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カラミティ・ハーツ 心の魔物

作者:流沢藍蓮
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Ep8 戦いの傷跡

〈Ep8 戦いの傷跡〉

 宿の扉が音を立てて軋んだ。リクシアは何となくそちらに目をやって、驚きのあまり固まってしまった。
「……泊めてくれない?」
 入ってきたのは、茶髪に緑の瞳をもった、片手剣を右に差した少年。少年はリクシアを見て、驚いたような声を上げた。
「この頃戦闘続きでボロボロだよ……って、あれ!?  リ、ア……?」
「――フェロン!」
 リクシアの中で喜びと懐かしさが吹き荒れる。
 リクシアは彼に飛びつくようにしてしがみついた。しかし彼の身体は、リクシアを支えきれずに倒れ込む。
 リクシアは不思議そうな顔をした。
「……フェロン?」
彼は勘弁してくれ、と苦笑いを返す。その顔には深い疲労の色。
「魔物、魔物、魔物……。さんざん襲撃に遭ってくたくたなんだ」
 彼の顔の左半分には、前にはなかった醜い傷跡があった。本来ならば目があったであろう場所にはぽっかりと空いた虚ろな空間があるだけで、彼の左目の視力は完全に失われていることを示している。傷跡はその左目の辺りを中心として、顔の左半分全体に広がっていた。見るからに痛々しい傷跡である。
 リクシアは思わず声を漏らした。
「その傷……」
「あぁ、これか? 敵が多すぎたんだよ。おかげで左目の視力は無くなったが、戦闘に支障はないさ。……隻眼にも、慣れた」
 久しぶりに再会した幼馴染は、ボロボロで、つらそうで、苦しそうで。
 自分だけが幸せだったのかと、リクシアは思い知らされた。
 そんな彼女をぼんやりと眺めていたフェロンが、口を開く。
「あのさ、リア」
「何?」
 フェロンは苦い顔をする。
「……そこ、どいてくれる?」
「あ! ごめん!」
 フェロンの上に乗ったままだと気付いたリクシアは赤面し、あわててその上からどいた。
 リクシアが覚えているのは猫のように俊敏だったフェロン。しかし今の彼の起き上がる動作はひどく緩慢で、身体の至る所に傷があることを感じさせた。
「せっかく再会したことだし、情報交換、といきたいけど……。悪い、リア。手、引っ張ってくれるか?」
 フェロンが少し辛そうに、リクシアにそんなことを頼んだ。リクシアはその手を引っ張り、なんとかフェロンを立たせる。彼のその身体がふらついている。リクシアの顔に深い心配が浮かんだ。
「フェロン、私、薬持ってくる!」
 どう見ても普通の身体ではない。
「え、これくらい平気……って、ちょっと待て!」
 フェロンの制止も聞かず、リクシアは走り出した。
 大切な人を、今度こそ守るために。

「いい幼馴染じゃないっすかー。うらやましいっすねー」
 走り出したリクシアを呆れた目で見送っているフェロンに、宿の主の声が掛けられる。フェロンは何の用不だと目で問うた。すると宿の主はフェロンの近くに寄ってきて、
「あとお客さん、無理はいけないっすよー。その身体でよく立っていられますねぇ。やせ我慢しても何にもなりませんし、ここで倒れられても困るんですよ。空いてる部屋があるんで、そこで休みません?」
 一目で、フェロンの体調を看破してのけた。
 実際、そうである。
 繰り返される魔物の襲撃。腕に自信のある彼だって、繰り返し戦えば疲弊する。リュクシオンが暴走して魔物化してから半年。国外に逃がされた人々は己の国の滅亡を知って魔物化し、それを知った彼らの親しい人々が魔物化し、魔物に襲われて大切な人を失った人たちが魔物化し……負の連鎖は、ずっと続いている。
 その中でフェロンは戦って、闘って、ただ勝って。勝つので精一杯になって。国が滅んだあと、何をするともなしに放浪し、意味もなく生きていた。そんな日々を送っていたなら、ボロボロでないはずがない。
「自分にも兄さんがいてね、戦いの果てに死んじまったんすけどー。お客さん見てると思いだしまっさー」
 しみじみと、宿の主が言った。そんな彼に、フェロンは問う。
「あなたの……名前は」
その問いに、宿の主は明るく答えた。
「自分? 自分っすか? ルードってぇ言います。これからもどうぞごひいきにー」
「フェロンだ。改めてよろしく」
「フェロンさん、りょーかいっすー。なーんか、アーヴィーさんといい、フィオルさんといい、フェロンさんにリクシアさんといい……。ウチは普通じゃないお客さんばっかりが集まるみたいで……。まぁ、面白い話が聞けるし、金さえくれりゃ、ウチとして文句はありませんがねー」
 ルードはそんなことを言った。のんきに見える彼にも、何か思うところはあるのだろう。
 アーヴィーやフィオルなんて人は知らないけれど、魔物が何か関係する人物なのかなとフェロンは思った。

 しばらくして、リクシアが戻ってきた。
「フェロン、ハイこれ!」
 山ほどの薬草の束を背負って。フェロンはそれを見て呆れた声を出す。
「……いったいどこから持ってきたの」
その問いに、リクシアは元気よく答えた。
「町の人が分けてくれたのー! だからもう、大丈夫!」
「……ありがとう」
 フェロンはそっと動き出す。大丈夫、まだ動ける。――まだ、戦える。
「じゃぁ、部屋に行こう。治療しなくちゃ」
 一歩一歩。確かめるようにフェロンは歩く。
 リクシアは言う。
「色々あったの、いろいろ、ね。あとで聞いてくれる?」
 フィオルとアーヴェイとの出会い。そしてその別れの物語を。
 大好きな幼馴染に、知ってほしいから。
――時間は、動いた。
 悔恨の白い羽根。首から下げたそれを、リクシアはそっと握りしめる。そして
 今はどこかでまた生きているあろうかつての友に向かって、祈りをささげた。
――私は平気。だから、そっちも。
 無事に目的を果たせるように、いつか大切な人を救えるように。旅に幸あれと、彼女は祈った。

  ◆

「ここにあのコがいるみたい……。ねぇ、ゼロ。今はあのコは宿の中。守らなきゃいけない人もいるわ。だから……行ってくれる?」
「はい、お母さん」
 どこかわからぬ暗い部屋の中でそんな会話が交わされる。部屋の中には妖艶な美女と、銀髪の少年がいた。
 何かが、起ころうとしていた。
 
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