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大将棋について

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第八章

中将棋との関係
 中将棋は元々この大将棋から出て来たと言われているんだ。中将棋と比較するとこの大将棋は中将棋に駒の子達をプラスさせて盤自体を拡げたという感じがすると言われているけれどむしろ中将棋が大将棋を小さくしたと言っていいだろうね。
 水無瀬兼成という人が記している象戯図によると酔象は太子、麒麟は獅子、鳳凰は奔王のそれぞれの駒の子達だけが成る駒の子の変遷で他の子達は成ることは出来なかったと言われているよ。この他にさっきお話に出した駒の子以外は金将の子になってしまうというパワーダウンにしかならない子は成らずにその他のパワーアップになる子はなったという人もいるよ。このことから大将棋の駒の子を減らしてその減った分を補う為に多くの駒の子に成りを加えて出来たのが中将棋なんじゃないかという説もあるんだ。
 中将棋の方が遊びやすいという風潮が出来ていってそれから中将棋が広まっていってこっちの成りが大将棋に逆に持ち込まれたともされているよ。けれど大将棋にあって中将棋にはない駒の子達には元々成りはなかったから仕方なくそういった子達には成る駒の子としてありがちな金将の子達を当てることにしたんじゃないかって考えられるんだ。
 こういったことから本来は中将棋を産んだ親とも言える大将棋が中将棋の規模を大きくしただけのものになってしまったという見方もされているんだ。駒が多くて一局を指すのに時間がかかるから南北朝の頃には廃れたんじゃないかって言われているんだ。
歴史
 大将棋が最初に文献に出て来るのは十三世紀末か十四世紀はじめ頃つまり鎌倉時代に書かれたと言われている普通唱導集という本だと言われているんだ。この書には大将棋指しの人達に対しての死後の追悼文でlこうした文章が残っているんだ。漢文だよ。
大将棋 伏惟 々々々々反車香車之破耳 退飛車而取勝仲人嗔猪之合腹 昇桂而支得
 この文章があるそうなんだ、この表現は何でも一三〇の駒の子達を使う大将棋の最初の配置や駒の子の動きと同じで十三世紀には大将棋があった根拠とされているんだ。尚上記の漢文では将基とあったけれど将棋と変えているからね。それと鶴岡八幡宮の鎌倉時代の出土品に鳳凰の子の駒、裏が奔王位の子になっているその駒が出ているんだ。
 今現在大将棋にわかっていることはこれだけだよ、これだけわかれば遊べると思うから皆遊びたい時は存分に楽しんでね。


大将棋について   完


                  2018・1・20 
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