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整備員の約束

作者:おかぴ1129
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7. 余煙

 あの鎮守府を離れて、数ヶ月が過ぎていた。新しい職場の整備工場にも慣れ始め、俺は戦争から距離を置いた、平和な世界で毎日を過ごしている。

 木曾と別れて鎮守府を離れた後、俺は新しい赴任先に到着してすぐに軍を退役した。先方の提督さんからは『腕のいい整備員を手放したくない』ということでかなり慰留されたが、俺はどうしても、あの提督さん以外のもとでは働きたくなかった。退役したあとは海から離れた整備工場に就職し、今ではそれなりに仕事を任されるようになっている。

 あの後……木曾とは何の連絡も取れていない。

 木曾の居場所は分かっているから、俺も電話や手紙で木曾への連絡を試みたが……木曾からの返事をもらえたことは、一度もない。

 木曾と交わしたあの約束は嘘だったのか……あれは俺の一人相撲で、木曾は俺のことを相棒だとは思ってなかったのだろうか……時々そんなことを考えるが……

 今の職場の整備場では、常にラジオをつけっぱなしにしている。そのため、時々海のバケモノ共との戦争に関する情報もラジオを通して知るわけだが……状況は決して良くはないらしい。詳しくはラジオも語らないが、戦闘は激化の一方だそうだ。

 そんな状況で、あの追い詰められた鎮守府はちゃんと運営出来ているのだろうか……最近は、木曾のことと一緒にそんなことを考える事も多い。


 そんなある日のことだった。今日も俺は整備場でラジオを聞き流しながら、自分に割り振られた仕事をこなしていたのだが……

――徳永さん ごめんなさい

 ラジオのパーソナリティーのやかましいトークにまぎれて、耳に微かに届く声があった。この声は聞き覚えがある。懐かしいあの小料理屋で、俺の隣で牛乳とポテチに舌鼓をうっていた、あいつの声だ。

 その、突然耳に届いた声に少々困惑していたら……

「徳永くん。お客さんだ」
「はい?」

 同じく作業着を着てはいるが、デスクワーク中心で普段はあまり顔を見ない部長が俺の前に立っていた。

「客ですか?」
「ああ。なんでも海軍の方らしくて……」

 立ち上がった俺に、部長が自身の背後に立つ人影を紹介してくれた。

「提督さん……」
「探した……探したよ。徳永さん」

 部長が連れてきたお客さん……それは、見るのも懐かしい。純白の制服に身を包んだ、小料理屋の調理師見習いの、あの提督さんだった。


 部長に案内された休憩室のソファに、俺と提督さんで向かい合って座る。ここの休憩室は喫煙が出来る。二人の目の前のテーブルにはガラス製の大きな灰皿が置かれ、少なくない量の吸い殻が溜まっている。

 そのそばには、誰かが忘れたのか、まだ充分な本数が残ってるタバコのハードケースと電子ライターが一つ、無造作に置かれていた。

 室内に立ち込めるタバコの匂いに顔をしかめる。木曾と別れて以来、俺は一本も吸ってない。おかげで最近は、タバコの臭いにも敏感になってきた。不快だとは思わないが、タバコの匂いが鼻につく。

 テーブルを挟み二人で差し向かいに座ってしばらくすると、事務の女の子が、俺と提督さんにお茶を運んできた。提督さんはお茶が置かれるなり、笑顔で『ありがとう』と事務の子にお礼を言っていた。その姿を見て、提督さんが相変わらずであることにホッとした。

 会釈した事務の子が休憩室から出ていき、ドアがバタンと閉じた。今、休憩室には俺と提督さんのふたりだけだ。その途端に口火を切ったのは、帽子を脱いだ提督さんだった。

「しかし徳永さん……探すのは苦労したよ。まさか退役してるとは思ってなかったから」
「……あんたの元以外で、働きたくなかった」
「徳永さんのその気持ちはうれしいけど……軍全体で考えたら大きな損失だよ」
「あんたを追いつめてるやつらよりはマシでしょう」

 そんなつもりはないが、つい棘のある言い方をしてしまう俺と、俺のそんな言葉を苦笑いで受け止める提督さん。実際、この人はキツい環境でよく頑張ってると思う。

「……で、提督さん」
「ん?」
「挨拶するためにわざわざ探してたんじゃないでしょう」
「ああ」
「んじゃ、あんたも俺に慰留するんすか? あんたの元なら考えるけど、それ以外は却下ですよ」
「そうしたいのは山々だけど……違うよ」

 提督さんを問い正すが……実は俺は、提督さんがここに来た理由の目星がついていた。……だが、あえて問い正す。なぜなら提督さんに、俺の心当たりを否定して欲しいからだ。

「なら、あんたも退役したんすか。ここで働きたいんすか」
「違う」

――徳永さん

 言わないでくれ。俺の予想、外れてくれ。否定してくれ提督さん。かすかに耳に届くまるゆの声は、俺の勘違いだと思わせてくれ。

「んじゃ、何なんすか」

――ごめんなさい

「木曾が沈んだ」

 俺の意識に穴が開いた。

 眼の前の提督さんの顔が白くぼやけ、見えづらい。何かと聞き間違えたのではと思い直し、もう一度……もう一度だけ、提督さんに問い正す。

「……」
「……すまない、提督さん」
「ああ」
「聞き違いかもしれない……すまない。もう一度……」
「木曾が沈んだ」

 聞き間違いであってほしいという俺の浅はかな望みは、改めてハッキリと伝えられた提督さんの言葉で、脆くも打ち砕かれた。

「キミが鎮守府を離れてから、キソーの活躍は目覚ましかった。出撃すれば敵艦隊は必ず殲滅したし、救出作戦に出た時は対象を必ず確保して戻ってきた」
「……」
「何より、『生きて帰る』という執念が凄まじかった。どれだけ困難な任務でも、どれだけ酷い損傷を受けても、必ず帰ってきた」
「……」
「味方にも『みんなで生きて帰るぞ』と言い続けていたが……姉妹の危機に、つい身体が動いてしまったんだろう。姉妹艦の一人をかばって、敵艦隊からの砲撃の雨あられをその身に受けて、彼女は沈んだ」
「……」
「それが三週間ほど前だ」

 提督さんが何かを喋っている。声は耳に届くが、何を言っているのかさっぱり理解が出来ない。

 額を抱え、俯く。視界が白く白く濁り、何がなんだか分からない。

 代わりに、提督さんの声に紛れてかすかに、耳に届くセリフがあった。

 それは、あの日の木曾との約束。

――俺が戻るまでにタバコはやめろ

 俯いたまま、テーブルに目をやった。テーブルの上には大きな灰皿と、誰かのタバコとライターがある。

――ヤニ臭いキスは嫌なんだよ

 震える右手でタバコに手を伸ばし、一本取った。そのまま左手でライターを取り、あの日以来はじめて、タバコに火をつけた。

「……」

 途端に、口の中に苦く不快な味が広がり、頭が酸欠でふらつく。久々だからだろうか。タバコが臭く、死ぬほどまずい。

――口の中が……タバコ臭え……ッ

 だが、それでも吸い続けた。むせそうになっても吸い、声を殺して煙を吐き、吐きそうになっても煙を吸い、まずい煙を吐き続けた。俺が吐いた煙とタバコから立ち上る煙が、俺と提督さんを包み込んだ。

「……クぁ」
「どうした?」
「ずっと……禁煙してたんで……」
「ならキツいだろうに……禁煙はもういいのか?」
「……もう、意味ないんで」

 自分のセリフに、ハッとする。もう意味がない。木曾はもう、俺のもとには戻ってこない。つまり俺が禁煙することは、もう、意味がない。

「徳永さん……」
「意味、ないんで……ッ」

 俺が禁煙する意味はもうない。なぜなら、俺と約束した木曾は沈んだから。俺とキスするはずの女は、もう俺のもとには、二度と戻らないから。

 一本目のタバコを消し、二本目に火をつけた。胸が気持ち悪く、頭のグラグラが収まらない。それでも、俺はタバコの吸い口から苦い煙を吸い続け、周囲に臭い煙を吐き続けた。

「……提督さん」
「ん?」
「なんで、俺にそのこと伝えてくれたんすか」
「……昔、俺の命令で髪を切ったことあったろ?」

 今も思い出す……提督さんからの命令で、髪を切らされたあの日のこと……髪を切った帰りに、木曾に膝枕をされて……

「あれ、まるゆから言われたんだ」
「……なんて言われたんすか」

 思ったとおり、あの小僧が裏で糸を引いていたのか……

 提督さんは、少しだけ表情を緩め、どこか遠くを見つめながら、懐かしそうにゆっくりと口を開き、まるゆの言葉を教えてくれた。

――相棒とか言ってますけど……
  木曾さん、きっと徳永さんにカッコよくなってもらいたいんですよ
  だから隊長、徳永さんに命令を!

「あのアホ……」
「すぐにピンときた。……それに、徳永さんが鎮守府を去ってから、時々キソーが言ってたんだ」
「……?」
「さっきの生き残る執念に通じるんだけど……『生き残らなきゃいけない』『相棒がちゃんと約束を守ってたら、俺は生きて軍を退役しなきゃいけない』てさ」
「……ッ」
「だからキミには……徳永さんには、彼女の死は伝えなければならないと思った」

――徳永さん 木曾さんを守れなくてごめんなさい

 タバコの煙が目に染みる。久々の煙はとても目に痛く、目から涙が止まらない。作業服の袖口で右目を強く拭くが、涙は一向に止まらない。

「……クソッ」
「徳永さん……」

 提督さんの言葉の端々に紛れて、聞こえるはずのない、まるゆの声がずっと聞こえている。しょぼくれた声で、木曾を守れなかったことを、俺に必死に謝っているようだった。

「提督さん」
「ん?」
「木曾がかばったやつは……姉妹艦とやらは、無事なんすか」
「……」
「あいつがかばったやつは……あいつが……俺の相棒が身代わりに沈んだそいつは」
「大丈夫だ。キソーが沈んだ時はずいぶん動揺したが、今はもう落ち着いてる」

 なぁ相棒。よかったな。

 お前が助けたやつは無事だってよ。俺との約束を破ってまで助けたそいつは、無事だってさ。

 でもな……一つだけだ。一つだけ文句を言わせろ。

「相棒残して……行くなよ……ッ!」
「……」
「俺が約束守ってたか、確かめるんじゃなかったのか……ッ」
「……」

――ごめんなさい 本当にごめんなさい徳永さん

「まるゆだって泣いてるだろうが……自分は悪くないのに、必死に俺に謝ってるじゃねえか……」

 なぁ。戻れよ木曾。

 そして続きをしようぜ。

 約束を破ったことは、この際許してやるよ。俺だって今、こうしてお前との約束破って、お前に止められたタバコをバカスカ吸ってるんだ。許してやるよ。

 だから戻れよ。今からでも遅くないから。そして俺が約束守ったか、キスして確認してくれ。そして怒れよ。また『タバコくせぇ』って言って、俺に怒れよ。

 根本まで吸った二本目のタバコを、テーブルの上の灰皿に投げ入れた。暫くの間立ち上っていた細い煙は、やがて静かにフッと途切れた。

 吐き気と嗚咽で顔を歪ませながら、俺は三本目のタバコを咥え、そして吸った。


 今日はもう仕事を出来る状態じゃない……部長にそう判断された俺は、業務命令として帰宅を命じられた。そのまま帰り支度を済ませ、タバコの吸い過ぎで頭痛が酷い頭を抱え、俺は職場を後にした。

「や。徳永さん」
「あんた……」

 職場の出口の前で、純白の制服に身を包んだ提督さんが、俺の帰りを待っていたようだ。俺が早退になったからよかったものの……もし定時まで俺が仕事をしていたら、その時間まで待っているつもりだったのだろうか。

「待ってたんすか」
「ああ。徳永さんと一杯やろうと思って」
「なんでまた……」
「キミたちだって、まるゆの時は弔いをしてたじゃないか」
「ポテトチップスと牛乳でですよ……あんなん弔いでも何でもないでしょう……」

 提督さんと二人で、帰り道を歩く。しばらく歩けば商店街に出る。そこまで歩けば、飲み屋も何件かあったはずだ。

 ……肝心な事を忘れていた。俺の相棒は……木曾は何が好きだったのかを、必死に思い出す。あいつは何を飲んで、何を好んで食べていた?

 あの日、木曾が俺に『まるゆにとって、俺はいい相棒だったかなぁ』とぼやいていた気持ちが、今やっと理解できた。

「なぁ提督さん」
「ん?」
「あいつ、何をよく飲んでたんですか」
「その日入荷した日本酒を飲んでたから、あまりこだわりはなかったみたいだけど……獺祭は受けが良かった」
「好きな食べ物は?」
「どこか店に入ったら教えるよ。もしメニューになかったら、厨房借りて俺が作る」
「ありがとう。……なぁ提督さん」
「ん?」
「俺はあいつにとって……いい相棒だったかな」
「本人に聞いてみるといい」
「もう聞けないから聞いてるんですよ……」

 終わり。











――お前のキス……味は最悪だが、悪くはなかった
  しばらくはごめんだがな
  じゃあな 相棒


 
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