整備員の約束
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1. 嫌煙
前書き
登場人物紹介
徳永吾郎:整備員
今日一日の仕事を終え、くわえタバコで整備場をあとにする。顎をさすり、若干髭が伸びていることに気付いた。出来れば一日に二回ぐらい、髭剃りの時間が欲しいもんだ。
そんなことを考えていたら、遅番の同僚とすれ違いになった。こいつは今日は夜からのシフトになるため、朝から仕事の俺とは入れ違いになる。
「徳永ー。お疲れー」
「ああお疲れ」
「聞いたか? 提督が艦娘のやつと一緒に小料理屋を開いたってさ」
「いや、初耳だが……」
「だったら行ってみたらどうだ? 鎮守府のメンバーならタダで食っていいらしいぞ」
「マジか」
「慰安と福利厚生が目的だってさ」
この激戦区で福利厚生まで気にするなんてマジかよ……とも思ったが、まぁあのお人好しの提督さんならやりかねん。あの人、以前にもムリを言って鎮守府の中に美容院を建てたこともあったしな。美容師の腕もよく、艦娘たちからも評判がいいと、以前に小耳に挟んだことがある。
それでも艦娘のやつに店を任せるのはどうかと思うし、提督さんが店を手伝うってのも、なんだかちょっとおかしな話だが。
「まぁーこんなご時世だ。些細なことでも楽しみがないとやってられんだろ」
「まぁなぁ……」
そんな仲間の言葉に納得したあと、その仲間と別れて、一路その店へと向かう。機械油で若干汚れた作業着からは、少し油の匂いが立っているが……気になるほどではないだろう。そのまま店へと向かうことにした。
海のバケモノ共と戦争を始めてからもうだいぶ経つ。俺がこの鎮守府に着任してからまだ半年ぐらいしか経ってないが、その間に死んでいった奴も少なくない。整備する艤装の数も、最近は以前に比べて少なくなってきた気がするし。艦娘の奴らにとっちゃ、毎日が死と隣り合わせのこのご時世。確かに楽しみがないとやってられんだろう。
仲間に言われるままに、作業服のままで教えられた場所に足を運んでみた。
「う……」
確かに佇まいはこじんまりとしたものだが、そこには立派な料亭が建てられていた。まだ建てられて日が浅いのだろう。壁やのれんは新しい。
看板に目をやると、『鳳翔』と書かれている。詳しくは知らないが、料理がうまい艦娘だと聞いたことがある。引き戸になっている入り口の前には、アルミの一斗缶のような吸い殻入れが置いてあった。
入り口の周辺を見回す。禁煙のマークはない。鎮守府は喫煙者も多く、施設内で禁煙の場合は入り口に必ず禁煙のマークをつける決まりがある。そのマークがないということは、少なくともタバコを吸うことは禁じられてはいないということだ。
気を良くした俺は、そのまま引き戸を開き、店内に入った。
「え!? そうなの!? よかったじゃんジンツウ!! 二人とも仲良かったもんね!!」
途端に俺の耳に飛び込んできたのは、艦娘と思われる女の、そんな賑やかな声。声のした方を見たら、お揃いに見える赤い服を着たえらく似た顔の三人の女が、うまそうな料理を囲んで、テーブル席に座ってキャワキャワと騒いでいた。……いや、一人の物静かそうなやつを、他の二人が賑やかに茶化してる感じだ。
「キソさん! それでね? その時にイクさんが……」
「アイツらしいな。お前はどうだ? 頑張ってるか?」
「もちろんです!」
反対側は仕切られた座敷部屋になってるようだ。そこではえらく幼く見える、白いポンチョを着た小僧が一人と、黒い軍服をマントみたいに羽織ってやがる、男みたいな女がいやがる。眼帯なんかをしてやがる緑の髪のその女は、なんか他のやつとはちょっと雰囲気が違って見えた。テーブルの上にはこれまたうまそうな料理と日本酒の徳利……大皿に山盛りにされたポテチと牛乳は、あの小僧のものだろうか。
ひとしきり店内を見回した後、俺はカウンター席に腰掛けた。カウンターには提督さんと、割烹着を着た和風美人の女が一人。女の方は艦娘だろう。しかしまさか提督さんがホントに店にいるとは思わなかった……
「いらっしゃい」
「提督さんがこの店にいるって聞いたんで来たんですけど……何やってるんですか」
「いや、俺は料理が趣味なんだが……そこの鳳翔にいろいろと教わろうと思ってさ」
提督さんとそんな会話を交わす。割烹着の女に目をやると、そいつは俺にニコッと微笑んでくれた。
「注文を聞こうか」
「何か適当に晩ごはんになるものを。あとビールください」
「わかった」
提督さんに注文をした後、カウンター席を見回した。手元にガラス製の灰皿が置いてあるのを確認し、ここが禁煙席でないことに安堵する。その灰皿を手元に持ってきた。
「はいどうぞ」
タイミングよく提督さんが、瓶ビールとコップを置いてくれる。俺はポケットからタバコのソフトケースを取り出し、その上部分をトントンと叩いてタバコを一本取り出すと、それを口に咥えて火をつけた。
「控えてくれないか」
俺が灰皿に手を伸ばして手元に引き寄せたときだ。静かな声が店内に響いた。はじめその声が、あの、黒服をマントのように羽織った異様な女の声だとは気付かなかった。
「あ? 俺か?」
「ああ。すまない。今は控えてくれ」
声がしたほうを向くと、さっきのあの異様な女が、眼帯をした顔をこっちに向けている。睨んでいるというわけではないが、その眼差しには妙な威圧感があった。
「ちょっと木曾さん……」
一緒にいる小僧が、そういってその女のことを制止していたが……時々、ケホッと小さく咳き込んでいることに気付いた。その小僧どもは、どうやらタバコの煙が苦手らしい。
その一方で、異様な女の方は小僧の制止を聞かず、ただこちらをジッと威圧し続けている。
喫煙可の店内なのに少々理不尽な気もしたが、小僧の咳き込む感じは、ほんとに煙が苦手なやつが見せる咳き込みだ。手元に持ってきた灰皿に、まだ火をつけて間もないタバコを押し付け、火を消した。
「これでいいか?」
「ああ。ありがとう」
多分、今の俺の頭にはもじゃもじゃ線が出来ていたと思うが……そんな俺に対し、その異様な女は礼を言って、表情を少し和らげた。火を消したタバコからはまだうっすらと細い煙が昇っていたが、それはすぐに途切れた。
「ありがと」
そう言って提督さんがお通しと思われる、水なすのぬか漬けを俺の前に出してくれた。
適当に相槌を打ち、ビール瓶からコップにビールを注ぐ。思った以上に泡立ってしまったビールを煽り、水なすに醤油を垂らして、俺はそれを口に運んだ。
さっきの小僧と女は、相変わらず楽しそうに話をしてやがった。一人なんで何もすることがなく、店内の様子を伺っていたら、時々そいつらと目が合った。
「……あ」
小僧は俺と目が合うと、小さくペコリと頭を下げた。
「……」
異様な女の方は、俺と目が合うと、フッと微笑んでいた。
小僧の方の名前は『まるゆ』、男みたいな異様な風貌の、緑の髪の女の方が『木曾』ということを知ったのは、後日、整備場で顔を合わせたときのことだった。
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