銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
永遠ならざる
宇宙歴792年 帝国歴483年3月。
艦隊の連携訓練の名目のもとに、第五艦隊及び第八艦隊の合同訓練が行われた。作戦参謀側から求められた必要練度は非常に高いものであったが、訓練を担当する第五室から提案され、各艦隊上層部にもある程度の方針説明があったため、互いが競い合うように訓練を始めた結果、既に目標値を達成した艦隊も出始めている。特に艦隊司令長官のシトレ大将が率いる第八艦隊、現場の叩き上げであるビュコック中将率いる第五艦隊はよきライバルとして、互いを意識している。
アレス自身は原作での訓練練度はどのようなものであったかなどは理解していないが、少なくとも作戦目標達成の訓練に留まらなかった時点で良い訓練となったと思うし、実際に訓練計画を担当した第五室では安堵の声が漏れていた。今後は警戒行動のために遠征していた第四艦隊が合流することになるが、この分では予定通りに訓練を終えられそうだ。
いささか不機嫌そうなのはビロライネン大佐くらいであったが、訓練計画は成功に終わったため、その怒りを第五室に向けることもできず、他の情報参謀へと向かっているようだ。第一室を担当するヴィオラ中佐が、もっと帝国の情報を仕入れて来いと怒られ、大汗をかいている。
最も正直同盟軍の情報部は他と比較しても非常にレベルが低いと、アレスは考えている。
記憶に残っている情報部の作戦がバグダッシュ中佐の情報操作と暗殺だ。
軍人じゃない民間営業だってもっとうまくやる。ましてや、現代で軍が介入しているような軍属企業であれば、もっと酷いものだ。失敗して、いきなり逮捕された同僚がいたなと過去を思い出して、苦笑する。
情報部について信頼ができないのは、その一件だけではなく、本来は最も帝国の情報を手に入れられるフェザーンで、情報は全てフェザーン側を経由してのものになっている。
それについては、今考えても致し方ないことではあるのだが。
アロンソ中佐には悪いが、アレスは情報部を一切信用していなかった。
情報の入手がフェザーンの気持ち次第というのは、情報部としてはどうなのだろうかと
そもそもクーデターも、止められていないしな。
思考するアレスの前では、今も第八艦隊と第五艦隊が相互に接敵訓練を行っている。
並行追撃作戦の情報はさすがに漏らすことができないため、互いが敵に対して再接近して、第八艦隊が敵を引き込み、第五艦隊がそれに着いていく。それが終われば逆に第五艦隊が引き込み、第八艦隊が接近するというものだ。
表向きは、敵艦隊をトールハンマーの斜線外へと引き込み、それに対して接近してくる敵を包囲するといった名目だったはず。
「第五艦隊の動きがいい」
目を引くのは、第五艦隊の一部の分艦隊。
スレイヤー少将旗下の分艦隊だ。
敵に対する反応と、それに対する行動が非常に素早く、まさしく精鋭と言ってもいい。
原作に名を残していない小さな戦闘でも、大きく活躍している。
実際に訓練の光景を見れば、シミュレートとはまた違う動きがそこに広がっていた。
隣で見ていた巨漢の少佐――パトリチェフが感嘆の声を漏らした。
「素晴らしいな」
「ええ。でも、スレイヤー少将の艦隊がネックですね」
「逆じゃないか。非常に動きがいいが」
「良すぎるから、周囲と連携が取れなくなってきています。このままではスレイヤー少将の艦隊だけが引きずり込まれて、狙い撃ちされます」
実際に食らいつかれる第八艦隊は苦しそうであるが、それでもシトレ大将の直属部隊という維持か、スレイヤー少将の分艦隊に対して囮を使い、他の艦隊を包囲殲滅する動きに出ている。それを防ごうと他の艦隊が助けに行こうとするが、どうしても練度の不足は否めない。
「他が慣れれば連携は上手くいきそうだが」
「他が慣れたら、スレイヤー少将の艦隊はもっと上手くなっていますよ。とはいえ、わざと動きを周囲に合わせてもらうのも勿体ない気がしますね」
「作戦参謀ではスレイヤー少将の艦隊を先陣として、他の艦隊を一気に動かすそうだ」
「そうなるでしょうね」
「ま、俺たちが気にしても仕方がない。訓練の進捗は予定以上に進んでいる、これ以上望むのは贅沢だ」
よくやったと言わんばかりに、背後を叩かれ、アレスは呻き声を漏らした。
予想以上に力が強い。
ひどいと恨めしげにパトリチェフを見れば、がははと楽しげに笑っていた。
不安を思っていたとしても、こうして目の前で笑われたら大丈夫なのではないかと思えてくる。ヤン・ウェンリーもきっと作戦を考えて、目の前で大丈夫と断言してもらいたかったのだろうなと、アレスは笑いながら首を振った。
なら、大丈夫だと言われるようにしないとな。
+ + +
自由惑星同盟史料編纂室。
過去の戦争の記録をデータとして見られ、また敵の資料を多く備えつけた場所だ。
これほど多くの記録が残っている場所は、ここかハイネセン大学、そしてフリープラネッツ総合図書館の三か所くらいであろう。それでも秘匿データを確認することができるという上で、対戦争に関する記録としてはここが一番だろう。
現在でも対イゼルローン攻略の作戦参謀以外に、多くのものがデータの確認をしている。
訓練が始まって、時間がある程度自由になって、アレスはここに足を運んでいた。
確認するのはイゼルローン要塞のデータだ。
最も、そこに残っているのは戦争時のデータだけであって、イゼルローン要塞に関する詳細なデータはない。
要塞の指令室が分かるようになったのも、ヤンがイゼルローンを攻略してからだ。
現在、自由惑星同盟軍は一歩も踏み込んだことがなく、捕虜から得られる情報も大まかなものだった。
艦隊の待機場所から内部のモノレールで二十分ほどかかると書かれていた。
こういった情報に対して、目を皿のように見て調査している部署もあるらしい。
もしかするとヤンもそこに行きたかったのかもしれない。
端末の前で、データを流し読みしながらアレスは紙コップに入れた紅茶を一口する。
イゼルローンが建設されたのは宇宙歴767年。
それから二十五年の時を経て、過去四回のイゼルローンを攻略しようとして、全て失敗している。最初の一回は無謀にも正面からせめて、イゼルローンが誇るトールハンマーの餌食になっている。それでは足りないと、艦船数を増やしたのが第二次イゼルローン要塞攻略戦だ。
最も結論としては、第一回同様にトールハンマーで過半数の艦艇を失い、逃げている。
第三回、第四回とようやく策を考えるように放っているようだが、小さな策などトールハンマーには何ら意味ももたらさなかったらしい。第四回目に至っては、艦隊運動が明らかすぎるほどに鈍い。
おそらくは、イゼルローンという名前が同盟軍を恐怖に陥れているのだろう。
これが戦術シミュレーションであれば、動きが遅くなるなどありえない。
だが、これは実戦だ。
失うのはデータ上の数字だけではなく、何万という人員であり、その倍以上の家族が不幸になる。
それらを三度ほど繰り返し見れば、外は既に暗くなっていた。
もっとも今日は久しぶりに休暇をもらったため、特に問題はないのだが。
紅茶を飲み干して、アレスは苦笑する。
経験で知っているのと、実際に目で見るのは大きく違う。
たったの一撃で、数千もの艦隊が失われるのだ。
それも連射こそできないものの、時間を少し開ければ再発射ができる。
見ている限りで、最低五回は発射が可能。
それ以上は、同盟軍が逃げ出しているため確認は不可能。
見れば見るほど、最悪な光景。
最も弱点がないわけでもない。
指で頬を撫でながら、しかしと思考を変える。
圧倒的な敗北というにも関わらず、自由惑星同盟の民間人はこれを見ていない。
だからこそ、簡単に要塞が攻略できると今でも考えているのではないかと思った。
敗北は知ったとしても、一瞬で数千隻が融解する光景は見ていないのだ。
これを見れば、諦めるという考えも浮かぶのであろうが。
無理だろうと思う。
その数千の中には、自分の父や夫、そして子供が入っている。
それに含まれなかったとしても、学校や会社の中には必ず一人や二人がいる。
そんな光景をモザイクなしで放映できるほど度胸のある報道局ないし、あったとしてもまず政治家が止める。
かくして、何ら意味のない自信が自由惑星同盟の中ではびこることになる。
先日、父親と電話した時にも感じたことを思い出す。
カプチェランカの時は驚いたようであったが、それでもいまだに息子が死ぬとは思っていない。そして、それは父が馬鹿なだけではない。誰もがそう感じている――いや、感じたいからこそ楽天的になり、結論として帝国には負けないと思い込む。
フェザーンを入れてぎりぎり互角といった戦力差を見れば。いや、艦隊総数が圧倒的に少ないことを見れば、わかるようなものであるのだが、それを認めたくはないのだろう。
父が、夫が、子供が、死地に向かうなどと。
原作を読んでいた時は単純に馬鹿だと思った帝国領の侵攻作戦。
単純に馬鹿というには、あまりにも難しい。
その辺りをヤン達は読み違えたのだと思う。
軍人的思考と市民の思考の乖離を考えていなかった。
家族が死ぬとは誰だって思いこみたくない。
だからこそ、市民は問題なく、勝てると思い込もうとする。
それが愚かと切り捨てられるものではない。
イゼルローンの戦闘記録を再度流しながら、アレスは紙コップを握りつぶした。
当初、アレスは帝国侵攻作戦を防ぎ、クーデターを防止して、帝国の内乱に介入すれば生き残る時間は作れるのではないかと考えていた。
戦力差を広げず、帝国の内乱に乗じて数を少なくする。
だが、自由惑星同盟で生きて実感するのは、帝国侵攻作戦は、防ぐことはできない。
ならば、どうするか。
画面で光るトールハンマーを目にしながら、アレスは思考を続けていった。
+ + +
アレスは、現在まで極力歴史を変えずに来たつもりだった。
極力というのは、絶対ではないからだ。
カプチェランカで帝国から防衛したのも、あるいはワイドボーンの行動も。
少しずつは変えてきているが、大きな歴史まで変えるのは防いでいるはずだ。
最もバタフライ効果といった蝶の羽ばたきがとまで言われたら、無駄なのだろうが。
そうなれば考えるだけ無駄なので、無視をしている。
ともあれ、もしアレスが大きく歴史を変えれば、そこからの歴史はアレスが全く知らないものになるだろう。
ならばと考える。
どのタイミングで歴史を変えるのが有用であるのかと。
当初は帝国侵攻作戦あるいはその前哨戦までは変えない方がいいのではないかと考えてきた。イゼルローンをこちらに手中に収め、ある程度の艦隊と戦力が残っていれば、互角以上の戦いができると。
こちらには、かのヤン・ウェンリーがいるのだ。
互角以上の戦力があるならば、簡単に負けることはない。
いや、帝国の隙を利用することができれば、銀河帝国正統政府を要して銀河帝国とも和解が可能となるかもしれない。最も、そうなればラインハルトとは完全に敵対することになるだろうが、そもそも敵なのだからさしたる問題もない。
帝国侵攻作戦を防ぐのは難しい。
ならば、帝国侵攻作戦のダメージをある程度少なくする。
あるいは、今歴史を変えるか。
思考を深くして、アレスは眉根を寄せた。
二杯目の紅茶を飲み干せば、既に辺りは暗くなっており、周囲にいた人間も既にほとんどが退出していた。
閉館を告げる音楽が静かになり始めている。
五周目へと突入していたリピート再生を閉じて、アレスは端末の電源を切った。
紙コップをくしゃくしゃと丸めて、ごみ箱へと投げ入れる。
考えを続けたが、いまだに考えはまとまらない。
歴史をかえるとすれば、どのタイミングが最適か。
自分は本当に戦略家という思考は足りていないのだなと、アレスは苦笑する。
仮にヤン・ウェンリーがこれを知ればどう考えるだろうかと思った。
おそらくは最適なタイミングを教えてくれるのではないだろうか。
相談してみるかと、考える。
あくまでも想像であり、どのタイミングが良いだろうかと。
一番良い選択に思えた考えだが、ヤンの考えを奪う可能性が躊躇いを与える。
ヤンが不敗でいるのは、今までも、そしてこれからも自らが考えて、行動した結果だ。
そこで答えに近い未来を教えることで、彼の思考に多大な影響をもたらすことは必至。
妙な先入観を抱かれて、ただの凡人になられたら、同盟の根本が変わってしまう。
そうならない可能性の方が高いかもしれないが、わずかな行動で良くも悪くも変わるというのはワイドボーンで実感していた。実にくだらない理由であるが、稀代の英雄を変えてしまうということを恐れているのかもしれない。
あるいは、ヤンの性格のことだ。
レベロの失態がなければ、メルカッツに任せたとは言いつつも、一時期は悠々自適な引退生活を送ろうとした人物である。今後、多くのものが死ぬと聞けば、フェザーンの様に地方自治だけを残して平和に暮らそうというのではないか。
いや、それはないかとアレスはすぐに否定した。
まだ姿すら見ていない少年の未来のために戦うと言った言葉。
そう考えれば、結局のところは、いつ動くというのは些細なことかもしれなかった。
未来を知っていたとしても、完璧ではない自分にアレスは笑う。
結局のところ、知っていたとしても知らなかったとしても同じことなのかもしれない。
戦うべきは自分で、動くべきは自分で、それで勝つのも、負けるのも自分だ。
迷ったところで解決するわけではない。
ならば――戦うとしよう、永遠ならざる平和のために。
ページ上へ戻る