勇者たちの歴史
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西暦編
第三話 あの日③
前書き
前話の通り、投稿する時は一気にいきます
白い化け物の襲来から三十分が経過した。
冬木市全域に降り注いだそれらは、家屋を破壊しながら獲物を探し、見つけた先から喰らい、潰し、殺していった。
抵抗しようとする人間もいたが、彼らは侵入者に傷一つ付けられず、その白い身体を血で染めるのが精一杯であった。逃げようとした人間も、浮遊し、障害物を気にもしない化け物たちに容易に追いつかれ、その命を散らしていった。
一般社会に生きる彼らは知る由もなかったが、白い化け物は神秘を宿した存在であり、同様に神秘を宿すものでなければ干渉することもできない。故に、殺戮は常に一方的であり、冬木の住民は刻一刻とその数を減らしていった。
一部の、ほんの一握りの例外を除いて。
―――陰陽の刃が夜闇に踊る。
「であ……ッ!」
母娘に襲い掛かった化け物は、中空で無残に切り伏せられた。
耳障りな断末魔は同種を引き寄せる効果でもあるのか、わらわらと姿を見せる新手を前に、士郎は刃の零れた短剣を投影し直す。
「……あ、ありがとうございます……」
「礼はいい。合図をしたら、俺の指した方向へ走って逃げてくれ」
士郎の言葉に、背後に庇われた母親が絶句する。
周囲を取り囲む異形の数は三十以上、三人の獲物を狙う白い垣根に隙間などどこにも見えない。そもそも逃げたところで、安全な場所などあるのだろうか。
「で、でも……こんな数、無理です! すぐに追いつかれてしまいます!」
「……今のままなら、そうだろうな。けれど、問題ない」
母親の絶望を士郎が切り捨てた直後、化け物たちに変化が起きた。
取り囲んでいた数十の個体が一か所に集まり、溶け合うように姿形を変えていく。人間より一回りほど大きかった化け物たちは、見上げるほどの巨体になっていく。
それらは既に、数回の戦闘を経て、士郎を単体では殺すことのできない存在だと認識していた。
いかなる手段によってか、彼の存在は化け物の間に共有され、対抗する為の方法を確立しようとしている。化け物たちが選択したのは、自分たちを上回る強者に対し、それを更に凌駕する存在へと『進化』することだった。
通常、進化とは万や億を超える年月を費やして行われるものだが、化け物はそれを僅か数分の間に成し遂げている。もはや生物の原則に縛られない、超越した能力ともいえる。
――士郎は、その『進化』の性質を逆手に取った。
「今だ――走れ!」
右手の剣先を空いた空間へ向けた直後、化け物の進化が完了した。
それは、大弓のような形状だった。中央――矢摺籐に位置する部分には大穴が開き、矢の形をしたものが生み出されている。穴の左右からは細長い腕が伸び、その先にも本体と同様の器官が創られていて、獲物に狙いを付けている。
母娘が駆けだすのと同時、射出された光の矢を士郎が跳躍し空中で叩き落とす。
「走れ――そのまま、柳洞寺に向かえ!」
「ッ、は、はい……ッ」
そうだ、逃げろ。早く、早く、逃げてしまえ。
逃げる二人を射線から庇うように、士郎が双剣を構え直す。
「さっき見たのとは、また随分と違う。一種の個性みたいなものなのか?」
疑問が意図せず零れたが、当然返答はない。
代わりに音速で放たれた三本の矢を、夫婦剣で難なく捌く。
進化を遂げた化け物とやり合うのは、これで十度目。士郎も初めは驚いたが、そういうものだと納得してからは、寧ろ積極的に進化をするよう立ち回ってきた。
進化を遂げると、化け物は格段に強くなる。それと同時に、行動そのものも進化前から多少変化することも分かってきた。
それは、無差別な人間の殺戮よりも、士郎のみを殺す行動を優先するようになるというもの。
士郎を殺すため、進化をした影響だろうか。
あるいは、単純自分たちを殺し得る存在を優先して排除したがっているだけだろうか。
理由ははっきりしないが、士郎にとっては好都合な変化だ。
「――投影、開始」
双剣を投擲し、すぐさま新たな短剣を両手に握る。
投げ放たれた陰陽の剣は細腕を断ち切り、後方へ抜けて消える。化け物は動揺もなく本体の穴に矢を生み出し、正面の敵に照準を定めた。
「ッ――、投影、開始」
標的は、狙いから逃れず真正面からの接近を選択した。
武装は変わらず、一対の短剣。
狙い違わず頭部へ向けて撃ち出された巨大な矢を、交差させた干将と莫耶で受け止める。
拮抗は一瞬、夫婦剣は無残に砕けて消滅する。だが、その一瞬の衝突が軌道を歪め、必殺の威力を誇る矢は無人の家屋を粉砕しただけに終わる。
「――凍結、解除、――――はッ、だぁ――――ッ!!」
現れた隙を、士郎が見逃すはずもない。
準備を終えていた干将・莫耶を、もう一度両手に握る。
瞬時に強化し、オーバーエッジ。
長大になった双剣は容易く化け物の身体を切り裂き、とどめを刺した。
「――――、はぁ、はぁ、……次は、」
オーバーエッジを破棄し、新たに投影をしながら周囲を窺う。
辺りにいた化け物は、今の進化体に軒並み融合していたらしい。近づこうとする気配はなく、彼は僅かに緊張を緩めて息を吐いた。
これで、深山町は大体見て回ったことになる。
目についた生存者は柳洞寺へ誘導できたが、それでも数百人程度。もちろん全てではないだろうが、相当な数の人間が犠牲になったことは間違いない。
「……くそッ、俺は……」
殺された彼らは、救わなければならない命だった。
少なくとも、士郎にとっては。全ての命を救う『正義の味方』を目指す彼にとって、救えなかったという事実は何よりも重く沈み込む。
握りしめた手の中で、剣の柄が悲鳴を上げた。
士郎が集中を欠いていた、あるいは冷静さを失っているのは間違いない。少なくとも、平時の彼なら気付けたはずだった。
今、自身が何処にいるのかということに。
自分の背後から、誰かが近づいてきていることに。
「…………あれ、士郎……?」
「……、藤ね、え……」
幸運だったのは、彼女が怪我一つ負っていなかったことだろう。
不幸だったのは、彼に魔術という非日常を隠す余裕がなかったことだろう。
異形に襲われ、日常が崩壊した冬木の夜。
魔術使いの衛宮士郎は、藤村大河と遭遇する。
襲撃から僅かな時間で、すでに柳洞寺の建つ円蔵山には多くの住人が逃げ込んでいた。
円蔵山は、この地における最上級の霊地だった。かつての聖杯戦争においてサーヴァントの侵入すら阻むほどであり、龍紋の影響を受けてなお、大聖杯の機能により霊地としてほとんど格を落としていない。
そして、白い化け物たちにとっても、この地は影響を無視できないものであるらしい。
凛と桜が辿り着いた時、侵入を躊躇うような様子で山の周囲を無数の化け物が浮遊していた。
このままでも、化け物たちは円蔵山に侵入しない可能性はある。
だが、それらがいつまでも小康状態が続く保証は何処にもない。それに、山の周囲を包囲されていては、せっかく士郎が逃がした人間が入ることもできない。
取るべき行動は決まっていた。
遠坂凛は、何事もやるからには徹底的にやる性質だ。
「計算ずくなんだか、それともただ執念深いだけなんだか……行くわよ、桜!」
「えぇ、いつでも行けます!」
化け物たちが気づく前に、二人は互いに魔力を活性化させる。
「―――――Anfang」
遠坂の魔術刻印が高速で回転を始める。
取り出す宝石は切り札の一つ、大粒のエメラルド。
封じた属性は風。込められた魔力の量は、かつての聖杯戦争時に用いたものより質も量も凌駕している。
「―――――Drei Ein Kreis Blitz……!」
砕けた宝石から伸びるのは、無数の雷の牙。
雷撃は放射状に展開し、化け物の身体を次々に射抜き消滅させる。
近づく敵は喰らい尽くし、遠ざかる標的も無慈悲に撃ち抜く。多対一の戦闘を目的に設計された魔術は、与えられた出番において十全以上の効果を発揮した。
華やかな宝石魔術の一方で、
「声は祈りに――――私の指は大地を削る……!」
間桐桜の魔術は静かに、だが一層容赦なく異形の数を削っていく。
桜の魔術特性は虚数。
間桐の魔術師としてではない、彼女本来の性質に依る魔術行使だが、凛と異なりまだ荒削りの面は否めない。桜はまだ魔術師としては五年の研鑽しか積んでおらず、使える魔術もそう多くはない。
だが状況によって、高めた一が他を凌駕することもある。
桜の足元から伸びる影から複数の腕が出現し、対象を掴んで引きずり込む。虚数空間に引きずり込まれた存在は、あらゆる情報が不確定であるその場所から逃れることもできず、やがて存在そのものを保てなくなり、虚数の海に埋没する。
虚数の世界は、存在するが実体を伴わない架空の空間。
故に、物質的な上限はなく、魔力が続く限り獲物を捕らえ、飲み込んでいく。
「―――――Sieben Acht Ein KÖrper ist ein KÖrper……!」
トパーズとルビーが投げ込まれ、密集し始めた化け物がまとめて灰に変わる。
今回、凛が用意した宝石は二十一。その内で切り札として準備していたのは五。
既に宝石十四、うち切り札の石を三も消費したが、灰が撒き散った後にもう敵の姿は残っていなかった。
「これで、残りは七、か……」
微かに眉を顰める。凛が想定していた以上に、宝石の消費が早い。
化け物そのものの強さは、大したことはなかった。一流以上の魔術師であれば十分討伐でき、二流以下でも全力で戦えば倒すことは難しくない。
だが、無数に現れる敵を殲滅するには、等価交換の原則がある限り、魔術師はあまりにも不利な立場に置かれる。何かを消費しなければ結果を得られないのが魔術であり、代償が尽きて魔術を行使できなくなった魔術師はあまりにも無力だ。
そして、凛がこれから行おうとしている試みは、残りの宝石を全て投げうつ可能性のある大博打。
――これ以上、宝石は浪費できない。
「桜、これから円蔵山の周囲に結界を張るわ。それから、わたしは大空洞に籠る。多分、しばらくは出てこれないでしょうね」
山のあちこちに仕込んだ宝石を確かめつつ、言葉を続ける。
元々、円蔵山には大聖杯を守るため、結界を張る準備を仕込んでいた。山の四方に一個ずつ、宝石を繋げた方形に接する円との接点に一個ずつ。
そして、その円に内接する方形の、各辺の中点に一個ずつ。計十二個の宝石を用いた、英霊の宝具すら引けを取らない大魔術。一度きりの魔術である反面、その効果は規格外である。
「だから、わたしが大聖杯を起動させて、あの白いのをどうにかするまでの間。あなたに、この結界を守ってもらう」
それは、使い切りの結界を、時間まで維持しろという無茶な要求。
元々この結界は、凛が遠坂邸から駆け付けるまでの間、他の魔術師を山の中に入れないためだけもの。言わば、大盤振る舞いの時間稼ぎでしかない。
それを維持するには、要の宝石に魔力を注ぎ続け、魔術を強引に成立させる必要がある。
並みの魔術師では、数分と持たずガス欠になる。膨大な魔術回路を持つ凛でも、一時間も持たないかもしれない。
「分かりました。ここは、わたしが守り切ります」
それを理解した上で、桜は答えた。
自分の力が信頼され、大切な役割を任された。
その事実が、桜の心を何よりも強く奮い立たせた。ならば、あとは姉の想いに応えるだけ。
妹の眼差しに笑みを返し、凛は力強く呪文を唱える。
「――――Das Schliesen. Vogelkafig,Schließung!」
遠坂に生まれた姉妹、それぞれの挑戦が幕を開ける。
――――冬木市周辺に巨大な晶柱が顕現するまで、あと一時間半余り。
後書き
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