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綾波さんは語りたい

作者:きゅべれ
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第壱話:綾波さんは揉まれたい
  第壱話:綾波さんは揉まれたい(起)

 手に触れる暖かな感触。その表面は手に吸い付くかのように瑞々しく、もぎたての果物のような張りがある。しかしそれでいて、マシュマロのように柔らかい。この世に二つとないそれは、正に神のもたらした奇跡、と呼べる逸品であった。

 そんな一瞬の至福の思いは、手に走る鋭い痛みに遮られた。現実に戻ってきたケイト・ヤガミという名の男は、目の前の少女の、まるでこの世の諦観の全てを集めてきたような表情を見る。

「御主人様。何度も、何度も、何度も申し上げましたが、」

 盛大なため息交じりに文句を垂れるこの少女の名はベルファスト。ケイトが指揮する艦隊に所属する艦娘の一人で、そのエースと言ってもいい存在だ。最上質の絹糸のような長い銀色の髪と、ルネッサンス期の絵画にある女神のような知性と理性ある美貌。そして、白と濃紺で彩られたメイド服に包まれた豊満な肢体は世の男共を魅了して止まない。街を歩けば、確実に10人の男が10人とも振り向くであろう。

 だが、である。そのたわわに実った果実のごとき乳房は、メイド服からこぼれんばかりであり、どう考えても男を誘っているとしか思えない。というわけで、ケイトは彼女に会うと挨拶代わりに乳を揉むのだが、その度に手を抓られている。最も、初めて触ったときに食らったビンタに比べると遥かに可愛らしい抵抗なのだが。

「不用意に女性に触れるのは紳士の所業ではありません。他の女性には自重下さい、と…」

「分かってるよ。だから、ベル以外にはしていないだろ?」

「…それならば結構ですが」

 笑顔で言うケイトに、ベルファストはもう一度ため息をついて言う。その不機嫌そうな言葉の裏側には、どこか嬉しそうな響きがあることをケイトは分かっていた。本当に可愛らしいメイドさんだ、とケイトは満足気に頷いた。

「さてと、ベル。今日の予定を読み上げてくれ」

「はい。本日の予定は0900より出撃前ブリーフィング。1030に出陣式。その後は直接指揮を執って戴き、2000には状況終了の予定です」

「出撃予定の艦娘達のコンディションはどうだい?」

「上々です。特に姫殿下などは久し振りの対象海域への出撃でとても張り切っておられます」

 仕事の話を続けるケイトとベルファスト。そこに扉をノックする音が聞こえる。一拍おいて、ベルファストとは別の少女の声が聞こえる。

「綾波入りますです」

 その声とともに姿を現したのは、丈の短いセーラー服のような衣装を身に纏う、長い金色の髪をポニーテールに纏めた少女だった。ベルファストよりやや幼い印象を受ける彼女はそれでもまごうことなき美少女であり、御伽噺に出てくる妖精のような可憐さである。彼女は綾波。ベルファストと同じ艦娘であり、ケイトにとっては艦隊結成直後から共にいる、掛け替えのないパートナーのような女性である。

「おはようございますです、指揮官」

「おはよう、綾波。出撃の準備はいいのかい?」

 茫洋とした表情で言う彼女に、ケイトは微笑んで言う。彼女は今日の出撃艦の一人であり、第一艦隊の主役となる存在である。真面目な彼女が出撃の準備を怠っているとは到底思えないが、一応尋ねてみたのだ。

「綾波はいつでも戦えるのです。それよりも、」

 そう言って、綾波はベルファストの方に向く。そして、右手を差し出して言う。

「申し継簿を受け取りに来たのです。明日からまた秘書艦勤務なのですから、出撃前に受け取っておきたいのです」

「はい、お嬢様。準備はできております」

 そう言ったベルファストの手の中には、いつの間にかB5サイズのノートがあった。彼女はよくどこからともなく色々なものを取り出す。別の次元に通じているポケットでも装備しているのか、と聞きたくなる。

「…確かに受け取ったのです」

 綾波は受け取ったノートをパラパラと見て、頷いて言う。その様子を見て、おや、とケイトは思う。妙に綾波の態度が素っ気ないからだ。

 綾波とベルファストとの仲は悪くない。むしろ、かなり良好であると思っている。艦隊結成当初から共に艦隊のエースとして働いており、特に演習においては長らく共に肩を並べて戦ってきた仲だ。ベルファストは綾波をお嬢様と呼んで特別扱いしており、綾波もベルファストには相当懐いている。その割に態度が固いのはどういうわけだろう。

「…指揮官、質問があるのです」

 不意に綾波はケイトの方へと向き直り、質問をぶつける。茫洋とした表情に変化はない。だが、言いしれない妙な決意の漂う様子にケイトはたじろぎ、思わずベルファストの方を見る。彼女はニコニコとしたまま黙って経緯を見ている。やられた。ケイトはそう思った。

「指揮官はいつもベルのおっぱいに触っているのですが、そんなにおっぱいが好きなのですか?」

 綾波のどストレートな質問に、ケイトは思わず天井を仰いだ。傍らでベルファストがほくそ笑んでいることを確信しながら。そういえばさっき何やら視線を感じたのだ。ベルファストがワザとドアを少し開けておいたのだろう。綾波がやってきて、アレしている様を覗くことを確信して。

「それはね。むしろ、好きでない男がいるとは思えないな」

 綾波の方へ向き直ったケイトは冷静を装って言う。正直に自分の思うことを。彼女には絶対嘘はつかない。誠実を貫く。それがケイトが誓っていることの一つだ。第一、彼女に下手な嘘をついても一秒で見透かされるだろう。

「そうなのですか。なら…」

 そう言って、綾波は少し俯く。そして、僅かにもじもじしてみる。きっとその表情は仄かに朱に染まっているだろう。まさか、とケイトは思ったが、そのまさかのセリフが、顔を上げた綾波の口から放たれた。

「…なら、どうして綾波のおっぱいを触らないのですか?」

 ぐはあ。あんまりな問いに、ケイトは助けを求めてベルファストの方を見るが、彼女は笑いをかみ殺したまま俯くばかりだ。助けてくれそうな気配はない。こいつめ、と思うがどうしようもない。

「綾波のおっぱいだって、最近少しは大きくなってきたのです。どうして、指揮官は触ってくれないのですか?」

 綾波が更に攻勢を強めてくる。ああ、なるほど。先ほどの綾波の態度が腑に落ちた。要は彼女はベルファストに嫉妬していたのだ。男として実に嬉しいのだが、正直困ったものだ。だが、下手に誤魔化しても逆効果なのは、火を見るより明らかだ。正直に言うしかない、と思う。

「綾波。俺はお前の胸には下手に触りたくはない。だが、それはお前のことをベルより愛していないとかそういうことじゃない」

「…どういうことなのです?」

 ケイトの言葉を聞いて、綾波は首を傾げて尋ねてくる。だが、ケイトの言葉に嘘の響きが感じられなかったことから、綾波の声音は若干だが柔らかくなっている。

「動物に例えるのは悪いと思うが、犬と猫とを愛でる時、その作法が異なるのは分かると思う」

「…要は綾波とベルとでは愛で方が違う、ということなのですか?」

「そういうことだ」

「…御主人様。あれが私の愛で方だというのなら、いくらか申し上げたいことがございます」

「また後でな」

 実に心外そうに口を挟んできたベルファストの言葉をサラッと流して、ケイトは綾波を見つめる。彼女は何か言いたそうに口を動かしかけるが、どうしても一言を言葉にすることができず、

「…わかりましたのです」

 そう言った。どこか納得がいかない表情で。だが、一応今のところ質問はこれで終わりのようだった。ケイトは内心でほっと胸を撫で下ろす。後でベルファストからの文句や説教があると予想されるが、諧謔を弄することのできる彼女の相手はまだしも気が楽だ。

「…では、綾波は出撃前の最終調整があるので、もう行くのです」

「ああ。頼むぞ、綾波」

「…はいです」

 そう言って、部屋を去ろうとする綾波は、やはり何か言いたそうにケイトの方へ振り返ってしばらく見るが、やがて一礼をして部屋を出た。その足音が遠ざかった後、はぁ、とケイトはため息をつく。

「お嬢様もすっかりお年頃ですね」

 そんなケイトの様子を見ながら、ベルファストはとても感慨深そうに言う。彼女としてはやはり幼い戦友のそうした変化が嬉しいのだろう。

「ベル。今回の悪戯は性質が悪いぞ?」

「人の胸を触ることを挨拶代わりにしている御主人様の仰ることとは思えませんが?」

「悪かったよ。だが、」

 揶揄う様なベルファストの言葉に、ケイトは少し非難がましく言う。彼女は有能で忠実なメイドであるが、主人であるケイトのことを困らせて楽しむ悪癖がある。そんな彼女の悪戯には慣れたものだが、今回のように他人を巻き込んだものは初めてであり、それはあまりよろしいことではない、と思えたのだ。

「確かに悪戯半分ではありますが、もう半分は御主人様の覚悟を促すつもりで行いました」

 ベルファストはそう言ってケイトを見つめてくる。その瞳の奥に真剣な光が見えて、ケイトは黙って彼女の言葉を待つ。

「御主人様はいつかはお嬢様の想いに答えを出さなければなりません。それがどんな形になろうと。そして、その時はそう遠くはありませんよ?」

「言われなくても分かってるよ、そんなことは」

 ケイトはため息をついてベルファストに答える。彼女に言われるまでもなく、ケイトは綾波の想いには気が付いているし、答えも準備している。後は機会だけだ、と思っている。そう、後は機会だけなのだ。

「そうですか。ならば、私から申し上げることはこれ以上はございません」

 そう言って彼女はどこからともなく、淹れたてのコーヒーの入ったカップを取り出し、ケイトの手前の机に置く。ご丁寧にソーサーまで付けてだ。

「ですが。このベルファストのことも、今後とも愛してくださると嬉しいです」

「分かっているよ」

 ベルファストの言葉をおざなりに返し、ケイトはコーヒーに口をつける。それは地獄のように熱く、悪魔のように黒く、天使のように純で、彼女たちの想いのように甘かった。 
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