
そこだと言うのだった。
「そこで調整し島左近の戦いぶりから精神面を強化することを学び戦術と戦略も徹底させた」
「そうしてですか」
「そのうえで、ですか」
「日本をあそこまで進めることが出来た」
「そうなのですね」
「そうです、島左近の様に強い心で試合に向かい」
そしてというのだ。
「彼の様に確かな戦略と戦術も使い戦う」
「そうしてですか」
「日本をあそこまで進められた」
「そうなのですね」
「そうです、佐和山にいた島左近の様に」
まさにというのだ。
「そうしてこそです」
「日本はあそこまでなった」
「そうですか」
「そうです、しかし島左近は敗れてしまいましたが」
関ケ原でだ、監督はこのこともわかっていた。
しかしだ、それでもというのだ。
「日本は違います、敗れはしたが見事に戦った島左近の様に」
「強い心と戦略戦術で戦い」
「そうしてですね」
「そのうえで、ですね」
「日本は何時かワールドカップで優勝します」
こう言うのだった、そしてだった。
監督はこのワールドカップで日本チームの監督から降りたが日本チームはチーム全体でこの大会のことを忘れず。
ワールドカップ前には必ず長浜で調整する様になった、そうしていき次の大会では強靭な精神力と見事な戦略戦術でワールドカップで優勝した。その後で佐和山に島左近の神社が彼を戦ではなくサッカーの神として祀るものとして設けられるという話が出たがその実現は議論が優勝から長く経ってからようやくサッカー協会と佐和山市の尽力で建てられた。
左近の教え 完
2018・9・4
ページ上へ戻る